第14話 ローリア ②

 『悪魔の揺り籠』に独り取り残された終野澄香ついのすみかは、軽度のパニック状態に陥っていた。


 黒枝Cから喰らった魔法の余波及び爪を剥がされた事による肉体的ダメージが、本日起こった様々な奇怪な出来事に対する精神的疲労が、異常な状況で興奮状態だったため脳内物質により麻痺していた痛覚が、澄香が一人きりになり冷静になるにつれ波のように押し寄せて来た。


 そしてなにより、黒枝Cが目の前で爆散した光景と、一緒に暮らしていたただ一人の家族である黒枝Aを、A使澄香の魔法を使っても助けられず、むしろ死期を早めたのかもしれなず黒枝Aを死なせてしまった記憶が澄香の中で重なり、フラッシュバックを起こしていた。


 澄香は先程の黒枝Cとの会話で、自分の祖母黒枝Aと、黒枝Cを作った黒枝Bが、理由は分からないが事前に話し合って今の状況を仕立て上げたということを直感していた。それは根拠に乏しい印象論に近いものだったが、それで十分だった。


 終野澄香の思い込みは激しく、そしてそれを補って余りあるほどに勘が鋭いのだ。


「置いて行かないで……」


 よろめいて地にうずくまる。


 とにかくここから出て、少女の無事を確かめなくては────澄香の思考はそれだけに充たされていた。石神から渡された『悪魔の揺り籠』の解除コードの事など綺麗さっぱり忘れ去っていた。


 すこん。


「あいた」


 澄香の頭に本当に小さな何かが軽くぶつかった。


 頭を上げるとそこに。


 澄香の膝の半分程の背丈もない、極小サイズの黒いマネキンが、ただただそこに立って、崩れかけていた。


 ヒューマン・イミテーターで肉体を構成された黒枝Cがみずから爆散する際に飛び散った、ヒューマン・イミテーターのセル個体のそのまた残りカス。


 つまりそれは、放っておけば崩れ落ちるだけの、取るに足らないものだった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「ど……どうもこんばんは」


 私は訳もわからず、ただ闇雲にその黒いマネキンに挨拶した。灰谷君が戦っていた黒いマネキンより遥かに小さい。私の肩に乗る位の大きさしかない。


「どこからきたの?ケガしてるの?」


 我ながら馬鹿な事を訊いてしまった。


 崩れかけたその姿が。


 助けを求めているように見えたからだ。


「そうだ……助けに行かなくちゃ」


 今度こそ。お婆ちゃんを。それが例え別の世界の、少女の姿をした邪悪なお婆ちゃんであっても。


 石神さんは事前の説明で、あの少女は『悪魔の揺り籠』の内側に、本体の魔導書は外側に、それぞれ切り離すと言っていた。ならばきっと少女は今外側にいるのだろう。私が説得に失敗した以上、ウィッチシーカーの人達は少女を殺してしまうかもしれない。


 そうなる前に止める。やっと貰った恩を返す事が出来る。行かなくちゃいけないんだ。魔法を使ってでも。


 私はしゃがんで黒いマネキンに手を伸ばした。自分の脳を魔法使いとしてのモードに切り替える。実際の景色と重なって、見えないはずのものが見える。黒いマネキンの崩壊する過程が。そしてその戻し方も。今見えている過程の逆をやればいい。


 脳が軋んでいるような感覚。特に不快には感じなかった。目と鼻から血がボタボタと垂れてきた。どうでもいいことだ。


 そして私の中で黒いマネキンを再構築するための方法が発生するのを待つ。私と異界が繋がる法が。魔法が。


 時間はかからなかった。頭に言葉が湧いてきて自然と口から流れ出た。


「物理的領域の因果的閉包性の否定」


 聞いた事もない言葉が自分の口から出てきた。何故私はこんな言葉を知っているのだろう。


「泥の海を照らし夜の空を穿つ。/認識射程内における非物理ランドスケープ構築開始。事象のマルチバース的解釈適用。/最果ての闇は黄昏を抉り逆理を孕む。/言表と可視性の結合。/魔法はいつでもどこにでも。私の世界よ砕け散れ。/未存在世界の発見。相互観測アプローチ開始。────完了。/

永遠の夜戦。私は内部に内部を創る。そして『抽象的な嵐』は訪れる。/『私』を存在根拠とした未存在世界に対する再定義ダイアグラム構築。暫定的ワールドアパート生成。安定化。認識射程内における仮想因果率の導入。/ここが世界の果て。『レイジングワイルドハント』」


 世界が拡がる。私の観ているもの、聴いているもの、感じているもの全てが別の世界のものであるかのようにつくり変わっていく。いや違う。変わっていくのは私自身だ。


 何だか周囲の時間が遅くなったように感じる。目と鼻からさっきよりも大量に垂れる血の落ちる早さも遅い。


 手始めに目の前の黒いマネキンを『戻す』。映像を逆再生するように一瞬で再構築された。この子だけではない。真っ暗でほぼ無音なので魔法を使う前は気付かなかったが、『悪魔の揺り籠』の中一帯にこの子と似たような黒いマネキンが崩れかけていた。その子たちも『戻した』。


「みんな、集まって」


 その子たちを壁際の一箇所に集めた。わらわらと集まって、一つの大きな塊になっていく。そのうち私のイメージした通りの形になった。黒い大きな人間の腕。その腕は握り拳を作り、振りかぶった。私はその子たちにお願いをする。


「壊して」


 黒い腕は壁に向かって勢いよく拳を振り下ろした。『悪魔の揺り籠』の壁は一撃で壊された。


 ん?


 何か今物凄く重要な事を忘れているような気が……


 いや、そんなことはいい。それよりも止めないと。ウィッチシーカーの人達も、少女も。少女に本当の目的を聞き出さないと。せめてウィッチシーカーの人達と少女の命だけは護らないと。


 私は『悪魔の揺り籠』の外に飛び出す。


 そこには────。


 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


作者より:

作中の呪文詠唱は以下の文献を参考にしました。


佐々木中『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』以文社、2008年

 



 

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