第10話 スタンドバイミー ⑤

 ワイヤーフレームで構成された、白い線と黒い面だけの世界。


 その場所は、辺り一面がギリシャ神話の極寒地獄コキュートスの如く、絶え間無く冷気と吹雪の吹き荒れる絶対零度の地と化していた。そこに人影が一つ。漆黒のドレスの少女であった。


 漆黒のドレスの少女は、退屈しているかのような表情で平然と立っていた。彼女を中心とした半径約2mの球状の空間に、冷気も吹雪も全く入って来ることはない。彼女の魔法であった。空間防壁ウィッチカーテンという、それ自体は基礎的な魔女術ウィッチクラフトであった。


 不意に床から格子状に組まれた16の斬撃が少女を襲った。その規模は優に20m四方を超えており、少女が雑に貼った空間防壁ウィッチカーテンを斬り裂き得る威力、刹那の速度を兼ね備えていた。


 だが、少女はそれを半歩分身体をずらすだけで、斬撃の僅かな隙間を通すように回避した。傍目に見れば少女が身体をずらしたタイミングで、わざと当たらないように斬ったように見えるだろう。


 空間防壁ウィッチカーテンが斬り裂かれると同時に、畳み掛けるように上空からはレーザーの如く束ねられた光の帯が、前後左右からは何百冊もの魔導書が、床下からは悪魔のような恐ろしい巨大な顔の大顎が、そして絶対零度の冷気と吹雪が少女を襲う。



 それを見ても、少女はまだ。



鬱陶うっとうしい。全部消えて」

 


 退屈しているような顔をしていた。


 少女は両の手を、左右それぞれ外側に拡げた。そのてのひらにはバスケットボール大の漆黒の球が一つずつ浮かんでいた。


 否、それは球ではなかった。人間の眼でみれば球のように見えるというだけに過ぎない。


 それは空間そのものを捩曲ねじまげる、重力場そのものであった。


 べぎめぎがぎごぎ、と音を立て、光の帯が魔導書が大顎が冷気が吹雪が空間が時間が世界がなにもかもが、漆黒の球に見えるモノの内側に引き摺りこまれ、挽き潰されていく。


「安心していいわ。ブラックホールとは似て非なるものだから」


 そこでやっと少女は薄く笑みを浮かべた。


「素粒子になるまで潰してあげる」



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 


「やってみろクソババア」


 常磐木さんが毒づく。そしてハッと私の方を見て、やや気まずそうに眼を反らした。


 私(終野澄香ついのすみか)、常磐木ときわぎさん、石神さんは、石神さんが空間に出したスクリーンで、少女とウィッチシーカーの人達との現在の戦況を観ていた。


「悪い。それで、これは何が起こっているかというとね?」


 常磐木さんが言う。


「まず、俺達は戦闘が始まる前にあらかじめ空間の始点と終点を繋げといて、内部を氷の精霊魔術で満たすことで、テレポート封じと視界遮蔽と僅かでも防御にリソースを割かせる事とあわよくば酸欠を狙ってるのね?で、『塔』内部では俺達は隠れて攻撃し放題なんだけど、相手が相手だから基本効かないし、攻撃すればするほどこっちの魔術的な存在座標を特定されやすくなんのよ。だから黒枝側としては、ああやって攻撃誘って特定して反撃しようとしてるんだけど、────ほらミスった。上手くいってない。石神ちゃんが常に暗号化してくれてるのと、黒枝の知らない優秀な妨害役がいるから上手くいかなくてイラついてる────というフリをしながら同時進行で少しずつ『塔』のハッキングを進めている、って状況かな」


 一気にそう言った。石神さんはスクリーンを消す。そして私に言う。


「澄香さんが私共の提案を呑んで頂き、終野黒枝ついのくろえと相対した場合、これ以上の暴力が澄香さんに向く可能性があるとご理解下さい。正直危険な賭けになります。常磐木の言った通り、拒否して下さっても問題ありません。使いたくないというだけでこちらには複数枚切り札もあります」


 私は鈍感な方だが、それでも分かる。本当は私という猫の手も借りたい状況なのだ。


「大丈夫です。構いません」


「……承りました。では常磐木さん、説明の方をお願いします」


 常磐木さんは魔法陣を大きく袈裟掛けに斬りながら頷いた。


「了解。まず、あれは俺達ウィッチシーカーの知っている終野黒枝の姿をしている。だが、君のお婆さんである終野黒枝とは違うよね?」


「はい」


「だが、もちろん君のお婆さんも終野黒枝だ。つまり1世界に1人ずつ、2仮に君のいた世界の黒枝をΑ、この世界の黒枝をBとする。今戦ってるのがB────が自身を模倣して作った人間模倣体ヒューマン・イミテーターだ」


「……本人じゃないんですか?」


 うん、と言いながら常磐木さんは魔法陣を4回刺した。


「もし本人ならエレベーターで弾かれるから。一回限り一名様限定って言ったろ?遠隔操作も本人が魔導書に化けるのも見破れる。で、話を戻すけど黒枝Bが何でそんな回りくどい事をするのかが分からない。わざわざ平行世界の自分の孫を転移させてヒューマン・イミテーター仕込んで魔導書作って────っていう莫大な手間の掛かる方法より、もっと効率のいい『塔』への攻撃方法はいくらでもあるぞ。

 つまり黒枝Bの目的は君に強い関わりがある可能性が高い。それを確かめたい」


「えっ、いえ、でもこうなったら私はもう用済みなんじゃないでしょうか」


 私は、あの少女の、祖母の温かい眼とは正反対の冷たい眼を思い出していた。


────『ああ、いたのね。忘れてたわ』────


 少女の言葉も。


「何言ってるの。めちゃくちゃ気にしてる事を悟られたくないからこそのリアクションでしょう。あいつ内心相当焦ってるからね」


 ざくざくざくざくと、魔法陣を滅多刺しにしながら、平然と常磐木さんはそう言った。


「そもそも俺達の知る終野黒枝なら、性格・実力上本人が真正面から『塔』を潰しに来ると思うんだよね。それやるとこっちとしても切り札切らざるを得ないし、そうなると互いに潰れるから今まではそれが抑止力になっていたんだと思ってたんだけど。わざわざ君に自分の分身を内部に連れてきて貰うというのは本人のプライドが許さないんじゃないかな。そのプライドを捨ててでも『塔』に喧嘩売らなきゃいけない事態が黒枝に発生したと考えるのが自然。弱体化はない。弱体化してたとしたらこのレベルの仕込みはできないから」


 石神さんが言う。


「今常磐木が申し上げた事は全て憶測の域を出ない事はご了承下さい」


「長くなったけどここまでが前提ね。で、作戦は────」


 

 




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