第4話 アニー ④

 灰谷契は考える。


(恐ろしく精緻で強固なワールドアパートに閉じ込められた。おそらくウィッチクラフトの一種)


 灰谷契は『塔』直属の実地探査員フィールドシーカーである。当然ながらその本分はあくまで魔法存在への、広義における実地探査・調査であり、直接戦闘は基本的に避けるよう教育を受けている。だが。


「クリーチャーからの敵対的反応を確認。当該クリーチャーを『ヒューマン・イミテーター』に存在仮定。ウィッチシーカー交戦規定に基づき戦闘を開始します」


 常にボコボコと泡立つ、タールのような漆黒の影で出来た街の中、同じく泡立つ影で出来た軽トラック程もある怪物────ヒューマン・イミテーターに、灰谷契はそう言い放った。


 側に居た終野澄香が青い顔をしながらよろよろと立ち上がる。その手にあった魔導書は既にこの世界に融け込むように消えていた。


 突如として、ヒューマン・イミテーターの四足獣のような体の頭部に当たる部分から、人間のような口が発生し、さらに頬に当たる部分が大きく膨らんだ。灰谷は。


ブレスが来ます」


 そう言って有無を言わさず、終野を自分の首と肩を支点に両腕で挟みこむようにして抱え上げた。ファイアマンズキャリーと呼ばれる抱え方である。そしてそのまま左後ろの建物に走り出した。それと同時に。


 ヒューマン・イミテーターの口が大きく開き、濁り切ったドブ河の大洪水の如く、莫大な量の漆黒の影で出来たブレスが広範囲に渡って斜め上方に放たれた。それは放物線を描き、面制圧のように落ちてくる。無数の影の塊が灰谷達に迫る。


 灰谷達は既に建物の側に移動していた。一旦終野を、建物がブレスを遮蔽する位置に下ろしてから灰谷は迎撃態勢に移る。


 灰谷の採った迎撃手段は素手だった。真正面から飛んできた影を右ストレートで弾く。頭部に右上方から飛んできたものを手刀で叩き落とす。かわせる攻撃は全てかわし、地面に落ちたら踏み潰す。灰谷の打撃を受けた影は弾け飛んで消え去った。


 ブレスの大半は建物が遮蔽物となり灰谷達には届かない。だが、その灰谷達に当たらなかった分の影が蠢いた。数十ものそれはボコボコと立ち昇り、黒いマネキンじみた人の形を取る。


 そしてそれは、一斉に終野澄香の方を見た。一瞬の間があり、それらは跳び跳ねるようにして襲い掛かってきた。さらにヒューマン・イミテーター本体の頬が再度膨らみ始めた。ブレスの予備動作である。


 灰谷は再び終野を抱え、今度は右の建物に走り出した。


 黒いマネキンの動作は決して俊敏ではない。灰谷にとってそれらの隙間をすり抜ける事は難しい事ではなかった。しかし、再度ブレスが吐き出されるのを阻止するのと同時には出来ない。


 

 灰谷契のみであれば。


「ヘンペル」


 灰谷がそう呟くと同時に、上空から一直線に降りて来た嘴がヒューマン・イミテーターの頬を深く抉った。泥が頬の傷口から動脈血のように勢いよく吹き出し、やがて消滅した。


 

 ヒューマン・イミテーターは形容しがたい唸り声を上げ、噛みついて反撃しようとする。だが既にヘンペルは上空へと逃げていた。ヒューマン・イミテーターを中心に旋回し、隙を伺いながら待機に戻る。


 一方灰谷は終野を抱えたまま黒いマネキンから逃げ回っていた。ただし、それら全てを一ヶ所に────ヒューマン・イミテーター本体の真正面に誘導するように。


 (ブレスは封じた。他に絡め手があったとしても俺かヘンペルに阻止される。ヘンペルに攻撃は届かない。ならば次に奴が採る手は────)


 ヒューマン・イミテーターが低く構える。人間のような脚の筋肉が隆起する。次の瞬間。その身体が。


 (俺への直接攻撃)


 凄まじい勢いで灰谷に突進した。一番最初に見せた、恐るべき質量での蹂躙。


 灰谷は足を止め、終野をその場に下ろした。一動作で服の中からコバルトブルーの栞を取り出し、「私から離れないで下さい」と終野に告げる。終野は曖昧な表情で頷いた。殺人的な勢いのヒューマン・イミテーターの突進と黒いマネキンの群れが灰谷と終野の眼前に迫る!

 


 栞が破かれた。瞼は開かれた。


 灰谷契は魔法を使った。



「NH-02-41 『カトブレバス』」



 破かれた栞から発生したコバルトブルーの波紋は空間そのものを伝わり、ヒューマン・イミテーターと黒いマネキンの群れを刹那の間通過する。その瞬間それらはその場で完全に停止し、やがて風化した石像のようにボロボロと崩れ去った。


 タールのような漆黒の影で出来た街からは、少しずつ泡が消えていった。

 


「当該クリーチャーを排除しました。戦闘を終了します」


 灰谷はそう言ってから、未だ青い顔をしている終野の方を向いた。


「先程は失礼しました。緊急時だったもので。怪我はありませんでしたか」


「……さっきの怪物」


 終野は、地の底にいるような声で呟いた。


「襲われたの、私のせいですよね」


 灰谷は高速で考える。


(恐らくあの魔導書に、条件を満たすと発動するタイプの魔術式が仕込まれていた……発動条件には『塔』あるいはウィッチシーカーが関係しているのは間違いない。問題は誰が何のためにそんな回りくどい事をしたのかだ)


 終野のどこまで状況を把握しているのか不明な振る舞いは演技には見えない。何より魔導書の魔法は終野も、否終野を攻撃対象にしていた。


 それすらこちらに探りを入れるための演技かもしれないが。


 (待て、質問がおかしい。急にあれだけ異常な状況に放り込まれたというのに、普通は「あの怪物は何だったのですか?」とか「あなたは何者ですか?」とかの、とにかく状況の説明を求める質問をするんじゃないのか?まるで以前にもこういう状況があり、そしてそれを自分のせいだと思っているかのような質問では?)


 灰谷は終野の問いにこう答えた。


「いえ、実は私のせいなんです。時々こういう事があるんですよ。巻きこんでしまって────」


「あっ」


 終野が短く呟いた。


 再び影の街が泡立ち始めた。終野の視線の先では、黒いマネキンを縦に繋ぎ合わせ、全長50m以上のムカデのようなシルエットを持つ、新たなヒューマン・イミテーターが発生しようとしていた。


  

 

 

 

 

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