Something XXX
青柳朔
呪われたお姫様は、
ノースモアの末娘が三歳になる、祝いの席のことだった。春の陽気は小さな姫君を祝福するかのように降り注ぎ、花々はいつもよりも大人しく、けれど華やかに世界を彩る。領主自慢のうつくしい庭には、今日の主役を祝う人々がたくさんやってきていた。
「――かわいそうに」
あたたかな太陽が、厚く重たい灰色の雲に隠れた一瞬だった。突如その魔女は現れて、憐れむように呟いた。
「その子は今も昔もこれからも、愛されてばかりで、人を愛することがない。愛し方を知らない人間になるだろう」
ざわりざわりと周囲がざわめく。魔女はそんなもの気にも止めずに、夜の闇よりも深い黒のドレスを翻し今日の主役へ近づいた。
サフィニア・ノースモア。
ふわふわとした亜麻色の髪に、青空のような澄んだ瞳のまだいとけない姫君だ。
「おまえにひとつ、
魔女の黒い爪が、サフィニアを指し示す。幼い姫君の青い瞳はきょとんと魔女を見上げていた。
「十七になるまでに真実の愛を見つけなければ、おまえは永遠にやさしい眠りの中を彷徨うだろう」
・
・
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とある領主の末娘は、愛されすぎて魔女に呪われた。
御伽噺のようなふざけた現状がまさにサフィニアをとりまく現状だった。いつだって周囲はサフィニアを憐れんで、そして愛し続けた。
「まぁ呪いが解けなかったところで眠り続けるだけでしょう?」
当人はけろりとした様子で言い放つ。憐れむ周囲がいっそむなしくなるほどにサフィニアは平然と年を重ねていた。
「……お嬢様、ずっと寝たまま目が覚めなかったら美味しいものも食べられないし、綺麗な花も見ることができないし、こうやってお話することも外に出かけることもできないんですよ!?」
サフィニアの暢気な発言にぷんぷんと髪の毛を逆立てて怒るノーマは、サフィニアが呪いにかかる前からこのノースモア家に仕えている庭師の娘だ。十歳を過ぎた頃から彼女も父の手伝いをしていて、十五歳になった今では半人前と呼べるくらいにはなった。
「だって、ずっと怖い夢を見続けるなら嫌だけど、魔女のいうことにはやさしい眠りとのことだし。案外しあわせなんじゃないかしら」
「もー! それ絶対に旦那様の前で言わないでくださいよ!?」
ショックで寝込んじゃいますからね!? とノーマはぐちぐちと文句を言いながら花壇の雑草を抜いていく。そのうちの一本が引き抜かれたときにサフィニアが「あ」と声をあげた。
「その草も、かわいい花が咲くのに」
庭師にとっては目の敵である雑草だが、小さな白い花が咲くのだ。残念そうにも聞こえるその声に、ノーマはまだ抜いていない同じ雑草を見た。
「……お嬢様がお好きだっていうんなら、残しますけど?」
「好き? ……うーん……よくわからないわ」
ノーマの問いに、サフィニアは困ったように首を傾げた。
「じゃあ抜きます。わざわざ花壇に植えてなくても、そこらへんにたくさん生えていますから」
「そうねぇ……」
魔女が告げたとおり、サフィニアはイマイチ「好き」とか「嫌い」とかが理解できなかった。それはそんなに重要なことだろうか、とさえ思う始末だ。
「……お嬢様は、どの花が好きですか」
「どんな花もかわいいと思うわ」
「じゃあ、どんなものが食べたいですか」
「どんなものでも美味しいと思うわ」
にっこりとサフィニアが答えると、ノーマは悲しそうに目を伏せた。そばかすの散った頬を見つめながら、サフィニアはノーマがそんな顔をする理由がわからない。
「……そんなんじゃ、お嬢様の呪いはいつまでたっても解けないじゃあないですか」
「あら、私だってちゃあんと調べているのよ?」
ふふん、と誇らしげに胸を張るサフィニアに、ノーマは顔を歪ませた。ころころと表情の変わる忙しい顔だ。
「……まさか、まだ続いているんですか? あのフィリップ・リグリーとかいうあの変な学者との手紙のやりとり」
何がどうまさか、なのだろう、とサフィニアは不思議で仕方なかった。
フィリップ・リグリーは呪いに関する論文をいくつも発表していて、関連する書籍も多い。それなのでサフィニアはこの奇妙な呪いはどうにかならないものかと十四歳のときに手紙を出した。書籍の奥付にファンレターの宛先が書いてあったのだ。ファンレターではないが良いだろう、と送ったサフィニアの手紙にはしっかりフィリップ・リグリーの名で返事が届いた。
『拝啓、小さな姫君。君はとても不思議な呪いにかかっているようだね』
「リグリー先生はとても良い方よ?」
最初の手紙をきっかけに、十六歳になった今でもやりとりは続いている。
「まさかまさか、その学者が好きとか言いませんよね!?」
「お会いしてことのない人が好きかどうかなんてわからないわ」
手紙でのやりとりしかしていないのだ。どんな顔をしているのか、髪の色も瞳の色も知らない。そんな人を好きかどうか気になるなんてノーマは相変わらずおかしなことを言う。
「そ、そうですか、よかった……」
「ノーマったら。好きなものがないとダメだって言ったり先生のことは好きになっていたらダメっていったり、ワガママね」
「それはそれ! これはこれ! です!」
そういうものかしら? と不思議そうな顔をしているサフィニアに、ノーマは念を押すように何度も頷いた。
「サフィニア!」
名を呼ばれてサフィニアは振り返った。赤毛の少年が手を振りながら駆け寄ってくる。
「ダニー! 何度言えばわかるよ! お嬢様って呼びなさい!」
「いいじゃん別に。サフィニアがいいっていうんだからさ……」
ダニーはいつだってノーマの怒鳴り声は聞き流している。
「あんただって使用人なんだから! 立場はわきまえなさいよ、もう十四歳でしょ!?」
「うるせぇな! 大人の前ではちゃんとしているよ! 臨機応変ってやつだよ!」
「……私は別にいいのだけど。ダニー、何かご用?」
「あ、ああそうだ。旦那様が呼んでいるんだ。なんか大事な話みたいで」
大事な話。
領主であるサフィニアの父の大事な話は幅広い。避暑地はどこにしようかとか、サフィニアの新しいドレスはどんなものがいいかだとか、そんなに大事なことだろうかということもよくある。
「……ついにお嬢様にも縁談かしら」
ノーマが神妙な顔で呟くと、ダニーは「はぁ?」と声をあげた。
「そんなわけないだろ。この国でサフィニアのことを知らない奴なんていないぜ?」
ノースモア家の末娘は魔女に呪われている。この領地だけでなく、貴族階級には知れ渡っている事実だ。
「あんたね、呪いのことがなければお嬢様はとっくにお嫁に行ってもおかしくないんだからね! オリヴィアお嬢様なんて十五歳でご婚約が決まって十六歳になってすぐにお嫁に行ったじゃないの!」
「そうねぇ、オリヴィア姉様が嫁いでもうすぐ三年なのねぇ」
暢気なサフィニアの声は二人にはさっぱり聞こえていないらしい。お姉様はお元気かしら、なんて思ったけれど、そういえば先週もたくさんのお菓子を持って帰ってきていた。
「でもお貴族様は呪いとか嫌なんだろ?」
「あんたねぇ! このままじゃお嬢様は」
「大丈夫だって! な、なんならさ。俺がお嫁にもらってもいいし。そうすりゃ呪いだってとけるよ!」
なっ! とダニーは照れながらもサフィニアを見たので、サフィニアは微笑み返した。
「まぁ、ダニーったら。呪いは結婚するのではなくて、真実の愛を見つけなければとけないのよ?」
ダニーの笑顔が凍りついたのは言うまでもないが、サフィニアはそんなことに気づかずに「お父様が呼んでいるんだったわね」と踵を返した。
領主である父の部屋にはいろんなものがある。とりわけ多いのは山のように積まれた書類や資料だ。
「ああ、よくきたなサフィニア。座りなさい、お茶にしよう」
「お仕事はよろしいの? お父様」
「仕事よりもこちらのほうが大事だ」
サフィニアがぼんやりする間もなくお菓子とお茶が準備される。香り高い紅茶は父の好みであってサフィニアの好みではない。サフィニアは好き嫌いはないので。
「……おまえに縁談がきた。変人で有名な、かのメイトランド伯爵だ」
「まぁ」
ノーマの言っていたことが当たったわ、とサフィニアは目を丸くした。
「おまえはどうしたい、サフィニア」
どうしたも何も、領主の娘としてこういう縁談がくることは知っていた。何しろ姉のときがそうであったから。
「私の呪いのことを承知の上でのお話なら、お受けしてくださってかまいません」
嫌だとも思わないし、嬉しいとも思わない。会ったこともない人をどう思えというのか。変人という噂だが、変わっているという点ではサフィニアも負けていない。
「……伯爵はたとえおまえの呪いがとけなかったとしても、よいと言っている」
「それはつまり、眠りこけた私の面倒を見てくださるということでしょうか?」
十七歳までに真実の愛を見つけなければ、サフィニアは覚めない夢の中に囚われる。その期限まで、もう一年を切っている。
「そういうことになる……いいんだな?」
「ええ、もちろん。むしろそんなに懐の広いお相手は他にいないと思います」
貴族階級の結婚は政略がほとんどだ。そのなかで真実の愛を望むほうが珍しい。眠り続ける花嫁などお飾りにもならないのだから、当然サフィニアのもとに縁談はやってこなかった。
メイトランド伯爵とノースモアの末娘の婚約は、それから
「……縁談がきたそうね、サフィニア」
父から話を聞かされて一週間ほど経った。サフィニアの向かいに座り、憂い顔を見せるのは従姉妹のダリアである。
「ええ、そうなの。さすがに寝たまま式を挙げるわけにいかないから大忙しで」
「お相手はあのメイトランド伯爵だっていうじゃない。家柄は立派だけど、お屋敷には使用人が全然居着かないっていうし、この間なんて変な柄の服を着ていたって噂だし、本当にいいの? もっと良い縁があるんじゃないかしら」
伯爵との結婚が決まってからというもの、会う人には必ず同じことを言われる。だがそれがサフィニアにはさっぱり理解出来なかった。
「そうかしら。私の呪いを承知の上で、結婚したあと眠りこけたままになってもいいなんて方はそうそういないと思うの」
貴族社会においての妻の役目は数多い。寝こけているだけでもいいなんて、なるほど確かに変わっているが――サフィニアにとってはそれが救いでもあった。
「ねぇ、サムシングフォーはどうするの?」
ダリアの問いかけに、サフィニアは「ああ」と答えた。
「古いものは、お母様からウェディングベールを。新しいものは、お父様からウェディングドレスを。借りたものは、お姉様からレースのハンカチを。青いものはお兄様がサファイアのブレスレットを用意してくださるって」
すらすらと答えることができるのは、家族から毎日のように聞かされているからである。
「準備は万全ってことね」
ふふ、とダリアは楽しげに笑った。
「……でも、サフィニアにはそれだけじゃ足りなさそうねぇ」
クッキーに手を伸ばしながらダリアがぽつりと呟いた。
「そうかしら? 十分すぎるくらいだと思うけど……」
「だって、貴女は呪われたままなのよ? もっとたくさんの人からしあわせになりますようにって祈ってもらったほうがいいわ」
そこで、と言わんばかりにダリアは微笑んでひとつの包みを取り出した。
「それ、あげるから。式で身につけてくれると嬉しいわ」
「……ねぇダリア、結局のところそれが言いたかったのね?」
「だって、借りたものといえば友人から借りるのが普通じゃない!? 悔しいから私もまぜて」
「お姉様が譲らなかったんだもの……それにダリアだって結婚はまだでしょう? これは?」
手のひらにおさまるほどの小さな包みだった。
「蛍石のイヤリングよ。それくらいなら邪魔にもならないでしょう?」
「ええ、綺麗ね。ありがとう」
綺麗な細工を施された蛍石は式につけても遜色ないほどのものだった。ダリアはそっとサフィニアの手を取り、両手で包み込むと祈るように額に押し当てた。
「何かひとつ、輝くものを。サフィニアの進む道が暗闇に閉ざされても、光を失わないように」
目を伏せて祈るダリアをサフィニアはただただ見つめるしかなかった。
与えられる愛は、これでもかというほどに感じている。やさしさであったり、ぬくもりであったり、それは様々な形をしているけれど、愛と呼んで間違いないのだろうと、サフィニアは思う。
ただサフィニアの心はそこまで大きく振れることがない。ただずっと、平穏なままだ。
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