第13話



 焼き芋の焼ける匂いで目が覚めた。

 石焼き芋だよ、と手渡された銀色のホイル焼き。皮膚を焦がすようなその熱さに驚いて取り落としてしまう。麻琴は「仕方ないなあ」と言いながら、焼き芋の皮をむいた。ふーふーと息を吹きかけて少し冷ましてから、さつまいものひとかけらを私の口に放り込んでくれる。この何でもないような幸せがずっと続けばいいのにと、私は窓の外に降り注ぐ流星群のひとつひとつに願う。

 光を放つ星のかけらは、ミニチュアみたいなこの町を明るく照らしている。

 

「おいしいね」

「おいしいね」

「ねえ、私たち、ずっと一緒にいられるよね」

「うん、私はずっと、亜弓のそばにいるよ」


 おうむ返しのような愛の言葉でも、私は満足だった。

 何故なら、二人はずっと一緒なのだから。この小さな箱庭のような楽園の中で、いつまでも幸せに暮らすのだ。昔読んだ童話のラストシーンみたいに、永遠につづくハッピーエンディングを夢想する。

 かわいいものだけでいっぱいにした、ピンクと白で統一された私の大好きな部屋の中で。私と麻琴は仲良く死ぬまで愛し合っていける。


「ねえ」

「なあに」

「何だか、熱くなってきたね」

「そうだね」

「どうしてかな」

「それは、亜弓がこの部屋に火をつけたからだよ」


 麻琴は空っぽの赤いタンクを指差して、「本当に、亜弓は仕方ないなあ」と笑う。私も同じように笑いかえしたかったけれど、灯油が燃える煙が気管支に詰まって、かっこ悪くむせてしまう。

 麻琴が焼き芋を焼いていた真っ赤な火が、いつの間にか眼前まで迫ってきていた。生き物みたいに、白いチェアや花柄のカーテンを食べながら大きくなっていく火を二人で手をつないで見つめる。


 苦しいけれど、彼女がいるなら。

 不思議と、恐怖が消えていくような気がした。


「全然、気づかなかったよ」

「おっちょこちょいだからね」

「でも、もうこれで安心だね」

「そうだね」

「私たちは永遠になれるから」

「もう大丈夫」


 メラメラと全てを飲み込んで燃え盛る火に向かって、手を伸ばす。火のおなかから、薔薇の模様をかたどった手鏡を取り出して、開く。表面のコーティングが溶けかけた小さな鏡には、私以外誰もいない部屋が映されている。


 私は右手に持っていたカッターナイフの刃先をカチカチと伸ばして、自分の頬めがけて突き刺した。細く尖らせた刃がぷちん、ぷちんと皮膚をえぐる。肌の繊維が分裂していくはじめての感触が手に残る。

 私は勢いよくカッターナイフを引き抜いて、今度はおでこにぐさりとやった。繰り返し、曲線や直線を交互に描きながら、顔をめちゃくちゃにしていく。鼻をえぐりとり、唇に突き刺し、耳を切り落とす。自分の顔だからといって、決して容赦はしない。着ていたフリル満載のブラウスで、血まみれになった鏡の表面を拭き取りながら、私は最期のメイクをつづける。

 血で塗りたくられてテラテラと赤く光る私の顔はもう、笑うことすらできない。



 小さい頃から私は、私の顔が好きだった。誰も可愛いねと言ってくれなかったけれど、私は可愛かったから。可愛い顔を自慢に思っていたから。

 街を歩く男の人たちがみんな振り返るような美人ではないけれど、愛嬌のある垂れ目がけっこう可愛いし、笑うと八重歯が出るところも気に入っていた。少し主張が強いけれどスッとした鷲鼻も、ぽってりした唇も個性的だけど、外国のファッション雑誌に出てくるモデルみたいだと思っていた。

 でも、誰にも愛されないのなら、きっと私に価値はないのだろう。



 目を閉じる。麻琴の柔らかくて大きい手が、私を抱きしめて囁く。そしてきっと、いつものハスキーボイスでこう言うのだ。「亜弓は世界一、かわいい女の子だよ」と。その言葉はどんな一流パティシエがつくった高級なチョコレートよりも、私の心をとろけさせてくれるだろう。


 オレンジの火が、まぶたの裏に浮かんで消える。なでるように優しく肌に触れる火が、私をゆっくりと包み込んでいく。

 私は叫ぶ。はちきれそうな憎しみを叫ぶ。

 すべての終わりが、すぐそこに近づいていた。


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かわいくならなきゃダメですか ふわり @fuwari

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