第11話
「だって、可愛くない女に、価値はないから。可愛くなければ愛されないし、愛されない女なんて、セックスに飽きられたらポイされる、使い捨ての消耗品です。私が小さいころ、お父さんはお母さんに、可愛くない女だって言ってました。ふてぶてしくて小じわの目立つ、口だけ達者な年増女だって言ってました。だからお母さんはぶたれるんです。愛されないんです、傷つけられるんです。可愛くないから、可愛くしてないから、それが一番賢い生き方だって、気づくことができなかったから。」
「でも私は、知ってるんです。可愛いは、正義だから。可愛いは、私たちの全てをいい方向へと導いてくれる、たった一つの処世術なんです。」
こらえきれずにテーブルを強く殴ると、カップに入っていたコーヒーの液体が散り散りになってばらまかれていくのがスローモーションで見えた。薄っぺらいテーブルクロスには収まらなかった茶色い水たまりは、私の履いている真っ白なレースが何重にも重ねられたスカートを汚していく。消えないシミが広がっていく様子を、黙って見つめる。
長い、長い沈黙が私と友梨の間に漂っていた。
小さな声で歓談している、隣の30代夫婦の会話が、ひどく遠くに聞こえる。ベビーカーには2、3歳くらいの赤ちゃんがすやすやと寝息を立てながら眠っている。男は赤ちゃんの頬に軽く触れて、「柔らかいね」と笑う。この世界に、これ以上幸せなことは見当たらないとでもいうような、幸せそうな笑顔で。
「相模さんは、かわいそうだね。」
かわいそう、という友梨の言葉に、一瞬頭がフリーズしかけてしまう。
「かわいそうだよ。自分のかけた呪いに、がんじがらめになってるんだよ。でもきっと、可愛いだけじゃ、ダメなんだよ。そのやり方じゃ、あなたの欲しいものは、手に入らないんだよ。」
私は弱弱しく首を振った。友梨の言っている言葉の意味が、ちっとも理解できない。考えようとすればするほど、頭が割れるように痛くなる。
数秒前に目覚めたベビーカーの赤ちゃんは、顔を真っ赤にしてぐずり始めている。ぐずれば、泣けば、お母さんが抱きしめてくれるということを、この子はもう分かっているのだろう。赤ちゃんの頬に伝う安全な涙に、強烈な嫉妬を覚える。
「教えてください友梨さん。麻琴の居場所。お願いです」
テーブルの上に肘をつき、頭を深く下げつづける私に根負けして、友梨はボールペンを取り出して、ナプキンに何かを書き付けた。西荻窪三丁目、メゾンハイツ305号室。友梨に何度も繰り返し、お礼の言葉を口にする。
カフェを出たときには、心の中に巣食っていた深い靄が晴れたように、清々しい気持ちがした。眼前には雨の降ったあとの空が広がっていて、雲と雲の間からは天使の梯子が伸びているのが見えた。
全てが上手くいく。きっと麻琴は、私のところに戻ってきてくれる。そんな予感に、胸を膨らませている。
友梨の言葉は、もう私の記憶の中から抹消されていた。
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