第10話


 早朝の新宿にはまばらながら人が歩いていた。ツンとした冷たい空気を思い切り吸い込んでから、ソラで言える電話番号をプッシュして待つ。無機質なコール音が繰り返し続く。もう何度となく電話をかけたはずなのに、かけ直しの着信は一件も来ていない。


 別の番号に電話をかけて名前を名乗ると、電話越しに伝わる相手の息が止まる音が聞こえた。「15時に、あなたの最寄り駅前にある噴水の前で待ってます」とだけ告げ、すぐに電話を切る。相手が来るかはわからなくても、待つつもりだった。いつまでも。


 時間までしばらく余裕があったので、新宿の伊勢丹の1階から3階まで、ぐるりと見て回る。とろりとした質感の高級なコートやお菓子みたいなパッケージの化粧品を代わる代わる手に取っても、驚くことに、私の心はとろけなかった。かわいいものに目がなくて、手に入らないことがわかると欲しい欲しいと泣き叫んでいたかつての私は、どうやらどこかに消えさってしまったらしい。


 驚くことに、女は15時ちょうどにやってきた。


「何なんですか、あなた。急に呼び出して」


 噴水の前に立つ、アッシュに色を抜いた髪を手櫛でポニーテールにした女を見た瞬間、嫌いだ、と思った。強い光を放つ自信に満ち溢れた大きな目が、私を見つめている。

 友梨は、てろんとしたピンク生地のパンツにボーイッシュなスタジャンを華奢な肩に羽織っていた。男にも女にも媚びない生き方、それが当たり前だと信じている種類の人間。森見友梨は、そういう女だった。


 近くにあったチェーンのコーヒーショップに二人で入ると、私はカフェラテを、友梨はホットコーヒーを注文した。砂糖をもらうのを忘れたことを少し後悔しながら、苦すぎる茶色の液体を飲み下して、早くなってしまった心臓の鼓動を落ち着ける。


「今日は、麻琴の居場所を教えてもらいに来ました。麻琴と仲の良い森見さんなら、ご存知かと思いました。教えてもらえませんか。連絡が全然取れなくて、心配なんです。」


 友梨はカップをソーサーに置いた。

 細くて長い薬指に、小さなハートをかたどった指輪がはめられている。


「んー。ごめん、無理。麻琴に、口止めされてるから。それから、一応忠告するけど。諦めた方がいいと思うよ、あんたたちは多分上手くいきっこない。」

「どうしてですか。そんなの、分からないと思います。だいたい、私のことなんて全然知らないでしょう。私は、麻琴がもう一度私のことを好きになってくれるように、どんな努力だってするつもりです。」


 熱っぽくなっていく私の言葉に、友梨は苦々しく笑い唇を歪めた。真剣な思いをバカにされたような気がして、頭に血が上りそうになるのを必死でこらえる。ここで怒ってしまえば、友梨の思う壺だという気がしたから。


「どんな努力も、か。例えば、どうするの?」

「きれいになります。外見を磨いて、今の麻琴の彼女よりも、もっと」

「お金払って、また整形するの?あなたの代わりなんて、いくらだって見つかるかもよ?きれいな子も可愛い子も、星の数ほどいるんだから」


 言葉につまってしまう。そんなこと、考えたこともなかった。友梨が面白そうに私を見つめている気配がして、悔しかった。

 目の前の女を言い負かしたいという衝動にかられる。そうしなければ、私がずっと信じてきたものを、ハンマーで跡形もなくぐちゃぐちゃに壊されてしまいそうで、怖かった。焦りはじめる頭で、必死に否定の言葉をつむぐ。


「でも、それでも、女の子は可愛いを目指さなきゃダメなんです。」


 友梨の美しい顔から、目を背けながら続ける。

 息を吐くたび少しずつ内側から傷つけられていく喉の傷が開いて、今にも真っ赤な鮮血が噴射しそうだった。

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