第7話

 一人きりになった部屋で、不安で胸がかきむしられるようだった。

 私の麻琴が、変わってしまう。私だけを見てくれなくなってしまう。そんな不吉な予感が、そろそろと首をもたげ始めている。

 いちご柄のリボンを首にまきつけたテディベアを手元に寄せた。吉祥寺のアンティークのお店で買った2万円のクマのぬいぐるみは、麻琴に出会う前までの私の一番のお気に入りだった。


 テディベアをぎゅっと抱きしめたそのとき、無音の部屋に、無機質なバイブの音が鳴り響いた。

 ベッドの毛布をめくると、麻琴のシンプルな形のシルバーのスマートフォンが小刻みに震えていた。白く光る画面に目を落とすと、「今すぐ会いたいよ。振られちゃったの、電話ください」というメッセージが浮かんでいる。

 ゆり、と表示されている名前には聞き覚えがあった。麻琴と仲のいい二丁目の連中の一人だ。交友関係が広いことを自分の誇りにしている麻琴には、同類の友人が何人かいる。いいよ、と遠慮するそぶりをしたにも関わらず、写真を見せられたことがあったことを思い出す。

 一人一人を指差して名前をつぶやいていく麻琴の横顔がとても嬉しそうに見えたことを覚えている。


 ゆり、という少女は私よりもかわいらしい顔をしていた。

 主張の少ない鼻と小さな唇。麻琴の横で控えめに微笑む彼女は、麻琴のアクセサリーとして充分すぎるくらい似合っていた。


 どうして。

 どうして、この人は、麻琴に助けを求めるんだろう。

 突然襲ってきた、スマートフォンをベランダの外へ投げたくなる衝動を無理やり押さえ込み、布団をかぶる。麻琴のの残り香が鼻をかすめた。


 私と麻琴でつくりあげたこの小さな楽園には、誰も入れさせない。

 ピンクと白と水玉模様で統一した小さなワンルームをぐるっと眺めてから、三面鏡のドレッサーの前に腰掛ける。

 化粧水をたっぷりと手にとって、コンコルドで前髪を止める。私はそうして、毎日2時間かかるメイクに取り掛かりはじめた。





「それでは、ここにサインをお願いします」


 無機質な笑みを浮かべるナースの表情からは、何も読み取れない。


 園田亜弓。

 施術が失敗しても、一切の返金は致しません。


 そう注釈の書かれている、手元に置かれた三枚の誓約書に名前を記入する。

 まぶたを埋没し、鼻にプロテーゼを入れた整形美人の彼女は、私は努力して手に入れた顔を誇りに思っていると言った。「誰にでも綺麗になるチャンスはある、一歩踏み出すだけでいいのだ」と陶酔気味に語りかけてくる彼女は、もうすでに何処か欠落しているような感じがした。

 

 美容整形外科と呼ばれる場所に足を踏み入れたのはこれで二度目だった。

 一年前、ファッション雑誌の広告を見て説明を聞きに来たときは自分の顔にメスを入れる恐怖に勝てず引き返したが、今日は心が決まっていた。写真の中でこちらに微笑みかけるゆりという女のような二重をどうしても手にいれたかった。

 二重の切開手術。50万でぱっちりとしたお人形のような目が手に入るとナースに煽られて即決した。田舎で100人規模の従業員を携える鐵工所を経営する父に、自動車の免許を取りたいからお金を貸して欲しいと頼んだ私は、世間的には親不孝者になるのだろうか。


 ぶんぶんと首を振って、心を落ち着かせる。

 それでもいいじゃないか、と自分に言い聞かせてみる。

 他人にどう思われたっていい。

 これは私の、大切なものを守るための、たった一つの方法なのだから。


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