第6話
麻琴がピンクと白で統一されたメルヘンな私の部屋に入り浸るようになるまでに、そう時間はかからなかった。
私と麻琴は時間が許す限り、ふたりで水玉模様の毛布に包まった。私は碌に学校にもいかず、麻琴が授業やアルバイトから帰ってくるのを待つようになった。麻琴はこの部屋に入るといつも、時間が足りないと言わんばかりに私を脱がして胸を吸う。
亜弓ちゃんはかわいいから、ずっとこうしていたくなるのと言う麻琴の声は私の心を生クリーム入りのホットチョコレートみたいにとろけさせた。
「ねえ、麻琴は、どうしてあの時私に声をかけたの」
「亜弓ちゃんがかわいかったからだよ」
「嘘でしょ」
「ほんとだよ、亜弓ちゃんはかわいいよ。とってもかわいい女の子だよ」
蜂蜜をたっぷりかけて焼いた寒い朝のフレンチトーストみたいに甘ったるい言葉をささやきながら、麻琴は私の長い髪を梳く。麻琴の大きな手のひらに髪の毛を撫でられるといつも、私は何故か泣きそうになってしまう。
一人きりになれないベッドは暖房を入れなくてもあたたかくて、寂しくなる暇を与えなかった。毎晩手をつないで眠りにつく瞬間が、私のいちばん大切な時間だった。私の欲しかったものはここにあると思った。ずっと欲しくて、たまらなかったもの。
今朝はオリーブオイルの煮立つにおいで目が覚めた。
昼頃になると、麻琴は目をこすりながら料理をつくる。ナポリタンやオムライス、チャーハンや生姜焼き。生活するのに適さない私の家に置いてある少ない材料を使って作るそれらは手のかからない簡単な料理ばかりだったけど、どれも驚くほど美味しかった。
ピリリと赤唐辛子の効いたペペロンチーノを丸めて口に運びながら、料理人を目指しているのか、と聞いたことがある。
「そうだよ。だって、いっぱしの料理人になれば男と同等に働けるからね。いつか二丁目に、自分のお店持つのが夢。美味しい料理と地酒を出す、こじんまりしてて、アットホームなお店。でも男は入店拒否するの、どんなに頼まれたって無理、絶対。」
麻琴はうつむきがちに続けた。フォークを持つ細い指がかすかに震えている。男の話をするときのマコトのくせ。
「あたし、男っていう生き物がきらいなの。あいつらに見下されたり、敬われたりするのなんてウンザリ。だから絶対、一般企業では働きたくない」
それだけ言うと、麻琴はさくらんぼ柄の皿の中に入れられたパスタをフォークでくるくると巻いて、口に運んだ。そんな彼女を見ながら私は考える、麻琴の男に対する激しい憎悪は、どこからくるものなんだろうと。
麻琴は不思議な女の子だった。男に嫉妬し、男と対等な関係を築きたがっている。自分の権利を叫び、不当に扱われることを許さない。
私には、麻琴のそういう考えがうまく理解できなかった。
なぜなら、それは賢い生き方ではないように思えたから。勝ち目のないような大きな敵に捨て身でぶつかっていったって、ぐちゃぐちゃに傷つけられるだけ。
もっと上手く生きる方法を考えればいいのに、という言葉を呑み込んで、話題を変える。
「麻琴、最近忙しそうだよね」
「うん。バイトが楽しくってさ、入れるときは入ってるの。女性ばっかりだから、何にも気兼ねしなくていいし。今は勉強のために、キッチンを任せてもらってるんだ。亜弓も今度遊びにきなよ。うちの塩辛ジャガバター、美味しいから」
麻琴は私の知らない彼女の世界のことを、とても楽しそうに話す。キッチンのバイト、将来の夢、仲良くしている友人のこと。
話したいことが尽きないのだろう。相づちが適当になっている私に気づきもしないで、目の前の少女は目をきらきらさせながら、口から言葉の珠をこぼしつづけた。
しばらくして、手首にはめている時計の指す時刻に気づいた麻琴は、慌ててリュックを引っつかむと、おまけのように私に声をかけた。
「じゃあ、授業行ってくるね。亜弓も単位やばいんでしょ、そろそろ行かなきゃだめだよ。卒業できなかったら、人生詰むからさ。」
一つしか年が変わらないのに、麻琴はお姉さんぶるのが好きだ。うん、と大人しくうなずいてみせると、安心したように微笑みが返ってくる。
手を振って玄関をあとにしようとする麻琴の背中が二重にぼやけて見える。本当はもう一度抱きしめてもらいたかったのに、嫌われるのが怖くて伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。
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