第14話


「これは、バレー部の生徒ですか。」


 背後から声をかけられて、持っていた筆を取り落とす。あっさりと言い当てられたことを気まずく思いながらふり返ると鯨井先生が私の描きかけの絵をじっと眺めていた。集中していたのか、全く先生の気配に気付かなかった。窓の外を見ると暗闇に包まれている。


「僕は勘が鋭いほうなので。気にしないでください。」


 眼鏡の奥の瞳がやさしく微笑んでいる。私はキャンバスからこちらにバレーボールを投げようとしている少女に視線を戻した。セーラー服姿のショートカットの少女は、サーブをするために右手を高く振りかぶっている。少女の目は一点だけを見つめており、瞳の中には強くてまっすぐな光を添えた。


 この絵を描くために、毎日のように体育館に通い、バレー部の練習を穴の開くほど見つめた。バレーの経験がほとんどない私は、人の関節や筋肉がどんな風に動くのかわからなかったからだ。

—それに。


「相模さんは、彼女と仲が良いんですね。」

「いえ。友達と思っていたのは、私だけだったみたいです。」


 自分の口からあっさり本音がこぼれ出たことに、少し驚きを感じる。鯨井先生は生徒の考えや行動を抑圧したりしない。何ヶ月かの付き合いを通してそのことが分かってきていたから、どんなことでも話せるような気がしたのかもしれない。


「どうやら、嫌われちゃったみたいです。たぶん、原因は私にあるんですが。」

「そうですか。」

「どうしたらいいか、わからないんです。また、前みたいに気軽に話したりしたいのに。でも、彼女は私とはいる世界が違う人だから、それならいっそ、このまま距離を置いた方がいいんじゃないかなって」


「そう思っているのは、相模さんだけではないですか?」


 ぱっと顔を上げると、鯨井先生は私から目をそらしていた。


「人をカテゴライズするのは、一つの逃げだと僕は思います。相手の考えなんて、話してみないとわかりませんから。わからないことを、わかるようになるために、会話があるんですよ、きっと。

 とことん相手と向き合ってみるのも、いい経験になるものです。

 失敗しても、いいじゃないですか。相模さんは、人とつながるために努力したのですから。」


 鯨井先生はそれだけ言うと、「邪魔してすみません。僕は帰ります」と私に背を向けた。

 再び静かになったひとりきりの美術室で、目の前の描きかけのキャンバスを見上げる。紙の上の山中さんは、肌の中から発光しているように輝いている。不自然なほど明るい笑顔や、カモシカのように細い手足に初めて気づく。


 電球の切れかけている照明のせいだけじゃない。急にこの絵が、色あせたように感じた。

 だって、この絵に描かれているのは生身の山中さんじゃなかった。確かに山中さんはとてもきれいだし、可愛くてスポーツができるクラスの人気者かもしれない、でもそれだけじゃない。


 これは私の憧れの山中さんだ。

 私と彼女はたぶんまだ、同じところに立っていない。


 私は「カースト上位の美少女」という色眼鏡を通さず、彼女を見たことがあっただろうか。世界が違うと突き放し、向き合うことを恐れていたのは誰でもない、私ではなかったか。

 「人をカテゴライズするのは、一つの逃げだと思います」という鯨井先生の言葉が何度も反響して、うるさいくらい、頭の中に響いていた。

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