第13話
「何、ユーコのこと見てんの?
助け求めたって無駄だよ、ユーコもうあんたに幻滅したって言ってたから。」
勢い良く投げ飛ばされ、膝付近に激しい痛みを感じた。バスケットボール入れの脚が真下に転んでいる。ポンポン、という音と共に投げ出されるバスケットボールを掴んだ富永愛理は、私に向かってそれを思い切り投げた。
腹部に直撃したボールは私の呼吸を止めた。ぐっと沈む肉の感触に胃液が逆流し、吐き気を催す。あまりの衝撃に息が絶え絶えになっている私を、杉山由香は涙を流しながら指差した。
「ユーコ、これあげる。思いっきり投げな」
「山中」と書かれた上履きがちかちかする視界に入る。ミミズが這ったような汚い字。小学生の男の子の字みたいだねと言ったら本気で怒っていたことを思い出す。あの時はまだ、私たちは友達のように気軽に言葉を交わしていたはずだ。
顔色の良くない山中さんがバスケットボールを手に私を見下ろしていた。山中さんと目が合うのは随分久しぶりのように思えた。後方にいる富永愛理には聞こえないよう「お願い、たすけて」と囁くと、山中さんは身体を小さく震わせた。
「ユーコ、何してんの。さっさとしなよ。」
突っ立ったまま動かない富永愛理は、苛立ちを隠せない様子だ。金魚のフンの杉山と安光は、恐々と顔を見合わせている。それもそのはず、切れたときの富永愛理は誰にも手がつけられない。
我儘で自己中心的な考えの持ち主の富永愛理は、自分の言う通りにならない人間をとことん追い詰めることのできる、誰よりも執念深く持久力のある人間だった。
PTA会長で発言力の大きい母親をもつ富永愛理を止めることができる人間はこの学校にはいない。富永愛理に刃向かうことは、自分の学校生活を捨てることとほぼイコールだった。
「ユーコ」
山中さんの名前を呼ぶ声に、鋭さが増してきていることに気づく。「山中、さっさとしなよ」と囁く杉山の表情が焦っている。
数分後、山中さんがボールを上に振り上げる気配がして、私は覚悟して瞼を閉じた。ボールが床を跳ねる音が聞こえた。
しかし、数秒待っても身体に痛みを感じず恐る恐る目を開けると、山中さんは頭を押さえながらうずくまっていた。どうやら自分の頭部に向かってボールを投げたらしく、ひどく痛そうに顔を歪めている。
富永愛理は唖然とした顔を山中さんに向けていた。何故そんなことをするのか理解できなかったのかもしれない、私も同じ気持ちだった。
「あたし、抜けるわ。」
その場にいるみんなの視線を一点に集める山中さんは続けた。
「こんなバカバカしいこと、もうやってらんねーわ。
愛理、お前たのしーか、こんなこと続けて。虚しくなってんだろ、そろそろ。」
山中さんは下を向いた富永愛理に言った。胃がキリキリするくらいに、その場の空気は凍りついている。誰も何も言おうとしない。
「あたし、お前の無茶苦茶なとこ、嫌いじゃねーよ。
ボージャクムジンなとこはちょっとどーかと思うけど、みんなの上に立とうとしてんだろ。
こーいうのも、みんなのストレス減らしたくて始めたんだろ、お前のことだから。」
「うるせーんだよ」
キレている。俯いたまま怒声を浴びせる富永愛理は、人を殺しかねない気迫にあふれていた。
いつもであればおちゃらけた発言でその場の空気を和ませる安光恵は、富永愛理を視界に入れようとせず明後日の方向を向いている。それくらい、体育倉庫は異様な空気に包まれていた。
空気を読まず続ける山中さんの声には、少しの迷いも見られない。
「最初は楽しかったのかもしれねーけどさ。
でも今のお前、全然楽しそーじゃないじゃん。
お前らも、相模も、誰も楽しそーじゃねーよ。
もうやめろよ、いい加減。つまんねーことすんなよ」
—名前を、呼ばれた。
ぱっと顔を上げた瞬間見えたのは、倉庫を後にする山中さんの背中だった。
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