第9話


 田んぼと田んぼの間、舗装されていない砂利道や、先の見えない坂道をひたすら二人で並んで歩いて、やっと着いたのはごく普通の神社の前だった。数百段にも及ぶ階段が目の前に並んでいて目まいがしそうになる。


 数十分歩き通しただけなのに息もたえだえになっている体力のない私を見て、山中さんは余裕の表情で笑った。「さすが文化部」という言葉に全然反省してないな、と苛立つけれど、言い返す余力がなく手を膝について呼吸を整えるしかない。

 ぜえぜえと息を整えつづける私が心配になったのか、山中さんが近づいてきた。


「おい、大丈夫か?マジで苦しそーじゃん。悪かったよ、こんなに歩かせて。」

「大丈夫じゃない…です…」

「しかたねーなー。乗れよ、背中。」

「え?え、いいです、いいです。私、歩けるんで、全然。」


 数分押し問答になったあと山中さんのあまりの頑固さに根負けする。仕方なくぎこちない動作で彼女の背中におぶさる。


 階段を昇るたび、顔のすぐ近くでゆらゆらと揺れる山中さんの茶髪が陽の光に照らされてきれい。さっきから当たっている手のひらに感じるのは彼女の胸の柔らかさだろうか。

 服の上から見るではわからなかったけれど、思っていたよりもずっと華奢でふわふわした女の子の身体を感じて動揺する。同じ女の子の身体なのに、どうして私はこんなにどきどきしているのだろう。


「着いた、ほら。さっさと降りろよー、相模、思ってたより重いんだもん。」


 真っ赤になってしまった頬を隠しながら彼女の背中から降りると、目前には広大な緑の景色が広がっていた。

 散りかけの桜の木やヒノキの林、田植えの終わった時期の田んぼ。香り立つような新緑の匂いが階段のてっぺんでたたずむ私たちふたりを包んでいた。


「な、綺麗だろ。お前、田舎嫌い嫌い言うからさ、見せてやりたかったんだ。この小さい街も捨てたもんじゃねーよって、悪いとこばっかじゃねーよって。相模は何でも悪いとこばっか見ようとするだろ、いつも。」


「そんなこと…」


「あるよ。そうやって生きづらそうにしてんじゃん、いろんなもん否定して。そういうの、少しでもなくなったらいいなって思ったんだよ。好きなもん増やしたほうが、絶対楽しいから。」



—まっすぐだ。この人はいつも、ストレートの球ばかり投げる。

 不器用で子供っぽくて健全な山中さんの優しさを真正面からぶつけられて、私は何も答えられなかった。胸の中がいっぱいで、口を開けば自分の気持ちが溢れ出してしまいそう。彼女のきれいな横顔をまともに見られない。



 「キャッチボールしようぜ」と山中さんから手渡されたグローブを自分の右手にはめながらぼうっとしていると、「あたし、明日から富永たちにハブられると思う」という山中さんの一言が私を現実に引き戻した。ソフトボールを上空に投げている彼女の横顔がひどく遠くに感じられる。



「あー、しくったよ、最初からあんまり上手くやれてなかったけどさ。

なんか面倒なことになりそーで、ゆーうつ。

あいつら、手加減とかしなさそうだし。」



「何で、何でそんなことになったの?何か理由があるんじゃないの?」



「さあな。しらねーよ。お前だって分かってんだろ、そういうのに、特に理由なんてないって。ただの暇つぶしだよ、時間が経つまで耐えるしかねーんだよ。」



 山中さんのやけに明るい笑顔は、これから続いていくいじめに怯えている証拠だろう。言葉尻がかすかに震えているのにも、簡単に気付いてしまう。

 私は山中さんの味方だから、という一言をさらりと言いたかったのに、喉の奥がからからに乾いていて声が出ない。その代わりに、私は山中さんの方へ歩いていった。彼女のそばに、出来るだけ近くに行きたいと思った。

 両手を華奢な彼女の肩に回して思い切り強く抱きしめると、山中さんが鈍く笑う。



「似合わねーことすんなよ。超、ぎこちないし。かてーよ。」


「ごめんね、本当に。こうなるの分かってたのに、分からないふりしてた。」


「いーんだよ、それで。何とかするよ、あたしはこういうの慣れてんだから。お前が気にする話じゃねーよ。」


「つーか、今、やっと、敬語抜けたじゃん。

いつやめてくれんのかなって思ってたから、嬉しい。」



 こんな時まで、私のこと考えてくれなくていいです。そう言いたかったのに、身体の奥から塩辛いものがこみ上げてきて止まらない。

 「また泣いた。お前って、すぐ泣くよな。」という山中さんの呆れた声が、頭の中にじんわりと甘く響く。

 山中さんはどこまでも、私をとろけさせる人だ。私と彼女を遮る境界線がなくなって、ひとつのかたまりに溶けて混ざり合えたらいいのに。


 沈みかける夕日が私たちふたりを包み込んでいる。

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