第8話
駅から離れた住宅地の片隅にある白い壁塗りの一軒家のドアノブを回すと、中から愛犬のケンが駆け寄ってくる。興奮している様子のケンの真っ白な毛並みを撫でてやると、気持ちよさそうにゆらゆらと身体を揺らした。
21時に近づいた時刻であるにもかかわらず、家の中に人の気配はない。真っ暗な部屋に蛍光灯の光を灯して、カップラーメンの蓋をあけた。日が経つほどに快適さを感じるようになる一人きりの生活。
子どもの私に依存的で勉強やお稽古事に熱心な母の相手をすることもないし、いつしか接し方がわからなくなって気まずい距離を感じるようになった父と、空虚な会話をすることもない。
無理に両親の「こども」を演じることよりもずっと、ひとりで居ることの方が楽だった。
無音の家に、机の上に置いたスマートフォンのバイブレーションが響く。目を落とすと、山中さんからのラインが一通届いている。明日の土曜日、何処か遊びに行こうという内容のメッセージだった。胸が爆発するような音を立てた後、どくどくと心臓が締め付けられる。体中の細胞が、一人の女の子だけに反応する。
いつか嫌われる日がくることを想像するほど、山中さんに近づくのが怖くなるのに、なんだっていいから、もっともっと山中さんのことを知りたいと思う。この矛盾はなんだろう。山中さんの存在が、日増しに自分の中で風船みたいに膨らんでいくのが、少し怖かった。
待ち合わせの一時間前、待ち合わせ場所に指定されたショッピングモールの前で携帯を握りしめる。なんだか緊張して眠れなくて、次の日に話すことを考えていたらいつのまにか夜が明けていた。そのおかげか、ファンデーション特盛の化粧で隠した目の下には大きな隈ができている。
自然に囲まれたこの町で、遊ぶところと行ったら駅前のショッピングモールくらいしかない。映画館とフードコートとゲームセンター、それから寂れた洋服屋が入っているだけのおざなりなショッピングモール。中学生も高校生も大学生も大人も総じてつまらない顔をして、他にいく場所がないんだと主張しながらこの場所に集まってくる。
だけど。何階のこの場所にどんなお店が入っているかそらんじることだってできるのに、今日のわたしは、初めての場所に来たかのような新鮮な気持ちで、山中さんを待っていた。
何時間も迷った挙句、ふわふわしたぽんぽんを気に入って買った白のニットワンピースにボルドーのタイツを合わせた。手持ちの服の中で一番女の子らしいものを身につけてしまったことに少しだけ気恥ずかしさを感じる。
「さーがみー。悪い、遅れた」
陽気で明るい声に、意を決して振り向くと、ポパイのスエットが目に飛び込んできてあっけにとられてしまう。
1000円のワゴンに入れられて安売りされていそうな服に、縦線入りのジャージを履いて健康サンダルを合わせたそのファッションは完全に田舎のヤンキーだ。おまけに、漕いできたであろう銀色の自転車の手持ちは高く上にあげられている。
—本当に、こんな人いるんだ。
完全に服装のせいで綺麗な顔が台無しになっている残念な山中さんは、私の考えていることに全く気付かなさそうに、自転車置き場にチャリを突っ込んでいる。自動ドアの方へ先に足を進めていると、「こっちこっち」と手を取られて逆方向に引っ張られて驚く。
「え?どこ行くんですか?ねえ!」
「まあまあ、ついてきなって。」
すたすたと先へ歩いていく山中さん。てっきりショッピングモールで遊ぶものだと思い込んでいたけれど、ただの待ち合わせに使っただけのようだ。
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