第6話
次の日の朝、学校に行くのが嫌で布団をかぶったまま泣いた。
—山中裕子が私の悪口を、グループの連中に言いふらしていたらどうしよう。
嫌な予感が、頭をもたげている。
そんなことになれば、ただでさえ低い私の立ち位置が暴落する。そして、クラスでいじめられることイコール、世界の終わり。これまではゆるいシカトやからかいで済んでいたところに、教科書に落書きされるとか、カバンがトイレに投げ込まれるとか、積極的な攻撃が加えられていくに違いなかった。
息を吸って覚悟を決めて、震える指で教室の扉に触れた。
だけど、見えた景色は普段と何も変わらない日常で、拍子抜けする。気まぐれか何か知らないけれど、山中裕子は昨日の一件を自分の中に留めておくつもりらしい。隣に座る男子のつまらないギャグに笑う無邪気な山中裕子を盗み見る。
その日の全ての授業が終わってクラスメイトが一人二人と帰りかけているとき、山中裕子が宿題を解いている私に話しかけてきた。あまりの驚きで、思わず持っていたペンを取り落としてしまう。ころころ、という軽くて安っぽい音が教室中に反響する。
「何やってんだよ、ほら。お前、真面目だよな本当。」
差し出されたペンが目の前で左右に素早く動く。山中裕子のニヤついた表情は本物だろうか。もう話しかけられることも、言葉を交わすこともないと思っていたのに。
「なあ、勉強教えてくんない。あたし、ダメなんだよねスーガク。」
教室で一番かわいい少女が、教室で一番地味な私に話しかけている(しかも、勉強を教えてくれと頼んでいる)ことを物珍しがってか、クラスメイトの視線が私に集まる。
ひどく呑気そうな顔をしている山中裕子に、この人、どうして今まで一番上のグループでやってこれたんだろう、という疑問が湧いてくる。
山中裕子は返事のないことにしびれを切らせたそぶりで、
「おい、きーてる?明日の宿題だろ、それ。」
「別に、見せてあげてもいーですけど。明日の朝。」
「違うって、教えてくれっつってんの、勉強。ただし、わかーりやすく丁寧に教えてな、あたしバカだからさ。」
「もしかして、昨日言ったこと気にしてます?まさかとは思いますけど。」
「ああ!帰ってから考えたよ、お前の言ったこと、よーっくな。
だからあたし、運動が苦手なお前に、運動教えてやるよ。その代わりに、勉強が得意なお前に、勉強教えてもらおーかなって。どう?けっこー、いいと思うんだけど。」
あからさまに拒絶してみせたつもりだったのに、全く嫌味が通じていない。楽天的なのか、ポジティブなのか、鈍感なのか。全く関わったことのタイプの人間だと実感する。
でも。
「いいですよ。私、バスケのルールからわからないので、ルールから教えてくださいね。まあ、連日の練習で山中さんがボキャ貧であることが良くわかったので、分かりやすく教えてもらうっていうのは、ちょっと期待できないですけど。」
なんだよ、バスケのルールもわかんねーのかよ、っつーか、ボキャ貧ってなんだよ、などとぼやいている山中さんの手を引いて、教室から出て行く。誰かと軽口をたたき合うこの感覚が、数年ぶりでなんだか心地いい。
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