第4話


 放課後、バスケ部の生徒が練習を終えて静けさに包まれた体育館。

 かかっていたおんぼろな鍵をこっそりこじ開けて、忍び足で中に入る。中に誰もいないことを確認してから、体育倉庫の中に積まれた茶色いバスケットボールを手に取った。


 ぐっとのしかかるような重さを実感した瞬間、突然頭の中が熱くなった。クラスの中でしか権力を行使できない富永愛理や、女王様の機嫌をとることでしか自分の存在意義を見つけられない杉山由香の顔が脳裏に浮かんで、胸がむかむかする。


 手に持っていたそれを体育館も壁に勢いよくぶつけると、使った力のぶんだけ強く跳ね返ってきたボールは、私の頭部上部に直撃し、5年使っている銀縁のダサいメガネを吹っ飛ばした。


「おーい。相模、大丈夫?生きてる?」


 誰かが私を呼ぶ声が遠くに聞こえる。

 間延びした、ひどく怠そうで低い声。

 度の合わないぼんやりとした視界に入ってきたのは、クラスのカースト上位のスポーツ少女だった。


「やっと起きた。おーい、しっかりしな。あ、これメガネな、ちょっと壊れてたけど。でもフレーム曲がってるだけだし大丈夫かな。あたしのこと見える?」


 山中裕子の細くて長い指が私の両耳に触れると同時に、ずれていた視界がクリアになる。

 他人との接触に慣れていない私の頭にさっと血が昇った。

 勢いよく上体を起こすと、再び頭の上に重い痛みを感じる。「いてーよ、バカ。」という山中裕子の呆れたような声に、一瞬にして血の気が引いた。


「ごめんなさい!」

「思いっきり頭ぶつかったんだけど。っつーか、相模こそ大丈夫か。ボール、さっきもぶつけてたっしょ、頭。」

「大丈夫です、全然!ほんと、ごめんなさい!」

「あー、大丈夫。こんなの、日常茶飯事だから。それより相模って、見かけによらず結構ドジっ子なの?ただの無口なガリ勉だと思ってたんだけど。結構面白いじゃん。」


 くっくっと口を軽く押さえて笑う彼女の横顔を見てハッとする。綺麗だとは思っていたけれど、近くで見ても毛穴一つ見当たらない。美術の教科書に出てきた白い大理石でできているつやつやした彫刻のようだった。

 強打した頭の痛みも忘れ、ぼうっとなって彼女を見つめていると、「なんでそんなじっとみるの?」といたずらっぽく言われて赤面した。赤くなったり青くなったり、好きな女の子にからかわれて振り回される男子小学生みたいだ。


「別に、ドジっ子じゃないです。たまたまっていうか・・・」

「なんでこんなとこいるの。相模、美術部じゃなかったっけ。運動とか、好きそうな感じじゃないけど。」


 急所を突かれるような会話に焦って口をパクパクさせてしまう。どこまでもマイペースな山中裕子が、私の存在を認識していたことに驚く。


「あ、わかった。コソ練だろ。今日の体育、愛理にいじめられてたもんな。見ててちょっとかわいそーだった、アレ。運痴なの気にしてんの?」


 気にしていたどころの話ではない。うんともすんとも言えなくなって目をうろうろさせている私に、山中裕子は衝撃の発言をぶちかました。


「わかった。おもしろそーだし、あたし、見てあげてもいいよ、バスケの練習。みっちり頑張って、愛理をぎゃふんと言わせてやろーぜ。」


 例えるなら、牢獄に閉じ込められたラプンツェルを助け出しにきた王子様。突然の救世主の登場に、心がふわふわと宙に浮く。

 山中さんの星屑のような笑顔を一生忘れられずに、いつまでもずっと覚えているような気がした。

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