第4話 誰が為に君は呪う



 もう何度、マガの入っていた押入れの襖を開けたことか分からない。廃アパートの他の部屋も確認したし、近所のゴミ捨て場も見た。

 

 だけどマガの姿は一向に見つからない。


 部屋に訪れた時、押入れの襖が兎一匹分程度開いていたのを見つけた時にはまさかと思ったが、まさか本当に脱走しているとは思いもしなかった。


 このことの過失は完全に僕にある。昨日、押入れの襖を閉めたのは間違いなく僕だ。


 おそらく、閉めたと思いこんだだけで実際はすこしばかり開いていたのだろう。そこを見計らい、マガは脱走したのだ。


 一緒にマガを探す野辻は決して僕を責めたりはしない。だけどそれが逆に心を強く締め付けるのである。


「私、外探してくる」


「僕も行く。二人で手分けして行こう」


 僕らはそれぞれ、マガがいるかもしれない場所を当たるべく夜の街を疾走した。僕は歓楽街の路地裏や、やたら人だかりが出来ている場所を重点的に探す。


 しかし見つかるのは野良猫や喧嘩ばかりで、マガが見つかる気はしなかった。それでも僕は走り続ける。


 それはマガが野辻と僕とを繋ぐ存在であるから、と言う理由もある。だけどそれ以上に僕がマガに対して友情じみたものを感じ始めていることもあった。


 僕は走りながら、マガが居てくれそうな場所を必死に考える。考えなら走る。

 

 もう何度廃アパートの近くを訪れたか分からない。僕は、マガが何事もなかったかのように家に帰ってきてくれていることを期待している。

 

 これじゃ駄目だ。

 

 僕は首を激しく横に振って、無理やり自分の気持ちを切り替える。考えろ、考えるんだ。


『那須君ってマガに似てるよね』


 その時ふと思い浮かんだのは、野辻の言葉である。僕とマガが似ている? 


 もしそれが本当だとするならば……僕がもしマガだったならどこへ行くかを考えれば答えが出るのかもしれない。

 

 酔狂な考えだとは自分でも思う。だけど、手掛かりになりうるのならなんでもしてやろう。


 僕はマガの気持ちを考えた。あいつは死んだ母親の腹から一人で産まれてきて、野辻に拾われた。でも自身の性質上、生活の殆どは、たった一人で押入れの中野暗闇で過ごすことになる。

 

 そうなったとき僕ならどう思う? ……寂しい。寂しいと思うはずだ。

 

 寂しいマガに自由が与えられた時、どこに行く? いや、僕ならどこへ行きたいと思う。

 

 僕は。僕なら。

 

 そう思った時、僕が真っ先に思い浮かんだのは――――。


「雛野林道……?」


 その場所とは逆方向へ向おうとしていた両足にブレーキをかける。そして僕は雛野林道に向けて、さっきまで以上の速度で疾走しはじめた。


 雛野林道のゴミ捨て場付近に近付くと酷い臭いが鼻腔を抉る。腐った生き物が放つ死臭だ。


 僕が驚いたのは、野辻が林道内に居たことである。野辻はゴミ捨て場の前で茫然と立ち尽くしていた。


「野辻」


「……那須君? 那須君もここだって思ったんだ」


「……うん」


「正解だよ。ほら」


 野辻が指さした先。それを見て僕は胸がどうしようもなく苦しくなった。


 マガは、既に腐り始めている親兎の死体に、甘えるよう頬をこすり合わせていた。動物に死の概念が理解出来るのかは分からない。ただ少なくともマガはそれを理解することは出来ていないだろう。


 彼がどんなに甘えても、啼いても母兎が声を返すことはない。その長い耳を毛づくろいすることはない。もう、死んでしまったのだから。


「野辻……」


「分かってる。でも、だから、マガの呪いは達成されなくちゃならない。あの子がただの可哀そうな存在で終わらせないために」


 決意の籠った声色で野辻はそう言う。でも僕は確かに野辻の瞳に渦巻いていた闇が、惑っているのを感じていた。


「なぁ、野辻。もう、やめないか。マガはきっとあそこを離れないよ」


 僕が、彼女の決意に水を差すようなことを言ってしまうのはマガのことを思ってでもあるし、野辻自身のことを思ってでもある。マガのあんな姿を見てしまえばなおさらだ。


「……」


「野辻」


「……分かった」


 か細い声だったが、野辻はそう言った。僕は黙って頷くと、死体の山のマガに背を向けた。声もかけない。もしも声をかけてこちらに気付いたら、彼はあの場所にある幸せから離れてしまう。


 僕ら二人は、ゆっくりと林道を離れる。やがて鼻をくすぐる臭気もなくなり、僕らは完全にあの場所から離れた。


「ねぇ。これで本当に良かったのかな」


「マガは自由になれたし、野辻も呪いなんかに手を染めずに済むんだ。僕は、それでいいと思う」


「でも……っ!」


 野辻はおかしな反応の後、はっきりとした口調で。


「私、やっぱり諦められない」


 そう言った。今さら何をと思い野辻を見た時、僕はハッとなる。彼女の足元に白い生き物が佇んでいた。追いかけてきてしまったのか。僕らを。母の亡骸を捨てて。


「きっと、マガもそう言ってるんだと思う」


 僕は悲痛な表情で、毅然な表情の野辻と、呑気な顔で僕を見上げるマガを見比べた。

 


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