第4話 公女様はアルバイト中

 平四郎は魔法王国メイフィアの首都クロービスの安宿に滞在している。あの演習航海でのB級空獣カプリコーンを討伐した第5魔法艦隊は首都クロービスの軍港に入港していた。B級空獣の討伐で賞金が入るらしく、それによってバルド商会のルキアに出航前に取り付けた装備の代金を支払うことができたのだが、余ったお金で豪遊できるほど第5魔法艦隊の台所事情は楽ではなかった。

 よって、第5魔法艦隊の乗組員は下が酒場になっている庶民御用達の宿に滞在となっている。まあ、堅苦しいのは嫌いな平四郎には、これはこれでありがたいのであるが。

 第5公女であるフィンもこの安宿に滞在している。一応、セキュリティのこともあるし、メイドのアマンダさんと同室ということもあって3階の一番広い部屋を使っている。

(ふあああああっ……。何だか疲れが取れないなあ)

 時間を見ると朝の7時を回ったところだ。昨日は夜遅くに軍港に入港し、宿に入ったのが0時を回っていたのでまだ眠い。だが、それよりも空腹の方が勝った。平四郎はもぞもぞとベッドから起き出すと、部屋に備え付けの小さな洗面で顔を洗う。歯ブラシもこの異世界にはある。ちょっと変わった形状(丸いボールのような先端にブラシがついている)に液体の歯磨き剤を付けて磨くのだ。

 一通り支度を終えて、平四郎は1階のホールに降りていく。その場所は、夜は酒場となっているが、今は宿泊客専用の朝食会場となっていた。結構な数の宿泊客が食事をしている。格好からすると商人等のビジネス客だろう。大半が男性であった。

(あれ?)

 平四郎は階段の半ばで目をゴシゴシとこすった。想像できない姿を発見したのだ。その食堂でフィンがエプロンをつけて働いているのだ。アマンダさんもメイド姿で料理を運んでいる。アマンダさんの魔人形べパルとゼパルも手伝っている。

「朝食だわん」

「ハーブ茶だにゃあ」

 とか言いつつ、くるくると動いて働いている。

(え? なんで働いているだ? 彼女って、この国の公女様じゃないのか?)

「あ、あの、平四郎くん……」

 平四郎を見つけたフィンは、お盆で顔を隠しながらもそう呼びかけてきた。思い出せば、あのレーヴァテインの戦闘中に不測の事態とは言え、平四郎は気を失ったフィンを抱きかかえたのだ。それを思い出して二人は顔が真っ赤になり、頭から湯気を立てだした。

「あ、あの、その、へ、へいちろ……」

 恥ずかしさで思わず噛んでしまったフィンは、まためんどくさい状況になりつつあったが、平四郎のお腹が『グウウウッ……』となったので、二人は思わず笑ってしまった。それでフィンは落ち着いて話すことができた。

「平四郎君。朝ごはんの用意できているです。はちみつパンと卵焼きとベーコンの焼いたのとミルクだけですけど……」

 異世界トリスタンの安宿の朝食は典型的なアメリカンブレックファーストであるようだ。焼きたてのパンの匂いが香ばしくてたまらない。

「ああ……」

 フィンの可愛い新妻エプロン姿にちょっとドギマギした平四郎は、フィンになんて言おうか急に心臓がドキドキしてきた。

(エプロンが似合ってるね、フィンちゃん。いや、美味しそうだね……。君が、じゃない、はちみつパンが……。)

 頭の中でそんなセリフを反芻する。フィンはお盆から目玉焼きの乗った皿をテーブルに置くと、もじもじと小さな声を発した。

「この目玉焼き、わたしが……あの……作ったんですよ……。あ、味わって食べてくださいです」

(か、可愛い~っ)平四郎はあまりの幸せに頭がボーッとしてしまう。

(もしかしたら、フィンちゃんて、僕のためにウェイトレスを?)

 さすがにそれはなかった。フィンは他のお客にも朝食の給仕をしていたからだ。お客からチップをたくさんもらっている。お客は「公女様、がんばってくださいね」とか、「苦労しているね、少しだけど使ってください」と幾ばくかの銀貨や銅貨をフィンの持っているお盆に置いていく。

(第5魔法艦隊は貧乏っていうけれど、公女様自らが朝からバイトしないといけないのか?)

 平四郎は仮にもこの世界を守るためにがんばっている第5魔法艦隊の提督の残念な状況に思わず涙が出そうであった。それでも朝から新鮮なフィンの姿を見ることができたことに感謝する。

(う~ん。貧乏万歳! ナイス! プア)

 はちみつパンをほおばってそんなことを考えていた平四郎に、フィンが恥ずかしそうにそっと近づいてきた。何だかモジモジしていて可愛い。

「へ、平四郎君……明日の夜、お城でセレモニーがあることは知っているよね」

「あ、うん」

 それはミート少尉から聞いている。明日の夜にパンティオン・ジャッジ開始のセレモニーが王城で執り行われるのだ。出席できるのは登城を許された貴族と魔法艦隊所属の少佐以上の将校のみであった。第5魔法艦隊の場合、フィンと平四郎だけとなる。

「あの、その……。アルバイト、あと2時間で終わるんです!」

「あ、ああ。そうなの」

 フィンの顔が真っ赤になってくる。急に後ろを向いて胸に手を当てて、深呼吸をする。そして頷くとまたくるりと振り返った。

「あろ……」

 噛んでしまったフィンはまた後ろを向く。

(あ~メンドくさい!)とミート少尉なら思うだろうが、平四郎はその仕草が可愛くて可愛くてたまらない。また、勇気を振り絞ったフィンが振り返って今度は一気に吐き出した。

「あのです! わ、わたしのお買いものに付き合ってもらえませんか!」

 言ってから、両手で顔を隠している。聞いている平四郎にも彼女の心臓の音が聞こえてきそうで、さらにそう言われて、平四郎の心臓が高鳴る。

(こ、これって……デ、デートのお誘い)

「あ、ありがと! うん、喜んで!」

 そう即座に答えると平四郎の心は張り裂けんばかりに喜びで溢れかえった。

(うああ。フィンちゃんとデート。 しかも、向こうからお誘い? いや、待て待て……)

 平四郎は(冷静になれ!)と心に言い聞かせる。

(フィンちゃんは、お買い物って言った。デートとは言ってない。危ない、危ない。でも、男女2人きりでショッピングって、やっぱりデートだよな)

 フィンはうれしそうな表情の平四郎に近づくと、そっと金貨の入った革袋を差し出した。

「こ、今月のお給金です。12ダカット……少なくてごめんなさいです」

「あ、いいよ。別に……」

 金貨12枚というのはこの国の平均的な給料にしては少ないのだが、平四郎はお金には執着していなかった。なにしろ、食事と寝る場所と着る服(今は普段着のシャツとズボンというラフな格好だが、レーヴァテインに乗るときは立派な軍服がある)は保証されているので、これにお小遣いがあるというのは贅沢なくらいだと思っていた。

「そ、それじゃあ、10時に市場の入口の門で。市場はこの宿を出て大通りを右手に行くとあるです」

 そう言うと、フィンは注文を受けて客に朝食を運んでいく。他のレーヴァテインの乗組員はまだ寝ているようだ。ミート少尉などは残務で朝方まで帰れないとぼやいていたので、きっとまだ寝ているのであろう。第5魔法艦隊の雑務全てを引き受けているのだから大変だ。提督であるフィンはそういう事務能力はかっらきしダメであるから、こうやってアルバイトをしてお金を稼ぐ方が艦隊のためであろう。

 現実、フィンとアマンダさんがこの宿でアルバイトする条件で、第5魔法艦隊の乗組員の滞在費をチャラにしてもらっていた。宿屋の主人としては第5公女が給仕をしてくれる宿ということで客が殺到してきて儲かっており、フィンたちが首都に来るときには必ず利用することを大歓迎していた。フィンも物価が高い首都クロービスで給仕のバイトをすれば格安で泊めてくれるので助かっているのだ。

平四郎は部屋に戻って支度すると、フィンからもらった12枚の金貨を握りしめて、市場へ向かった。まだ、約束には時間がたっぷりあったが、先に首都の繁華街を見ておきたいと思ったのであった。

 魔法王国メイフィアの首都クロービスは、人口が約百万人とこの異世界トリスタン有数の大都市であった。景色はよくゲームで出てくる中世の世界によく似た町並みである。浮遊する金属でできた近代的な船があるにも関わらず、人々の家は石や木で作られているし、人々の服装も質素だ。まるでファンタジーの街に紛れ込んだ気分にさせてくれる。移動手段は馬車しかない。空を飛ぶ船を作れる技術があるのに、車が発明されていないのが不思議であったが、長距離は飛空船で移動すればよいので、インフラとしての道の整備が遅れているせいであろうと平四郎は思った。

 街から街へは基本、飛空船で移動するので地上で移動する必要がないのだ。人々は小さな端末機と魔力を融合させて遠くの人と話しているなど、魔法を使っているような光景がいたるところに見える。ファンタジーの攻撃呪文などはないが、人々は魔力を使って日常生活を便利になるようにしているらしい。

(考えようによっては、現代の日本と変わりないじゃないか?魔法の代わりに携帯電話や、自動車、電子レンジ、オーブン、テレビ……。みんな魔法と同じだ)

 平四郎はこの世界に来て、違和感がないのは魔法というツールを使っているとはいえ、便利に暮らしている様子は元の世界と変わらないからだと思った。

 そんな景色を楽しむように20分程歩くとフィンが指定した市場についた。たくさんの店が連なり、石畳の広い道が伸びている。通りがいくつも交差しており、露天から商店、石でできたビルのような建物まであって、とても1日では回れない規模に感じた。フィンとの待ち合わせは市場の入口のアーチ状の門のところであったが、まだ約束した時間まで小1時間はあるので、平四郎はちょっと見て回ることにした。

「へい、兄ちゃん、腹減ってたら魚の串焼きどうだ? 肉のスープもあるぞ?」

「ジュース、ジュース。美味しい果物ジュース。いっぱい銅貨1枚」

 食べ物屋から雑貨屋まで露天を見ると、おおよそのことが分かる。まずは金貨の価値。

 金貨1枚は銀貨5枚と等価。銀貨1枚と銅貨5枚は等価ということはバルド商会で暮らした三ヶ月で平四郎が獲得した知識である。今まで出歩かずバルド商会の作業場と事務所に引きこもっていた平四郎には食べ物などの生活必需品の値段が正確にはわからなかったのだ。(空中武装艦の値段は分かるが桁が違う)

 市場で売られている食べ物の値段から平四郎はお金の価値を換算した。日本とこのメイフィアではりんごの値段が同じではないだろうが、そんなにべらぼうに違うとも思えないのだ。そこから類推するに金貨1枚はどうやら、日本円で1万円って感じだ。

「となると、金貨12枚は12万円か……。確かに1ヶ月の正社員の給料としては安いよな。バイトとしては大きいけど」

 第5魔法艦隊の台所事情は実に残念だ。これは主計官として会計を預かるルキアは、きっと頭を悩ましていることだろう。残念とは思ったが、渡すときに申し訳なさそうな表情を浮かべたフィンの顔を見ると、これが彼女の精一杯の出せるお金なのだろうと平四郎は考えた。無駄には使えないお金だ。

「おい、そこの異世界から来た青年よ」

 ふいに下から声をかけられた。思いがけない方向に平四郎は驚いた。そして、その声の主を見てさらに驚いた。長靴をはいた大きな猫がガラスのビンに入れられていた。値札が付けられている。

 妖精ケット・シー ペットにどうぞ! 3ダカット5分の4

(ケット・シーってなんだ?)

「この俺様を買ってくれないかにゃ。きっと役に立つにゃ!」

 小さいくせに随分偉そうな口調の猫だ。そもそも、猫がしゃべったら驚くのが普通だが、平四郎は、街のファンタジーな雰囲気にその異常さを普通に受け入れている。

「君を買って僕になんの得があるっていうのだよ」

「あるにゃ……。俺様は妖精ケット・シー。この世のことはなんでも知っているにゃ。それこそ、千年も寿命があるからなにゃ」

「千年って、君が生まれたのは何年前なのさ?」

「おいらの生まれたのは、今から四百年前さ」

「本当か? 何だか怪しいなあ。そもそもそんなに生きられるのか?」

 平四郎はケット・シーというその生き物の興味を持ったが、そんな長生きする貴重な生き物がこんなところで売られていることがおかしい。

(大体、3ダカット5分の4って、金貨3枚に銀貨4枚ってことか? 日本円に換算すると金額にして3万8千円。結構な値段だ)

(やれやれ……)と平四郎は両手を上げて立ち去ろうとすると、このケット・シー、言葉遣いが変わって、急に懇願口調になる。

「わ~っ。ごめんなさいにゃ。おいら嘘言いました。400年も生きちゃいないにゃ」

「そんな見え透いた嘘言うなよ」

「でも、妖精族は寿命が長いのは事実にゃ」

「確かにそういう設定だけどね。エルフは1000年、ドワーフは500年とか物語やゲームによって設定は違うけど。ケット・シーの平均寿命はどのくらいなんだ?」

「100年にゃ」

「それ人間より少し長いだけじゃないか」

「人間よりいい点は、年とっても容姿が変わらないにゃ」

「ああ。それは猫や犬と同じだな。年とってもあまり変わらない。で、君の年はいくつなんだ?」

「25だにゃ」

「おお! 僕より年上だ」

「なあ、頼むにゃ。頼みますにゃ。おいらを買ってくださいにゃ。もし、猫好きのおばはんに買われたら、キモすぎて死んでしまうよ。ああ、そうだ、おいらが魔法で占いをしてあげるからにゃ」

「占い?」

「そう、占い。妖精ケット・シーの占いはよく当たるんだにゃ!」

「怪しいなあ」

「そんなことはないにゃ。そもそも、旦那を異世界から来たた当てたにゃ。その時点でこの猫はただもんじゃないと思ったんじゃないのかなにゃ」

 確かにそうだ。平四郎は黒髪の典型的な日本人の風貌だが、このメイフィアでは珍しくない。ヨーロッパ風の顔立ちの人間からアジア風まで色々な人種が街を歩いているから違和感がない。それなのにこの猫は平四郎を異世界の青年と見破ったのだ。

「ふーん。じゃあ、やってみ」

 平四郎に言われて、このケット・シーはビンの中で立ち上がり、長靴姿で華麗にタップのリズムを刻む。これは見ているだけで楽しい。ちょっとした陽気なダンスである。楽しげな様子に周りの客が集まってきた。やがてケット・シーは一回転すると、口調を変えてこう話をしだした。

「旦那には好きな女の子がいる。相手も旦那のことを快く思っているようだ。だが、他にも旦那を思う女の子が現れる。ハーレムを受け入れるか否か、迷う時がくるであろうにゃ。ただ……。うん、それだけにゃ」

「ハ、ハーレム?」

「そうさにゃ。このトリスタンは平等に接することができて、第一夫人が許可すれば、第二夫人がもてるにゃ。もてる数は無限にゃ」

「なんだそりゃ。確か僕の世界でもそんな国あったけれど……アラブとか……」

「ハーレムだにゃ。かわいい女の子がいっぱいだにゃ」

「いらないね。僕にはフィン一人で十分」

「ダーッ。信じられないにゃ。ハーレムは男のロマン、掴み取るドリームだにゃ」

「猫はそうかもしれないが、人間は一人の女の子に愛を貫くんだよ」

「猫じゃないにゃ。オイラはケット・シー。妖精族だにゃ」

「妖精族ねえ……」

 平四郎は少しだけ聞いたことがあった。このトリスタンには4つの国はあり、その一つに妖精族が住むローエングリーンという国があるということを。そこはエルフ族、ドワーフ族と言ったファンジー世界の定番の種族が住んでいるそうだ。ケット・シーもその国を構成する種族なのであろう。

「その妖精族の君がどうしてペットとして売られているんだい?」

「それはだにゃ。深いわけがあってだにゃ」

「深いワケはいえないわけだ」

 平四郎は立ち去ろうとする。ケット・シーは慌てて平四郎を引き止める。

「分かった、分かったにゃ。言うからオイラを買ってくれにゃ」

「買うかどうか分からないけどね」

「うーっ。そんなこと言わないでにゃ。言うからにゃ。おいらはローエングリーンで貴族だったにゃ。でも、政変で失脚して政敵に捕まってしまって売り飛ばされてしまったにゃ」

「貴族? 猫が?」

 平四郎はあまりのおかしさに笑ってしまう。ローエングリーンという妖精族の国は変わった国らしい。このメイフィアも十分変わっているがそれ以上だ。

「笑わないでくれにゃ。一応、これでも伯爵だったにゃ」

「ふーん。伯爵? マジかよ」

 何だか必死なケット・シー。胡散臭さは充分感じているが、何だかかわいそうになってきたのも事実である。平四郎は、気まぐれでこいつを買って解放してやろうと思い始めた。

これも何かの縁だろう。そう思うことにした。

「あのおじさん、この動物買いたいのですけど」

平四郎は露店のオヤジに話しかける。オヤジは売れないと思っていたらしく、平四郎が買うと言ったら大喜びする。平四郎から金貨を受け取ると瓶からケット・シーを取り出した。逃げ出さないように魔法封じの首輪を取り付けて、平四郎に引き渡す。

 受け取った平四郎はすぐその首輪を外した。これでこのケット・シーは妖精力を使うことができる。

「ありがとうにゃ。いや、今から旦那はおいらのご主人様、主君にゃ。旦那と呼ばせてもらうにゃ」

店から離れてからケット・シーはそうお礼を言った。(さっきから、旦那って呼んでたし……)と平四郎は突っ込みたかったが、ここは猫に話を合わせた。

「旦那って、おっさんみたいだな。僕の名は東郷平四郎。君は?」

「おいらの名前はペットに身分格下げされた時に奪われてしまったにゃ。おいらを解放してくれた平四郎の旦那がおいらの名を付ける権利があるにゃ」

「そうなのか? ふ~む。名前ねえ……」

 平四郎はこの長靴を履いた猫を見る。大きさは標準的な猫に比べてかなり大きい。2足歩行しているから、背丈は平四郎の足ほどになるが、それ以外はただの猫だ。毛並みは茶トラなので、平四郎は日本の猫によく付ける名前が浮かんだ。

「じゃあ、君はトラ……トラ吉にするよ!」

「トラキチ? 何だかカッコイイ名前だなにゃ。平四郎の旦那、オイラは気に入ったにゃ」

そう言って、この不思議な猫妖精はくるりと宙返りをするとコロンっと指輪に変わった。驚いたことにケット・シーは変身魔法が得意なのだ。但し、一度変身すると30分立たないと元に戻れないし、元に戻らないと違うものにはなれない。化けられるのも身近な小物に限られるのだ。

「平四郎の旦那。普段、オイラはこの指輪に化けているから、鎖をつけて首にでもかけておいてくれにゃ。ちなみにこの声は平四郎の旦那だけにしか聞こえない妖精力だにゃ」

 平四郎はそっと指輪を見た。金色がベースでトラ柄の指輪だ。露天で革紐を買うと指輪に通して首にかけた。何だか変なペットというか、相棒と出会ってしまった。店のオヤジによるとケット・シーは第2大陸の妖精族が住む地域にいる種族で、本来はペットにならないそうだが、犯罪をして妖精族から追放されてペットの身分に落とされるものがいるそうだ。トラ吉の奴、国の政変で反対派に捕まって売られたというのだが、一体、どんなことがあったというのであろうか?

(平四郎の旦那、待ち合わせしている姉ちゃんが来たようだにゃ。お、しかも可愛いにゃ。超カワイイにゃ。平四郎の旦那、面食いだな。どうやって、あんな美少女ものにしたにゃ?)

 心の中でトラ吉が話かけてくる。視線を泳がすとフィンが走ってくるのが見えた。このメイフィアの気候は日本の初夏という感じで、じっとしているだけで汗ばむ。平四郎は長ズボンとTシャツみたいなラフな格好だが、フィンは白いワンピースにつばの広い帽子という出で立ち。ワンピの丈が膝より少し上で恥ずかしがり屋のフィンにしては大胆な格好であった。

「へ、平四郎君……ま、まちゃたです?」

(かんだよね? 今、かんだよね?)

 かあ~っと赤くなるフィン。平四郎もなんて答えていいか分からなくて固まってしまう。

(おいおい、二人共えらい純情だにゃ。相手の娘も今時いないタイプじゃが……おろ?)

 指輪に化けてるトラ吉が、フィンの顔を見たようだ。

(旦那の彼女、第5公女じゃないですかにゃ!? どうやって、ゲットしたにゃか?)

 トラ吉の奴、興奮して声が高い。

「君はしばらく黙ってろよ」

 平四郎は思わず、トラ吉に向かって話したら、フィンが自分に言われたと思って、

「ご、ごめんなさいです。平四郎君」

 そっと下を向いてぽつんと話した。

「いや、今のはフィンちゃんに言ったんじゃないんだよ。ホント!」

 キョトンとしているフィン。

「それより、今日はここでお買い物するんだよね」

「う、うん……」

「で、何買うの?」

 平四郎はフィンの可愛い姿に今日は何か可愛い小物とか、服とかを買うのだと完全に思っていた。

(も、もしかしたら、水着を買うから選んでって……シチュエーションだったりして!)

 平四郎の勝手な妄想が続く。

「平四郎君、これはどうです?」

 白地に鮮やかな花柄のワンピース。華奢なフィンでも出てるところがあって、引き締まったウエストと細い足がバッチシ。次はフォルターネック。オレンジ色のリボンが可愛い。大胆な黒を基調としたタンキニ、そして赤いビキニ…そして、な、なんと! この国にもあったのか! スク水!!

(魔法王国メイフィアありがとう)


「どうしたのです? 平四郎君」

「はれ?」

「何だかボーッとしていたみたいです……」

「ああ、ごめん、フィンちゃん」

 平四郎は魔法王国といっても相手の考えが分かる魔法がなくてよかったと心底思った。

「で、フィンちゃん。何を買うの?」

「飛空船です」

「は?」

「飛空船です。戦列艦は無理だけど、駆逐艦1隻くらいは何とか……」

 平四郎は驚いた。可愛い女の子が勇気を出して、「お買い物に付き合ってください」と言って買うのが、戦列艦? 駆逐艦?

「うそ?」

 本当であった。フィンは市場の奥に行くととあるビルの建物に入っていく。店の看板は「中古武装飛空船ショップ オリバー」などと書かれている。

「ごめんくださいです」

 フィンの後について平四郎も店に入る。中は車のディーラーのイメージだ。ショールームに小型の武装した飛空船が展示してある。飛空船のパーツも一応置いてあるが、バルド商会ほどではない。この店は中古の武装した飛空船をメインにしているところなのだろう。胸に店長と書かれたバッジをつけた初老の男がうやうやしく近づいてくる。

「これは公女殿下、今日は何をお求めになりますでしょうか。B級空獣を討伐したと聞きました。賞金が入ったのでしょう」

「はいです」

「B級だと5000ダカットくらいですか」

「はい。それで買える船はあります?」

 白髪が目立つ初老でメガネをかけた店の店長は、分厚いカタログをめくる。それには、レーヴァテインと同じような空中に浮かぶ戦艦の写真があった。

「5000ダカットでは、やはり性能や状態を考えると駆逐艦クラスでしょうな。戦列艦だとかなり古い年式になってしまいます」

「戦術の幅が広がるものはないでしょうか?」

「う~ん。潜空艦は面白いですが、値段がはります。中古でも1万ダカットからですね。それに公女殿下、メンテナンスや乗組員の給料や生活費を考えたら、賞金すべてを使うわけにはいけませんでしょう」

「そうですね」

(マジで……軍艦買うのか)

 平四郎もカタログをそっと見る。レーヴァテインよりも大きい戦列艦は値段が二桁も違う。5000ダカットだと買えるのは中古の駆逐艦クラスだ。フィンの予算は3000~4000ダカットのようで、それだと数えるくらいしか選べない。

「どうですか、この魔法弾連射ができるミサイル駆逐艦。年式はちょっと古いですが状態はいいですし、オプションで魔法爆雷連射機能をお付けします。それで値段は4500ダカット」

「も、もう少し安くはしていただけませんです?」

 公女が値切るという姿は少々違和感があったが、どうやら、公女提督は自分の艦隊を自分で買って編成するらしい。まあ、フィンが値切らなければ平四郎が値切ったであろう。実際に状態を見ないと分からないが、相場よりも高いのではないかと思ったのはバルド商会で3ヶ月修行をした成果である。

「それにしても、魔法艦隊は提督が自ら船を買って揃えるなんて……」

 カタログを見て迷っているフィンを見ながら、平四郎はそんなことをつぶやいた。それを聞いていた指輪に化けたトラ吉が平四郎に教える。

(旦那は知らないにゃか? 公女様の艦隊は旗艦こそは国から支給されるにゃが、原則、自分が操る船は自分で買うんですにゃ。メンテナンスも乗組員の確保もにゃ。一応、支度金やら、毎月の手当は出るらしいにゃが、結構な額が公女方の持ち出しだにゃ)

(それは聞いていたけど。船も自分で揃えろなんてひどいなあ。公女ってこの国の代表だろ。国からの援助はないのか)

(パンティオン・ジャッジのために選ばれた公女様は魔力の他にいろいろな力を試されるにゃ。経済力も力の一つにゃ)

(金も力か)

(そうにゃ。ぶっちゃけ、最強かもにゃ)

(確かにそういう面もあるけど。それを言っちゃおしまいでしょ)

(大人の事情だにゃ)

(はあ……。嫌な事情だ。トラ吉、パンティオン・ジャッジって、空獣と戦う艦隊を選抜する予選みたいなもんでしょ。それに出場するために艦隊を率いるのが公女様で、それは選ばれるってこと?)

(ああそうだにゃ。500年前もそうだったにゃ。今回は5人の美少女が選ばれているけれど、選考方法は詳しくは知らないにゃ。最も有名で実力を兼ね備えているのが、現王家の娘で正真正銘の王女様にゃ。確かマリー様と言ったにゃ)

「平四郎君、どう思います?」

「ああ……現物を見てみないとね。お金は大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないです。でも、あと1隻ぐらいは増やさないと……。本当は戦列艦クラスが欲しいのですが……」

 そんな健気なフィンの姿を見ていると、平四郎は何とかしてあげたくなった。

(確かに、戦列艦っていうのか? カタログを見る限り攻撃力がダントツ。だけど、僕たちの艦隊は攻撃力よりもスピード、機動力じゃないかな)

 平四郎はそう考えた。そうなると、オススメするのは、機動力の高い船だ。店長はフィンが駆逐艦を買うと見て、現物を見ますかと勧めてきた。中古の武装した飛空船が軍港の端にある専用の場所に並べてあるという。ビルの屋上にある小さな飛空船に乗って行けば、それはものの10分の距離にあった。ずらりと中古の飛空船が並んでいる。

 カタログにはあるが、ここには置いてないものもあるようで、置いてある船でざっと50隻が並んでいる。それこそ、戦列艦から小さなガンシップまで玉石混合だ。ただ、中古らしく状態がよくないものまで並んでいる。店長オススメのミサイル駆逐艦はちょっとサビついていて、程度はあまりよいとは言えないと平四郎は思った。これを買うなら値切って2500ダカット以下だろう。修理にお金がかかると判断した。

(う~ん。これは困ったな。予算に合う出物がなさそうだ)

 平四郎はキョロキョロと展示艦を物色する。すると50隻の中に一際輝いて見える船を見つけた。それは武装が解体されていて状態は一見宜しくなかったが、平四郎が見たところ、空を飛ぶ機動部分は壊れてなく、きちんと整備すれば十分使えると判断できたのだ。

「フィンちゃん。あの高速駆逐艦ってのはどうだろう。攻撃力は落ちるけど、艦隊のスピードが落ないよ」

「今、2隻保有しているのが高速駆逐艦です。もう一隻同じものを買えと……」

 うん……。そう平四郎はうなずいた。どうせ、中途半端な攻撃だったら、いっそ、スピードを重視したほうがいい。

「この高速駆逐艦だと3000ダカットでいいですよ」

 そう店長が言った。3000ダカット……。平四郎の故郷である日本円にして、3000万円という値段である。高級輸入車のスーパーカーが買えるほどの大金だが、(軍艦がこの値段で買えるか?)と考えると多分無理だろう。フィンが買った2隻の高速駆逐艦も元国軍のパトロール艦で、退役したものを改造して販売されていたのを手に入れたのだ。

 こういった武装艦を買うのは、周辺空域で出没する空獣を討伐して賞金を稼ぐ空獣ハンターと称する人間たちだ。小さな空獣でも討伐すれば、かなりの賞金が手に入るのだ。ただ、空獣を退治するにはかなりの戦力がないと難しい。しかし、国軍のパトロール艦隊だけでは、多発する空獣による被害を食い止められないので、民間の空獣ハンターを募集しているだという。

 平四郎は買おうという高速駆逐艦の状態を考え、メンテナンスと改造にかかる費用をすばやく見積もった。それでこう切り出した。

「店長、あれは1500ダカットでしょ」

「え、それはちょっと……」

「エンジンはまともだけど、他のパーツは古いから全部変えないといけない。そもそも、あれは15年前の型だろ。標準の価値なら2000は確実に切る」

 店長は、コイツは侮れないと思ったようだ。公女様と敬いつつ、前回の2隻の高速駆逐艦を1万ダカット以上で売りつけられたのは、世間知らずの小娘2人で買いに来たからである。だた、店長もあこぎな商売をしているのではなく、少々割高だが2隻の船は品質のよいものを選んで提供はしていた。

「武装は20ゼスト魔弾砲1門、あれは錆び付いて使えないね。ミサイルランチャーも2基、故障している。旗艦からの命令を受ける魔力アンテナは使用できるけど、波長が合わないので使えないね。それを考えると1500でも高いくらいだ」

(す、するどい)

 店長は迷った。確かにこの船は程度が悪くてかなり修理をしなければ空獣狩りには使えない代物だ。それを考えると1500でも十分儲けはある。

「では、こうしましょ。1800で」

「1200!」

「え?」

 店長は驚いた。交渉術として3000と1500の間の2250ぐらいが落としどころと通常は考えるので、それよりも安い値段を出したのだ。これで決まると思ったのに、この公女に従って来た青年はもっと安い値段を出してきた。

「ご冗談を……先程1500と……」

「よく見たら、シールド発生装置がエイブラム社製だね。あの型は故障することで有名なんだ。載せ替えることを考えたらマイナス300でしょ」

(うううう……痛いところを指摘する。仕方がない。この船はもう6ヶ月も在庫になっている。空獣ハンターにも引き合いがないし。1200で売っても十分だ)

「分かりました。私どももパンティオン・ジャッジで公女様の活躍を期待する意味で勉強しましょう。1200で……」

 店長はそう言って平四郎に手を差し出した。だが、平四郎は手を出さない。

「平四郎君、1200は安いよ」

 フィンがそう言ったが、平四郎の心の中で(まだまだ……)っと言っている。平四郎に付与されたアビリティ『値切り』が解放されたのだ。

「1000!」

「え?」

「店長さん、パンティオン・ジャッジで応援したいんでしょ。じゃあ、1200から応援分の200を引いて1000が妥当」

「ですが、1200がギリギリの採算でして……」

「あれはここで売れなきゃ、誰も買いませんよ。直すのにどう見ても2000はかかる。こっちは僕が直すから修理代はパーツ代だけで済むから買えるんですよ。採算とるどころじゃないんじゃない?」

「う……では、1000で……」

「おっと。あれはオークションでも売れないね。となると解体してパーツと鉄くずにしかならないわけだ。となるとせいぜい300ってとこかな」

「3、300はいくらなんでもキツイですよ。勘弁してくださいよ」

「店長、宣伝費と思えば安いですよ。第5魔法艦隊に船を供給したとなればこれはすごい宣伝になる。じゃあ、1000から宣伝費で300引いて700でどうです。これがファイナルアンサー?」

「い、いいでしょう」

 店長は訳がわからなくなって手を出した。平四郎はその手を握ろうとして動きを止めた。

「店長。交渉成立のおまけにあの音波探知機のパーツつけてください。あれ、壊れてるんでしょ? 修理しないと使えないならいいでしょ」

「わ、分かりました。お付けしましょう」

「ついでにミサイル20発。50でどうです? 合わせて750」

「B級品でいいなら付けます」

「交渉成立」

 平四郎はそう言って店長の手を握った。すぐさま、契約書にサインして高速駆逐艦が一隻、第5魔法艦隊に加わった。前線に出す前にバルド商会に修理パーツを調達させて、パークレーンの港で修繕しないといけないが。平四郎はすぐにルキアに連絡して、その指示をする。

(旦那。旦那は値切りの天才だにゃ。普通は安い値段を指してから順番に上げて行くのに、旦那はどんどん下げていくから相手もビビってしまったにゃ)

「いや。十分勝算があっての交渉だよ」

(旦那は買い物の鬼にゃ)

 そうトラ吉が感心したように平四郎に囁く。確かにどんどん下げていく平四郎の交渉術に混乱したことは間違いない。だが、店長は以前にフィンに2隻の高速駆逐艦を高値で売りつけていたので、十分な儲けがあり、今回の採算割れの商談に余裕があったことも平四郎は見抜いていた。

買い物を終えた平四郎とフィンは、町に戻って店を後にした。展示場からパークレーンの港まで運ばせるのもタダでやらせたのは、最後のおまけみたいなものであった。

 港まで「第5魔法艦隊に納船中 飛空船 買うならオリバー」という横断幕を貼って宣伝することが条件である。店としても悪くない話だろう。

「あ、あの……おかげさまでよい買い物ができました」

 店を出るとフィンがポツリとそう言った。平四郎は慌てて、弁解をする。途中から彼女のことを忘れて、いかに安く飛空船を買うかということに夢中になってしまった。日本で中古車を安く買って修理して転売するレストアも趣味でやっていたから、その癖がでてしまったようだ。

「この世界のこと、艦隊のこと、何も知らない僕が口出しして悪かったよね。後で考えると……。フィンちゃんの意見も聞かなかったし」

「……いいえ。そんなことないです。わたしでは武装した飛空船のことはよくわからなくて、店長さんのお勧めを買うしかなかったから。すごく安く買えたので助かりました」

 そう言うと二人共、急に言葉が出てこなくなった。よくよく考えれば、二人きりで話すのは初めてだったことに気づいたのだ。

「あ、あの……これから昼ごはんでもどう? 僕がおごるから」

 そう言って平四郎はポケットの金貨を握り締めた。トラ吉を買ったので減っていたものの、まだ8枚の金貨と銀貨1枚が手の中にあった。

「は、はいです」

 フィンがうれしそうにそううなずいた。

                   *

「で? 艦長とは食事して別れて来たってわけね?」

「はい。市場のオープンレストランでトリ出汁スープのヌードルをおごっていただいたです。美味しかったですよ。ああ~。幸せ~」

 大きな枕を抱えてベッドに座り、顔をうずめているフィン。ミート・スザクはそんな彼女の宿泊する旅館の部屋を訪ねていたのだ。

(平四郎、昼飯代けちりやがった? というより、彼も大して給料もらってないから仕方ないか。にしても……。一応、フィンも貴族令嬢だからね。市場のオープンレストラン? というより、屋台で食事したのは、きっと初めての経験だったでしょうね)

 そうミート少尉は思い、彼女に出会った頃を思い出した。貴族と言っても地方の貧乏貴族に過ぎないアクエリアス子爵の娘であるフィンは、当初は学校も庶民の通う普通の学校に通っていた。小学校の2年生から公女候補に選ばれたフィンは、軍の幼年学校に通うことになるのだが、そこでミート少尉と知り合いになる。

 その頃のフィンは、今と同じく貴族令嬢にありがちな高慢なところが一切なく、目立たないようにそっと学校生活を送っていた。フィンと比べて勝気で目立ちたがり屋のミート少尉は、互いの性格が正反対なのにある事件をきっかけにして意気投合して親友になったのだった。

 そんな親友がこともあろうに、パンティオン・ジャッジに参加する公女に、本格的に選ばれてしまった。そんなことがなければ、いいところのお嬢さんというポジションで、そのうち家柄の釣り合う人とお見合いして結婚というのが、このフィン・アクエリアスという少女の人生設計であったろうが、人類の運命を左右する立場になってしまったのだ。

(確かに、魔力は並外れたものがあったわ。見てくれとは違って……。見てくれとのギャップといえば、この子、おとなしい顔をしているのに結構Hな娘だからなあ……)

「で、食事した時にね、わたしが調味料をとろうとしたら、偶然、平四郎君の手と触れ合ってしまったの……。もう、その時には体にビビビっと電気が走ったわ。キュンってこの辺りが鳴ったの」

 そう言ってフィンは、胸に手を当てた。

(はいはい……)

 ミート少尉は心の中で返事をした。またメンドくさいことが始まったことは間違いない。

「でも、平四郎はそれ以上、フィンの体には触らなかったよね」

「う、うん。それ以上体に触られたらわたし、どうにかなっちゃうです」

(よし、平四郎。お主の理性をほめてやるわ)

 ミート少尉は、正直なところ、この自分と二人きりでは暴走気味の少女が想っている男が、超奥手の好青年でよかったと思っている。この状況のフィンを見たら、下心のある男だったら、あっという間にいただいてしまっているだろう。平四郎に対してフィンの防御力はゼロに等しい。平四郎の一言でこの娘、履いているパンツまで軽く脱ぐだろう。

「でも、ミート。わたし、指以外は触られてはいないけど……」

「いないけど……?」

 ミート少尉はググッとフィンに顔を近づけた。フィンの話次第では、平四郎を殴らなくてはいけない。まさか、パンツ脱がせたんじゃないのかと、ミートは険しい顔でフィンを見た。

「平四郎君がわたしの飲んでいるドリンクの味が知りたいって言って、わたしのドリンクを飲んだんです。わたしが飲んだストローで……。ああ、思い出しただけで、わたし、倒れそうになります。そして、平四郎君が自分のジュースを差し出したから、わたし、わたし、平四郎君の口を付けたストローでジュースを飲んでしまったです! ああん、わたしとしたことがはしたない……。ねえ、ミート。平四郎君、わたしみたいな、はしたない女の子、嫌いにならないよね?」

 ガクっ。

(小学生か!)

 相変わらず、メンドくさい。脳内天気が青空で雲一つない。フィンらしいと言えばそうだが、普通に見たら、このお嬢様、ちょっと危ない。

 ミート少尉は(やれやれ……)と両手をあげた。多分、平四郎も自分のジュースをフィンに勧めて、彼女が恥ずかしそうに口を付けた時に関節キスと気がついて固まっただろうと容易に予想ができた。狙ってやるほど、平四郎が女慣れはしていないとミート少尉は確信していた。

(それにしても……)

 ミート少尉は空獣を討伐した経緯を思い出した。

(仮計測で999万という数字を出した魔力。あの源が平四郎だったとしたら)


 帰ってきてから平四郎の魔力を測ったが0であった。あの強力な魔力が消失しているのだ。だが、空獣に100連発の攻撃を加えて倒したことは事実なのだ。

(平四郎が異世界から来た英雄であることは間違いないようようね。となると……伝説ではフィンが最後の勝者になる。この世界を救うのはこの子……。このメンドくさい娘がねえ……)

 ミート少尉は思わず、クスッと笑った。

「まあ、フィンが平四郎に熱を上げるのは分かるけど、でも、あなたの置かれた立場を思い出してね。私たちの目標は……空獣を皆殺しにしてこの世界を救うこと」

「そ、それは分かってるです……」

 大きな枕を抱きしめ、足でギュッと挟んでベッドでコロコロ転がって、昼の間の平四郎とのシーンを思い出して妄想にふけっていたフィンは急に起き上がり、女の子座りをして、悲しそうに枕に顔をうずめた。

 ミート少尉は傍らに座り、そっとフィンに近づき体を寄せた。これから彼女が味わう困難を思って、ミート少尉はギュッと彼女を抱きしめるのであった。

                 *

 ミートがフィンと出会ったのは軍の幼年学校であった。それは民間の小学校に当たるところで9歳から入れるところだ。ミートは父親が軍人だったこともあり、父が飛空船の事故で亡くなった時に、母親の反対を押し切って初等学校から12歳で編入したのだ。軍の幼年学校であるから、貴族の子弟や軍人の子供が多く入学しており、さらに対空獣のパンティオン・ジャッジが数年後に始まることもあって、将来、武装した飛空船に乗って戦う女子も多数入学していた。

 そんな中にフィンが転校してきた。正確に言うと、異世界に留学していた彼女が戻ってきたのだ。ちなみに異世界への留学というのは、特殊なカプセで1年間眠ることだ。それで精神だけが異世界へ飛んでいくのだ。行き先は「英雄」がいるという「日本」という国。留学した公女は、ここで将来、自分とパートナーとなるべき「英雄」を見つけるという。 

ミートが見たところ、フィンは完全に場違いな生徒で最初に出会った時には(何でこの子が……)と思った。でも、フィンがパンティオン・ジャッジに出る公女候補だと聞いてなるほど……と思うと同時に強烈な嫉妬心が湧いてきた。

(何であんな弱虫な女が公女候補なのよ!)

 ミートは自分がこの幼年学校に入った理由から、弱虫のフィンが許せなかったのだ。フィンは大人しい性格で目立たなかった。それなのに公女候補という肩書きだから、みんなから何かと注目され、そして一部の女子から嫌がらせを受けていた。友達も一人もいないようで、いつもぽつんと一人でいた。見てくれがかなりの美形で物静かだから、男子には人気があり、それが余計に女子の反感を買っていたのだろう。何しろ、ミートを始め、この学校に来ている女子はみんな超活発系女子なのだ。ミートはあからさまにフィンをいじめることはなかったが、それでも無視していた。関わりになりたくないと思っていたのだ。

 ある時、放課後、一人で教室に戻ってみるとフィンが泣きながら破れたノートを集めているのを見た。どうやら、机の中にあったノートを破り捨てられたようだ。

(陰険ないじめをするなあ……)

 さすがにミートは、いじめているグループに嫌悪感をもった。それもあって普段は無視するのに声をかけたのだ。

「ねえ、あなた……あなたって、公女候補なんでしょう?」

 コクンと頷くフィン。公女候補はいい家の娘が多い。王族や大貴族、財閥の娘などだ。将来、魔法艦隊の提督になるのだから軍事的な学問を修めなくてはいけないから、軍の幼年学校に行くものもいるが、大抵は特別扱いで学校には来ないのだ。学校に行かなくても家で一流の講師を招いて学ぶのだ。

「あんた、序列は何位だい?」

 大したことないだろうとミートはタカをくくっていた。公女候補は50人。全国から選ばれている。魔力を3ヶ月ごとに測定されて、順位が入れ替わるのだ。最終的にパンティオン・ジャッジが始まる6年後に5位まで入った候補者が公女となり、魔法艦隊を率いるのだ。

「5位」

「は?」

「5位です」

「う、うそ~」

 ミートは驚いた。シングルナンバーというだけでも驚きだが、5位ということは魔法艦隊提督候補なのだ。フィンは嘘をつける感じではない。それに先日まで異世界に留学していたという。それは大変な術式魔法を使うので大勢は行かせられない。かなりの上位じゃないと行けないはずだ。となるとフィンの言っていることは本当だ。

「魔力は?」

「今は1万8千です」

「……」

 ミートは現在1800である。10倍もの開きに公女候補生の次元の違いを感じた。

(ふう~)

 ため息をつくミート。自分の目標は魔法艦隊の士官になることである。空獣を倒す魔法艦隊で自分の力を尽くしたい、空獣は皆殺しにするんだと心に誓っていた。となると、この弱虫公女候補の下で戦うことになるかもしれない。

「わたしは約束したのです。空獣に殺されたお姉さんの敵を取るって」

「へ?」

 敵と言われてミートはドキッとした。自分も父の敵を取ろうと心に誓っていたのだ。父は公式には事故死とされていたが、本当の理由をミートは知っていた。

(空獣に殺されたのだ)

 パトロール艦隊の艦長だった父は、僚艦をかばって空獣の攻撃をまともに受けて艦ごと破壊されて戦死したのだ。だが、国民に真実を知らせない政府によって、本当の理由は伏せられたのだ。父の戦友から偶然に聞いたミートは、いつか父の敵を取るのだと思っていた。同じ理由をフィンももっているのだ。

「わたしは生まれつき、魔力が強かったです。公女候補なんて言われて迷惑だと小さい頃から思っていましたです」

 そう言ってフィンは語りだした。二年前に空獣に襲われて一人だけ助かった出来事を。ミートはその事件を知っていた。この国の第一王女様も巻き込まれた事故だ。空獣に襲われたという噂もあったが、飛空船の故障というのが正式な見解であった。だが、空獣の仕業といってもおかしくはない。それにあの事件は一人も生存者はいないことになっている。だが、フィンが生存者だと言う。

(これも国民のための情報統制なのか……)

「あなたにやれるの?」

 何でこんなことを言ってしまったか今でもミートは分からない。そして、いつもはおどおどしているフィンが堂々と答えた言葉も忘れられない。

「やれるでちゅ……」

 噛んだ。明らかに噛んだ。顔を真っ赤にして「やれるです」と訂正したフィンをこんな面倒くさい奴だからいじめられるんだと思いつつも、ミートはフィンの手を取った。なんでこんなことを口走ってしまったのか、今でもミートは不思議に思う。メンドくさい展開に自ら飛び込んだのだ。

「あなたに協力するよ、フィン」

「メート、あ、ミートさん……」

(めんどくさ~っ!)

 めんどくさいがある種の感情が勝った。母性本能。ミート・スザクのふくよかな胸に象徴される母性本能が解放された。『守ってあげたい』という感情だ。

「ミートでいいよ」

 その日からミートはフィンの友となった。入れ替わりの激しい公女候補のランキングもフィンは一度も5位から落ちることなく、また上がることなく今に至っている。正直、自分が友としてフィンを支えなけれれば、第5魔法艦隊なんて編成できなかった。何しろ、この第5公女は戦闘にはさっぱり才能がなく、提督の職務を果たすなんて到底できないのだ。家もそんなにお金持ちでもなく、金の力で人材や装備、艦艇を整えることもできなかった。フィンは異世界で出会ったという一人の男のことを嬉しそうに話す普通の女の子なのだ。

                  *

(その男が平四郎。とんでもない英雄……。フィン、あんたの男を見る目だけは立派だわ)

 異世界日本には、他の公女も行っている。あのマリー王女が見つけられなかった英雄候補を見つけた時点で、フィンがこの世を救う救世主ではないかと思ったが、単に大人しいくせに男好きの要素を持っているフィンが、たまたま見つけただけではないかとさえ思っている。

 この娘。大人しい顔をしているが、結構エロいのだ。平四郎のことを語らせたら1時間でも2時間でもしゃべっている。まあ、エロ話も平四郎との絡みだけであるが。

「フィン、もうそろそろ、バイトの時間じゃなくて?」

「そ、そうね。今日はデロンの酒場のステージだったです」

「フィンもアイドルのリリムちゃんほどじゃないけど、この首都クロービスじゃ大人気だから、お金も稼げてラッキーだね」

「いえ、恥ずかしくてわたしは死にそうです。でも、みんなのためにわたし、頑張るです」

 ミート少尉は自分が仕える親友と一緒にバイトをしている。正直、自分の趣味ではないバイトだが、お金はたんまりと稼げるのだ。


「で? なんで僕がナセル、きみと酒を飲んでなきゃならんのだ?」

「まあまあ。そんなこと言わないで、この地ビール、きゅっと体にしみこむ。どうだ、平四郎。この国に来ての感想は?」

 平四郎はジョッキ入った地ビールをググッと飲み干すと、もう一杯注文する。この異世界にビールがあってよかったと平四郎は思う。ちなみにこの世界でも酒が飲めるのは18歳からだ。平四郎は酒好きではなかったが、酒には耐性があった。何杯飲んでもなぜかほろ酔い加減である。しかし、なぜ、こんな状況になっているかというと夕方に平四郎の部屋にこのナセルがやってきて、一緒に飲もうと言って、乗り気でない平四郎をこの酒場へと連れてきたのだ。

(畜生、今日はこいつにおごらせてやる!)

 平四郎はそう思って、酒のつまみに頼んだ野生ブタのモモ焼きにかぶりついた。

 ジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。香草の香りとこんがりとした焼け具合が絶妙である。昼にフィンと食べたラーメンみたいなものもうまかったが、この世界の食べ物は平四郎が元住んでいた世界のものと変わりなかった。

「で、ナセル、なんで僕をこの店に誘ったんだ?」

「そりゃ、わかるでしょ?」

 平四郎は酒場にしてはかなり広いスペースにあふれんばかりの客がほぼ男で、給仕をしている従業員が全てうら若き女性でしかも、かなり短いスカートと胸の谷間がよくわかるコスチュームで大体察しがついていた。ここは女性のピチピチの体を眺めながら、美味しい料理と酒を楽しむ男の憩いの場だ。

 まあ、客はいやらしい目で女の子を見るものの、体にタッチしたり、下品な言葉を吐いたりはしていないので、そういうことは禁止されているのだろう。まあ、そこそこ健全さが残る店らしい。

(旦那、これくらいで驚いていちゃいけませんにゃ。その気があるなら、もっとすごいところに案内するにゃ)

 指輪に変わったトラ吉が小さな声で話しかけてくる。この猫もこの手の店が好きらしい。(猫のくせにとんだエロ猫だ)トラ吉の指輪は今も革紐に吊るして平四郎の首にかけてある。

(そんなところには興味ないよ)

(またまた、そんなこと言っちゃって。女は昼間の公女様だけじゃありませんにゃ。例えば、ほら!)

 トラ吉がそう言うと、急に目の前に来たウェイトレスさんの短いスカートが跳ね上がった。ローライズのセクシーパンツが平四郎の目の前に現れる。

「きゃ! なに? 風?」

 ものすごい目の保養をさせてもらった平四郎とナセルは、その場で氷ついたように固まった。

「へ、平四郎~っ。異世界の人間はあんな魔法が使えるのか? 今度、俺にも教えてよ~」

「馬鹿言うな。そんな魔法使えんわ!」

 多分、トラ吉の奴がやったに違いない。コイツ、妖精のパワーだとかなんて言って、きわどいスカートをめくらせるくらいの風を容易に起こせるようだ。

 ナセルの奴、エールを3杯飲んで少々、酔っ払っているのか、目の前で起きた出来事が不自然なのに気づいてない。だが、酔ってはいても今晩の目的を忘れてはいなかった。

「まあ、目の保養はこれからですけどね。このデロンの酒場に平四郎を連れてきたわけ」

 音楽が変わり、速いテンポのダンスミュージック風になった。すると店の中の電気が消えて、中央に設けられたのステージにスポットライトが当たる。そこに見慣れた女性3人が体にぴったり密着した白いワンピース(かなり丈が短い……パンツきわどい!)にハイカットのサンダルを履いてポーズを取っている。

「今晩のメインイベント!  第5公女フィン・アクエリアス様とそのご友人です!」

「よっ! 待ってました!」

「フィンちゃん愛してるよ~」

 飲んでいた客が一瞬で、歌とダンスの観客になった。大歓声の中で音楽に合わせて歌とダンスが始まった。

「あなたの~そばに~今、羽ばたいていく~」

 平四郎は思わずガクッとなった。可愛いフィンの姿の割に歌が微妙……。

 だが、こういう場のパフォーマンスは可愛ければ許される。観客は大いに盛り上がり、フィンの歌のまずさも気にならなくなる。そして、フィンのソロパートから2人の歌声が重なっていく。この2つの声は美しいハーモニーで、フィンの声を支えていく。ミート少尉とアマンダさんである。

 それぞれ、ファンがいるらしく、観客の男たちは彼女らの名前が入ったタオルを取り出して、声援を送っている。どうりでウェイトレスさんに目移りしないわけだ。

「これってどういうこと? 前から気になっていたけど、フィンは、公女様なのに庶民の世界でバイトしてるよな」

 平四郎は前にナセルから、フィンはボンビーガールと聞かされていたが、一応、貴族出身らしいし、アマンダさんというメイドを雇っているから、一般庶民よりは裕福だろうとは思っていた。それなのに自ら毎日、慣れないバイトをしているのだ。不思議としか言い様がない。ナセルが眼鏡をクイッと中指で上げてカッコつけて説明した。

「フィン・アクエリアス第5公女。公女に指名される前は、この首都クロービスから北に行った地方都市マグナカルタのアクエリアス子爵家の一人娘。アクエリアス子爵家ってのは、形ばかりは貴族だけど、父親は地方大学の教授でね。普通のサラリーマン家庭のまあちょっとだけいいところのお嬢さんなんだよ彼女は……」

 ナセルの奴、酒に酔ったのかフィンの身の上話を始めた。平四郎はフィンたちのダンスパフォーマンスを見ながら、動くたびにチラチラ見えそうなパンツ(もちろん見せパン)に気が散りそうになるが、それでもナセルの話を聞く。

 公女に選ばれたフィンの生活は一転する。旗艦レーヴァテインは与えられたものの、2隻の高速駆逐艦とその維持費、運用にかかる費用が簡単に捻出できない。一応、支度金と毎月の手当は支給されるが、どんなに切り詰めても赤字になるお金が毎月30ダカット(平四郎の概算による日本円で、30万円!?)

 しかも、お金がかかるので乗組員としてプロは雇えず、友人(ミート少尉、ナセル少尉)や後輩(プリムちゃんにパリムちゃん)、家の使用人(アマンダさん)。パトロール艦隊からスカウトしたカレラ中尉だけ一応プロに分類される。一番お金がかかったのが平四郎の召喚で、これには戦列艦1隻分のお金を費やしたらしい。

 金額にして10万ダカット。最初に支度金からこれを捻出したのだ。おかげで第5魔法艦隊の陣容は貧弱になってしまった。平四郎は異世界から連れてきたから、給料は大していらないのが幸いしたが、通常、この規模の艦隊の人件費で毎月の持ち出しが1000ダカットというのが相場であった。

 だからフィンの第5艦隊は相当に節約をしているのだ。それでも毎月日本円にして30万円の赤字を補填するために公女自らがアルバイトをしているというわけだ。普通、小娘がアルバイトしてもまともな仕事なら月に30万円も稼げないが、ここは世界を救うかもしれない選ばれた公女の知名度を使ってバイトしている。だから、チップやフィン見たさに来る客の宣伝費込みで、なんとかかせいでいるというのが実情であった。

 平四郎は恥ずかしさを我慢して、踊っているフィンを見て心が締め付けられるようであった。あのフィンからもらった12枚の金貨は、彼女が朝早くからホテルでウェイトレスをしたり、夜に酒場でこんなパフォーマンス(いいえ、けっしていかがわしいものではありません)をしたりして稼いでいるとは夢にも思わなかった。

 自分が泊まっているホテルの宿泊費も、食べている食事も彼女が出しているのだ。

「フィンちゃん……」

 歌が終わり、決めポーズを恥ずかしそうに決めたフィンは、その視線の先に平四郎を見つけたようだ。みるみる顔が真っ赤になってしまう。慌てて両手で顔を覆ってしまう。

「どうしたの? フィンちゃん!」

 観客から声がかかる。

(へ、平四郎君に見られたです。恥ずかしい~。こんなはしたない格好、見られちゃったです)

 それを見ていたミート少尉はメンドくさい状況になったと平四郎の横で酔っ払っているナセルをにらみつけた。

(ナセルの奴ね。あれほど、ここには来るなって言ったのに。しかも平四郎まで連れてくるなんて。あとでシバく!)

 目をらんらん輝かせている。それを誤解したのか、ナセルの奴、

「平四郎、見たか? ミートの奴、俺に熱い視線を送っているぞ。よし、決めた。俺はミートと結婚する。フィン公女は平四郎に譲るから頑張ってや」

「大きなお世話だぞ」

 平四郎は舞台で固まってしまったフィンのことが心配で、フィンの方を見る。その場でうずくまって泣いている感じである。

(いかん……空気が重くなるぞ)

 だが、この姿が観客にまた受けた。世界を救う運命を背負った公女様が、弱虫キャラとはある意味『萌え~』である。

(いや、それじゃ、世界を救えないだろう!)

「頑張って。フィンちゃん! 応援しているからね」

「世界を救うのは君だ!」

 観客が金貨や銀貨をステージに置かれたツボめがけて一斉に投げる。今晩のチップである。ステージに明かりに反射し、キラキラ光る金銀を見ながら平四郎は酔っ払ったナセルを引っ張って店の外に出て宿舎へと向かった。

(フィンちゃんがあんなことしてまで頑張っているんだ。パンティオン・ジャッジがどういうものか、まだ分からないことが多いけれど、僕はフィンちゃんのために全力を出したい)

 平四郎は心の中でそう強く思った。

「旦那~。その気持ちが本物ということは、相当、あの公女様に惚れてますにゃ」

 ンダントとしてぶら下げた指輪が変化しトラ吉が煙と共に飛び出した。ナセルは酔いつぶれているので、ソファに寝かせておく。

「ああ。彼女のことがすごく好きだ」

「だとすると、旦那。相当な奇跡が起こらないと旦那の恋は不幸な結末を迎えますにゃ」

「ど、どういうことだ? そりゃあ、フィンちゃんが僕のことをどう思っているか分からないから、振られるかもしれないけれど……」

「そういうことじゃないにゃ。パンティオン・ジャッジは世界を救うまで続くバトルロードだにゃ。」

 トラ吉は、自分を買って救い出してくれた異世界の青年のことが何だかすごく気に入ったようだ。トラ吉が考えるまでもなく、公女もこの異世界の青年のことが好きなのだろう。でなければ、自分の旗艦の艦長にするためにわざわざ召喚したりしない。異世界からの召喚には結構な費用がかかるのだ。あの公女様は、そのために戦列艦を買うべき支度金をはたいたのだ。

「まあ、オイラが教えなくてもすぐ分かるけどにゃ。明日の城のセレモニーが始まれば……。旦那に活路があるとすれば、旦那自身が英雄として責任を果たすことにゃ。まあ、それがこの世を救うパンティオン・ジャッジの目的でもあるからにゃ」

 トラ吉はそう言い、ベッドの下に作った専用のダンボール箱に入って丸くなって寝てしまった。夜はふけている。平四郎も眠くなった。先ほどのフィンの可憐な姿を思い描きながら、ベッドの枕を抱えて眠りに落ちた。

 この世界『トリスタン』に来て、100日間が過ぎようとしていた。

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