PARAFICTION-Ⅱ
結果、<SCTE>で生まれたあなたは不完全でした。垂水純玲になった時は垂水さんを多少言い負かした手応えがありましたけど、あなたを相手にすると分が悪くなり、妄念の閉鎖空間で自己満足に浸るしかなさそうです。
他者のための純文学兼ライトノベルを書くと、あなたは宣言されました。<SCTE>の菅野庵は無理だと否定していましたが、私は可能だと見做していまして、事実、理想なる小説を既に目の当たりにしている気分であります。
斜に構えた先鋭的な作風でも、これこそあなたらしいライトノベルの世界です。自殺願望に逃げた情報工学少女を言葉で救う文学少年のセンチメンタルなストーリーです。味気ないデートや御嬢様気質の幼馴染で補完しつつ、限りなく現実に等しいフィクションを軸にあなたは小説を書き、私に書かせました。
直ぐには世間の評価を得られなくても、絶対にいつの日か、あなたのライトノベルは報われます。それで『三位一体なる冥園』の屈辱は果たせますし、私の<ND-LILY>と<SCTE>も安心してプログラムを破棄することでしょう。
御自身の物語こそ、ライトノベルを補強し得ます。万人に好まれる解り易いプロットは、自己愛の骨組みで確りと固められているのです。あなたは恥ずかしいことだと顔を背けるかもしれませんが、私は大賛成です。あなたへの恋心は現実に於いては不完全でも、せめて小説内=存在の私には恋愛成就の神様と会わせてやってください。
どうでしょう? 今度は私があなたの真理を汲み取ってみました。御返しをしなきゃです。加えて垂水さんの本心も曝け出させてもいいのですが、流石に野暮ったい行為なので止めにします。
私が小説を書けなくなった時に初めて、<SCTE>の菅野庵に勝てたと言えます。実際は……彼の支配はまだ継続しているみたいです。あなたに支えられてばかりで情けなく思いますが、もう少しだけ……あなたからの援言をいただけますでしょうか。
<貴女の覚悟は整いましたわ。わたくし達の世界自体がメタ構造の一つだったとしたら、貴女と彼は祝福の接吻をしてもいいのだけれど、わたくしにとっては此処が現実だから、貴女が完全に<SCTE>の支配から逃れられる方法は別で頼みますわね>
きみは僕の内界を確実に覗きました。お尻の穴を見られたような羞恥を感動で抑え、きみと同じように文筆でのコミュニケートを声音に変更させていただきます。それに、これ以上鉛筆を動かしてしまうと腱鞘炎になっていたかもしれませんので。
出口の無い迷路で彷徨していた僕は、きみの情報工学に頼り、最終的にはそれを踏み台にして新たな地平へと登り詰めようとしています。きみは<SCTE>に精神をリライトされて、僕に向けた<SCTE>の目的を喪失し、ライトノベル調の文体が全く無視される結果にはなりましたが、僕が居るべき境地へ導いてくれたのは誰でもないきみだと断言し得ることでしょう。
超現実を塗り替える超現実は、此処という現実にありました。純玲ちゃんが言ってくれたように、僕はリアリストであり、リアリズムの追究をせねばなりません。零の経験をいくら積み重ねても零のままですが、一の経験を含有すれば丸い空虚な穴に実体が生まれます。
単純な理にも拘らず僕が認知しなかったのは、僕が現実との間に意図的な隔たりを設けていたからであります。乏しい人生経験を補完する為、シュルレアリスムへの拘泥を決意したのです。その結果は零でなく、新人賞受賞というプラスに転じましたが、直ぐにマイナスへと落ち込みました。
様々な方々に怒られるような発言をさせていただきますが(編集者の木津さんや純玲ちゃんは察していると思うけど)僕はライトノベルという作品形態を著しく見下していました。初期のオートリライトで生まれた作品を読んで、反吐が出ました。現実を恨む読者層との共通点は無くもありませんが、御都合主義の世界観アレルギーになった僕は心臓全体が発疹したような苦痛を覚えました。
稚拙な文体と浅はかな欲望で社会的弱者の共感を呼ぶドリーム小説に釣られる者は、まともな恋愛や青春を体験せず、私室に籠っては男子の共通認識である自らへの慰め方で一時の快楽と永久の寂寥を感受する底辺であると僕は見做していましたし、僕はその底辺の下を潜る最々下層の人間であることも自覚していました。
けだし、暴論かもしれませんが純文学とライトノベルの目的意識はそう変わらないような気がします。言語世界での恩寵を受ける対象が作者本人か読者かで違ってきますが、現実から離れたい願いは同一です。
であれば、ライトノベルを書くのにも現実主義が足枷になるのでは、と疑いたくなるところです。一般的にはリアルを逸脱した異世界ファンタジーや、思春期の男子が思う理想を盛り合わせたラブコメがライトノベルのイメージになりがちですが、仮にアトウイオリが純文学から離れてライトノベルの戦地に降り立つとするならば、ノンフィクションの弾丸で兵士を撃ち殺すことが肝要となります。何故なら、僕がきみと共通したこの現実こそ、最大なるエンターテインメントとファンタジーの物語が満ち溢れているからです。
運命や宿命という言葉は正直好きではありません。ましてや、安易に登場する奇跡の二文字は十字抹殺したいくらいです。でも、今の僕は声を大にして言えます。僕と純玲ちゃんときみの三人が出会えたのは運命であり、奇跡です。
もしも僕等の世界が一つの小説作品に収められるとしたならば、理想的な終着点へと向かうクライマックスに移行しているはずです。露骨なメタフィジカルアンサーに困惑する<読者>もいるかもしれませんが、悪い意味で期待を裏切らない終末になることを僕が約束しますのでどうか最後まで見守っていただきたく存じ上げます。
蛇足を挟んだ持論で恐縮です。結句、僕がきみに望むこととしては……簡明なる実存協同の容認であります。その表現こそ簡明ではないので換言しますと、どうか僕と(純玲ちゃんの願いも考慮すれば、僕達と)共に人生を歩んでいきましょう、ということです。
死ぬなんて言わないでください。きみの視圏に移る世界は醜く濁っているかもしれせんが、きみの匙加減で瘴気は浄化され、清澄な空気のヴェールで装飾せられた街が出迎えてくれることでしょう。騙されたと思って、生き延びてみては如何でしょうか。僕と純玲ちゃんがきみを後悔させないようについておりますので、生死の彼岸を跨ぐ寸前まで御検討御願い申し上げます。
<過去と未来のない、濃厚な現実に帯びたこの小説は現実を随時更新していく。小説内=存在と現存在の実存協同はノンフィクションの次段階……<パラフィクション>の達成を信じて已まない>
扉が開かれ、警官だったはずの者に麻縄を切断された。彼が所持しているのは、善と悪が混淆したような彩色の
「<錯綜の少女>を<観念の匣>に監禁させたのはお前だな」
血の通った低い声で告げたのは、ぼくではない僕だった。警官役に偽装して物語に紛れ込んだか。主人公面をしようと無駄だ。この脚本はぼくが書いているから!
「それが傲慢だと言うのだ。お前はシュルレアリスムの概念を過信し、驕った態度をとっている。だから僕との分離に不満を懐いているんだ」
他者分析に見せかけた自己分析は空しくないか? 可哀そうな僕だ。純文学を裏切った僕はぼくが始末しなければならないな。
「その決意も独我とは無関連だ。お前は人工知能で平板化された感情に操網されている。刃物で脇腹を抉られ内蔵を損傷しても、痛がっている振りをするだろう。人間足り得る立証は不可能なんだ」
馬鹿なことを。刺せるものなら刺せばいいさ。ぼくは死なない。菅野庵の世界を掌握しているぼくは死ねないと約束されている。死ぬのはお前だ。ぼくではない僕が気狂いだ。自己殺害未遂でぼくの代わりに隔離病棟で一生を過ごせばいい。この××××××野郎!
「お前への考察は訂正させていただく。シュルレアルリライトが拘泥しているのはシュルレアルではない。ストゥーピッド(愚者)だ。砂場やブランコで戯れた生物以下の存在に上書きされたんだ」
偽物の菅野庵が何かを喋っているが、無益なノイズでしか聞こえない。不愉快な相手を殺して処分するのが妥当であり、麻縄は無いが右手に丁度拳銃があったので銃口を正面に向けた。警察はぼくだ。ぼくが警察だ。ぼくが未来を左右する規範だと証明してみせる。
「薄っぺらい新世界の神だな。コンビニでも売られているような大学ノートに僕の名前を只管書き続けて、藁人形と纏めて五寸釘を打ちつけた方がまだ有意味じゃあないかな」
余裕綽綽な僕の顔が憎く、引き金にかかっている人差し指に力を込めた。それで僕は死ぬはずだった。
……はずだった? ぼくは何を言っているんだ? 鉛弾で菅野庵を殺す運命は確定しているとの認識なのに、何故ぼくは叶えようとしない? どうして菅野庵を撃ち殺せない? ぼくの腕は……。
――<SCTE>の菅野庵は、私に手首を捻り上げられては拳銃を落としました。
「……増井璃々亜! 何をやっているんだ!? きみはぼくを好きでいてくれたじゃないか!」
ゆくりなく出現した女性の名前を叫び、ぼくの状況が危ういことを予知した。
私が始末するべき相手なので、抽象の舞台へ登場させていただきました。私達の物語は混沌を極めています。果たして、現在語っている私は原稿用紙を基盤に次なる現在へと移行しているのか……あなた乃至私自身の言葉で紡いでいるのか……私の内界で繰り広げられていることなのか……不透明なまま進行しているのです。
「最も現実的なのは三番目の仮説でしょうか。僕はもう一人のぼくが仮想した菅野庵らしいです。だから僕の責務はきみ達二人を招来させる処までですけど、後は自己完結された戦争の行方を見守ると共に、きみの超克が為されるよう応援させていただきます」
崖の淵に立たされている私を微笑で励ましてくれるあなたは、
私が憧れていたのは、確かに<SCTE>の可能性です。だけど今は、現実を愛せるようになりました。<SCTE>の夢は夢以上のことは期待出来ず、生きることにしがみ附く私の本心を引き出すためにあったと言って良いでしょう。
改心した増井璃々亜は、汗ばんだ手でぼくの手首を強く握り続けている。
「増井璃々亜は其方の僕と心中して、ぼくは用済みという訳か」
理解し難い彼女の心変りに、ぼくは憤りを隠せないでいる。でも、ぼくはどうしてこんなにも怒っているのだろう。
「お前が僕達と会ったことに、意味はあった。慰めるつもりは無いが、<SCTE>の菅野庵は僕の弱さを全て引き受けてくれたとも解釈できる」
そして……声をかけてくれる菅野庵を見て、どうして泣いているのだろう。自分自身に対する情けなさ? 怒りでしか自己表現できない拙さ?
……いや、そうではない。感情の波を荒くさせる理由を見い出せずにいる……悲しみ……そして、その悲しみに対し何を以って悲しいと判断する起因を失ったことに依る悲しみ……そして、その悲しみに対し何を以って悲しいと判断する起因を失ったことによる悲しみ……そして、その悲しみに対し何を以って悲しいと判断する起因を失ったことによる悲しみ……原因不明のエラーは循環し、始まりも終わりもないメビウスの輪でぼくは走り続ける。
人間らしさとは結局何でしょうか、と私は情報工学者らしい疑念を今更になって表しました。
「死生観が一つの基準なのかもしれません。死に対して鈍くなっていたきみは、その鈍さが<SCTE>のシュルレアルリライトに奪取されたことで生への執着を生み出した、という考え方には無理があるでしょうか」
八割方賛成させていただきます。
「残りの二割にはどんな不満が?」
不満とは違いますが、あなたがシュルレアリスムに偏り過ぎた成れの果てという見識も採用できるかと(一方で<SCTE>の菅野庵は天井を見上げて電源が切れたように停止しています)。
「そういう見解なら、互いの割合を入れ替えた方が適切ですかね」
かもしれないです。私の研究はまた、失敗しましたね。
「<SCTE>の執筆は確かに不完全でしたが、現実の僕等に良い意味での影響を及ぼした点では、ある種のリライトと言うべきではないでしょうか。未熟な科学者と小説家が苦渋をなめさせられても生きる方法を探す上では、失敗はつきものです」
あなたは本作品の脱稿を経て、干支二周分ほどの精神年齢を積重ねることでしょう。私達の過去と既在と未来の全てを読者が待望する物語に潤色させ、ライトノベルの世界観であなたの才能が発揮されることを期待いたします。
「期待されるのは嬉しいですが、まだまだ修正は必要ですね。文体が固過ぎます」
苦笑を浮かべるあなたは、<SCTE>の菅野庵を連れて病室から抜け出しました。追う私も扉から一歩外へ踏み出すと、擂鉢状の雪壁に囲まれた山奥にいました。唐突な場面転換は最早驚くべきことではありませんが、フカフカの白いクッションに足を取られる雪の冷たい感触には幾許か戸惑っております。
この場所を見た覚えがある。ぼくの記憶がざわつき、デジャヴの正体を見破る証拠を探索している。
「旅の最終目的として、お前と僕が選んだ虚妄の地だ」
ああ、そうか……ぼくはずっと、自分自身が書いていた小説の影を追っていたのだ。此処は『三位一体なる冥園』を手掛ける前に書いていた……『苦界』か? 『相入相即』や『空有的存在』にも雪山を背景にさせた気がする。そのどれかだ。
「此の地で二人の少女が絶命するはずだった。でも、お前と僕は生かした。何故だか解るか?」
決まった話さ。主要登場人物を殺したら、それで物語は終わる。天地創造の杖で調整するのは作者の仕事だ。
「違うな。誰かを物故させても物語は続く。最悪、生き返らせればいい。実際にそうやってきたことをお前は知らないはずがない」
僕に図星をつかれ、その次に言われることへ恐れなく先駆した。
「お前は此処で死ぬ。それで世界は前進する」
「ぼくは此処で死ぬ。それで世界は前進する」
エンディングへの答えは見つかったようですね、と<錯綜の少女>は感慨深げに呟いた。念のために訊いておくが、<錯綜の少女>は死ななくていいんだな?
「ええ。<SCTE>の菅野庵を殺害する罪を背負い、情報科学者として大成することでシュルレアルリライトの死を報わせる所存です。酷い過ちを犯しましたが……自分の脳を他覚化させ、脳波に依る人格変異の実証は無駄にはなりません。私に欠落していたのは知性ではなく知能であり、シンギュラリティに間違ったものを求めていたのです。然し、私は同じ轍を踏みません。現実のあなたと一緒に生きていきます」
彼女は<錯綜の少女>から離脱し、燃えるような瞳で銀世界に温かい熱を配分する。<観念の匣>の中に在る必要がなくなり、彼女の言語は具象化された鍵括弧で区劃されているようだった。
「僕も璃々亜さんが立ち直ってくれたことに背中を押されて、アトウイオリの存在意義を確立しなければならないのさ。だからこれは……シュルレアリスムの独我であるお前との決別を意味する」
お前の最後はお前で選べ、と僕に命令された。反抗する敵愾心は空っぽで、僕の思惟は理想とされるエンディングを模索していた。ぼくが死すべき死とは何か? 何に依存している?
ぼくの本懐であるシュルレアリスム……フィクションを約束するマギッシャーレアリスムス……フィクションを難渋にさせるメタフィジカリズム……ロマンを秘めるラブスプレマティズム……様々な選択肢がぼくを手招きしても、分岐された路は死神が待機している一点に集約されているから結局何も変わらないのか……?
「――いや、昇華を望める路は在る。僕と璃々亜さんはお前を消滅させることを目的としているが、自らの手で命を奪うことから逃げている訳じゃあないさ。僕の創作から生まれたぼくに死を選択させることに、総合的な菅野庵は何を期待している?」
僕の箴言で、長らく残存していた懐疑が抹消された。
ぼくが増井璃々亜の死を代理する存在であったのは、過去の妄執。
ぼくが理由なき死を強要されたのも、過去の妄執。
此処にいるぼくをぼくが自覚しているだけでは、夢幻の墓石に頭部を潰されてしまうだろう。
「ぼくが死ぬことは、現実の菅野庵と増井璃々亜の死を意味し、二人の再帰を意味しなければならない……」
死の意義を悟ったぼくの後ろから、一つの存在が迫ってきている。菅野庵と増井璃々亜は正面にいるから、背後のは三人以外の<何か>なのだ。
でも、僕の眼はずっと二人を捉えていた。そうすることが義務であり、二人の死を意図するための行動だった。背後の<何か>がぼくの横を通り過ぎた瞬間、首筋がひんやりとして胸部に大きな穴が穿たれた感覚がしても……ぼくは二人を見ていた。大量の血が噴出されたのか魂を抜かれたのか詳細は解りかねるが、目を細めて悲哀に満ちた白皙の表情二つを確認できれば充分であり、<錯綜の少女>を超越した情報工学少女と、彼女を最後まで支えられた文学少年の死を預かり、代わりにぼくが<観念の匣>で眠ることにする。
《観念の匣・錯綜の少女 (了)》
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