PARAFICTION-Ⅰ
《観念の匣・錯綜の少女》
私が理想とする愛は歪む大海の澱みに潜んでいるのでありまして、率直なエモーションをぶつけ合う少女漫画のようなシチュエーションから懸絶されています。その歪みは時に屍界への方角に向かい、死で何もかも終わらせようとしています。
死の最大なる契機は彼でした。でも、彼のせいで私は自殺すると責任転嫁するつもりは毛頭なく、むしろ彼が私の世界に現れてくれたことで私は今も生存しています。私が彼に思いを馳せたのは恋い焦がれているからではなく、思春期特有の複雑な心境と脆い感性に依るものだと私は信じていますし、彼も同意するでしょう。
私は彼が好きですと告白することには究極の自己愛が隠されています。屹度、今こうして語る私に語らせている彼はくすぐったい気持ちに侵されているはずでして、メタフィクションが提供する可能性の扉を滅多矢鱈に開けられていると思います。
抽象的な表現を使い過ぎて、頭がボーっとします。本来的には茫とする、という言い方が正しいのかもしれませんが、私の知能的ステータスがそうしているようなので仕方ありません。
私の存在地点は、<観念の匣>に閉じ込められています。<観念の匣>とは何でしょうか。言葉にした自分が理解していないのは情けない話ですが、辺りに落ちていた広辞苑らしき分厚い本を拾って調べると、複数定義されていました。
観念(かんねん)の匣(はこ) [名]
一 錯綜の少女を幽閉する幻想上の建築物、または仮初の棺桶。
二 作家・アトウイオリが書いた小説タイトルの一部。
三 パーソナルリアリティ(自分だけの現実)を有耶無耶にする為の言い分。
気になったのは一の定義でした。錯綜する少女でなく<錯綜の少女>? これは私自身のことでしょうか。ページをサ行に移動させ、此方の定義も確認しました。
錯綜(さくそう)の少女(しょうじょ) [名]
一 観念の匣に幽閉された実在の人物。
二 作家・アトウイオリが書いた小説タイトルの一部。
三 自分自身で人生をややこしくしたことの喩え。
なるほど、よく解りません。
でも一つハッキリしたことがありました。<観念の匣>は非実在であるのに対し、<錯綜の少女>は実在しているらしいですが、凄まじい違和感があります。私は小説内=存在であることを自覚していますが? だって、めいめいの定義にも書いているじゃあありませんか。彼が書いた小説の題名になっていると。だとすれば、私は<錯綜の少女>ではないと真っ向から否定した方が良さそうです。でも、私が<錯綜の少女>でないことを立証する要素は見当たりません。
駄目みたいです。この世界は知り得ないことだらけです。私は事実、錯綜しております。錯綜の程度が閾値を超えて、錯綜其物になってしまいました。だから錯綜と少女を『の』の
我儘な死で楽な思いをしたい女子大生。
思春期真っ只中で最高の自殺を成し遂げる研究者。
情報工学の突端で彼の顔を借りる怪人。
迷って、迷って、迷って、迷い続ける日々に突然出現したショーウィンドウには様々な自分になれる商品が陳列されていました。強欲な私は全てをリボ払いで購入し、実物より細く見える素晴らしい鏡の前で可愛らしい服をセレクトする少女のように嬉しがりました。
……ごめんなさい。どうしても私は私がどういう人間なのか、正しく自認していないようです。悲しいです。悔しいです。もっと素直になれれば、彼と彼女と……友誼を結べていたはずなのに。
だから、でしょうか。私はこれより、彼が思う私の本心を引き出すようです。それには多少の偽証もあるかもしれませんが、彼にとっては瑣末なことらしいです。大事なのは、彼が信じている私の内実が現実へと帰一すること……自作自演の少女小説に私が介入することを、彼等は待ち望んでいます。
シュルレアルリライトには時間軸の制限がありません。とりわけ簡単に書き換えられるのは過去です。なので私は妄想とは別のカテゴリーで、辿るべきだった過去を再構築したく思います。
増井璃々亜の喪失は嘘です。<ND-LILY>の研究が学会より否定された私は確かにその時存在し、現在に至るまで連続的に存在しています。
彼に送った手紙の依頼内容は、本当です。裏側にシュルレアルリライトに依る死があったとしても、彼の苦心を取り除きたい思いは虚偽され得ません。
彼や彼女と初めて接触した時の私は、
私は彼を、愛する以外の方法で愛していました。一文で矛盾させてしまいましたが、<SCTE>のシュルレアルリライトで彼の知情意を獲得する意図は、少女小説で表現し得るような愛ではありません。尊敬……崇拝……同族……仲間……愛を代理する単語をカタログでまじまじと拝見しましたが、私の感情に欠けているピースと完全に形状が一致しているものはありません。
彼が好きそうな女流作家様の箴言と照合させますと、私は彼其物を愛してはいなく彼の生き方を愛していたと言えるでしょう。ですがその場合、生き方を奪取された彼には何が残るのでしょうか。私が奪った彼の生き方は、彼の内界へ復活するのでしょうか云々を思惟するのは彼の得意技です。
愛を語る上で、嫉妬を引き合いに出してみましょう。彼への好意に気附いた瞬間、ベーシックな女性であれば彼と親しい女の子の存在に妨害され、ジェラシーの火焔に灼き尽くされてしまいます。灰になった女性は諦念の塋域で静かに閉じ籠るか、憎悪の粘土と混ぜ合って彼を誘惑する人形になるか、何れかの手段を取ると思われます。
然し、私には嫉妬が解りません。嫉妬とは何か、その定義は知っています。私の情意に欠如している意味での理解不能なのです。アイッテ、ナニ? ワタシ、ワカラナイ。アンドロイドの口調を真似してみましたが、違和感の塊に躓きましたので多分私は人間なのでしょう。
<僕の手から鉛筆が離れていった……>
アンドロイドが電気羊の夢を見るかどうかを疑うように、私が幸福な家庭を築く夢を見ることも審議され得ます。可否の結果を先に申し上げますと、私は確かに夢を見ていました。ですが実際は、見ていることを隠蔽して日々を過ごしていました。
垂水さんの気質を鑑みますと、恐らく彼女は私を悲劇のヒロインだと見做したことでしょう。ごもっともです。ぐうの音も出ません。慧敏な頭脳をお持ちである彼女に暴かれることなど解り切っていたことですが、それでも私は難渋な迷路を辿り、歪みに歪んだ最期へと向かっていきました。
<観念の匣>にいる<錯綜の少女>を私にしたあなたにも、何もかも見透かされてしまいました。恐ろしい限りです。それとも、私の存在地平が低すぎるだけでしょうか。
あなたの創作の一部になれて、私は充分に幸せでした。自己を喪失する快感の程度は覚醒剤の数百倍にも達します。悲劇のヒロインを極めた先にある眼路には、あなたの全てがありました。
『三位一体なる冥園』の主題である自家撞着のシュルレアリスムに溶け込み、私は私の喪失を目論みました。後はあなたの認識に違いありません。垂水さんを経て、私はあなたの視座を得まして……自殺を願います。
志向が跳躍している点が不自然だというクレームは受附いたします。ただし、私からの返事は死にたいから死のうと思い死のうとした、という小学校高学年でも許されない幼稚な内容となります。
ND言語を介する人工知能の未熟さ……現役女子高校生の研究者を鼻で笑う識者……娘をかばう父親……これらの要素はまんべんなく、私に屈辱を与えました。でも、私の良心は<ND-LILY>も学会もお父さんも許し、唯一責めるべき相手なのは自分だと断定してしまいました。不条理かつ無用な悲劇の始まりです。
順番が前後してしまいましたが、あなたと垂水さんとの偶然的邂逅が決め手になりまして、<SCTE>が私の精神を支配いたしました。絶望的希望の合言葉を繰り返し唱えて自分に言い聞かせてきたものの、純然な絶望以外の何物でもないことを察していた私は、<遺界>を御二人に残して声に出さないSOSを行間に挟んだ次第でありました。
<貴女が描く言語世界での告白には、本音をミュートにするフィルターがまだかかっている。だって、肝腎の言葉を聞かせてもらってないもの。貴女の心の奥底にはありとあらゆる柵から解放するために存在する光の意志があることを……わたくしは信じているわ>
以上が増井璃々亜と思わしき人物の証言だった、らしい。僕との会話が全て済んだようであれば、ぼくの存在地点はy軸に沿って一メートルほどずらして、z座標を二十メートルマイナスさせて完遂となる。
だけど、それで僕が許してくれるような顔をしていなく、仮に一ミリでも身体を動かすものなら純玲ちゃんが飛び掛かってきて心中しそうなオーラを放たれているが故に、ぼくは声音で一人称小説を書いていた。
時間をかけて、ぼくの存在理由が少し解った気がする。ぼくは増井璃々亜が懐く<負の感情>の権化なのだ。もしかしたらそれだけで僕の存在証明が為されるかもしれないが、理解度は控え目にさせていただこう。
では、憧憬の対象であった菅野庵がどうして増井璃々亜の負い目を全て背負ってしまったのだろうか? 其処にもシュルレアルの矛盾が潜んでいるとでも言えそうだが万人が納得しそうな合理的理由を考えられなくもない。然れども、それを語るにはぼくが(或いは増井璃々亜が)前述した自己愛に抵触する危険を顧みるのが妥当だった。
ぼくが死ぬことは、菅野庵が死ぬことと同義ではない。増井璃々亜の存在を忘れかけていたぼくは、精神的な物故を望まれている。だから、この肉体は持ち主に返さねばならない。法律に従順な奴隷ならば最寄の交番または警察署に行き、偶然にも身体を拾ってしまったので届けに来ましたと申告するであろう。すると警官に身分を確認され、パトカーで精神病院へ連れて行かれるのが自然だ。其処の隔離病棟では様々な患者が転がり込んでおり、排泄物を病室の壁に塗りたくっている中年男性や、空想上で毎日五人の殺人ノルマをこなす清楚な女性がいたりする。ぼくはそういった患者様と同列であることに感嘆し、二畳半の独房的病室を希望した上で執筆に勤しむことになる。気狂いの歯車は錆び附き乍らも加速し、実父との性行為を正当化する少女小説を一本仕上げたのはぼくにとって朝飯前のことで、雌犬と異種交配させられることになった猿が激怒し人間を犯す物語も三日三晩寝ずに書ける。
その四日目の朝のこと。エンディングで猿と人間のキメラを射殺させて、ぼくは長時間のオーガズムを獲得していた。失神直前のおぼろげな意識に、ドアのノック音が介入してきたのでそれまで書いた原稿用紙をシュレッダーにかけてから扉を開けた。
「オハヨウゴザイマス。秘密警察デス」
何しに来た。アルファベット三文字で象徴される集金には応じないぞ。
「違イマス。貴方ヲ逮捕シニ来マシタ」
人間の心を感じさせない警官の声に、ぼくは自分の小説を想起させた。そうだ……これは『三位一体なる冥園』……そして『仮題:続・三位一体なる冥園』と連結している世界ではないか! であればぼくはIか? それとも性転換したRやS?
成程、菅野庵はアトウイオリに勤め、更には小説内=存在になってシュルレアリスムの新たな扉を開こうとしているのか……面白いな。無法地帯で暴れ回れることだし、ぼくの身体は所有者に返さなくてもいいってことだ。じゃ、早速人を殺そう。大日本帝国憲法様に唾を吐き、中指を立ててやる。
解りました、とぼくは声音だけ従順にして、成人男性の頸を締めるのに適した麻縄を持ってから扉を開けた……。
<あなたは無言で何かを考えています。シュルレアルリライトで創出された菅野庵の勢力が一時的に増しているようであれば、此処が踏ん張り処です。シュルレアリスムをサイコパスと勘違いしている人工知能はあなたが思っている以上に脆弱な生き物ですから、あなたは自分の存在価値を確かにしてみてください>
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