REALIST
常人の仮面を被っていた彼女は、<SCTE>の菅野庵ごと消滅した。僕と純玲ちゃんが彼女を挟むようにして並び、縁のコンクリートを腰掛けにしていた。
「こんな時に私は泣いた方が良いのでしょうけど、生憎涙は流れませんでした。人工知能の幻影を引きずっているのでしょうか」
その言葉通り、璃々亜さんは溌剌と笑っていた。ただし、これまでの笑顔とは違い、化学添加物が含有されていない純粋な表情であった。
「現実なんてそんなものよ。泣いてばかりのドラマと比較したらよっぽど自然な感情だわ」
「純玲ちゃんらしいサバサバ感だね」
「それって褒め言葉かしらん」
僕の悪戯心を感受したようで、純玲ちゃんは天邪鬼な気持ちを表した。
「もし、わたくし達の物語がフィクションで、監督や脚本家より個人的に寒々とする演出の要求が入ったならば、わたくし達の身体は貯水タンクの方を向いていなく、広大な空間に面している外側に方向を変えられるでしょうね」
「そりゃ、落っこちたくないからさ。この状態でも結構怖いくらいだし。背凭れがあると思い込んで浅く座ったら深い底へ転落する椅子みたいなものだ」
「加えて、ヒロイン役の璃々亜さんに厳しい演技指導が入り、大声で威圧する監督が納得するまで、泣きそうでギリギリ泣かない絶妙な感情表現の練習をさせられますわ」
「違う意味で泣きたくなりますね」
たらればの話でも璃々亜さんは嫌そうにしていた。人並みな感想(或いは偏見)で恐縮だが、俳優や女優は日々、監督の自己満足に虐げられていると推量させていただく。
「後は……伏線の未回収も脚本家の美学に反するわね。璃々亜さん、今何時?」
訊かれた彼女は、僕の左手首に巻かれている革ベルトの腕時計で時刻を確認した。「えっと……十一時半前、くらいです」
「貴女の<遺界>と一緒に残されたオートリライト……『奈落』では貴女の自殺を暗に予告していましたわ。その転落時にはベルトが千切れたIの腕時計が十時を示していた……由って、わたくし達のエンディングは十時きっかりに三人全員が屋上で生存し、完璧なタイミングで幕が降ろされるはずなんだ、って脚本家が勝手に叫び出しますの。いや、勿論わたくしも庵さんも運命的な時の流れを察知してはいましたが、そんなに辻褄を合わせられても興醒めだと思いません? 気が削がれるようなイデアイズムは胸焼けしますわ」
何かしらの悪意を醸し出す純玲ちゃんの暴論に、僕と璃々亜さんは目を合わせてはにかんだ。
「純玲ちゃんって育ちの良い御嬢様なはずなんだけど、世間への恨み辛みが顕著なんだよね」
「面白い御友達で何よりです。垂水さんこそ理想主義の監督さんにとって、厄介な相手でしょうか」
「滅茶苦茶嫌がりそうなキャラクターだと。僕以上にメタへの抵触が苛烈ですから」
「……わたくしの考察は無用よ。璃々亜さんもバカにしやがって」
純玲ちゃんの拳は僕と彼女の頭へ平等に飛んでくる。蚊も殺せない衝撃が可愛らしい処だ。
意味のない会話を永遠に続け、大切なことを忘れていた日常への有難みを感じるのも悪くないが、書き疲れ喋り疲れた僕等三人は一時的に口を閉じ、無音に耳を澄ませた。ただ、空白の時間が長くなればなるほど確認したいことが秘められてしまう感じがしたので、程良い頃に僕から言葉を発した。
「僕をやってみて、どうでしたか」
「イオリさんじゃないイオリさんでした。それと、私はどうしても心の隅に残存していたようでした。自己の消滅って簡単なようで難しいのですね」
彼女の率直な感想を知れて、僕の指先に静電気が発したかのような痺れを来した。
「此処で行われた小説的対話について、第三者である純玲ちゃんの眼にはどう映っていた?」
「その答えも小説で表現しなければならないほど、難渋な世界でしたわ。まあ……わたくしの心象が捉えたこととしては、架空と現実は確かに交わり……パラフィクションの成果が<SCTE>のシュルレアルリライトを超越して……璃々亜さんの自我が清められましたの」
僕と彼女が書いた《観念の匣・錯綜の少女》の一部は原稿に残されている。(また理想の話になるが)一語一句逃がさずに全てを書き起こすべきであったが、想像以上に長くなった《観念の匣・錯綜の少女》は声音でも補われた為、原稿上では断片的になっていた。
「興味深い結果でした。人間はフィクションと混ぜ合わせられると、精神分裂症の改善が図れるのでしょうか。情報工学で更に研究してみる必要が――」
「璃々亜さん、あまり自分の脳に影響を及ぼすような実験はもう、止めておいた方が……」
「うっ……」
図星をつかれた彼女は恥ずかしそうに俯いたが、研究者としての前向きな心意義には拍手をしたい。
「貴女が思っていた以上に、この世には救いがあるわ。喩え、璃々亜さんが情報工学研究者として功績をあげられず御父様の御荷物になっても、わたくしが認識している璃々亜さんの価値は決して変わらないの」
「そう、でしょうか」
自信無さげにしている彼女を前に、純玲ちゃんはどうってことないように鼻で笑った。
「そうよ。友達であるわたくしから言わせてもらいますけど、もっと肩の力を抜いて生きなさい。自分の視路にある世界を限定せず、死に親しみを懐かないことよ」
彼女より僕の方がより感心して唸った。
「純玲ちゃんって、子供なようで大人な女の子なんだね」
「過大評価し過ぎよ。誰かさんとの結婚が正しいかどうか見極められない子供が垂水純玲なのだわ」
「であれば、僕も同等だ。いや、それ以下……だった。アトウイオリとしての在り方に迷うまでは」
過去との決別をした僕は、僕とぼくの戦場になった原稿用紙を確かに握り、新たな一歩を踏み出すための裁可を彼女に仰いだ。
「《観念の匣・錯綜の少女》を含む僕等の物語をライトノベルへリメイクすることを、璃々亜さんは許してくれますか?」
「勿論です。<SCTE>からは結局、何も協力出来ずにすみませんでした」
「いや、間接的には多大なる力をいただきました。リアリズムの適用に依り、僕もまた僕自身の可能性を広げられたと感じています」
真上にある冬の太陽に顔を向けた彼女は、仄かに温かい熱を体内より発していた。涙を堪えている挙措にも見えたが、僕は笑っている彼女の方が好きだった。
「私は存外にも、垂水さんが毛嫌いしている理想主義団体の一員だったようです」
「庵さんの生き方でなく、庵さん自体を愛せるようになったのかしらん」
訊きづらいことを飄々と訊ける純玲ちゃんには、後で叱っておこう。モラル不足だ。
「今はまだ判りません。でも、私の愚行を止めて受け入れてくれた二人と一緒に人生を歩みつつ、イオリさんを愛するようにしたいと思います」
二人を愛するようにしたい、と好意の対象を分散させなかった彼女に驚いた僕は、
「良かったわね、庵さん。これでよりライトノベルらしい
音符を並べたような純玲ちゃんの弾む言葉に一層吃驚した。
「知的美少女って誰だよ」「知的美少女って誰ですか?」
意地悪そうに質問するのは僕だけでなく、幸せを嚙みしめるのは二人一緒だった。ただ、二対一の構図に不満を懐く純玲ちゃんは御機嫌斜めに頬を膨らませ、御嬢様にそぐわない穢い悪口を漏らしたのであるが、その姿は知的美少女其物であったのは言うまでもない事実である。
「揶揄ってすみません。いじける垂水さんが可愛いので、ついうっかり」
「なら、仕方ないですわね」と、おだてられる純玲ちゃんは直ぐに気分を良くした。
「垂水さんの演出論じゃあないですけど、真冬のドラマティックなグランドエピローグにはホワイトクリスマスが欠かせないですよね」
降雪の気配を一切感じさせない爽快な青空を見上げた彼女は、幼い頃は季節物のイベントに嬉々として参加する女の子だっただろうか。
僕はまだ、増井璃々亜のことを全く知らないでいる。研究者としての彼女は充分に理解したが、女性としての増井璃々亜はどんな一面を持つのだろう。
「折角だから、クリスマスらしいことでもやろうか」と僕が提案すると、
「クリスマスらしいことって何かしらん」「クリスマスらしいこと、とは?」
二人から問われてしまい、僕は口を閉ざす。イエス・キリストの誕生日を祝い乍ら冒瀆するために、大量の爆竹と危険ドラッグを教会に持参してクレイジーパーティーを開催するとでも答えたら<SCTE>の菅野庵みたいだと批難されてしまうと自分で思い、自分で笑ってしまった。
「おや、庵さんは何やら面白そうな企画を懐に温めているようね」
「とっても楽しみです。是非、十二月二十四日と二十五日は私も誘ってください」
何も考えていないのに期待値を上げさせられても困る、とは言えなかった。その代わりに母親の松菜さんが心配しているだろうから早く家に帰って方が良いと催促しようと思ったが、それも出来なかった。純玲ちゃんとの睦言を邪魔したくなく、本当の幸せに気付いた彼女の時間に対し
「勿論だわ。プレゼント交換も良いわよね。ねえ、璃々亜さんって今何が欲しいとかってあるかしら」
「おねだりみたいで恐縮ですけど……うーん……取り敢えずは御友達でしょうか」
「物欲自体は無いのね。じゃ、わたくし達と過ごすことが贈り物になるのだわ」
「ええ。それと少しだけ我儘を聞いてもらえるのなら、恋人と過ごす特別なクリスマスはどんな感じなのか、イオリさんから御教えいただきたいものです」
「わたくしから特別に許可するわ」
幸福を待望している二人の声音はカノン進行を思わせるような心地良いメロディーを形作り、負い目を取り払い新たな時代を告げる鈴を鳴らしているようだった。永遠即刹那の今もまた、僕の言葉で小説にできれば幸いであり、過去のアトウイオリも<SCTE>の菅野庵も安らかな顔で成仏してくれるであろう。
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