-Chapter4-

PHANTASM

 は、会議室のような場所でシャッター音と閃光に浴びせられていた。沢山の記者達にカメラを向けられて、嬉々とした笑顔で君は演壇より対応する。制服のブレザーを着ていたことから、昔のきみであることは直ぐに判った。

「……ええ。<ND-LILY>は私の父親、増井礼二の脳波研究も活かされておりまして、こうやって親子で得た功績というのは喜びもひとしおです」

 感情をこめて質疑応答をこなすきみを、僕と純玲ちゃんは司会者の横で見ていた。明らかに僕等二人は招かれざる客であるが、この過去世界は僕等の不在を容認していた。

(これって……夢なの? 凄く現実的感覚があるようだけれど)

 したがって、純玲ちゃんの声は外表せられず、僕の脳内へ直接響かせた。

(<SCTE>に仕込まれた<駆動者>の追憶が、ヴァーチャルリアリティを実現したのかもね)

 自らの存在地平を低める危機を恐れずに言わせてもらえるならば、小説でありがちな回想に僕等は参入させられたのだ。

「――では、増井さんにとって、今回開発した人工知能に相当な手応えを感じていますか?」

 マイクを持つ女性記者に、きみは胸を張って答える。

「はい。科学と人間の融合的知能に、不可能はありません。時間を長く要してでも……懸命に取り組みたい研究です」

 きみは自らの成果に価値があるものだと信じていた。

 されど、未来を知り得ていた僕等は、不整合なる懐疑を覚えていた。

(<ND-LILY>の研究を挫折したって璃々亜さん……言っていたはずだ)

(ええ……記者会見の後になってから、なのかしら。何かあったのって)

 不在者の疑問に迎合するように、仮想舞台が瞬時に様相を変えた。

 同じような扉が並ぶ回廊。その一室の前で、壁とドアの間隙に耳を添えるきみを後ろから拝見させてもらっている。部屋から男二人の声が漏れて聞こえる。

「増井教授……あなた学会から今、何て呼ばれているか知っています?」

「さあ」

(彼女のお父さん……中にいるのね)

 此処は増井礼二が勤務している、T大学の教授棟だった。

「自らの脳波研究を娘に安売りした親バカ、ですって」

「綽名にしては長いな」

 皮肉を諧謔的に返す増井教授は、威厳のある声をしていた。

「真面目になって下さい。娘さんが開発した人工知能の実態……父親であるあなたが知らないとは言わせませんよ。<ND-LILY>の科学的価値は貴方の脳波研究が大半であり、基盤だとND言語は殆ど機能していません。つまり、娘さんが手掛けたオリジナルの研究は全く――」

「皆まで言うな。そんな基礎的な事実、知らない訳がない」

 捲し立てるように話す相手を制した増井教授の声音に、きみは飛び退いた。きみの揺れた身体は純玲ちゃんの存在位置と重なったが、ぶつかり合わずにすり抜けた。

「……父さん」

 僕等二人だけに聞こえる小さい声だった。唇を噛みしめて、やるせない顔をしているきみに憐憫の念を懐いた。

(そんな……<ND-LILY>の功績は御父様の御蔭であって、璃々亜さんが研究した特殊形式言語は認められなかったですのね)

 哀しい目をしている純玲ちゃんは、室内の足音に反応してロッカーの影に身を潜めたきみを茫と見つめている。

「娘さんを庇うのは結構ですが、御自身の立場が悪くなるだけですよ」

 捨て台詞と共にドアを開けたのは、白髪交じりの男性だった。声の先入観と比較すれば老けていた男は、回廊にいる三人の存在を察知することなく、踵を強く鳴らして消えて行った。それからきみは部屋に入り、僕等も君の背中について行った。

「お疲れ様、璃々亜。昨日の記者会見はよく頑張ったな」

 増井教授は離席し、娘の来訪にも動ぜず見せた。きみの父親は若々しく、ITベンチャーの代表取締役のような風采だったが、きみには似ていない。いや、きみは父親に似ていない。松菜さんの遺伝は外見に偏っていた。内面は……。

「父さん……何故今まで黙っていたの!? <ND-LILY>の基盤はND言語が核だったはずじゃない……嘘をついていたの?」

 裏切られたと思ったきみは、激しく父親を咎めた。

「璃々亜のためを思って、だ。それに、一般側の人口には膾炙されないような、複雑なアルゴリズムの問題となる。学会は認知したとは云え、世間は到底解り得ないことだろう。親の研究成果をトレースした、革新と創造に欠けた人工知能だと……」

「でも、チューリングテストでは具体的な成功数値を出したじゃない。だから、<ND-LILY>の全部が否定されるべきではないのよ」

「其処の評価も正直難しい。璃々亜の見識では脳波とND言語のプログラミング的融合とあったが、N次元性形式言語のメカニズムが不十分だと学会側は指摘している上、偶然的な成果であると難癖をつけている」

「では……私の研究は無駄だったと……」

 身体中の力が抜けたきみは、両膝を床につけて首をぐにゃりと曲げた。糸の切れたマリオネットのような挙措であった。

(璃々亜さん! しっかりして!)

 非存在の純玲ちゃんがきみの身体を支えようとするも、触れず届かない者同士、辛苦に苛むだけだった。

「諦めてはならぬ、璃々亜。努力したのは確かなことだ。を覚悟しても……正しくなかった軌跡でも……これを糧に情報科学の新たな領域を開拓することが大切なのだ」

 私の娘なら判ってくれるはずだ、と増井教授は重々しく言い附けた。一方できみは、その現実を受け入れ難く思うばかりで、立ち上がる気力は無い。


 きみの挫折は、二つを契機にしていた。父親の計らいを厚意として看取出来ず、自己を含めた不信用に陥ったのが一つ。

 そして……作家である僕と同一となる、外界からの痛烈な衝撃を喰らわされ、存在否定を余儀なくされたのが一つ。

 きみとの境遇がまるで一緒なことを、僕は認めざるを得ない。


 冬風の寒さが街に染み渡る季節、きみは学校帰りだと思われる服装でいて、マフラーで顔の下半分を隠し、本屋に立ち寄った。参考書が寄せ集まっている本棚を眺め、溜息をつく。

(大学受験の準備かしら……)

 純玲ちゃんの推測が正しければ、きみは高校二年の冬を迎えていた。賢い学生だから、受験寸前になって思い悩んではいないだろう。

 きみは進路を決めかねていた。此処の分岐点でも、僕と同じだった。当時の僕は文学から逃げ、無難な経済学を選択した。自分の純文学が全否定されたから。

 だから、きみも情報科学の専攻を継続するべきかどうか、悩んでいる。理系の専門分野を諦めるべきなのか……悔しくもその決断を迫られていたきみは、参考書のコーナーから離れ、あても無く店内を彷徨していた。


 ――きみと僕は、その時に出会っていたのだ。僕の分身となる小説に、きみの興味が分有された。


 平台に積み重なっていた僕の本は、大学生の女性アルパイトが書いたような可愛らしい字で書かれたポップとセットになっていた。

「現役高校生作家、アトウイオリ……?」

 新人賞受賞という肩書と共に、僕の筆名が宣伝されていた。恐らくきみは、現役高校生との共通項にシンパシーを覚え、一冊の『三位一体なる冥園』を手に取った。パラパラと捲ってどんな小説なのかを漠然と知り得て、首を傾げて本を戻した……。

 ――はずだったは、彼の虚構世界に引っかかるものを感じ、本を取り戻した。

(純玲ちゃん?)

(何度も言わせてもらうけど、庵さんは自己評価がなってないわ。貴方と璃々亜さんの真なる関係を遠慮せず言えるのはわたくしなの)

 結句、参考書でなくアトウイオリの小説を購入した貴女は帰宅してすぐに読み始めた。物語の中身は観念が集約された幻想小説……或いはゴシック小説……いや、そうでもなく……と、非常に不安定で起承転結は存在していなかった。

 然し、貴女は不思議と話を理解し、着実にページを進められた。スパコンの並ぶ研究室にはそぐわない小説であったが、ミスマッチをミスマッチだと思わない貴女の共感は、物語が進行するにつれて膨らんでいった。

「――自家撞着。凡ての混迷はこの四文字で解消されます」

 『三位一体なる冥園』のRが言い放ったこの一文こそ核心に至ると悟った貴女は、呟いてから自分自身に驚いた。こんなにも読書で夢中になることは、今までに無かった。

「R……偶然にも、私と一緒のイニシャルね」

(ああ、偶然だった。僕と純玲ちゃんのイニシャル的符合も偶然だ……)

 運命をひしひしと味わった貴女は読み終わった直後、パソコンでアトウイオリの作品評価を調べた。此処でも霊妙不可思議なことに、彼が批判されているであろう事実を貴女は予期していた。そして、事実であった。

「面白味がない……深みがない……支離滅裂……新人賞に適さない……審査員の評価が大きく割れた……」

 電子空間で流れる世間からのコメントは、彼にとって苦痛なものであった。

 それが故に……貴女は彼への仲間意識を確立したのだ。

「アトウイオリさんが縋っているものは私と違うけど、生きる上での考え方は同じなのかもしれない……」

 同年代、専門的な職業、そして挫折……貴方と彼の共通性を次第に増やしていき、更には自らが彼の特性に歩み寄ることになった。

 彼の特性、つまりはシュルレアリスム。超現実もとい、現実逃避にある。

(……君は僕の心の中へ、臆せず足を踏み入れてくるんだね)

(当たり前じゃないの。わたくしはそのために、庵さんの傍にいるんだから)

 貴女は彼より先に、世界への<皮相的な>復帰を試みた。それまでの研究が無価値だったとしても、これから補完すればいい……そう前向きに思えた貴女の目標は、彼の生き方を見習うこと。そして、言語と科学の融合に依る、端倪すべからざる研究結果を得ること。

 爾後の貴女を、虚像的ダイジェストで見守った。書店に再度寄って、複数の国立大学の赤本と文系の試験科目に沿った参考書を購入した。研究者としての貴女の活動を把握していた教師は、貴女の文理転換について難色を示した。それでも貴女の意志は固く、数ⅢCと物理Ⅱの勉強を止めて、世界史Ⅱと政経のセンター試験対策を始めた。

 勉強の合間に、自宅の研究室兼私室では例の研究を着々と進めていた。娘の進路を気にかける増井教授は、たまに貴女の前に現れて状況を訊いた。

「璃々亜。大学で文学を勉強するのは構わないことだが、ND言語の研究はどうするんだ?」

 貴女の父親はとても寛容で、母親と並んであなたの受験には文句を言わなかった。懸念していたのは、それまで取り組んでいた情報工学を娘が諦めてしまうかどうかであった。

「大丈夫。今はあまり時間を取れないけど、計画を立てて新たなプログラムを試している。それに、文学との連携も考えているから大学の専攻を無駄にはしないよ」

「そうか」

 父娘の会話はいつも最低限に済まされていた。それは黙契もっけいで成立する信頼関係の現れである。

 <ND-LILY>の件で真実を隠した父親に対し、最初は憤りを覚えていたのかもしれない。されど、貴女の内奥に潜む情報科学への熱意が憤怒の炎を消火し、自責へと帰一していたのだ。

 わたくしの個人的見解を挟ませてもられるならば、貴女の研究は自らの<罰>に過ぎない。

(罰……か)

 叡智大学より合格通知が届いても、通過点としか思っていなかった貴女は全く喜ばず、研究活動に専念した。しかるに、貴女の受験当日の仔細に触れる必要もなく、大学生としての日常生活にも特筆すべき点はない。桜が散り、真夏の灼熱が過ぎ去り、秋風が街に染み渡る季節になってようやく、その研究は《Surreal Character Transfer Engine》という一つの形になり、本格的な実績に手が届く段階へ至った。

 仮想舞台は大学内の食堂に転移する。外界の景色と向き合う角のカウンターで食事を済ませた貴女は、ハードカバーを読んでいた。暇があれば『三位一体なる冥園』を読んでいた。アトウイオリの超現実的文体と物語を基軸に<SCTE>の目的を模索していた。既に既存小説の文体更新能力を<SCTE>に備えていたが、更なる発展に貴女は倦んでいたのだ。本を閉じ、メモとして使っているノートを開いて試行錯誤の実状を書き記した。

『他の小説からアトウイオリさんのシュルレアリスムに類似した作品へとリライトすることは可能。また、アトウイオリさんの作品を別ジャンルの作風に変化させることも可。ND言語と脳波の融合的プログラムで新たな活用を見出せそうだが、人工知能が小説を執筆すること自体には前例がある。一体どういう形を取れば、私の稚拙な研究を覆せられるのか……』

 彼が企図したシュルレアリスムの世界と、自分自身に訪れた情報科学としての力不足……この二つは何か運命的な共鳴を齎す予感はしているのだが、その実体が貴女の許から離れているかもしれなく、焦る貴女が其処から離れてしまっているのかもしれない。

 だから、なのだろう。迷えるに協同的救済を与えたのは、慈悲深い運命だった。

「――で、はやっと二作目を公表できるのね」

 脳内に引っかかる単語が、貴女を振り向かせた。背後のテーブルにいた女子学生の声がした。

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