EDITOR

 彼女との約束を厳守し、翌朝には『(仮題)続・三位一体なる冥園』の続きをメールで送付した。前に提出した分との見分けをつけるべく、話数を追記しておいた。


             ■    ■    ■


 (仮題) 続・三位一体なる冥園 第二話


 過去と未来から懸絶せられたわたしは刹那の現在を生きているのでありまして、誰からも期待されていない孤独な人生を非連続的に歩んでおります。

 夢の中の夢に、わたしは存在しておりました。それは暗闇の深底に突き進むように土葬された亡骸を押し退けては潜った先に在る処でして、わたしは土に塗れた暗緑色の髪を手櫛でとかし乍ら、空無き空を見上げています。

 わたしの存在理由を探しに、眼前に広がる荒野へと足を運びました。虚ろな上空を眺めるのに厭き厭きとしていましたし、頭部の重みに耐えかねる首が疲れていましたから。

 旱魃かんばつの大地を横断していると、いつの間か足元にかげが宿りました。光を灯す星宿は何処にも見られませんが、確かに乾燥した地表には陰翳いんえいがくっきりとした姿でわたしを追走しております。

(中略)全力疾走しましたが、ついに翳はわたしを追い越しました。その外線を崩し、強大な黒の颱風たいふうに変化し、わたしの行く先を塞ぎました。

(中略)黒風の渦に吸い込まれたわたしは、世界の裏側へ抛擲ほうてきせられる予感を懐いたのです。永遠と一瞬が同化する時、Iのことをようやく想起しました。


             ■    ■    ■


 反応は早く、一時間後には<SCTE>のオートリライト結果が返信されてきた。


<SCTE-ND:-13.6>

<Remake Transcription-Ⅰ>

 タイトル:目覚めたらよく分からないヤバい異世界へ放りこまれた件 第二章


 何やかんやあって、俺はメイエン国王の命令により、敵地へ赴くことになってしまった。

「あなた、本当に<超延の救世主>として選ばれた人間なの? ヒョロヒョロな体躯だし、魔力の気配も全然感じないし……頼りないわね」

 口答えの多い女騎士・アイリーンの蔑む視線に胃を痛めながら、鬱蒼とした森の中を進んでいく。

「文句は運命とやらに言ってくれよ。俺はただ、選ばれた側であって自分の意志は一切働かせていないんだ」

「卑屈な救世主ね。メイエン国の未来は暗いわ」

「共倒れで結構。俺は元々、現実世界で自殺を試みようとした三十路手前のニートだったんだぞ。己の人生なんかどうでもいいと思っている人間は、外部への迷惑を鑑みるかね」

 険悪なムードが漂う旅路に、俺はファンタジーに対する理想を高め過ぎていたんだなと自戒する。性根が腐った救世主はどうあがいても、クズ同然の扱いをされるのだ。

(中略)摩訶不思議なことに、四足獣の姿をしている魔物と対峙すると突然、自分の内に秘める膨大な力を感じたのだ。

(中略)「――黒を塗り替える、黒の心現刃」

 天より舞い降りたその魔法名を詠唱した俺は、漆黒の大地で跋扈していた魔物を一刀両断した。

 これが……<超延の救世主>としての覚醒。

「――凄いわ。どうやら、あなたを舐めていたようね」

 アイリーンが初めて、俺の存在を認めてくれた。彼女を少しでも見返せられたならば、それで満足だった。

</SCTE-ND>

</Remake Transcription-Ⅰ>


 なお、メール本文には『シュルレアリスムに近しい、マギッシャーレアリスムスの性質を含有した設定にいたしました。イオリさんの理想に叶うプログラムへと段階的に移行いたします』と彼女の追記があった。

 

 当日中に駅前のファミレスで編集者と打合せをする約束をしていたので、会って早々に<SCTE>の結実をタブレットで見せた。

「ザ・ラノベって感じのストーリーですね」

 編集者の木津さんは、純玲ちゃんとほぼ同じような見解を口にした。

「率直に伺いますけど、この程度の文章力とプロットで公に出せますでしょうか」

 換言すれば、現実で腐敗していく高齢ニートの我慾を叶える露骨な異世界への転移で、苦労を要さない英雄譚の主人公を描く物語に何の価値があるのか、との毒念を木津さんに問いかけているのだ。

「こういう作品は山ほどありますし、アトウイオリのネームバリューを行使すれば十分に売れる見込みはありますよ」

「マジですか」

「マジです」

 クールに微笑む木津さんは、タブレットをスクロールして文頭に戻し、僕へと返した。

「相手が木津さんだから本音を言いますけど、畑違いも甚だしいです。純文学との落差が激しく、アレルギーのような拒否反応を示さずには居られません」

「成程」

 神妙そうに肯う編集者様は、冷めたコーヒーを口につけるその自然な仕草が格好良く、女性向けのファッション誌で登場しても違和感のない一コマを切り取って僕の視界へ与えていた。

「ところで、木津さんはどうして今も僕の担当で居てくれるのですか? 元々はB誌向けの編集者じゃあありませんか。木津さんだって、やりづらく思いません?」

「全然。庵君をライトノベルの方に転向させると会社側から正式に決定されてから、毎日五冊はラノベを読んで勉強しています」

「マジですか」

「マジです」

 逞しい女性だ。総合商社の営業を経験しているだけある。郷に入っては郷に従えの柔軟な精神で日々お仕事をされている木津さんは、僕みたいな大学生が褒めなくても出来る社会人であることには変わりなかった。

「だから、庵君以外にもラノベ向けの作家さんもちょくちょく担当し始めましたよ。いろんなラノベ作家と交流してみますと、庵君は特殊な境遇だなって思いますね」

「僕もそう自覚してます。伝統あるB誌の新人賞に選ばれても、この体たらくですから」

「ネガティブに考えないことよ。会社側は庵君のラノベ作家転向について、比較的前向きな理由で決めたのになあ。私も上司も……庵君の精神状態を考慮するのもあるけど、まだ若いんだから幅広く書かせた方が望ましいかな、って」

 木津さんの意向には、何一つ矛盾が無い。編集者として一貫した主張だった。作家への配慮と出版社側のマーケティングの二つを、非常にバランス良く天秤に乗せている。

「増井さんの開発プログラム……<SCTE>でしたっけ……うん、なかなかに人間味のある小説を書きますねえ。後は、庵君らしさが文章に備わればゴーサインは出せますよ」

「僕らしさ、ですか。つまりは、シュルレアリスムへの依存……」

 執拗しつこいようであるが、僕の個性はその空虚性幻想に委ねられている。

「……いや、シュルレアリスムとライトノベルの共存は不可能に等しい……木津さんもそう思いますよね?」

 自認しているのに、僕は敢えて木津さんに確認を求めた。あるはずの諦念が無かった。

「業界的な判断に依れば、間違いなくそうでしょうね。現に、機械が出力したマギッシャーレアリスムス……ファンタジー小説は、庵君の思惟や感性を殆どないがしろにしてしまいました。抽象的観念を嫌い、具体的な魅力や主人公の強さを明白にさせるラノベの傾向を汲み取った結果でしょう」

 僕の推測と概ね一緒であった。身も蓋もない言い方が許されるのであれば、<SCTE>

「基本的な文章表現はクリアしていますので、<SCTE>のオートリライト作品を出版すること自体には許可を出します。後は、庵君の意志に任せます。来年一月末を目途に、初稿を提出して下さい。それが無理であれば……残念ですが新作出版の話は白紙となります」

 戦力外通告に近しい指令だった。

 ……そうじゃない、か。僕が拘りを捨てれば、直ぐに年末迄の執筆計画が立てられる。基盤となる小説を僕はいつも通りの文体で書き上げ、璃々亜さんのプログラムにフィルターをかけてもらい、新生なる被転写体を木津さんに渡せば僕はまだアトウイオリで居られるのだ。

 ーーその彼は、過去の自分とは隔絶された存在であるが。

「……ギリギリまで御待ち下さい。何とか検討はしてみます。璃々亜さんの才能に頼ること必須ですが」

「今はそれでも構いませんよ。小説のリメイクプログラムについては、商業の観点でも可也興味深いことでありますので、着実に進めましょう」

 平坦な口調で言う木津さんは、前髪を耳にかける仕草をする。全体がショートカットの割には重たい前髪だった。直ぐに簾の如く垂れ下がり、その姿もまた絵となり媚態を演出する。

「増井璃々亜という研究者はどういう女の子でしたか?」

「僕と同学年の割には落ち着いた性格かと」

「他には?」

「真面目な方です。研究者としての責務を覚え、自らの仕事に誇りを感じておられます」

「外見は?」

 執拗に細かい情報提供を求められていた。

「万人が美しいと見惚れるような、麗しい人です。母親に似ておりました」

「良かったじゃないですか。庵君も年頃の男の子なんだし、恋愛も経験することよ」

「僕が璃々亜さんと恋人同士になれっておっしゃっています? 璃々亜さんからの手紙を僕に渡したのは、恋のキューピットを意識されていたのでしょうか」

「半分冗談ですよ」

 飄々と受け流す木津さんだった。食えない大人だ。

「僕の心配はさておき、御自身の将来は如何でしょうか。木津さん、三十手前になっても彼氏いないままじゃあないですか」

「心配御無用。私こそ子供のままですから。国道三十路号線の交差点に到達しても、直進も右折も左折もUターンもせずに膝を抱えて蹲っている私は、大人ではないのですよ」

 辛口な自己評価を涼しい顔で報告する。木津さんみたく凛々しい相貌に強靭な精神をお持ちの女性ならば、大衆小説やドラマの主人公に抜擢されるであろう。特に現代の時潮に於いて、彼女のような人間に憧れる人々は決して少なくない。

「私は典型的な仕事好きの女です。だから、庵君の幸せを思って働くことに生きがいを得ています。増井さんの執筆援助は、私事のように嬉しく、助かった気持ちになっているのですよ」 

 顔には出さないが木津さんは今、安堵の念を表している。仕事第一の志向は常に保持されているものの、優しい配慮も忘れていない。

 けだし、僕は恵まれた環境に置かれているのだ。編集者に幼馴染の純玲ちゃん……更には、異なる業界より手を差し伸べてくれた情報科学者の璃々亜さん……皆が献身的な姿勢で僕を支えてくれている。

 然し乍ら現実は愚からしい残酷さが随伴されていて、肝腎なるアトウイオリの知情意は、並の言語世界を断固拒否しているのだ。皆の厚意と僕の希望は絶妙にすれ違っていた。

「引き続きお仕事の話で申し訳ないけど、私も是非一度、増井さんと直接お話をしたいですね。印税の分配契約について取り決めをする必要もありますし」

「報酬の条件は後回しでも大丈夫です。僕も彼女も、お金が欲しくて仕事をしている訳でありませんから」

 偉そうに告げたが、心の声をそのまま言葉に乗せたまでだ。

「でも、璃々亜さんは協力的ですので木津さんとの打合せには快諾してくれると思います。取り敢えずは<SCTE>の執筆がある程度進んでから、三人で会いましょう」

「ええ。ところで、なんだけど……<SCTE>で書かれた小説の前後にあるのはタグでしょうか?」 

 タブレットの画面を目視し、逡巡してから曖昧に答えた。「さあ……」

「<Remake Transcription-Ⅰ>はリメイクの転写だと知らせているんだなって推測できるけど、<SCTE-ND:-13.6>のNDって何かしら」

「ああ、プログラミング言語のNDを指示しているんだと思います。N次元性形式言語、とやらです」

「へえ。じゃ、右隣の数字は?」

 僕も情報科学の突端には到底追いついていないので、今度璃々亜さんに会う時に訊いてみます、と言う外になかった。

「霊妙不可思議な情報工学ですね。人の小説をこんな風に簡単に書き換えてしまうもの。そう遠くない未来、『人間の』作家が淘汰されてしまうのではないでしょうか」

 そんなSF小説、既にありそうですよねと木津さんが言い足した。

 物語を紡ぐ人工知能、か。

 ――が出現したならば、僕のように変なプライドを懐かず、エンターテインメントから時代モノまで全てスムーズに執筆してしまうのだろう。


 僕は、現実という名の牢獄に幽閉せられている。

 自らの心象世界で生を享けたIが、羨ましかった。

 Iは、絶対神の支配下からも逃れられる彼処に存在する。秩序を破滅させ、自由への自由を手にした架空存在の生き様に嫉妬する僕は癲狂者なのだろうか、という疑心暗鬼でまたしても世界の裏側へと敗走したのだった。

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