ACQUAINTANCE

 数日後、その大学構内の食堂で、同級生の垂水たるみ純玲すみれと昼食を共にしていた。璃々亜さんの件について、粗方報告させてもらった。

「ふむ……璃々亜さんって凄い人でしたのねえ」

 得心したように肯う純玲ちゃんは、手の平サイズの弁当箱を半分ほどたいらげていた。対して僕は無難でワンコインのA定食であった。

「やっぱり? 璃々亜さんのこと、知っているの?」

 ハンバーグを咀嚼し乍ら質問すると、純玲ちゃんは肩を竦めた、

「庵さんったら、相変わらず世間知らずかしらん。小説ばかり書いていると、世情に蹴落とされてしまいますわよ」

「小説を書いているのは、純玲ちゃんも同じじゃあないか」

「わたくしは日々、経済新聞を読んでおりますので」

 如何にも知的だと自称する彼女の所作に、僕は鼻で笑った。

「何か可笑しいことでもありましたの?」

「御嬢様なのに世間に通じた常識人であるズレに瞠目したことかな」

「……バカにしやがって」

 ふん、とヘソを曲げる彼女の初動は分かり易く、すぐに言葉が粗雑になる。だが、彼女の家柄は事実、由緒ある名門である。外見もまた、フワリとうねるチョコレート色の髪に、切れ長の目……真っ直ぐ整った鼻筋にシャープな顎のライン……良い処取りのスリーサイズは、間違いなく恵まれていた肉体であり、気品を漂わせていた。

「わたしくは庵さんの幼馴染であるけれでも、男性と女性の関係でもありますのよ。もっと気遣って頂戴な」

「今更?」

「今更でも、それで変わることがあるからすべきだってことよ」

 釈然としない彼女の箴言を聞き流し、話を戻した。

「で、増井璃々亜さんって何者?」

「庵さんの御認識から、そう違っていないかと。高校生の時に人工知能の開発で話題になった研究者ですわ」

 純玲ちゃんの発言は、僕を凍りつかせた。可也想像と違っているじゃあないか。

 明らかになった璃々亜さんの境遇が、僕の過去に類似性を与えたのだ。

「そう、だったのか。云わば、天才なんだな」

 深遠まで闇を届かせる純玲ちゃんの暗色の瞳が、僕に感嘆の声を漏らさせた。

「貴方と同じね」

「違うさ。僕は自分まで誉めていない。現に、純文学への途は閉ざされてしまったのだから」

「ライトノベルで頑張ればいいじゃないの。それに、璃々亜さんの<SCTE>ってやつで貴方の純文学小説を自動で文体変換してくれるって話でしょ? 新たな途は切り拓けたわ。ライトノベルの文体を浅く稚拙だと揶揄する庵さんの心境も忖度できますけど、方向転換も大事ですわよ」

 純玲ちゃんの方が僕より十二分に大人だった。新人賞さえ獲得すれば、彼女は絶対に世渡りの上手い売れる小説家になれるだろう。文章表現力も秀でている彼女が夢を叶えるのに不足している材料は、経験と運だった。

「モテない男の妄想を垂れ流したドリームノベルに、果たして有意義な方向転換を望めるだろうか」

「また、そんなつまらないことを言うのねえ」

「僕はつまらない人間だからさ」

 虚勢を張る僕は、現実から目を背けている。自身の内部にポッカリと開いた穴に空気を詰め込んでいるのと同じくらい、無駄な抵抗をしているのだ。

「御立腹かしらん。しょうがないから、貴方の代理で璃々亜さんに謝罪しておくわ。どうせ、研究所に訪問した時も無礼な発言をしたのでしょう?」

「否定はできないかな。でも、謝罪って? 璃々亜ちゃんも研究所に来るの?」

、その時に声をかければいいじゃあないの」

「そっか」

 会話は止まり、静かな咀嚼音を交換した。僕が先に食べ終わると水を一口含み、時間差の言及を呈した。

「……毎週会っているって、どういうこと?」

「おや、庵さんは実に無知なようねえ」

 くっくっくっ、と含み笑いをする彼女に蔑まされたが、継いだ言葉で僕の怒りは忘却された。

「璃々亜さん、この大学に在籍しているのよ。それも、私と同じ学部、且つ同じ必修のクラスだわ」

 嘘みたいな偶然だ、と僕は間抜けそうな顔で感想を伝えた。

「その御様子だと、何も聞いていないようかしらん。文学以外のコミュニケートも大事ですわよ」

「<SCTE>のことばかり気にしていたからさ。にしても、璃々亜さんのことを知っているとは、そういう知っているだったのか……」

「世間は狭い、とイオリさんは考えていらっしゃいます?」

「はい……ん?」

 返事の後に疑問が訪れた。素早く振り返ると、空皿を乗せたトレーを両手で持つ璃々亜さんがいたのだ。

「あら、丁度良かったわ。今日は、璃々亜さん」

「こんにちはです、垂水さん。食事は終えましたが、お隣よろしいでしょうか?」

「よろくしてよ。食後の知的な会話を楽しましょ」

 さも、厳格な関係で結ばれた知人と話すような様相で二人は微笑を交わし、璃々亜さんは僕の斜め前の椅子に座った。

 点と点が線で繋がり、置き去りにされた懐疑への解決が見出される。

「僕の噂……つまりはライトノベルへの転向の話って、純玲ちゃんから聞きました?」

「半分正解です。こうやってイオリさんと垂水さんが前々より食堂で話しているのを、近くでこっそりと拝聴させてもらって存じ上げました」

 結句、風の噂と云うよりは当事者の相談事が外部に流出していたのだった。

「成程ねえ。だけど、出版社に手紙を送りつける手間をかけなくても、わたくしや庵さんへ直接依頼すれば事は単純ですわ」

「お互いのビジネスに直結する内容は、キチンと書面でお伝えする必要があるかと」

「御丁寧な御方ねえ。わたしくの友人のために御尽力いただき、とても助かりますわ。頑迷な小説家で恐縮ですけど、根は良い殿方なので多少の粗相は見逃してあげて下さいな」

「いえいえ。イオリさんのお仕事に関わらせてもらっている立場でありますので、何も不満はありません。私の研究が飛躍される絶好の案件であります」

 純玲ちゃんからの批判に耳を痛くし乍ら、睦言を語り合う二人に嘴を挟む。

「二人は元々、友達なんですね」と、語調を璃々亜さんに合わせた。

「や、英語の必修で席が近く、たまに話すくらいの関係かしらね」と、純玲ちゃんが答えた。

「垂水さん、いつも服装がオシャレで綺麗な人だなって思っていました」

「中身はおてんば娘なんだけどさ」

 容赦なき僕の悪言に璃々亜さんはくすりと笑い、純玲ちゃんは頬をトマト色にさせた。テーブルの下で僕の脛を蹴る容疑者候補は二人いるが、非物的証拠が揃っている以上特定に迷うことはない。

「日を跨いで恐れ入りますが、璃々亜さんが人工知能の錚々たる開発者だと知らず大変失礼いたしました」

「気にするコトはありません。大した功績ではないですから」

 璃々亜さんは目線を下げて否定する。謙虚なのだろうか? どうも彼女の性質を代理する細微なインプレッションが、断定を回避し疑問符を装着してしまっている。

「充分大したことですわよ。ほら……世間に知らしめる記事にもなりましたの」

 卓上に置いていたスマートフォンを純玲ちゃんは左手で操作して、メタリックデザインの顕著なサイトを僕に見せた。


             ※    ※    ※


『現役女子高生・脳波融合型人工知能を開発』


 東京都内の高校に通う一人の女子高校生が、革新的な技術へと踏み込んだ。

 計測工学の研究者である増井礼二教授の娘、増井璃々亜さんは先日に開催されたT大学の合同発表会にて、脳波融合型人工知能<ND-LILY>の実験結果を公表した。

 まだ高校二年生である彼女が合同発表会への参加を許されたのは外でもなく、情報科学への類稀なる適正と才気が学会より認められたからである。彼女は幼少の頃より、増井教授の専門にしている脳波研究に対する深い理解を得ており、更に独自で新体系のプログラミング言語を開発し、N次元性形式言語 《N-Dimensionality programming language》略称:ND言語を基盤としたプログラムに脳波信号のアルゴリズムを組み入れた人工知能<ND-LILY>を完成させた。

 研究者自身である彼女がモデルになった<ND-LILY>は人間らしい不安定で細微な思考手順を実現しており、非公認の実験環境ではあるがチューリングテストで31%という合格数値に達する驚くべき結果を記録している。

 特殊言語含め、実用には程遠いタイプの粗削りな人工知能であると増井璃々亜さんは言っているが、人間の脳波がここまで人工知能と適合できたのは異例のことであり、聡明なる『リケジョ』の将来が期待されているのは間違いないだろう。


             ※    ※    ※


「本当に大したことですね。チューリングテストの合格って、普通では有り得ないですよ」

 簡潔なニュース記事であったが、璃々亜さんが携わった研究の価値は僕に伝わった。投稿の日付は……二年前か。

「庵さんもチューリングテストのこと、ご存じなのねえ」

 まるで自分事のように胸を張っている純玲ちゃんには、親に褒めてもらいたい子供みたいな可愛らしさもある。

「イギリスの数学者アラン・チューリングが提唱した、人工知能プログラムの程度を計る実験だろ。SF小説を読むと時折出てくるステータスのようなものだから、概要は知っているさ」

「小説家の貴方には馴染みがありますのねえ。しかしまあ、高校生の時によくこんな壮重な科学技術を生み出しましたわね。璃々亜さんは今も、<ND-LILY>の研究を続けていらっしゃるの?」

 純玲ちゃんは興奮さめやらぬ早口で、璃々亜さんに問いた。意外とこういうテクノロジーに純玲ちゃんってミーハーなんだなと感心していたが、璃々亜さんの表情は硬かった。

「<ND-LILY>自体は……断念しました。今はその後身となる<SCTE>を中心に、脳波とプログラミングの連関を研究しているのです」

「さ、左様ですの。何か、深堀りしちゃいまして済まなかったですわ」

 純玲ちゃんも、彼女の麗美な顔を濁らせる<影>の存在に察知したらしい。余計な質問をしてしまったと自覚し、灰色のウールコートの袖を弄り乍ら謝った。

 断念、という言葉に形容し難い重みを感じたのだ。

「全く大丈夫ですヨ。昨日まで有意義に進めてきた研究が今日になって空虚になってしまうことなど、稀ではございませんので」

 淡々と述べる璃々亜さんがそう許してくれるのであれば、僕と純玲ちゃんは安心してもいい……けど、他人事のようには聞こえない。

「璃々亜さんがわたくしと同じ文学部へ入ったのって、研究の方向性がその、言語が関わってきたことがあったから、ということかしらん?」

「その通りです。視野を理工学に限定するだけでは、若い私の成長性を望めないと思いました」

 ただし、僕と彼女は同列に並べてはならない。僕は結果、文学からの敗走を決めて叡智大学では経済学部を選択したのだ……今後も小説家として飯を食っていけるかどうか、自分を信じてやれない小心翼々の人間なのだ。

 対して、彼女は前へ前へと常に進んでいる。<SCTE>が執筆した小説の価値はさておき、情報科学が構築する無際限の世界と日々熱心に向かい合っている強き人間だ。

「才能と努力を兼ね備えたような人ですね、璃々亜さんって。僕の小説がどう実を結ぶか不明なところですが、僕は応援する立場です」

「僕も、でしょ。わたくしも璃々亜さんを尊敬するわよ。これを機会に仲良くしたいですの」 

 純玲ちゃんと二人で彼女を励ました。呼吸を合わせたのは計らいなどではなく、底意から吐き出された実直な感情表現である。

 璃々亜さんはほんの少しだけ頬を緩め、ありがとうございますと言ってくれた。やはり、彼女の感情表現は一般人と比較して振れ幅は少ない。もっと、僕が<SCTE>の研究協力に同意してくれた時のようにピョンピョン跳ねて喜べばいいのに。

「今の私は、<SCTE>に注力いたします。イオリさん、例の続編の執筆状況でありますが……」

「あ、ああ。明日中には十五枚分を送れると思います。またリメイク、やってくれるのですね」

「お任せあれ。出力条件となるストーリーラインの修正を行いました。イオリさん独自の色であるシュルレアリスムの展開は、ライトノベルに転生しても為されるでしょう」

 自信有り気に熱弁する彼女に再び騙されてみるかと諧謔的になりつつある。情報科学への信頼と云うよりは、ライトノベルへの理解が僕には足りていないらしい。

 席から離れ立ち去ろうとする前に、純玲ちゃんは璃々亜さんの電話番号とメールアドレスを交換した。

「感謝しますわ、璃々亜さん。これで貴女とは御友達ねえ」

「ええ。お気軽にご連絡してもらっていいですよ。それでは……」

 食器を片づけに行く彼女の背中を、純玲ちゃんはにこやかに見送っていた。

「璃々亜さんのこと、随分と気に入ったみたいだね」

「だって、貴方と似たような姿をされていますもの」

「何を言っているんだい? 僕と璃々亜さんは異性だし、血の繋がりは無いんだよ」

「――まだ恍ける気なのかしら?」

 粗末な弁疏べんそでは、純玲ちゃんの鈍く耀く瞳から逃れられなかった。研究者と文学者の内面を屹度彼女は見抜いて、仮定で想像を補っている。

「運命的偶然に導かれて、貴方も上手く世渡りしなさいよ。折角璃々亜さんの<SCTE>が寄り添ってくれるのだから、ライトノベルへの対策と傾向をそのお堅い頭に叩き込みなさい」

 提案でなく、命令だった。純玲ちゃんは僕のために叱ってくれるのを解っているのに、僕の口からは反論が飛び出るであろう。

「逆に訊くけど、僕と同じ純文学作家を目指す純玲ちゃんはライトノベルへの理解はあるの?」

「ジャンル毎に比較する時点で、庵さんは正しき判断が出来ておりませんわよ。そうねえ……小説を書くという意識ではなく、ライトノベルという一つのエンタメ作品を書く考え方なのかしらん」

 彼女の寛容な稟性に憧憬してしまう。御嬢様属性であるのに傲慢ではないのは素晴らしいと思ったが、僕に対してだけ厳しい躾をする矛盾はどういうことかと心中で思ったが、実の処、全て言表でダダ漏れになっていたらしく、控えなサイズの拳で側頭部を小突かれた。

「わたくしを紋切り型の御嬢様に嵌め込まないで頂戴な。菅野庵という不器用な殿方が不幸にならないために、人生とは何かを教授しているのよ」

「今現在、純玲ちゃん怒られているのが不幸なのですが」

「怒っていません。れっきとした指導です。あ、璃々亜さんに<SCTE>のリライト作品、見せてもらおうかなと思っていたのに、失念しましたわ。ねえ、庵さん……貴方の続編作品って、どう書き換えられたの?」

 弁当箱の蓋を閉め、テーブルに身を乗り出す純玲ちゃんは例の小説の公開をせがんでいるようだった。僕自身が文学的に納得していないだけで、脳波とプログラミング言語で抽出せられた作品の科学的価値は認めるべきであり、璃々亜さんの研究成果其物を貶すつもりもないので、隠すことなく紙媒体で純玲ちゃんに見せた。

 一通り読んだ彼女は、如何にもラノベって感じの劈頭ね、との感想を呟いた。

「もしもこの企画が通れば、名義は貴方と璃々亜さんの二人にするのでしょ。ゴーストライター扱いにすると世間が騒ぐから止めておいた方が良いわ」

 全くもってその通りだ、としか僕は返せなかった。アトウイオリがライトノベル作家として再デビューする空想は、白黒の彩色で殆ど消えかかっていた。

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