結婚と起業とあれこれ ②

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 それはわたしが捕らえられて三年後のこと。

 ようやく春が近づいてきた季節のことであった。


 面会室にみんなが集合していた。メンバーはわたしとケンちゃん、それにコトラ、キョウコさんにレイもいた。


 付け加えておくと、ケンちゃんはキョウコさんの隣に座らず、間にコトラを座らせていた。


「今日はどうしたの? みんなそろって」

 代表して答えたのはキョウコさんだった。


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「実はレンジにお願いがあって来たの。ケンの会社を、ちゃんとした会社にしたいのよ。最近仕事も軌道に乗ってきたし、手伝ってくれる仲間も増えたから、この辺できちんとした形にしたいのよね。それにはお金が必要だし、それを使うにはあなたに聞いたほうがいいということになってね」


「資金は二千万くらいですって。それくらいならすぐに用意できるわ」

 レイがそう言った。


「なるほどね。すごくいいんじゃない? すぐにそうしたほうがいいよ」


 わたしももちろん賛成だ。もっとも会社を経営する日が来るとは夢にも思わなかった。でもみんなの頑張りを見ていると今ではそれがごく自然に思えた。


 ……

 わたしは目の前に座るみんなの顔を見てそれを強く実感した。


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「じゃあ、決まりね。会社名はケン・ワークス、ってのを考えてあるの」

 とキョウコさん。


「僕が考えたんだ! かっこいいだろ!」

 みんなに比べるとまだムニャムニャのコトラはすごく嬉しそうだった。


「社長はケンちゃんで、経理はレイに手伝ってもらおうと思ってんの」

 さすがはキョウコさん。もう手筈はばっちりらしい。


「すごいね。なんか本格的だ」


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 そう言いつつも、実はわたしは少しさびしさを感じていた。


 それも仕方がないだろう。

 自分はここに囚われているけれど、みんなは少しずつ明るい世界に向かって歩き出していた。この薄暗い牢獄の中からだと、その姿はよけいにまぶしく見えた。


 本当は彼らと一緒にわたしも歩いていきたかった。

 だがそれはかなわぬ望みだ。


 この時ほど、みんながうらやましいと思ったことはない。

 囚われていることを悔やんだことはない。

 わたしはヒーローでも聖人でもない。そう感じるのは仕方ないことだろう。


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「なぁちょっと待ってくれ、レンジ」

 そこで異議をとなえたのは意外にもケンちゃん本人だった。


「え?」

「レンジ、お前からみんなに言ってくれよ、オレにはできないって! オレにはそんなの無理だって!」

 ケンちゃんは必死にわたしにそう言ってきた。


「オレ、社長なんて出来ないって! なぁレンジ、みんなにそう言ってくれよ!」

「あんた今だって社長みたいなもんでしょ、あきらめなさい」


 とキョウコさん。そしてコトラが間に入っているのに、乗り出して頭をはたいた。

 それを見るだけで、ケンちゃんの来るべき新婚生活に同情したくなった。


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「だってよ、規模が違うぜ。まともな会社なんだろ? オレ、スーツなんか着るのやだもん、ネクタイとかだってできないし。社長になるなんてぜってぇムリだよ」


 ケンちゃんはどうやら服装のことが気になっているらしかった。

 そんなところが、いかにもケンちゃんらしい。


「オレさ、下働きでも何でもするからさ。給料だって一番安くていいんだ。だから社長だけは勘弁してくれよ、な? もっともっと仕事がんばるからさ」


 ケンちゃんがさらにそういうと、いきなりキョウコさんが立ち上がった。

 そしてコトラがサッと自分の席を譲った。


 キョウコさんはコトラのいた場所、つまりケンちゃんの隣に腰掛けると、ケンちゃんのたくましい首にグッと腕を回した。


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「ケン……」キョウコさんがケンちゃんの耳元にクールな感じで呼びかけた。

「……な、なんだよ……」

 ケンちゃんの声はかなり小さかった。聞き取れないほどのささやきだった。


「ケンちゃん?」

「……ハイ」

 ケンちゃんの声は今にも消え入りそうだった。


「百歩譲って、ネクタイだけは許してあげる。それで手を打ちなさい。みんなあなたに期待してるのよ。ここは男らしく決めたほうがいいんじゃないかな?」


 ケンちゃんは尚も迷っていた。

 考えてみれば嫌がる相手にずいぶんと理不尽な要求を突きつけている気もする。


「……でも、スーツは」

 ケンちゃんはまたも消え入りそうな声で、わずかに反抗の意思を見せた。


 わたしとしてはなんとなく応援したい気持ちになってしまった。

 頑張れ、ケンちゃん!


 でもわたしもキョウコさんと目を合わせないようにしていた。たぶんコトラも。


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 ふぅー、とキョウコさんはため息を漏らした。

 そしてケンちゃんの首から手を離した。


「わかった! あんたには負けたわ。いいわ、じゃあスーツもなしでいいわ。わたしがなんとかごまかす。それなら文句ないわよね?」

 ケンちゃんは晴れやかな笑顔を浮かべ、元気にうなずいた。


「うん。それならがんばれるよ。オレ、社長になるよ!」


 ケンちゃんはすっかり納得したようだった。

 どういうわけだかわたしも納得したような気になった。


 だが冷静に考えて見れば、誰も最初からスーツやネクタイの話は持ち出していなかったのだ。それはケンちゃんが自ら想像で持ち出したことだったのだ。


 恐るべし、キョウコさん!

 もはや完全にケンちゃんをコントロールしているのだった。


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 やがてケンちゃんの会社はどんどんと大きくなっていった。


 景気はゆっくりと回復を始め、住宅事情がずいぶんと変わってきたのだ。ケンちゃんの会社では古いマンションをオシャレにリフォームする事業を展開していた。


 子供十字軍の時に隠し部屋を作ったり、ミクニ老人の知り合いの家を修理していた経験が役に立ったのだろう。


 それが当たった。ケンちゃんの会社には次々と注文が舞い込み、ケンちゃんはマンションの子供たちを次々と職人に育て上げていった。


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