結婚と起業とあれこれ ③

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 当時のケンちゃんはかなり忙しくなっていたと思う。


 その頃には長くなった髪をオールバックで一つに束ね、口ひげとあごひげも生やして貫禄たっぷりの青年になっていた。


 目つきは鋭かったが、早くも現れた口元の皺は格好のいい笑い皺だった。手にはいつも新しい傷をこさえていた。

 そしてくたびれた手帳には、いつでもケンちゃんしか読めない字でスケジュールがぎっしり書き込まれていた。


 それでもケンちゃんは毎週の面会に必ず来てくれた。


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 その翌年にはコトラが社長になることになった。

 その日の面会には久しぶりに五人が集まることになった。


「ビストロ・コトラって名前で店を出したいんだ」


 このときのコトラはまだ十六歳だった。童顔は昔のままだったが、うっすらとひげも生え、筋肉もついて少しふっくらとした体型になっていた。白衣の袖をまくりあげ、エプロン姿でいつもにこやかに笑う気のいい少年だった。


 だが料理の経験は十分だし、マンションにはコトラが料理を教えた弟子たちもたくさんいた。準備はすっかりできていた。


「ビストロ・コトラ、か」


 もう目の前にいるのはわたしの知っているムニャムニャではなかった。自信があって、みんなに好かれて、誰からも認められる大人だった。


 まぁいつまでたってもかわいい弟には違いないけれど。


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「資金は足りそう?」


 わたしはレイに聞いた。レイも二十四歳になって、その美しさは完全に花開いていた! (またわたしの悪い癖が始まりそうだがご容赦を)彼女の服は相変わらず質素だったが、ユリの花のような可憐さと気高さが彼女の全身を包んでいた!


「それなら大丈夫。運用もうまくいっているから、それぐらいの余裕はあるわ」


 レイがそういうなら大丈夫だろう。

 もはやわたしが決断するまでもないのだが、それでもわたしに聞いてくれる心遣いは嬉しかった。


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「もちろんオレが店の内装を担当する」とケンちゃん。

「ま、コトラの料理は本当に上達したと思うわ」とキョウコさん。


「キョウコのお墨付きがあるなら決定だぜ。コトラ、お前もいよいよ社長だな。でもな、社長ってな大変なんだぞ」

 とはすっかり社長が板についてきたケンちゃん。

 それでもキョウコさんに、付けは欠かさない。


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「まぁ見ててよ!」

 コトラはそう言って、鼻の下を人差し指でかいた。

「ボクさ、世界で一番安くて、一番うまい料理を作るんだ。ほんとはレンジ兄ちゃんに一番のお客さんになってほしいんだけど、それはここを出てからのお楽しみだね」


 当然、わたしが出所した日に真っ先に出かけたのは、コトラのレストランだった。

 まぁ、あとで書くと思うが、コトラの料理はどれも本当においしかった。


 ちなみにその後、コトラの手がけたビストロは全国チェーンへと成長する。

 

『ビストロ・コトラ』

 特に子供たちからの支持は絶大だ!


 人生は続く! 誰の身にも!


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 そして『ビストロ・コトラ』オープンのこの年、とうとうキョウコさんは正式にヒダカ法律事務所の弁護士になった。正式採用ということだ。


 そうこうしているうちに、あっという間に二年が過ぎたのだった。


 それはつまり、


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 わたしは出所まであと一年を残していた。

 だから二人の結婚式に立ち会うことはできなかった。


 その日はとても晴れていて、わたしは牢獄の中庭から青空を眺め、二人のことを思い浮かべていた。きっと賑やかで楽しい式なんだろうな。それを想像するとニヤニヤが止まらなかった。


 ということで、この先はコトラやレイ、それにケンちゃんとキョウコさん本人から聞いた結婚式当日の話である。


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 結婚式はビストロ・コトラで行われた。


 当初、キョウコさんは式を挙げないと頑張っていたそうだが、レイとコトラの説得で式を挙げることになった。なにしろわたしたち大家族にとって初めての結婚式である。レイが特別に予算を組んで、彼らなりに豪華な式を手作りしたのだ。


 ケンちゃんは白いタキシードを着た。髪をビシッとなでつけ、ワイシャツを着て、蝶ネクタイをしめ、さらに革靴を履いた。

 ケンちゃんはカチコチに固まっていたそうだ。


 そしてキョウコさんは純白のウェディングドレスを着た。キョウコさんはまるで別人のようにしおらしく、しじゅううつむき加減だったという。


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「すごく照れちゃってさ、ほっぺたが赤くなっててさ、あれがツンデレってやつだね」とはコトラの話である。


「すごくきれいな花嫁さんって感じだったのよ。あたしも早く着てみたいなぁ」

 とはレイの話である。


 普段は冷静なレイがずいぶんと熱っぽく、夢見るように話していたのが印象的だった。


 ちなみに二人のタキシードとウェディングドレスは、その後何人もの家族たちが着ることになる。わたしたちはそれを大事に扱い、家族同士が結婚する時は、かならずそれを着るのがならわしになった。


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 それから二人は指輪を交換し、みんなの前で誓いのキスをして、パーティーが始まった。


 ちなみにこの時点で家族は百人を突破していた。店には小さな子供たちがいっぱいに入り、入りきらなかった子供たちは外にテーブルを並べて、窓から二人の様子を見ていた。


 それはこの街で行われたあらゆるパーティーの中で、最も熱狂的で、最も楽しいパーティーになった。


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「もう恥ずかしかったぜ、あいつらの歓声がすごくってさ」とはケンちゃん。

「だから式は嫌だって言ったのよ」とはキョウコさん。


 だがそれは明らかに照れ隠しだった。そう話したときのキョウコさんはまたもポッと頬を赤らめ、唇の先が笑顔にすぼまっていた。


 ああ、わたしもパーティーに参加したかった!


 キョウコさんの照れてる顔、それにドレス姿を見られるなんて事は、その時の一度きりしかなかったからだ。ああ、本当にわたしも見たかった!


 わたしがその感想を、現在のキョウコさんにいうと、

「レンジ、あんたいったい、いつまでガキなのよ。そんなんだから子供になめられるのよ。まずはあんたがちゃんとした大人になりなさい。大体ねぇ、あんたは昔から……」


 と、やはり厳しく説教されてしまった。

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