そして牢獄へ ④

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 そんなわけで翌朝、わたしとレイはヒダカ老人のところに貯金箱を持っていった。


 ヒダカ老人はすでにスーツ姿にコートを羽織って、わたしたちの到着を待っていた。手には黒革の手袋をはめ、頭にはフェルトの帽子をかぶっている。

 こういう格好をしていると、ヒダカ老人は実に貫禄があった。


「おお。早かったな、君たち」


 迎えられたわたしたちは褒められた格好ではなかった。ツギの当たったズボンにごわごわのコート、マフラーにはシミがついていた。

 ずいぶんと落差があったが、どちらにしても取り替える服はなかった。


「それより、ちゃんと持ってきたかな?」

 わたしはカバンの中から金の粒がいっぱいに入ったビンを取り出した。

金の粒はビンの口いっぱいまで詰まっていた。これがどれくらいの金額になるかは想像もつかないが、とにかくずっしりと重かった。


「では行こうかの?」

 ヒダカ老人の後についていくと、正面玄関前に車が止まっていた。運転席にいたのは知らない老人だった。おそらくミクニ老人の知り合いだろう。そしてわたしたちが車に乗り込むと、滑るように街中へと走り出した。


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 着いたのは街の中心部にある石造りのビルだった。歴史のある建物のようで、ずいぶん古めかしい感じがする。

 重そうなドアをくぐり抜けて、二階まで上がっていくと【ヒダカ法律事務所】というマークの入ったガラス扉があった。


「ここはわしの古い知り合い……というか、簡単に言うとわしの弟の事務所なんだ」


 扉を開けると、その弟さんが机の向こう側にいた。ヒダカ老人ほど老けていない。ぽっちゃりと太った体型で、優しそうな感じの人だった。


「久しぶりですね、兄さん」

「まったくだな。今日は例の子供たちを連れて来た。力になってやって欲しい」

「こんにちは。君がレンジ君、そしてあなたがレイさんですね」


「はじめまして。よろしくおねがいします」とわたし。

「よろしくお願いいたします」とレイも頭を下げた。


「わたしはヒダカリョウジ。弁護士です。といってもまぁ、便利屋みたいなものですがね。まぁおかけください」


 リョウジさんはわたしたち相手にずいぶんと丁寧な言葉を使った。大人の人からそういう話し方をされたことがなかったので、ずいぶんと驚いたし、なによりいっぺんに信頼してしまった。


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「さて。さっそくですが、君たちの貯めたキンを預からせてもらえますか?」

 わたしは鞄からビンを取り出し、机の上に置いた。


「ずいぶんとありますね。これだけ貯めるのは大変だったでしょう?」

 リョウジさんはそのビンを両手で大事そうに持ち、重さを測った。


「六キロ、いや七キロはあるかな? たしかに預かりましたよ。まずは兄さんの忠告どおり、すぐにこれを売却し、現金、株券、保険証券、国債、へと分配します」


 恥ずかしながら、リョウジさんが何を言っているのか、わたしにはさっぱり分からなかった。


「最初の分配はわしの指示したとおりにやっておくれ。それ以降の運用は」

 ヒダカ老人はちらりとわたしを見た。

「運用……ですか?」


 もちろんさっぱり分からない。何を運用しろというんだろう? そもそも運用ってどういうことなんだ? わたしはめまいがしそうだった。


「レイさんに任せてみてはどうかね?」

 ホッとしたのが正直なところだが、ここでレイの名前が出るとは思わなかった。

 どういうことなのだろう?


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「レンジ、実はわしはレイさんに資金運用と言うものをずっと教えてきたんじゃ。彼女が手伝いに来ている間、わしはわしの知っているすべてを教えた。相場の見方や分析、投資の仕方とタイミング、そういうことを全部教えた。だからお前さんがよければ、そういったことを彼女に任せてはどうかと思うんじゃ」


「そうなの?」

 わたしがレイを見ると、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまった。そうしながら小さくうなずいた。


「だったらそうします。どうせ僕にはわからないし」


 その間リョウジさんはわたしたちのやり取りをじっと見ていた。

 そしてわたしの返事を聞くとにこやかに笑った。

「君は兄さんが話していたとおりの人ですね。この時代、誰かをちゃんと信じられるというのは、とても大事なことですよ。兄さんも見習わないといけませんね」

「よ、よけいなことは言わんでもいい!」

 ヒダカ老人の顔は真っ赤になっていた。そしてあわてた言い方がまたおかしかったので、わたしたちはつい笑ってしまった。


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「では、すべての名義はレイさんの名前で進めていきます。書類の作成等がありますから、レイさんにはしばらくこの事務所にきてもらうことになります」

「わかりました」とレイ。


「ひとりで大丈夫かい?」

 わたしはそう聞いた。なんだかこの先大変そうな気がしたからだ。


「ええ。あたし、がんばるつもり。みんなを守って、みんなが少しでもいい生活ができるように、みんなのお金はちゃんと守るわ」

「ありがとう、君がいてくれて本当によかった」

 かわいらしいことにレイは真っ赤になってうつむいてしまった。


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 そんな姿がまた、たまらなく美しかった。

 少し伏せた目と長いまつげ、ほんのりばら色に染まった頬、いつでも微笑んでいるような唇。わたしはふたたび、めまいに襲われてしまった!


 どうも妻を褒めすぎるのが癖になっているようだが、ここは我慢して欲しい。


 というのもこの後、厳密にはその数日後、わたしは美しいレイから引き離されることになるからだ。


 事務所に二人で出かけたこの日、ともに車に乗り、街中を散策し、喫茶店というのものに初めて入って紅茶とケーキを食べて、マンションへと歩いた帰り道が、わたしとレイがともに過ごした最後の時になったのである。


 わたしたちが再会するのはなんと五年後になるのである。


 なんというドタバタ人生!


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 その一週間後、ヒダカ老人が予言したとおり金が大暴落した。


 一瞬にして金の価値はなくなり、鉄くずと変わらないものになった。


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 その一週間、レイは毎日ヒダカさんの法律事務所へ通っていた。

 彼女の頑張りのおかげで、わたしたちは大切な財産を守ることができた。


 そのことでキョウコさんはレイに素直に謝った。


「あんたの言うとおりだったね、あたしの言うとおりにしてたら、あたしたち一文無しになるトコだった。ごめんね、いろいろ言って」

「そんなことないよ。キョウコだってみんなのことを考えてそう言ったんだから」


「まぁそうなんだけどね。でも今回はあんたのお手柄よ」


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 そして子供十字軍は、ついにその戦いを終えることになった。


 最後に救った子供で、家族は九十人に膨れ上がっていた。


 金が暴落した以上、それも鉄くずほどの価値まで下落したからには、子供に暴力がふるわれる危険はなくなるはずだった。


 子供十字軍は完全にその使命を終えたのである。

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