夏は蒼寂

「ねぇ、高崎。明日から夏休みだよ?」


 彼女は嬉々として俺に問う。


 終業式が無事、陳腐な校長の講話、生徒指導の常識指導、誰も聞いていない功績の再賞賛という居眠り時間を経て閉会し、珍しく昼下がりの微睡むには最適な暖気の中、俺と御子柴は意味もなく言葉を投げ合っていた。


「形式上は、一学期終了のはずなんだけどな」


 終業式があったにも拘らず翌日から平日の様に7コマ組んである夏期講座、そして六泊七日の夏季合宿という名の十時間耐久自習(監禁)、実質の休みなんて盆の一週間だけで、この期間どこがどう夏休みを語れるのだろうか、是非お偉い先生方にご教授願いたい。


「喜んでるとこ悪いんだけど、御子柴。夏休みってこの学校では実質一週間だって事は知ってる?」


「うん、一般の生徒、普通の人なら休みが少ない事は流石の私でも知ってるよ?」


 終業式は疎かSHRショートホームルームでさえ夢の世界へと旅立っている彼女が何処でその情報を知りえたのかは、正直不可解ふかかい極まりないのだけど。


「普通の生徒なら、って事は普通じゃない御子柴はもっと休みがあるのか?」


「勿論」


 彼女の得意声に「どんな理屈だよ」と苦笑を交じえて不平を零す


 俺は果たして普通の生徒という括りに入れられているのだろうか、御子柴の説明次第でひょっとすると夏季の無駄な学校行事に不参加でも良しとなるかもしれない。


そんな淡く矮小な希望を抱いてみたり、それは現実味のない可能性だと薄く落胆してみたり。


社会から顰蹙ひんしゅくを買っている俺である、幸せになれる可能性が無いのだから、せめて夏休みくらい自由な時間を頂けないだろうか、どうせ通常の人間の半分も満喫することすら叶わないのだから。


「じゃ、逆に聞くけどさ」


 改まって彼女がこちらへ視線を運んで来たので、俺は黒板の落書きを眺め、視線を逸らした。生徒、主にリア充主体の企画、黒板に張られた肝試しの参加表明の紙が揺れる。千切ってしまいたい、なんて。


この劣等感は何度目だろう。


 幸福に成れる者、成れない者。今では死にたがっている彼女に対しても、幸を求め進歩しているが故、何も変わらず前進しない俺は、小さな敗北感を覚えている。


「人生最後の夏休みに、勉強なんてそんな至極退屈な事して、時間をただ浪費するような人間がこの世にどれだけいると思う?」


 なるほど。彼女にそこまで言われて、理論を捏ね繰り回して彷徨っていた俺の脳がやっと彼女の思考に追いついた。


 勉強なんて、死を前にしてそんな無意義な事をしてる時間はない、もっと有意義なことに時間を割く必要がある。そう彼女は言いたいのだろう。


「一人もいないだろうな、勉強が好きで好きで、勉強にとち狂ってる奴なら、寿命が後わずかになった時、学校の講座とか自習とかには目もくれないで、大学やら海外やらで好きなことを腹いっぱい勉強し尽くすだろうし」


 でも、言わずともながらそれは例外で、世間一般における大抵の場合、勉強は未来がある人間にこそ意味を成す。


 高校生以下の年齢で亡くなった人間にとっては、人生最大の無駄は、未来があると信じ勉学に励んでいた時間に他ならない。その分の時間、正常で真っ当だった彼達彼女達はどれだけ人生の愉悦を経験出来た事だろうか?


 総括、特定の人間において、勉強という物は、個人の大切な時間を浪費させ、人生の質を落すだけの、無駄でしかない。


 あくまで結果論に過ぎない。しかし結果でしか評価されないこのご時世、とやかく批判されるいわれはない。


「高崎はさ、その学校の行事、合宿だとか、夏季講座とか、やる気底上げ講習とかには参加する?」


 参加するつもりだった、けど。


「御子柴は行かないんだろ? なら俺も行かないでおこうかな。正直、怠いし」


 御子柴の存在しない学校に通う、つまり完全に孤立した学校生活を送る。夏が正念場だと意気込み部活を熱心に打ち込む者、恋人と夏も満喫する者も必然的に増えるだろう、そんな夏を謳歌するクラスメイトを見て、何も進歩しない俺がただ劣等感にむしばまれていくのは容易に想像がつく。もし、そんな青春の燃えるオーラに感化され、引火したとしても人間として薄っぺらい俺は秒で燃え尽き灰塵となるだろう。


「残念ながらまだ、新しいハブられ者を見つけれてないから学校での居場所がない」


 御子柴がいないから行けない、そう認めてしまうと何処か俺が敗北してしまった気がして、そして他人という俺と御子柴に引かれた一線を土足で踏み越えた様な、そんな簡潔にならない気持ちがして、申し訳程度に御子柴の代理人を捜索している、という言い訳をだけを伝えた。


「見つかるといいね」


「あぁ、出来るだけ早く見つかって欲しい」


 できるだけ早く、御子柴に依存してしまう前に見つけたい。


若しくは、この夏に彼女が消えてからでも自分と向き合い、この世から消えるのもまた一興いっきょうか。


「なぁ、御子柴。今日は死ねそうか?」


 次の彼女の台詞はもう予想がついていた。俺の頭は会話の流れと彼女の性格を無意識に考慮してしまった。


全く嘆かわしい。


「これからだよ」

彼女は窓から、青空に広がった入道雲を臨みながら笑み混じりにそう答えた。


「そうだな」

その通りだ、ちゃんと御子柴には俺の手に入れる事のできなかった幸せを掴み、笑って死んでもらわないといけない。


 それだけが、今の俺がまだ存命する理由。


 さぁ、青く寂しい夏が始まる。


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