止まない雨の日

「なぁ、御子柴。今日は死ねそうか?」


ガラス製の曇天透ける冷たい窓に、腰を椅子へと落ち着けたまま寄り掛かり重心を委ねる。


 断続的で鳴り止まない、小粋な水滴の破裂音。その快音に心を沈めつつ、俺は今日も変わらず御子柴にこの言葉を投げかけた。


「いいや、ダメ。こういう雨の日も嫌いじゃないけどね。どうせ死ぬんならさ、夕焼けが綺麗な日に死にたいな。一世一代の大イベントなんだからさ、それくらいの希望は叶えないと死んでも死にきれない。ってね」


 何やらしたり顔で彼女はこちらを覗いて来た。憶測だが、おおよそ今の言葉を、少し上手いことを言ってやった、そう思っている。そのドヤ顔を見ると溜息が出る。


本当に死のうとしてる奴が死んでも死にきれないとか、笑えねぇよ。


御座おざなりに死なせたら後で祟られそうだ」


 わざとらしく肩をすくめてみる。少しだけでも感情豊かな人間の真似が出来ただろうか、表情は上手く動かせなかったけれど。


「そうだよ、ちゃんと引き受けたからには満足する死に方をさせてよね?」


 人差し指を俺に向けて立てて、元気よく死を宣言した彼女に対し、俺は色のない相槌を打つ。


こんな元気な奴が近々棺桶の中で死化粧か、全く、世の中は面白く出来ている。


「夕焼け、好きなのか?」


 俺は何気なく会話を継続させるために、さして興味もない事を訊いた。


「うん、特に夏の夕焼けは大好き。あれってさ、見ているだけで心が癒されるような、心が満たされる感覚を私に与えてくれるんだ」


 彼女はその情景を思い出したのだろうか、窓の外に目を向けながら恍惚とした顔を見せる。ほんのりと朱を浮かべた顔を見て今更ながら、綺麗だな、なんてチープな感想を抱く。


 まぁ、彼女はこれから死ぬ。こんな俺の些細な気づきは至極しごくどうでもいいことで、どこにも活かされることのない知識だ。さっさと忘れてしまおう。


「ねぇ、高崎。夏休みさ、君、暇?」


 彼女は唐突にそう聞いてきた。概ね、また何か思いついたのだろう。と、俺は苦笑を漏らす。


そう言えばこの死ぬだの死なないだの件も元はと言えば彼女の思い付きだったはずだ、全く気分屋が過ぎる。


「まぁ暇だけど? 特にどこに行く宛もないし、部活があるわけでもない。友達とどこかに遊びに行って友情を深める予定もなければ、恋人なんか作ってリア充を満喫する気もない。今年も例年通り、夏の課題が誰よりも早く終わる寂しい夏休みになる予定だけど?」


 俺はそう言いながら彼女にちょっと皮肉っぽく笑って見せる。それと同じように、でも少し違う種類の明るい笑顔を彼女は作り返してくれた。「珍しいな」と小さく呟くと原始的な照れ隠しなのだろう。俺の腹部に勢いのままの拳が入る。しば悶絶もんぜつするほどの苦痛に耐えながらも俺は、笑顔は崩すまいと虚しい意地を張った。


「じゃぁ夏休み返上で手伝ってくれない? 夏は若い私達が幸せを感じやすくて、そして心が満たされやすい季節だと思うから、私の目標の達成に近づける良い機会になると思う。っていってもどんな時にどんな事を頼むか正直私にも判らないんだけどさ。それでもいいって言ってくれるなら高崎、ぜひ手伝ってほしい」


 そう言って彼女は俺の手を半場強引に取り、お願いをしてきた。そんな彼女に、俺はまだ痛みが駆け回っている腹部を無理にひねって目を逸らす。


人の目を見て話すのは苦手だ。


 なんてのはただの言い訳か。


 俺は他人の目は見れない。見ると胃の中の内容物が喉の方まで上がってくる感触が伝わったり、目の奥の本心で言った何を考えているか分からずに漠然とした恐怖を感じる。でもずっと放課後二人で話していた彼女の目は見ていても、今更恐怖なんて沸かないんだ。


だからここで目を離したのはあまりに君が××××ったから。


「夏休み返上って赤点取った何処かの誰かさんみたいだな。いいよどうせ暇なんだ、どんなことでもやってやるよ。でも一つだけ条件を出す、いいよな? この条件を呑んでくれるなら、手伝ってもいい」


 そう俺が言うと彼女は「なんで赤点だとばれたんだ……」と少しだけボヤいた後、「条件って何?私としては勝手なことを言われても従うことはできないんだけど」そう、どこかの議員でも連想させる上から目線の返答を返す。


彼女の言う勝手な事とはおおよそ「死ぬな」と云った類のものなのだろう。それが利けないのは当たり前だ。


そんな事をホザくつもりは無いし、その権利は他人の俺には無い。


「そんな大した条件じゃない、ただ御子柴、お前が死ぬときに俺をその場に同伴させてくれないか? おおそれた理由がこれといってある訳じゃないんだけど、人の死を身近で感じていたいんだ。お前が死ぬときに俺を傍に置いてほしい。この条件を飲んでくれるなら夏休み返上して手伝ってもいい」


この言葉に、明確な真意など存在しない。ただ、ここ3ヶ月多少なりとも世話になった御子柴の死に様くらい拝んでやろうと、そう考えたのだと思う。


俺の台詞の尾尻には、既に不適に目を細めた彼女が待っていた。


「今更だね。安心していいよ、最初っから高崎には私の死体を見せつける気だったから」


 全く……嬉しそうな顔してサラッと、それも当たり前のようにとんでもないことを言う奴だ。なんて思いながらも、俺の顔は徐に綻んでいった。


「じゃぁ、楽しみにしてるよ」


 俺の声帯は珍しく、ちょっとだけ温かみを帯びて震えた。


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