第7話*トラウマの話
「あの鳥、よくいるな。」
寺庭を掃きながら、毎日のように見かける野鳥に目をやる。
「やっと暖かくなってきたなー」と思えばあっという間に夏が来る。この間咲き始めたかと思った枝垂桜はいつの間にか新緑に衣替え、背の高い白い大手毬が青空に浮かぶ雲みたいだ。「春らしさって年々感じ難くなってんなあ。」と少し前に呟いたら担任の教師が「君の歳で、もうそんな事を感じるの?」と驚かれた。そういえば「寒くなってきたね」と政道に言われた時に「それをあと70回繰り返したら寿命だよな」とか言ったら珍しく目を丸くした後に「そんな事考えてもみなかった」と言っていた。どうやら俺は人よりも時間の流れに過敏らしい。考えたら時間を数える起点が出来てしまったからそうなのかもしれない。あれから4年か、とか。ここに来てから2年か、とか。
そんな瞬くような流れの中でも、尾っぽを上下に揺らしながらあの鳥は毎日寺庭にいた。
「あれは”お尻ペンペン鳥”だね」
竹箒を止める事なく当たり前のようにそう言い放った姉貴。出たよ、名付け親番長・由紀。何でも自己流に名前をつける癖がある俺の姉貴だ。
「ぜってー違うわ。」
「あれは…セキレイだろう。」
隆光さんも慣れたもので特に変わった反応をするでもなく正す。平日の夕刻。寺には参拝客はいない。隆光さんは藤棚からこぼれ落ちるように咲いた沢山の藤が揺れる様子を眺めながらそう言った。
とにかく姉貴は名前を勝手につけるし、勝手に歌詞を変えるし、訳のわからん自論を話す。
お陰で弟として近くにいた俺は様々な間違いを認識したまま育っていた。
例えば「台風は台湾で出来るんだよ。”台湾で出来た巨大な風”だから”台風”」とか。この話を聞いた時多分小学生だったと思う。マジか!スゲー!と、渚の家で自慢気に話してみれば、当時から生き字引と言っても過言ではなかった朱里さんが「台風は赤道に近い南の海の上で出来る。」と冷静に話してくれたのを未だに覚えている。それを姉貴に話したら「ははは」で終わった。適当なことを言うし、その内容に一切の責任を負わないのが姉貴だ。
「へぇ、セキレイって言うんだ」
「言うんだ、って、勝手に名前をつけてそれを普通にするなよ…」
「でも、”お尻ペンペン鳥”という名前はなかなか的を得ている。セキレイにはイシタタキ、イワタタキ、ニワタタキなどの別称もある。」
「じゃあ、いつかそれに加わるかもね、”お尻ペンペン鳥”ってね」
「そうかもしれないな」
「そうかもしれないな」じゃないっス!加わるわけないじゃないっスか、そんなふざけた名前!
・・・とは言えない。真顔で頷く義兄に突っ込めるほどまだ彼の義弟としての距離間はまだ掴めていない。
「鳥って可愛いよね!檀家さんが”コザクラインコ飼ってる”って動画を見せてくださったけど、可愛いの!目がキュルンとしてさー。」
「今、鳥がブームらしいな。フクロウカフェとかもあるらしいぜ」
「フクロウカフェかー。じゃあハシビロコカフェとかも無いかなぁ」
「ねーだろ。あんな巨大で不気味な鳥とのんびりできるかよ」俺が吐き捨てると、姉貴は竹箒の柄で俺の背中を軽く刺した。だってハシビロコウとまったりラテとか飲めねぇだろ。奴のあの目、絶対に人1人は食った目だ。癒しの「い」の字も感じない。まったりしていたらあのデカイ嘴がガバッと開いてパクっといかれそうだ。
「もしかしてまだ鳥、苦手なの?」
グッ、と押し黙ると隆光さんも興味深げにこちらに切れ長い目を向けた。そうなのだ。実を言うと
鳥が苦手だ。特にハシビロコウのようにペリカン目に属する奴らは皆敵だと思っている。サギとか、ペリカンとか。
「鳥が苦手なのか。意外だな。」
「鳩くらいまでの大きさならなんとか見る分は大丈夫なんですけどね…あの、”鳥”って映画知ってます?」
「ヒッチコックのか?」
「それっす。それを姉貴に見せられて以来…うー…想像しただけで鳥肌が立つぜ…姉貴、あーいう映画好きじゃないですか」
姉貴は竹箒を手放し、セキレイにスマホを向けて懸命に写真を撮っている。
「パニック映画か。」
「パニック映画っス」
とにかく姉貴は、コメディだろうがラブストーリーだろうがSFだろうが【パニック】というジャンルを含んでいるものが大好きだ。それがB級だと尚更興奮するらしい。
そしてそれを共に見せられてきた俺は『鳥』を見て以来『鳥』が、『アナコンダ』を見て以来蛇とジャングルが、『ビッグ・バグズ・パニック』を見て以来昆虫が、『マックイーンの人喰いアメーバの恐怖』を見て以来人喰いアメーバが…という風に様々なものが嫌いになってしまっていた。
「マックイーン…随分古い映画を知ってるな。」
「未だにたまに夢に見ますからね。しかも最後が”The End?”ですよ…そんな終わり方が一番嫌なんです!」
「俊太はいちいち大袈裟なのよ。大体さー人喰いアメーバなんていないんだから怖がる必要も無いのに」
「わかんねーだろ!地球はな!不思議がいっぱい詰まった宝箱なんだよ!でかいミミズがいるんならでかい虫もいるだろうし、新種の生物が見つかるなら人喰いアメーバが見つかる可能性だってあるだろ!」
「俺は”サウンド・オブ・ミュージック”とか”Dr.ドリトル”とか見て心をほかほかさせてーんだよ!」というと姉貴はケラケラ笑う。笑ってんじゃねー!自慢するつもりはねーけど、俺はなかなかのビビリなんだ。パニック映画なんてトラウマもんだ。その証拠に昔から何かが起こればすぐにパニック映画みたいな展開に直結してしまうことが多々ある。
「俺の苦手なものには根本に姉貴がいる。」
「と、いうと?」
「これは俺が小学校の低学年の時なんですけど」
そう、確か「台湾でできる巨大な風が台風」の少し前だ。
トイレに入ったら、たまたま窓が開いていて、コウモリが入りこんでいたことがあった。
壁に張り付いた黒い物体が最初はよくわからなくて一歩近寄り目を凝らして絶句。姉貴は「あり得ない」っていうけど、俺は確実にあの瞬間コウモリと目があった。確信している。
すぐに姉貴の元に飛んでいきこの事を知らせると、「捕まえる!」と庭から虫取り網を持って来た。ビビリで小心者だった俺と違って、姉貴は昔から物怖じしなかった。そして虫取り網を持って来た姉はそっとトイレのドアを開けて中を覗き込む。
奴はまだ壁に張り付いていた。
名前はわかるが実態をよく知りもしない野生動物。外にいて当たり前のもんが家の中にいると気味が悪いし、絶対安全で、一番安心できる場所がそうでなくなった時のストレスはハンパない。
俺が動けないでいると、姉貴は「どこにいるの?」と一言。
「う、嘘だろ!目の前の壁にいるじゃん!」
「は?どれよ」
「あれだよ!」と、身を乗り出して指差したことが間違いだったとなった。背中を押されて体はトイレに。ハッ!となった瞬間にバタン、と閉まる扉。
そこからものの数秒で「もうだめだ、このコウモリと同じ空気を吸ったことがきっかけでなんらかのウイルスに感染してコウモリ人間になるんだ」と思って膝から崩れ落ちて、号泣した。
扉の向こうで姉貴が笑う声がしていた。
「それ以来コウモリも無理っす」
「由紀…」
話を聞いた隆光さんが呆れたようにため息をつくと、「そんな事あった?」と当の本人はポカンとしている。
「あっただろ!あの後、お袋からこっぴどく叱られてたじゃねーか!弟虐めんなって!」
「そうだったっけ?よく言われてたからいちいち覚えてないよ」
「もう、本当こいついーっつもこれだよ!俺の捕まえたカマキリを見ながら”カマキリにはハリガネムシが寄生してるからカマキリを捕まえた俊太にも寄生して今日の夜、あんたのお腹を突き破ってハリガネムシが出てくるよ”とか、裸足で走り回ってたら”足の裏から入る寄生虫踏んでるから脳で増えるよ”とか…」
「あんたさ、カマキリ捕まえて帰って来て卵が孵化してお母さんが絶叫してたの覚えてないの?だから持って帰る前に止めるために、カマキリ離さないとハリガネムシが腹を食い破るよって話をしたの。あと裸足で遊んだらちゃんと足を洗いなさいっていう教えよ、教えよ。」
「カマキリ捕まえて帰ったのは姉貴だろ!」
「そうだっけ?」
「大体、教えって他に言い方があるだろーが!」
「なーにを言ってんの。湖で泳げば河童がお尻の穴から手を突っ込んで尻子玉を抜かれるっていうでしょ?あれだって泳ぐ子どもへの注意喚起のために作られた迷信だって言うでしょ?おんなじ話よ、おんなじ話」
「知らねーよそんな迷信!なんだよ尻子玉って…」
「尻子玉は尻子玉よ。抜かれたら腑抜けになるの。」
妙に疲れが押し寄せてきた。なんなんだ、この人。世の中の姉という生き物は皆こうなのか、と思ったところで俺は思い出した。
そうだ、隆光さんは兄貴さんがいた。
いいなぁ、兄貴。
隆光さんの兄貴さんは実は面識がない。本当なら兄貴さんが龍金寺を継ぐはずだったらしいが、「東京でロックミュージシャンになる」とか言って出て言ったらしい。その話を聞いた時に「ロックミュージシャンになったんですか?」と聞いたら「なってない」と言ってたけど。
「隆光さん、兄ってどんな感じなんすか?」
「兄?」
「いや、俺は姉貴しかいないから、兄貴とか弟とかちょっとわかんないし。少なくとも姉貴みたいじゃないっすよね?」
隆光さんは少し考えて「あまり話をしないからな」とだけ答えた。そうだよな、世の中には色んな人間がいるわけだから、うちの姉貴みたいに騒がしいやつばっかりじゃないわけで。隆光さん兄弟が仲がいいのか悪いのかはわからないけど、そうか、あまり話をしないのか。兄弟ってそんなもんなのかな。言葉を交わさずとも背中で語る、みたいや。黙っていてもわかる、みたいな。うちなんか話してもよくわかんねーけど。
「ただ」
「え?」
「寝ようと部屋に行くと枕にロシアの大統領を貼り付けてさも布団に寝ているように装うイタズラをしたりしていた」
「…」
「反応に困った」
「…でしょうね」
本当、世の中には色んな人間がいるもんだ。
隆光さんは藤を見ながら「もう随分会ってないな…」と少しだけ寂しげに告げた。
「夜、映画見ようよ。借りてきたんだ〜。」
「嫌だよ!俺は姉貴が借りて来た映画は見ない!」
「まぁまぁ、大丈夫だって。巷で流行りのインド映画だからさ!踊る事で有名なインド映画だよ?心もほかほかするでしょ。」
「隆光さんも一緒に見ようね。お菓子も買って来たし」と姉貴が言えば、隆光さんも「仕事が入らなかったら」と頷いた。
そうして俺と隆光さんが見せられたものは、凡そ3時間にも及ぶインドのゾンビが踊るパニックホラー映画だった。
お姉さまの言うとおり 夏目彦一 @natsume151
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