第4話*手紙の回

拝啓、俺。

この手紙を書き始めて随分経つ。俺も割とマメな事ができんじゃん?なんて自画自賛してもいいだろう。


さて、本日の【春日部夏のパン祭り】は盛況に終わった。

美月さんは俺や渚が来ることなんてすでにわかっていたんだと思う。じゃなきゃ、あんな量のパンを焼くなんて狂気の沙汰としか思えない。

政道は「ホームステイした時のことを思い出した」と蒼白の顔で呟いていたけど、確かに俺も政道から見せてもらったホームステイ先のアメリカで45Lのゴミ袋(未使用)にパンパンに入ったポップコーンを見て以来の驚愕的量だった。


「誰がこんな食うんスか…」


その俺の言葉にさも当たり前のように俺と政道、渚、渚の姉ちゃんの朱里さん、そしてうちの姉ちゃんの名前を挙げたのだった。


「こんなに食えるかな…」と正直に思ったし、自信は無かった。でもなー、米粒にも7人神様がいるんだっけ?なんかそんな話もあるし、無駄にするのは嫌いだから頑張るしかない。

カバンにパンパンに詰めたパンは、非常に重かった。俺の黄金の右腕が…と、テニスに全ての力を注いでいた中学時代ならば文句の一つも出ただろう。まぁ、中学時代でも大して成績は残せなかったわけだけど。


重い気持ちのまま、重いパンをぶら下げて、重い玄関の引き戸をガラガラと開けると、さっきまでのパンの匂いとは全く違う線香の匂いが充満していた。これは俺のイメージに過ぎないけれど、さっきまでのふんわり香ばしいパンの匂いや淹れたてのコーヒーの匂いは幸せに近いと思う。明るくて、初々しくて、新婚とか、ホテルのバイキングとか、俺にはそういうイメージがあるわけよ。

少なからず、朝から晩まで線香の匂いが残るこの家にいる俺としては、そうだったりする。


何もかもが重いまま家の中に入って見たら和室にも客間にも誰もいない。「台所か」と、カバンを握り直してまだ廊下を奥へと突き進む。

この家は掃除も行き届いているし、そんなに古くもないから隙間風は吹かないけど広すぎる。和室なんて襖が閉まってるからいいけど、開けたら一番奥に殿様でもいるのかよって広さだ。

ピカピカした廊下抜けて、線香の匂いがわずかに薄れてきた頃ようやくカタカタ、と鍋の蓋が鳴る音が耳に届き始めた。


「ただいま」っていいながら台所に足を踏み入れてみたら、そこにはなんと!鍋当番の隆光さんが立っていた!マジかよ!


「あれ?姉貴は?」


「テレビの録画を忘れたらしい。今、二階に上がっていった。」


「そうなんスか。あ、俺が鍋見ますよ」


「いや、先に着替えて来るといい」と隆光さんは再び鍋に向き合った。俺たちの会話なんてこんなもんだ。


隆光さんは俺の義兄であり、この龍金寺(りゅうこんじ)の僧侶だ。線香の匂いが家の中にあるのは姉ちゃんがここに嫁いだ事がキッカケで俺もここに住んでいるからだ。


「あ、じゃあこれ」


俺がカバンを差し出して開けると、隆光さんの顔が一瞬こわばる。しばらくすると「政道君のお姉さんか」と訳知り顔でこぼした。パンパンに詰められたパンは多少潰れている。


「はー!終わった!隆光さんごめんねー!」


ドタバタと賑やかに階段を降りてきた姉ちゃんは俺をみるなり「おかえり」の「お」の口のまま固まった。そうして「お」の口を静かに閉ざすと「やっぱダメだったか…」と吐いた。


「やっぱ?」


「美月には魚がデカすぎたのよね…」


「相手知ってんの?」


「まぁね」


「今日の夕飯はおでんよ」と言いながら、姉ちゃんは鍋に駆け寄った。鍋の中を覗くと、こんにゃく、大根、あとネギが入っていた。食べさせてもらう身で我儘を言う気は決してないがうちの姉ちゃんは多少ズレている。マイペースっつーか、呑気っつーか。朱里さん曰く「トロい」らしく、美月さん曰く「にぶい」らしい。


俺は帰宅後に姉夫婦と言葉を交わして、必ず自室に向かうことにしている。それもちゃんと毎日続けてる。偉いなー、俺。最高に偉い。

じゃか今日からは少しだけ昔の話を書いていこうと思う。


俺には…いや、俺と姉ちゃんには親がいない。

別に複雑な事情はない。突然事故で死んでしまった。あっけないよなぁ。死別なんてそんなもんなんだろうな。俺が13歳、姉ちゃんが15歳の蒸し暑い夏だった。

事故の連絡があった時、俺は部活に行っていた。真夏のテニスコートでキラキラと朝を流しながら当たり前にテニスをやっていた。ふと気付いたら姉ちゃんが監督に何か話していて、そうこうしてるうちに俺が呼ばれた。


「ご両親が事故に遭ったらしい。今すぐお姉さんと病院に行きなさい」


「俊太、タクシー待たせてるから。」


「荷物は後で自宅に届けるから」と、一分一秒も無駄にするなみたいな気迫だった。よく理解出来ないままタクシーに乗り込むと、タクシーの運転手が「急ぎますね」とだけ告げた。


「俊太」


「何」


「お父さんとお母さん、心臓が止まったんだって」


「覚悟しておいてね」と言った姉ちゃんの顔はいつもとあまり変わらなかったけど、膝の上に置かれた手がガタガタと震えていた。俺はバカだから「寒いのかな」とか考えていた。


病院についたら、まぁ俺たちだけの病院じゃないから普通に患者やその家族もいて「なんだ、本当は大した事ねぇんじゃねえの?」と思った。

救急外来入り口から入っていって、廊下に並んだ長椅子をドンドンと追い越して病院の中を泳ぐように歩いた。消毒液の匂い、アラームのような機械音、長椅子に座る見知らぬ人達。

入り口から一番突き当たりまで歩いたら、階段があった。地下に続く階段だ。俺と姉ちゃんは一歩一歩ゆっくり歩いた。姉ちゃんが先で、俺が後。そしてひんやりとした空気に包まれた地下には重い扉が一つ。入り口に男性の看護師が一人いた。

メガネで小太りで、額に汗の粒が浮かんでいた。


「確認できる部分だけで、確認してもらえますか?」


その言葉の意味を、あの頃はわかってなかった。

姉ちゃんが頷いて「俊太はここにいてね」と俺の顔を見た後、看護師と吸い込まれるように部屋の中へ入っていった。俺は「そういや明日は部室の鍵当番だったな」とか全く関係ないことばかりを考えて時間を潰した。

部屋から出てきた姉ちゃんの顔は夏の空のように蒼くて「あぁ、明日は部活行けねぇじゃん」と映画の字幕のように頭の中に文字が浮かんできた。

その後、布が掛けてある二人の体がなんでこんなにコンパクトなのかとか、どうして鼻から上しか見えないようにしてあるのかとかは考えないようにした。


あれから4年か。早いもんだ。

俺が泣いても悩んでも地球が回って朝になり夜になる。バカみたいに時間が過ぎてしまえば何とか日常を取り戻せた。というか、親が生きていた時間まるで一枚の絵のような気がする。あれはただ、別世界の出来事だったんだ、と。

元から親はいなくて、俺たちは夢を見てただけだったんじゃねぇか?みたいな。


思わず書き始めれば長くなるもんだな。

実は手紙を書き始めたきっかけは朱里さんだ。

ロールレタリングとか言うらしい。これは俺からの、俺に対する手紙みたいなもんだ。


そろそろ「俊太!ご飯!」の声が聞こえてきたから今日の日記は終わりにしようと思う。

なんだかなー。隆光さんの事も、姉ちゃんの事も書きたいけど短く書くスキルがない。でも書くことは、まぁ、嫌いじゃない。


さ、今日も俺は無事帰宅してこの手紙を書いた。

明日もこの当たり前の行動が出来ますよーに!

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