当たり前の笑顔
無音、それが目覚めてからエイジの感じた事だった。
「……どこだ?」
ベッド横にあるスタンドライトの光しか見えず、体を動かそうとしても動かなかった。
「だれか、いないのか?」
時間が経ち、ぼんやりとした頭が冴えてくる頃には状況が少しずつつかめてきた。
病院の一室、駅で意識を失ってから運ばれたと理解した。
喉が渇いた、そう考えて首を動かしたその時、自然と目は右腕を見ていた。
腕はくっ付いていた。
包帯でぐるぐる巻きではあるが腕は確かにそこにある。
詳しい事は全く分からないが、とにかく無事なのは嬉しかった。
「……ん?」
病院にしては少し静かすぎる気がしていた。
上体を起こして周りを見ようとすると体が動かない理由がハッキリした。
「なんだ、これ?」
体が拘束されていた。
腕と脚、腹から下にかけて厳重な拘束具がついており体が重いのではなく動かす事が出来ない状態になっていたのだ。
ここまで厳重な理由は何だろうと、エイジは考えるが特に思い浮かばない。
理由を探して思い当たるとすれば――。
「目が覚めたようだね」
「主任? なんでここに……、というか俺どうなったんです?」
「順を追って説明しましょうか」
椅子に座り書類を取り出すがこちらの拘束を取る気配はなかった。
「一枚一枚見せてあげよう」
書類には写真と報告が書かれていた。
写真にはあの時の駅様子、報告には死亡者の数と負傷者の数だった。
「この不明一名って、行方不明ですか?」
「いや、症状不明者だよ」
「なんですそれ?」
「君の事だよ、中村候補生」
「よく、わからないのですが?」
「これが意識を失っていた時の写真だ」
片腕がギリギリで繋がっており、血まみれの一つに見えたが、それはエイジである事が候補生の制服でわかった。
しかし、怪我の具合と現在が結びつかない、ごっそりと抉られた腕がそう簡単に治るものなのだろうか?
「あれからどのくらい経っているんですか? 腕も、どうなったんです?」
「約二週間、それと君を発見した時は出血多量で死んでいると思われたが、意外なことに血は止まっていてだね」
「どういうことです?」
「……演技ではないのか?」
「は?」
訝しげにこちらを見た後、別の報告書を見せてきた。
「君の体にべヒモス因子が検出された、候補生に紛れたテロリストではないかという声も聴いた」
「そんなわけないじゃないですか! 大体なんで俺の体にべヒモスが!」
「私もそれが知りたい、中村候補生……君と話したことがあるからこそ君がテロリストとは考えにくい」
「一体どこで……?」
「べヒモス因子は空気感染する事はない、色々理由はあるが今回は説明出来ない」
「べヒモス因子は、いやべヒモスはどうやって生れているんですか?」
主任は胸元からアンプルを取り出していた。
それを一気に飲み込んでいたが、主任には特に影響は見られない。
「今のが因子だ」
「何をしてるんですか!」
「大丈夫だ、このアンプルだけでは因子は発動しない、美味しくもないが」
「そういう問題じゃないような……」
「今言いたいのは間違って服用しても因子が動くという事がないんだ」
「じゃあなんで因子が?」
「駅で死んだべヒモスが因子のアンプルを持っていた事がわかった」
それを聞いた瞬間、意識が飛ぶ前の事を鮮明に思い出していた。
「あの、……それが」
「それを飲んだのか?」
「はい、腕を治したければ、自分たちがどうしてこんな事を知りたきゃ飲めとべヒモスに渡されました。 ぼんやりと飲んだ気がします」
「アンプルだけだね?」
「はい」
しかしアンプルだけでは因子は発動しないことが先ほどの主任の行動でわかっている。
先ほどのアンプルが本物であるならばの話だが。
「君はこの因子をどうしたら発動できるか知っているかね?」
「いいえ」
「そうか、では知らない方がいいだろう」
「……やっぱり、べヒモスになっちゃたんですか俺?」
「そうだ、完全ではないから君の相手にしてきたべヒモスよりは弱いが、君の体……、特に負傷した右腕がべヒモス化している」
拘束されている理由はやはりそれかと頷くしかなかった。
「べヒモスになると本人の意思とは関係なく暴れやすくなったりはするんですか?」
「わからない」
「……そうなんですか?」
その時、エイジの中で妙なモノが湧き上がってくるのを感じていた。
怒りとは違った何か、今すぐ立ち上がりたくなる様な感覚。
べヒモスになると兎に角体を動かしたくなるのかと不思議に思いつつ主任の方を見た。
主任は質問するまで話さない気なのかこちらを見るだけで何も話そうとしない。
「ところで俺……退院出来ますよね?」
「勿論です、ちょっと面倒な書類等がありますが」
「この体では仕方ないです、治るまで時間かかりそうですね」
治療費とかどうなるんだろうかと、自分の身に起こる事を考えていると主任の顔は少し曇っているように見えた。
「中村候補生、残念なお知らせだが……それは治せるものではありません」
「えっ?」
「べヒモス化は、病気とは違います」
何を言っているんだろうと、エイジは頭が止まっていた。
「じゃあ、この腕は?」
「そのままです、多少誤魔化す事は出来ますが」
そう言う事を聞きたい訳じゃない、もっと肝心な事を聞きたいがそれを聞いてしまったら自分はどうなるんだろう?
そんな心情を知る事もなく主任はまた新しい書類を取り出した。
「……、概要?」
「べヒモス化について詳しく書いてあります、よく読んでおいてください」
それでは、と書類を渡して主任は病室から出て行った。
唯一動かせる左手で苦戦しながら書類を見ていると概要は簡単にまとめる事が出来た。
べヒモス化とは病気などではなく人体の構造を変化させる事だった。
べヒモスへと変化するための体を作り替える……、何サラッとやばい事書いてるんだとエイジはツッコミを入れたくなるが実際になってしまったので笑えない。
「つまり一度弄った体は元には戻れんぞって事か」
あのブサイク野郎と悪態を付いても変わらない、むしろそれのお蔭で生き残っているので複雑な気分でもある。
しかし許すことは出来ない。
あの駅での出来事を見逃す事が出来るわけもない。
「……何人、犠牲になった?」
目をつむれば思い出す惨状に、徐々に怒りが込み上げる。
「訓練、結構真面目にやってきたつもりだったんだけどなぁ」
甘かった、如何に自分の認識が甘かったのかハッキリとわかった。
「あいつ等の仇討ち、だな」
惨状を絶対に忘れない、必ずべヒモスを作った連中に思い知らせてやると……、エイジが無意識に力を込めると右腕が反応し始めた。
バキンッと拘束具の金具が弾け飛び一部がエイジの顔に当たり傷をつける。
しかし不思議と痛くはない、改めて動かす右腕の居心地の良さに笑みすら浮かんでくる。
「すげぇな、コレ」
自由になった右腕で近くに置いてあった携帯端末を起動した。
力を入れすぎて壊さないように少し慎重に捜査しつつナインを起動させ、オービットを装着した。
「調子はどうだナイン?」
「問題ありません、エイジの方は随分とお変わりになりましたね」
「ああ、今すぐ動きたいほど元気だけどな」
「端末内にべヒモス化のデータを確認、主任がこの端末にべヒモス化についての注意事項等を入れています」
「気が利いてるね、あの人」
「直ぐに確認しますか?」
「重要な項目だけでいい」
「……了解、検索終了」
親族にもべヒモスだと知られてはいけない、知られてしまった場合には報告するといったモノやべヒモスの力を一切使ってはいけない等様々な規約をナインが喋っていく。
長々と喋っている中ナインが唐突に黙り込んだ。
「どうした?」
「エイジにとって最も辛いと思われる禁則事項があります」
「……どんな?」
「栄養剤等の服用禁止です、中にはエイリアンも含まれます」
画面にはその部分が映っておりエイジは言葉を失った。
「良かったですね」
「皮肉かこのやろう」
「これでエイジも飲めませんね」
長々と禁止の理由も書いており読めば読むほどテンションが下がっていく。
「……毎日の楽しみが」
「禁則事項は以上です、他になにかありますか?」
「今はいいや、端末も一旦切るぞ」
「了解しました……エイジ」
「なんだ?」
「べヒモスになっても貴方は貴方でしたね、それでは」
端末はオフになり静かになる。
「……AIにも心配されてんのかよ」
湧き上がった怒りもナインのおかげでかなり収まった。
右腕が壊したモノや顔の痛みも思い出し、苦笑しながらエイジは病室のナースコールを押すのだった。
……
それから一週間、エイジは書類やら検査で悩まされた病院から退院する事が出来た。
表向きは人工筋肉の移植による入院、約三週間であった。
ベヒモス化の影響は肌に出ると、右腕は特殊なインナーで指先まで隠していた。
刺青にも似た無意味な黒い模様がエイジの右腕に浮かび上がっているためであるため、包帯や支給されたインナーを着用しなくてはならない。
拘束具のような役割も持っており右肩から下は締め付けられるような感覚であるが、べヒモス化したエイジにとっては気になるモノではなかった。
エイジは襲撃された駅の中に居た。
手には花束を持ち、この日ばかりは制服ではなかった。
駅の中では駅員や警備員、警察関係者がピリピリしており、それを煽るようにテレビ関係者が好き勝手に報道していた。
被害者の関係者に手当たり次第に聞きまわっているように見えたが花束を持ってきた以上引き返す気にもなれずそっと置いていこうとしたその時、取材陣の中から盛り上がっている声が響いてきた。
駅内に出現したべヒモスを倒した英雄、そんな声だった。
花束を置き、遠くから様子を見てみるとどうやらナイトに乗っていた警官にインタビューしているようだった。
「あの人が、か」
「エイジ、わかっているとは思いますが……」
「撃った事だろ、訓練通りのやり方だしわかっちゃいるけどやっぱさ……なんか一言くらいほしいさ」
覚悟していた事、自分もナイトに乗ったらやるかもしれない事。
よく見れば警官は今にも倒れそうなくらい無理をしている様に見えた。
取材陣はそんな事お構い無しだが。
「取材内容見ますか?」
「あれ生放送中なのか?」
「はい」
端末に中継を写すと、警官は決められた事を淡々と喋り、好き勝手に質問する取材陣に困っていた。
「……あの場所には立ちたくないな」
遠巻きに見ている被害者の関係者。
取材陣。
職場での立場。
「そりゃ疲れるし、嫌だろうなぁ」
生き残った人からすれば英雄や救世主であり、間に合わなかった人からすれば「何故もっと早く出来なかった」と言われる事もあるあの警察官。
理不尽であり、それがテロでもある。
あのテロにはどんな意味があったのかエイジにはわからなかった。
べヒモス出現からあのナイトが現れたのは十分と公式では発表しているが、実際には十五分である事をエイジは主任の書類から知っていた。
十五分、これを早いと言えるかは人にもよるし、その人が置かれた状況にもよる。
べヒモスに生身で襲われ十五分、それで犠牲になった人数は多い。
現場にいたエイジからすればたった十五分とは思えぬ程時間が掛かっていたようにも感じられた。
「どっちなんだろうな」
「何がですか?」
「あの警官はもっと早く出来ればって後悔してるのか、多くを救えたって誇りに思ってるのか、今は疲れてそれどころじゃないかもしれないけど」
「それは、私にはわかりませんよエイジ」
「もしかしたら全く別の事を考えてるかもしれないし、本人にしかわかんないけどちょっと気になってね」
「どうしてです?」
「俺を撃ったんだ、どんな気分なのかとね」
撃った上でどうな気分なのか、やるかもしれない立場としてエイジは気になっていた。
取材から解放された警察官をエイジは追いかけていた。
電車ではなく駅の入り口から警察官が出たところで声をかける。
「こんにちは英雄さん」
「もう取材とかは……、君は?」
もう顔を忘れたのか、と言う訳もにもいかずそっと耳打ちをした。
「貴方に撃たれた候補生ですよ、忘れました?」
「……、無事、だったのか!」
突然の大声に周りが何事かと振り向く。
「いや、本当に良かった!」
先ほどの疲れた顔ではなく心底嬉しいといった表情であった。
「まぁ、なんとか、腕の人工筋肉移植で支障もないです」
「安否不明とのことでね、ずっと気にはなっていたんだ、本当に良かった……」
ベヒモス化したと口外は出来ない。
ここでは取材陣に絡まれるかもと、歩きながら駅を離れていく。
「そうだ、君が庇っていた女の子は無事だよ」
「ホントですか⁉」
「両親は、無事ではなかったがね……」
警官の表情が一気に曇り始めていた、
「この三週間で、君達候補生が凄い事に気付かされたよ」
「凄い?」
「口下手ですまない、たまたま訓練中だったから直ぐに駆けつけることが出来たが、現場を見て覚えていた事が全て真っ白になってしまった……、ベヒモスを侮っていたのかもしれないね」
話を聞いていくと、警察内の訓練は基本中の基本のみで、シミュレーターによる仮想空間での訓練も無ければ模擬演習もない。
基本動作と、射撃演習のみだ。
「それだけ、なんですか?」
「そうなんです、私にはたまたま適性があって、本当に使うとは思ってなかったナイトの訓練をしていた、乗れるという事を深く考えないようにしてしまった……、本当にすまない」
よく見れば、右手が震えていた。
「ああ、これかい? あの日の事を思い出すと、ナイトからのフィードバックで伝わってきた銃の反動をね、思い出してしまうんだ」
「……」
「言葉を話していた、あれは、人間だった……、三人も殺してしまった」
「それは必要な事です、気に病まないでください」
「そう言えるから、君たちは凄いんだ……、私はもうナイトには乗れないよ」
警官に正面から見つめられ、エイジは思わず視線を逸らしてしまった。
「君は、本当に生きているんだよね、幻じゃないんだよね?」
「はい、生きて、いますよ」
「本当に、すまなかった……」
その後、警官と別れてエイジは駅に向かっていた。
警官は何かに怯えているように歩いていた、その姿をしばらく忘れる事は出来ないだろうと。
エイジの視界には、ナインが映っている。
いつもの様な無表情ではなく、どこか心配しているように見えていた。
「冗談とか、言える状況じゃなかったな」
「そうですね」
「ホントは文句の一つでも言おうかと思ってたんだ、判断が遅いって」
「そうですか」
「俺もホントは無事じゃないし、ちょっとの判断ミスがこんなにも大きいなんて実感はなかったよ」
訓練通りに動くなら、女の子は見捨てるべきだった。
飛び出していった時点で冷静ではなかった。
反省すべき点は自分の方が多いのだろうと悔やんでも遅い。
「帰りましょうか、エイジ」
「そうだな」
駅に再び着いたが、あの時感じた血の匂いも感じない。
三週間前の悲劇も既に過去の事だと、当たり前に笑顔があった。
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