終章・伝説の刻

第23話・私の革命「これで終わりね」

   ***

 森と幾野の願い事は、自然豊かな磐舟村を守ることだった。

 貴史の願いは、あかりと幸せになることだった。

 さて、ここで一つ問を投げかけよう。

 誰よりも七夕祭を開催しようと奔走した、旭あかりの願い事の内容は?

 その答えを、貴史はまもなく知ることとなる。

   ***


   

   *** 

 磐舟村の南端にある小さな湖。

 その湖から打ち上げられる花火を見上げている、着物姿の少女がいた。

 佇む彼女は、背後に迫る足音を聞いて長いため息を吐く。


 「あかり……」


 伺うような声。

 彼に言いたいことは沢山あったが、今は時間がないので一言だけにしてやる事にした。


 「遅かったわね」


 振り返って彼を見ると、随分と息を切らせて額には汗が流れている。

 「(よくもまぁ、こんなところまで探しに来たわね)」とも思わないではないが、それが今の彼の優先順位で一番に位置する案件なのだから仕方ないだろう。そう仕向けたのはあかりであったし、もう驚くことも無くなった。


 「誰にも行き先を言わずに湖畔まで来ているんだから、遅くなるのはどうしようもないだろう。こんな所でどうしたんだ?」


 心底心配したと言わんばかりの表情で、彼は肩で息をする。実際心配しただろう。何せ彼とこうして会話するのは、昼の爆破前以来である。

 あかり第一の彼にとっては悪いことをしたとは思うが、彼に事を伝えるにはこの場所が最適だった。他人の介入がないだけでなく、一年前の思い出の土地であるからだ。

 そしてなによりも。


 「どうした……か。そうねぇ、隆太兄さん風に言うなら――」


 この表現でいいのだろうか、逡巡したがあかりは語感の良さを取った。


 「――私の革命。ここがその終わりの場所」


 彼の質問に、一から十まで答えるほどの優しさはあかりに無い。

 だが、この意味深な言葉を言わずにはいられなかった。心のどこかで、あかりのしようとしていることを彼に突き止めて欲しがっている。

 案の定、彼は眉をひそめて慎重な声音になった。


 「革命……? あんまりいい思い出のない単語が出てきたな」

 「けれど、七夕にはピッタリでしょ」

 「ピッタリか?」


 首をかしげる彼に、あかりは頷いて説明する。


 「願い事ってさ、現状から何かを変えようとしているわけでしょう。願った本人にとっては一大事なのよ。天変地異ね。革命って例えるのもよく分かるよ」


 あかりは、森の事を思い出す。

 彼にとって、今回の殺人事件は一世一代の革命だったのだ。汚職にまみれた寺や松塚に対して、声を上げる。やり方が間違っていただけだ。

 そして『私の革命』も、あかりにとっては殺人事件以上の意味を持っている。

 いいや、持っていた。と称するのが正しいか。


 「あかり、終わりの場所ってどういう意味だよ?」

 彼は三度尋ねる。質問攻めに呆れながら、あかりは背後で上がる花火を聞きながら見計らっていた。


 そろそろ頃合。

 間もなく打ち上げ続けられていた花火が……鳴り止んだ。

 時が満ちる。もう後戻りは出来ない。


 「そのままの意味よ。私は、一年前の願い事の終わりを……ここに願う」


 あかりは目を瞑り、手に握ったモノの感触を確かめた。

 胸元に持っていたそれを見て、ようやく彼の表情が驚愕に染まる。


 「あかり!? どうしてお前が神器を持っているんだ?」


 森が紛失したと言っていた神器。寺と幾野の血を吸った血濡れの神器。どんな願いをも叶えるという伝説を持った神器が、あかりの手の中にあった。


 「何度も言っているでしょう。願いを叶えるためよ」

 「どこでそいつを手に入れたかって聞いているんだ。それに……神器は飾りだって話になっただろう!」


 彼は困惑している。無理もない。事件を通して、伝説は所詮作り話だと彼の中では完結していたのだ。今更神器を抱えて「これで願いを叶える」なんて言っても通じないだろう。


 「話せば長くなるわよ」


 入手経路も願い事の内容も、元々ギリギリで話すつもりではいた。

 だからこれは最後の確認。彼に真実を知ってもらうための、最後通告。

 あかりの強い意志が伝わったのか、彼は固唾を飲んで頷いた。


 「あぁ、何があったのか全部話してくれ」


 そうして、あかりはまた長く息を吐く。

 もう、十分耐えただろう。呪いから解放されてもいいだろう。あかりはそう自分に言い聞かす。そして彼に「最初に一つ、謝らせて欲しいの」と告げた。

 今までしてきたことと、これからする事への謝罪だ。


 「私は、貴史の感情を狂わしていた……こんな事をしてはいけないと分かっていながら、絹の短冊に綴ってしまっていたの。ごめんなさい」

 「は? 何を言って……?」


 唇を噛み締めて、胸の痛みに耐えながら、ようやく絞り出した言葉に、彼はますます動揺する。彼には半分も真意が伝わっていないだろうとあかりは思う。

 だがそれでいい。

 これから全部話すのだから。


    

   ***

 私は幼い頃から、貴史に幼馴染以上の感情を抱いていた。

 私にとって貴史は憧れで、それが好きという気持ちだと気がついたのは小学校に上がってすぐだった。だけど、貴史にはそれが伝わらなかった。

 好きだと言う気持ちが気恥ずかしくて伝えられなくて、今までの関係が壊れるのが怖くて、私はこの燃えるような感情をずっと押し殺していたのだ。

 だけど、私の忍耐力はあっけなく崩壊し、貴史に告白して、玉砕する。


 「ごめん、あかり。今は……そういう気分じゃない」と言った貴史の言葉を、ついに私は忘れることが出来ていない。


 だけど、諦めきれなかった。

 ただ貴史に振り返って欲しくて、二年前の七夕祭で思わず神器を手に取った。

 始めは半信半疑だった。聞きかじりの伝説が、本当だなんて微塵も思っていなかった。

 だけど違った。絹の短冊に書いた願いは、必ず叶う。

 伝説は本物だったのだ。それを知っているのは、私とおそらく神主だけ。


 「これで、貴史の恋人になりたいという願いが成就する」


 本気でそう考えた私は、もうそれしか見えなくなっていた。それが私の革命の始まりだった。貴史に私を好きになってもらうための革命。なりふり構っていられなくなった私は、好かれたい・愛してほしいと一心で革命を実行に移した。何度も確認しシュミレーションした神社の倉庫に侵入し、絹の短冊を一枚だけくすねると、平気顔をして願いを書き記すのだ。


 勿論『貴史は私を好きになる』という文言も込みである。


 そして一年前の夜。この時間のこの場所で、私の願いは叶った。

 世界が煌めいた瞬間、貴史の表情が一変する。それまで困った顔をしていた貴史が、みるみる内に驚愕に染まっていったのだ。


 「あかりが好きだ」と言うまでに、時間は掛からなかった。

 そうだ。この一言が聞きたかった。貴史を独り占めすることができる。だけど予想に反し、そんな感慨は一瞬たりとも浮かんでこなかった。


 すぐさま後悔したのだ。

 あんなにも私に見向きもしなかった貴史が、あっさり私に傾いたのを見て、神器の恐ろしさをようやく理解した。吐き気を催すほどの絶望が押し寄せてくる。


 「あかりは何があっても俺が守る」


 貴史は砂糖菓子のように甘い台詞を吐き、私を第一に考えるようになった。

 全部私が願ったことだと理解したとき、これは呪いだと思った。

 私は貴史に呪いをかけたのだ。

 しかし「それでもいい」と言い聞かせた。私の願った通りではないか。なんの不満もないだろう。毎夜うなされる様に繰り返した。


 だからダメだった。


 貴史と目を合わせ、会話をし、触れ合うたびに、呪ったという事実が頭を過るようになったのだ。「本当の貴史は、私のことなんて好きじゃない」。もちろん平気な時もあった。そういう時は、だいたい春香のような親友が傍にいた。昔のように、友達として過ごす分には問題なかったのだ。

 だけど、そんな不安定に揺れ動く私自身の感情に、耐え切れなくなってきた。

 貴史が大学で寮に住むと言い出した時に、安堵でその場にはへたり込んでしまったほどだ。貴史の事でうなされなくて済む。そんな当初の願いとは矛盾した感情が湧き上がっていることに気がついて、また嫌気がさした。


 だけど貴史が去った半年で、新しく決意することが出来たのは僥倖だった。

 「願いの取り消しを願う」

 解決策を見いだせたのだ。この呪いを解けるかもしれない。

 これをすれば、貴史には二度と口を聞いてもらえないかもしれない。これまた後悔してしまうかもしれない。だけど私はその葛藤を乗り越えた。

 私は、貴史に酷いことしてしまったのだ。なによりも良心の呵責に耐え切れなかったことが大きい。全部なかったことにしなければならない。


 そして二日前。貴史が帰郷したあの日。

 突然目の前に現れた貴史を見て、絶句した。何も知らない無垢な笑顔で私に話しかけてくる貴史に対して、取り繕うのに苦労した。「おかえり」の一言すら無理やり絞り出したかのような苦しさを伴っていたのだ。

 久々の再会を純粋に喜ぶ彼に、何度も決意が揺らぎかけた。雰囲気に流されて、私の罪を忘れてしまいそうになったことだってあった。だから急いだ。大雨の中、私は神社の倉庫へと三度目の侵入を試みた。

 だけど誤算が生じた。

 誰かが……後から倉庫に忍び込んできたのだ。

 今思い返せば、あれは森か幾野かのどちらかだったのだろう。

 しかし当時は深夜。暗闇に紛れて顔は見えず、私は物陰に潜んで息を殺していることしか出来なかった。見つからないことだけを必死に願い続けて、侵入者が立ち去った後も長いこと身動き一つ取れなかった。

 そうしてようやく溜息を吐いたあと、神器が無くなっていることに気がついた。


 「……盗まれた」


 自分のことは棚に上げて呟いて、事態の深刻さを悟ったのだ。このままでは願いは叶えられない。また一年、呪いに苦しむこととなる。

 私の誤算はそれだけにとどまらなかった。

 殺人事件の発生と、犯行に使われた凶器が神器だと言うのだ。真っ先に考えたのは、神器が警察の手に渡れば絹の短冊は手に入らないこと。なければ願いは叶わない。警察の手に渡る前に、犯人を特定してバレずに盗み出さなくてはならなくなったのだ。


 どうして私ばかりこんな目にあわなくちゃいけないのか。

 悪態をつくのも無理はなかった。


 しかしそこは執念の賜物か。犯人が森だとあたりを付けることが出来たのだ。

 伝説を詳しく把握していたのが功を奏した。明らかに七夕絡みの殺人事件ではなかったのだ。

 警察や貴史にそのことを伏せつつ、隙を伺って森に近づくことに成功した私は、彼が犯人だと確信すると、周辺を必死になって探した。結果、神器は軽トラックのダッシュボードの奥に隠されていた。私は、短冊を運ぶのに夢中になっている森の目を盗んで、神器を手に入れることに成功したのだ。


 だがそのことが、今度は命を危険に晒した。


 神器が無くなっていることに気がついた森は、あかり以外に盗めるものがいないと考えたのだろう。すぐさま次の手を打ってきたのだ。


 『旭あかりニ、死ヲモッテ失ッタ者ノ憎シミヲ受ケサセル』


 文面は同じだが、これは元々予定されていたものじゃない。森は私を観察していた。ボロが出るか、涎を垂らして待っていたのだ。そのことに背筋が凍る。私にとって、この一瞬は命を賭した駆け引きだった。


 そして……何とか次の朝を迎えることが出来た。

 家一つが吹き飛ばされたが、永らえることは出来たのだ。

 あとは七夕祭を開催してもらうだけ。貴史は私に命の危機が迫っているってだけで、一気に推理に力が入ったように見えた。貴史は私のためになりふり構わなくなっていた。一年以上前ではそんなことあり得なかったのに……だ。

 山頂の爆発では、私は貴史に救われた。死んでもおかしくない爆発から、全身全霊で守られてしまった。そこでまた罪悪感と焦燥感に駆られた。このままでは、いつか貴史が死んでしまうのではないかと危機感を抱いた。


 だけど……それも、今ここで終わる。

 私の革命は……後悔と絶望ばかりのわがままは、ここで終わりにしよう。

 


   ***

 貴史は、全部黙って聞いていた。聞いて、理解して、反芻して……最後に彼女の濡れる瞳を見て、貴史は吼える。


 「あんまりふざけたことを言ってんじゃねぇぞ!!」


 その怒声に、あかりの肩がびくりと跳ねた。

 周りには誰もいない。あかりと二人きりなのをいいことに、今度は貴史が思いを伝える。


 「俺の心を狂わしているだって? 冗談も大概にしてくれ。どうしてそんな勘違いをしているんだ。あかりのことを好きだって気持ちが、嘘なわけねぇだろ!」


 この気持ちが、これだけ強いあかりへの思いが、全部作り物だと言われて「はいそうですか」と認められるほど貴史は馬鹿ではない。

 むしろ愛おしさが強くなった。


 「七夕の伝説がどうしたってんだよ。俺があかりを好きになるはずがないだって? そんなわけないだろう。悪い偶然が重なっただけだ。俺は、あかりが好きなんだ。この言葉に嘘偽りなんてねぇよ!」


 言いようのない怒りと、彼女への堪らなく純粋な恋の炎に、身を焼かれるかと錯覚するほど体がカッと熱くなる。

 あかりも、もう堪えきれないようだった。瞳からは大粒の涙をこぼし、着物の裾と神器をこれでもかと硬く握り締めて叫んでいた。


 「貴史にそう言ってもらえるのは本当に嬉しい。だけどそれもこれも全部まやかしなのよ!!」

 「そう頑なになっているから本当の事が見えてねぇだけなんだ! 俺を見ろ! 俺の事が好きなんだろう! 星に願っちまうくらい好きなんだろう!! だったら惚れた男を信じろよ!」


 震える声は、それでも慟哭となってぶつかり合う。


 「信じろですって? 何度も信じようとしてきたわよ! でもその度に呪いが邪魔をする」


 そして彼女は消え入るような声で零す。

 「私……もうどうしていいいかわかんないよ」


 握り締められた神器が、あかりの涙で濡れて光る。

 今更貴史の声を聞いても届かないほどに、彼女は追い詰められていた。

 もう貴史に残された手段は一つしかない。


 「あかり。それなら終わらしてみろ。星に願って、革命に終止符を打って見せてくれ」

 「……っ」

 「それでも俺が、お前のことを好きだって言ってやる。伝説なんて全部おとぎ話なんだってあかりに教えてやるさ」


 これで、彼女は目覚めるだろう。

 あかりの不安が払拭できず、貴史の心も変わらないとなれば、こうするしかほかにない。

 貴史は、心に硬く刻み込む。


 「俺は、絶対にあかりを嫌ったりしない」


 そしてあかりは、貴史を信じることにした。

 不安や恐怖を飲み込んで、無理矢理つくった笑顔で答える。


 「私も、貴史が大好きだよ」


 横一閃。

 あかりの言葉とともに、神器が空を凪いだ。

 伝説を実現するための工程は、実は難しくない。


 「願いを書いた絹の短冊を、短刀で切り裂くだけ」


 七夕のこの時間、この村だけの限定的な条件だが、それさえ揃えば十分だった。織姫からの手紙を、後から見つからないように彦星が切り裂いたのが由来とされている。読んだという合図が、いつの間にか願いを聞き届けたという意味に変わっていた。


 ピシッ


 絹の短冊が、綺麗に二つに引き裂かれる。

 そして……瞠目していた二人の視界が、煌めいた。

 世界は一年ぶりに、その姿を変えていく。


 

   ***

 唐突な目眩によろめく貴史に、あかりは手を伸ばした。


 「貴史、大丈夫?」

 不安の残る問いかけ。本当に、伝説なんてものは存在しないのだろうか。

 手を伸ばされた貴史は、地面に手を付いたまま動かない。

 「貴史……?」

 全部終わったはずなのに、なぜか気持ちが晴れなかった。


 「悪い……俺に構わないでくれ」

 「え?」

 「一人にしてくれ」


 うつむいたままの貴史は、それだけ言って背を向ける。

 それが引き金だった。


 「ぁ……」


 だめだ。泣くことも、叫ぶことも、忘れていた。

 息ができない。

 なまじ希望が与えられたせいで、あかりの絶望はより深くなった。これがあかりの望みだったはずなのに、目の当たりにして思考はぐちゃぐちゃに混濁する。


 願いが叶ってしまった。

 伝説は……やっぱり本物だったのだ。


 「神頼みの願い事なんて……やっぱりロクなものじゃない」


 どちらの言葉だったのか。

 どんな願いでも叶えてしまう伝説は、誰も望まない結果だけ残して締めくくられた。

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