第21話・彼女の革命「僕は決意した」

   ***

 「僕の犯行に、幾野くんが助力した……か。正解さ、僕の求めた通りの結論だよ」


 事件に巻き込まれた人の無事が確認された後、森は誰にも聞こえないように呟いていた。境内には爆破の跡が刻まれ、磐舟山の山頂は今も砂塵で靄が掛かっている。

 もう七夕祭の開催は不可能だろう。森はため息をついた。


 「これで、君の革命は望み通りだったのでしょうか?」


 森には分からなかった。

 君――幾野恵美――の革命は、成功なのだろうか。

 森には、貴史にすら暴かれなかった秘密が一つだけ残っている。

 幾野の犯行が発覚したとしても、隠し通さなければならない真実があった。

 それが、計画を実行し続けた最大最後の理由であった。


   ***

 その日は豪雨であった。

 突然電話で呼び出された森は、貴史の帰郷の歓迎会という名の飲み会から抜け出している。電話の相手は、行方不明だと言われていた幾野であったのだ。「誰にも言わずに来て」と短い内容を一方的に告げられては、ノコノコとやって来るしかなかった。

 そうして森が呼び出された先で、計画はすでに始まっていた。


「幾野くん……いったい何を!?」


 高速道路の高架下。夕方に突如降り始めた大粒の雨が当たらないこの場所は、世界と隔絶した場所にいるかのように錯覚させる。傘を挿したまま立ち尽くす森は、そこで幾野と二人きりであった。こちらを見る幾野は、やっと来たかと言わんばかりの表情で森を見つめている。

 だが、森の注意を引いたのは彼女の綺麗な呆れ顔ではなかった。


 「いったいどうしてこんなことを!?」


 彼は問う。目の前の光景が信じられなかった。あってはならない現実であった。血まみれの寺が、白目を剥いて倒れている。傍らには神器を持つ幾野。その短刀の先からは鮮血が滴り、彼女の犯行だということを嫌でも知ることになった。


 「あー、なんて説明したらいいのかなぁ」


 だが、当事者である幾野はあくまで軽く。まるで普段通り教室で授業をするときのように、腕を組んで小首をかしげている。それが異様で体が震えた。


 「話が違うじゃないですか!」


 森は声を荒げ、返り血まみれの幾野に詰め寄った。

 そう、違うのだ。

 「恨みは裁判で晴らすって、君が言ったじゃないですか!」

 こんな非人道的な方法で寺や松塚を追い詰めるつもりなんて無かった。

 

 『天草区再開発により発生した災害報告書』

 

 それが全ての事の発端であった。

 再開発の過程で、多くの手抜き欠陥工事や環境基準に満たない問題点が噴出していたことを、森と幾野が知ったのはつい一年前。情報の真偽を確かめるべく、二人は暗渠にGPS付きの発信機を木箱に取り付けて暗渠に流した。暗渠のルート上が、落盤の危険性があるほどに薄く、しかも民家まで建っていると確認できたのは、七夕祭の後だった。

 貴史と会ったのは、その調査の途中である。

 ことの深刻さを認識しだした幾野と森が調査を始めると、問題はそれだけに留まらなかった。大幅に減らされた天草区の河川の影響で、軽度の洪水が頻発していただけにとどまらず、山の地盤が脆くなっており、いつ土砂崩れが発生しても不思議ではない状況であった。他にも新興住宅街では下水の整備不良による土壌汚染など、調査する端から異常事態が目に止まる。

 その問題は、再開発を任された寺の建設会社と、グレーな取引で仕事を斡旋していた松塚との癒着が発端となっていたことにあった。表向きは優良社長、優良議員を演じつつ、蓋を開けてみれば非道。


 この真実に二人は憤慨した。


 誰よりも磐舟村を愛していた二人は、彼らを決して許さないと心に決めたのだ。彼らの罪を白日のもとに晒し、私腹のために蹂躙した磐舟村に償いをしてもらわなければならないと、そう約束したのだ。

 しかし、幾野の手に握られる一枚の絹の短冊。


 『寺栄一ニ、死ヲモッテ失ッタ者ノ憎シミヲ受ケサセル』

 話が、違っていた。殺すだなんて考え、森には毛頭無かったのだ。

 平然とその短冊を笹に括りつける幾野。まるで当たり前のことをするかのように振る舞い続ける彼女に、森はもう一度だけ恐る恐る尋ねる。


 「どうしてこんなことを? これでは君が犯罪者ではないですか!?」


 信じられなかった。幾野は、人を殺せるような人間では無かったはずだ。

 だが振り返る彼女から漏れたのは、またしても手のかかる教え子に向けるような困った笑顔と笑い声。


 「……こいつらだって、何年、いや何十年も磐舟村を蝕み続けるような犯罪をしたんだ。森くんだって許せないって言っていたじゃないか。調査して起訴する? そんなことじゃ生ぬるいよねぇ。だって、それだとこいつは殺せないんだよ? のうのうと刑務所で生き延びて、出所したらそれで終わりだなんて、償いにならない。死んで、あの世で詫びて、それでも自らの業に後悔して……そうじゃないと足りないじゃないか。だから、私が犯罪者になることなんて些細な問題なんだよ」


 何もかも狂っていた。言動も表情も、理解しがたい狂気に染まっている。それだけに留まらない。絶句する森に、幾野はこれからの計画を語った。

 七夕祭までに、松塚も殺すと言うのだ。そこでようやく森は、彼女の凶行を止めねばなるまいと決意する。これ以上、罪を重ねさせるなんてしてはいけなかった。止められるのは、森しかいないのだ。

 豪雨の中、真剣に計画について語る幾野は寺の遺体を高架下に放置したまま、磐舟山まで戻ってきていた。森は豪雨のせいで役に立っていない傘をさしながら、幾野の後をついて行くしかなく、説得の機会は得られそうにないまま、次の変化が起きる。


 「覚えたか?」

 「え?」

 「私の革命の計画。ちゃんと頭に叩き込んだかって聞いているんだ」


 これまで一方的に話すばかりだった彼女が、突然森に尋ねてきた。もちろん彼の頭に計画の概要は入っている。山にくるまでの間、さんざん聞かされたのだ。綿密にスケジュールの組まれた計画。森がしなければならない七夕祭の準備の隙間を縫ったかのような計画は、彼女の執念が込められているようだった。


 「覚えたさ。このような事でも、教師というのは説明するのが上手いんだね。僕に共犯になれというわけか。確かにそれなら君の計画は上手くいくだろうね」


 彼女は、森を共犯に誘おうとしているらしい。

 彼女の口ぶりから薄々その気配を感じ取り、話を合わせることにした森だが、犯罪に手を染めるつもりなんて一切ない。彼女には、何とか自首してもらわなければならなかった。

 だが、幾野は森の決意など一切気づかないで、満足げに頷いて饒舌に話し出す。


 「おっけー、おっけー。でもそれじゃあ五十点。この事件は共犯じゃない。犯人役は全部私が引き受けるから、森くんは松塚を殺すための起爆スイッチを押してくれるだけでいい。君が犯す罪はそれだけで、あとの準備は全部私の言ったとおりにすればいい。それで罪科は全て私の物になる」

 「は?」

 「シナリオはこう。私が寺を殺して森くんが松塚を殺す。寺を殺したのは間違いなく私だから森くんに容疑がかかることはない。七夕祭の企画書を考えたのも、花火の発注を多くして盗み出したのも、山頂に爆弾を仕掛けたのも私だから森くんは疑われない。それでも間違って容疑者にされないように、こうして神器を盗み出したのも私。七夕祭の方面で捜査が進めば、森くんが容疑者候補に上がっても、手がかりは見つからない……」


 幾野は、得意満面にまくし立てた。

 そして彼女は血濡れの神器を森に握らせると、一呼吸おいてシリアスに告げる。


 「……最後の仕掛けだ」


 そして森の手に暖かく添えられた幾野の滑らかな手。

言葉の意味も、彼女の香りも理解出来ない森は、その神器に目を落とす。これが寺を殺した凶器。その事実に目眩がした。豪雨の騒音で耳鳴りがする。だから、彼は本当に見なければいけなかった事を見ていなかった。幾野は、その時どんな表情をしていたのだろうか。


 その全ては、一閃によって過去のものとなる。

 神器が……彼女の胸を貫いたのだ。


   ***

 視界が赤く染まる。

 生理的な嫌悪感を抱かせる鈍い音と感触が、森の五感を混乱に陥れた。


 「   」


 何もかも、唐突すぎる。

 認識が追いつかない。空白が出来る。

 だが暗転していた視界が戻ると、それも終焉を迎えた。


 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 幾野が、自害した。

 そのことをようやく理解して、森は絶叫する。

 ふらりと、森の腕の中に力なく倒れ込んでくる幾野を支えようと、森もその場に崩れて尻餅を打った。二人の震える手に握られた、神器が開いた傷口から、生暖かい鮮血が雨と混ざって流れ出している。


 「なんなんですか!? 君はいったい何を考えているのですか!」


 今の話の流れのどこに自害する理由があった?

 彼女の突拍子もない暴挙の連続に、森の許容量はもう限界で、大声で問いかけることしか出来ない。痛みをこらえるように痙攣する幾野は、浅い息を繰り返しながら薄く笑っている。


 「これで……容疑が濃厚な私は、何者かに殺された被害者だ。事件を同一犯だと勘違いする警察は……犯人を見つけられなくなる」

 「今すぐ救急車を呼びますから黙っててください!! くっ、こんなに深く!!」


 森は、胸の傷からこれ以上の血が出ないように必死にハンカチで抑えるが、勢いはおさまらない。豪雨も手伝って、彼女の肌からはみるみる内に血色が失われる。森の必死の呼びかけも、もう届いていないようで、彼女はかすれた声で言葉を紡ぐ。


 「君は……君の復讐を果たすんだ。誰にも咎められやしないよ」

 「そんなの……望んでいませんよ!」


 必死で携帯電話を操って、119をコールする。

 しかし、彼の災難は止まるところを知らなかった。


 バシャリッ。


 幾野の手が、彼の携帯を水たまりに払い落としたのだ。


 「――え?」

 今度こそ、完全に思考が停止したかと思った。


 慌てて水没した携帯を拾い上げるが、ピクリとも反応しなくなっている。それは幾野の命が助からないことを意味している。どうして、彼女がそこまで死にたがっているのか理解出来なかった。


 「私の死を嘆かないで……私を恨んで。その憎悪が革命を成功させる鍵なんだ」


 どこまで、自分勝手な人なのだろう。

 森のことなど考えず、ただ思うがままに彼女はここまで突き動かされていた。それは死の断崖から身を投げ出すようなもの。彼女の意思を知り死に様を見てしまった今、森は落ちるしかない空中へ引っ張り出されたような気分だった。


 「……頼んだよ」


 それ以上何も言わなかった。

 そう言い残して、命尽き果てた彼女を抱えた彼は、全身を叩く豪雨に負けないくらいの涙を流して泣き叫んだ。「愛していた」と、そんな一言すら言ってやれる暇さえないままに、二人は永遠の別れを告げることとなる。


 彼女の革命は、そこで彼に引き継がれた。

 幾野の亡骸を抱きしめて、森は決意を固めるように呟く。


 「終わらせないさ。こんな結末……」


 寺が殺され幾野が自殺するなどという現実を、悲劇のまま認めるわけにはいかなかった。彼は、幾野の最後が殺人と自殺などと、話そうとは思わない。幾野が最後の凶行に走るまでは、幾野を自首させようと考えていたが変わった。

 もう全部、取り返しが付かないのだ。


 「君を止められなかった……僕の責任」


 だから森は、フラフラと立ち上がる。やらなくてはいけないことを思いついた。幾野の自殺をもみ消し、殺人を犯したなどという不名誉を塗りつぶしてやると決意する。


 「君の罪は、全部僕が背負おう」

 だから、ここからは僕の革命。中途半端では終わらせない。


 森はまず、状況の再確認から始める。このままでは警察の捜査であっという間に、幾野の犯行だとバレてしまう。事実を隠蔽し、森が犯人だという推理になるように仕向けようと、その時に思いついた。


 「人はこれ以上死なせない。だけど……徹底的にしないといけないようだね」


 現場に残された数々の証拠を全てもみ消すのは、明らかに困難である事は分かっている。まずは幾野の靴だ。これには証拠がごまんとある。それを脱がせた。

 さらに幾野の服についた寺の返り血。これは、服を脱がして処分するしかない。彼女の殺人だとバレてしまう。血塗れた神器。高架下に放置された寺。その全てに森は手を加えた。

 まず必要だったのは、寺の遺体がそうそうに発見されなければならないということである。彼が死んだのは人目につかない高架下。そこから彼を暗渠に流した。現場ではなく、寺が死んだという事実だけを先に警察に知らせてやらねばならなかった。現場を見れば、だれが犯人かなんて、一目瞭然だったからである。


 森には現場に細工をする時間が必要だったのだ。

 その他にも、森は一夜かけて豪雨の村を奔走した。そうやって彼は、自分だけが疑われるように巧妙に時間を稼いでいくことに成功する。


 しかし一つ問題が発生した。軽トラのダッシュボードに仕舞っておいた神器が、見当たらなくなったのだ。助手席に乗っていたあかりが盗んだのかと考えたが、彼女は一向に神器に関して話さないので、杞憂だったと口封じを諦めた。


 それ以外は、警察の様子を見るに概ね彼の計画通りにことは進み、ほくそ笑んだ。境内と磐舟山を爆破したとき、誰しもが森こそ全ての犯人だと確信したところからも、その手際が伺える。絶対に、そう勘違いしてくれなければならなかった。

 だからこそ、貴史の指摘した共犯説に、森は心臓が締め付けられるような思いをした。心を殺して幾野の不名誉だけをもみ消そうとしてきた森にとって、貴史の宣言は革命の失敗を意味していたのだ。だが、彼の結論は森が幾野を裏切って殺したという結論に落ち着いている。


 最後の一戦は越えられなかった。


 幾野こそが真犯人だと……幾野は森に裏切られて殺された哀れな被害者だと、そう言う結論に落ち着くだろう。その秘密だけが荒んで疲弊した心に、僅かな達成感を与える。


 そうして緩んだ緊張からか、一気に虚しさが押し寄せてきた。


 どれほど泣いても幾野は還らない。


 だが森は、乗り込んだパトカーの座席で、最後まで泣き続けた。

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