第3話・行方不明「私の〇〇……どう?」

 焦って片付けをして神社を飛び出した。雨が長引きそうなので、下手をしたら日付が替わっても神社で雨宿りしないといけない恐れがあったのだ。

 公務員の森や社長をしている寺はもちろん、貴史とあかりと春香にも、早く帰らないといけない理由があった。だけど神主と村長は例外で、雨が止むまで神社でゆっくりしているという話だった。

 そして走って市街地に戻るよりも早く、腕に数滴当たる程度だった雨が滝のような豪雨に変わっていた。


 「やっべぇ! 土砂降りじゃん!」


 貴史は、河川敷を森と寺の後ろで走りながら叫ぶ。

 すると後ろからあかりと春香の悲鳴が聞こえてきた。


 「このまま旅館まで走ったら、下着の中までグショグショになっちゃうわ!」

 「もうビショビショになってますぅ!」


 彼女らの濡れ透け発言に、思わず振り返って凝視しそうになるのをなんとか堪えていると、前を走る森から励ましの声が聞こえた。


 「もうすぐ駐在所です! 頑張って走りましょう!」

 「もう頑張ってるわよぉ!」


 そしてようやく駐在所が見えた。市街地の外れにある駐在所には、村唯一の警察官である星田巡査が勤めている。

 貴史が思い切り駐在所の扉を開いて玄関へと飛び込むと、続いてあかりと春香も息を切らしながら駆け込んでくる。


 「つ、着きましたぁ」


 みんな中に入ったことを確認してから、貴史は雨が入り込まないように扉を締めた。


 「あかり、春香ちゃん大丈夫か。……って、うわぁ!」


 振り返った先に、濡れて透け透けのあかりと春香が居た。なんだかいい香りまでしてくる気がする。


 「なによ貴史……ってちょっ! あんたあっち向いてなさい! 春香ちゃん、変態が見てるから気をつけて!」


 貴史の視線にいち早く気づいたあかりが、春香を庇って貴史を睨む。数秒前の濡れ透け発言をすっかり忘れていた。

 そんな貴史は慌てて両手を振って無実を主張するしかなかった。


 「ち、違う違う! 不可抗力だ!」


 そう言いつつも、背を向けるあかりの透けたシャツから薄らと覗く肌色に、思わず目を奪われる。

 そしてあることに気づいた。


 「もしかしてあかり……ブラ着けてないのか? ……あ」


 そして言ってから失言に気づく。

 走馬灯が流れる間もなく、あかりの軽いチョップが飛んできた。


 「そーゆことは、口に出さなくていいのよバカ。貴史……私はともかく、春香ちゃんの柔肌を、そのいやらしい目で見てないでしょうね?」


 この場面で感情的にならず冷静なあかりの口調に、逆におっかなびっくりしながら早口で弁解する。


 「み、見てない見てない! 春香ちゃんの透け透けになった制服越しに浮かぶブラがエロティックだな、なんて全く思ってないから……っ!」


 いっそ清々しい言い訳をする貴史に、自分が見られた時よりも冷たい声音で睨めつける。


 「しっかり見てるじゃないこのド変態っ!」 

 そのまま向き合った貴史の顔をガッシリと掴まえて続ける。

 「貴史は私が抑えとくから、春香ちゃんは星田巡査さんからタオル借りてきて」

 「わ、わかりました~」


 春香は、あかりに言われるがまま、駐在所の奥に入っていった。先に到着している森や寺が、ちゃんとタオルを借りて渡してくれるだろう。

 二人きりになった駐在所の入口がシンと静まり返る。

 そうしてふと意識を目の前に戻すと、びしょ濡れになったあかりの顔と透けた胸元が目に入り、貴史は慌てて視線を逸らす。

 だが、あかりは貴史のホールドを解こうとしなかった。 

 意識を逸して理性を保とうと精一杯で、体が動かない貴史は、恐る恐る目の前の彼女に訊ねてみる。


 「あ、あのー……あかりさん? この体勢だと、また色々不可抗力で見えちゃうんだが……」


 すると、また説教されると思った貴史の予想は裏切られる。

 俯いていて、顔が見えないあかりは、何やら小声でつぶやいていた。


 「私のなら……見ていいから」

 「あかり……?」

 「胸が好きなら私の胸を見るといいわ。は、春香ちゃんほどじゃないけど、貴史になら見られても平気だから」


 とんでもない事を言っていた。

 貴史は慌てて弁明する。


 「ちょっ、あかり? 春香ちゃんのは見ちゃったけど、別に胸が見たくて堪らないわけじゃないからな!?」


 そんな弁明を聞いて、あかりは伏せていた顔を真っ赤にさせながら続ける。


 「でも……春香ちゃんの胸はいいって言ってた」

 「そ、それはその場の勢いというかなんというか! ほら……むぐっ!?」

 釈明を試みる貴史の口を、あかりは手で覆って黙らせ告げる。

 「だけど、春香ちゃんに対する感想しか聞いてない」

 「……?」

 「私の胸は……貴史にとって、どうなのよ?」


 その質問で貴史は全て合点がいった。

 なるほど、あかりの濡れ透けに対して大きな反応をしなかったのに、春香ちゃんの一瞬見ただけの胸に対して取り乱したことに、可愛らしくも嫉妬したらしい。

 控えめな胸に張り付いたシャツすら忘れてしまったかのように、質問の答えを待つあかり。

 適当にごまかすのは男じゃないだろう。

 そのうつむいた頭を撫でて、一度呼吸を整え直して貴史は答える。


 「俺は、あかりの胸が好きだぞ。綺麗だしスベスベで、手のひらに馴染んでおまけに感度も……」

 「ちょちょちょっ! やっぱり恥ずかしいからそれ以上はもうやめてぇ!」


 微笑んで語る貴史に対し、今度はあかりが慌てふためき両手をワタワタと振った。そんなあかりを微笑ましく感じながら、貴史はあかりの頬を右手で触れて告白する。


 「安心しろ、今も昔も俺が好きなのはあかりだけだ」

 「……貴史」


 あかりは恍惚とした表情で貴史の名前を呟いた。その潤んだ瞳に、貴史の視線は釘付けとなる。自然と二人の唇が寄っていく。

 しかし、そんな甘いひと時は……。


 「あかりちゃん! 貴史お兄さん! 大変です!」

 「う、うわ!? 春香ちゃん?」


 ……春香の一言で終わりを告げた。



   ***

 「行方不明……って、それ本当ですか?」


 駐在所に置いてあったタオルで頭と体を拭いて、駐在所に置いてあったシャツを借りて着替えたあかりと春香が聞いたのは、事件の話であった。

 ちなみに今は春香もノーブラで、大きな胸がシャツの下から存在を主張しているが、今その話をする度胸は流石に貴史も持ち合わせていない。男たちみんなが巧みに目線を逸らしている。


 「ええ、幾野恵美いくのめぐみさんが、今朝実家から出て行ったっきり帰ってきていないそうなんです」


 貴史たちに暖かいお茶を配りながら、そう話してくれたのは、駐在所に勤務している星田ほしだ巡査であった。村唯一の警察官で、村の巡回と趣味を兼ねたサイクリングのおかげで、筋肉はあまり衰えていない壮年の男性だ。本人曰く、生涯現役とのことだ。


 「幾野恵美って……」 


 貴史とあかりは、その名を聞いてピンと来た。そして貴史の口元がニヤリと歪む。それを見たあかりが、すかさず貴史の脇腹を小突いて釘を刺す。


 「貴史……あんた、もしかして推理が出来るって喜んでるんじゃないでしょうね?」

 「ま、まさか。恵美めぐみちゃん失踪の原因を調べるために、今から推理するんだよ。全部恵美ちゃんのためだ」


 図星を突かれた貴史は、慌てて弁解する。あかりの言うとおり、彼は謎解きや推理の類いに目が無かった。この時はまだ、そういう軽い雰囲気がどこかにあった。

 そんな二人のやりとりを見てか、幾野を知らない森と寺が首をかしげた。

 

 「貴史もやっぱり知っているのか?」

 「もしかして、お知り合いなのでしょうか?」


 その質問にはあかりが答える。


 「恵美ちゃんは、何年か前に村の学校に転勤してきた若い先生よ。それで……あっ……」


 あかりは言葉を中断して春香の方をチラリと盗み見た。

 それにつられて森と寺と貴史も、春香の方に目が向いた。

 視線に気づいた春香は察してつぶやく。


 「恵美先生は……私の学年で社会を教えてもらっている先生なんです。大学の講師も兼任しているみたいで、朝礼か終礼の時にしか顔を見せないんですけどね」


 この村に、独自の学校は無い。生徒数が少なすぎるのだ。

 それにより、隣町との堺に小中高の一貫校があり、村の子供たちはみんなそこに通っている。去年卒業したあかりと貴史の知っている教師であれば、勿論現役高校生の春香も知っていておかしくない。


 「幾野恵美さんが、教師をしているっていうのは知っていたので、教え子の倉治春香さんなら何か知っているかと思い、話を聞いてみましたが……余計に混乱させてしまったようですね」


 事件を知らせた星田巡査が困ったなと、ため息をついて頭を掻いた。


 「今朝、実家を出たあとから行方不明ってことは……学校には行ってないということか?」


 貴史が尋ねると、春香は俯いたまま首を縦に振る。


 「はい。朝のホームルームの時間になっても恵美先生が教室に来ないから、今日は大学の方に行っているのかなって思っていたんですけど……まさか、行方不明だなんて」

 「……それで、大学にも行ってなかったと……」


 貴史は思い当たる可能性を考えながら呟く。


 「でも……行き先を伝えておくのを忘れて遠出した可能性も……」


 寺が希望的観測を口にするが、その口調には自信がない。 

 磐舟村は人口六千七百人の小さな村。誰がどこにいるのかなんて情報は、ちょっと聞き込みしたら直ぐに手に入るような狭い共同体だ。

 だからこそ、人一人が誰の目にもつかずに丸一日姿を消すなどというのは、異例の事態なのである。


 駐在所を沈黙が支配する。


 春香はもちろん、貴史やあかりも親しい仲だったので、余計に不安になる。重苦しい雰囲気の中、あかりはできる限り明るい声で、寺の希望を肯定しようと思い声を出す。


 「恵美ちゃんは、私たちが学生の頃から結構悠々自適な性格だったし、山に迷い込んで遭難するようなドジっ子じゃなかったから、明日にはひょっこり帰ってくるでしょ」

 「そうですよね。ここで考えているだけでは良い進展はなさそうですし」


 あかりと春香の言葉を聞いて、少しほっとした様子の星田巡査は頭を下げる。


 「……取り敢えず、そういう事情がありますので、街で幾野恵美さんを見かけたら、私に一報ください」



   ***

 星田巡査に淹れてもらった温かいお茶を飲み終えたころには、もう太陽が山の向こう側に隠れてしまっていた。とはいっても、太陽が見えているわけではないので、雨雲がさらに暗くなった程度の判断でしかない。そうなってからようやく、実りの少ない推理を一人で思考していた貴史は、顔を上げた。掛けてある時計に目を向ける。

 時刻は七時半を指していた。


 「しまった」


 つぶやく貴史に、あかりは首をかしげる。


 「どうしたの?」

 「実はこのあと慎二しんじ兄さんの青山食堂に行く予定なんだが……雨が止むまで待ってたら約束が守れないぞ……」


 焦る貴史を見て、駐在所の星田巡査は「それなら……」と優しく微笑んだ。


 「それなら、うちに傘が何本かあるから貸してあげよう。もう体は温まったかい?」

 「はい、本当ですか! 助かります」


 貴史は安堵し礼を言う。

 幸いにも駐在所には予備の傘が四本あったので、あかりと春香は二人で一本を使い、男三人は一本ずつさして市街地へ戻ることになった。


 この時の貴史は、幾野恵美の行方不明が惨劇の予兆だとは、微塵も考えていなかった。せいぜい、人懐こい笑顔を浮かべた恵美ちゃんが「お騒がせしました」と、舌を出して謝る姿を想像していたくらいである。貴史がしていた推理など、かくれんぼで隠れた相手を探す程度の気楽なものだったのだ。大事になるかもしれないなんて、不謹慎な空想だと切り捨てていた。

 貴史以外の面々も、おおよそ同じように楽観視しているようで、皆貴史の夕食に付き合おうと談笑しているうちに、深く悩む者はいなくなっていたのだ。



   ***

 側溝が溢れかえるほどの大雨。

 寺社長は、昼間に森と話し合った案を会社に持ち帰らないといけないと言って、駐在所で別れていた。

 そして旅館から車で五分。

 雨に濡れた服を着替え直した貴史は、彼の車で夕食に来ていた。市街地の外れにあるこの青山食堂は、貴史たちの二つ年上の青山慎二と、慎二の姉の美香穂みかほが切り盛りしている小さな食事処である。


 「久しぶりー」


 店内で食事の準備をしていた慎二と美香穂に声をかけながら、貴史は入口の暖簾をくぐる。青山食堂の店内は広くなく、四人がけのテーブルが二つとカウンターが六席ほどで、小ぢんまりとした空間に収まっている。

 今日は大雨のためか、貴史たち四人以外の客はいない。


 「よぉ貴史! それにあかりや春香ちゃんも雨の中よう来てくれたな!」 


 暖色の柔らかい照明の下で、頭にバンダナを巻いた慎二が手を上げて笑う。

 料理の仕込みをしていた美香穂も、それに続いて微笑んだ。


 「ふふっ、隆太兄さんもお疲れ様。今日は空いているから好きなところに座っていいわよ」

 「まるで貸し切りだな」


 慎二や美香穂に久しぶりに再開した喜びで浮かれる貴史は、慎二達のいるキッチンと対面するカウンターに腰を下ろす。

 あかり達も貴史に続いてカウンターに座る。

 そこに慎二が、ドンッとビールジョッキを置いて言う。


 「貴史ももう二十歳だろ? こいつは俺からの奢りだ。貴史の帰郷祝いにパーっと飲もうぜ!」


 慎二は森にもジョッキを手渡すと、あかりと春香の方を向き言う。


 「あかりちゃんや春香ちゃんもお酒飲むか?」


 突然話を振られた春香は、ワタワタと手を振って断り、慎二のテンションに慣れきったあかりは軽く流す。


 「あのねぇ慎二兄さん、そんなこと言ってるとまた美香穂姉に怒られるわよ?」

 「あかりちゃんはクールだなぁ、冗談だよ冗談。二人はお茶でいいかな?」

 「ええ、そうしてもらえると助かるわ」

 「はい」


 あかりが答え春香も頷くと、既に手元に用意していたお茶を二人に差し出す。その様子を見て貴史は笑う。


 「このやり取りを見ると、やっぱり帰ってきたんだなって感じるよ」


 貴史の笑顔に慎二は満足そうに頷くと、彼自身もビールの入ったジョッキを掲げて音頭を取る。


 「よっしゃ! じゃあ早速! 貴史の帰郷に乾杯!」

 「「かんぱーい!」」


 元気よくグラスのぶつかる音が響いた。


 「……ってコラ慎二! あんたまで飲んでんじゃないわよ!」


 ……もう一つ、げんこつの音と美香穂の怒鳴り声も響いた。



   ***

 青山慎二と美香穂とその両親が経営する青山食堂。

 慎二は酒だ酒だとはしゃいでいるが、決して居酒屋ではない。慎二と美香穂が作るのは、煮物や魚料理などの和食が主である。

 すると、貴史たちがメニューを頼む前に、カウンターの上に慎二が料理を出してきた。


 「慎二兄さん?」


 不思議に思った貴史は慎二の顔を見る。

 とうの慎二はニカッと笑って、こう答えた。


 「お前肉じゃがを頼むつもりだったろ? 顔を見たらわかる」


 確かに目の前に差し出されたのは肉じゃがであった。

 寸分狂いなく貴史の好物である。 


 「慎二兄さんは心が読めるかと思ったよ。はは、いただきます」

 「おう、ありがたく食え!」


 食事を頬張りながら、貴史はふと訊ねてみる。


 「ところであかりは肉じゃが作れるようになったのか?」


 以前二人で青山食堂に来た時、あかりは慎二の肉じゃがを食べて絶賛し、自分も作れるようになりたいと言っていたのだ。

 貴史がその出来事を思い出したことを、すぐに察したあかりは笑う。


 「ふふ、私を誰だと思っているのよ。慎二兄さんに教えてもらったから、もういつでも作れるわよ」


 それを聞いていた森は、興味津々な顔で話に食いついてきた。


 「へぇ、それは頼もしいですね。今度僕にも作って頂けませんか?」


 しかし、あかりは少し顔を赤らめてから、森の要求を却下した。


 「隆太兄さんじゃなくて……、私は貴史のために肉じゃが覚えたの! 隆太兄さん知っててからかうのは止めてちょうだい!」


 貴史はあかりの発言に少し驚いた。

 そして同時に嬉しかった。 


 「あかり……そこまで俺のことを思ってくれているんだな!」

 「ちょっとやめてよ! もー、せっかくドッキリで作って驚かせようと黙っていたのに、全部自分で言っちゃってるし……」


 あーっと恥ずかしさで叫ぶあかりに、美香穂はそっと手を伸ばして微笑む。


 「ふふ、あかりちゃんもクールにみえて可愛らしいところあるからねぇ」

 「美香穂姉までからかわないでー!」


 そんなドンチャン騒ぎは、日付が変わろうとするころまで続いた。

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