その2(登校から下校まで)

「おはよう」

 結局、廻が学校に着いたのは一時間目が終わってからだった。彼女が遅刻するのは珍しくないため、教師も軽い注意ですます。注意の軽さと対照的に、廻の心は重く沈んだ。彼女にとって、誰も気にしないようなミスですら永遠に消えない傷と感じるのだ。それにもかかわらず、遅刻を止めることはできなかった。朝起きるのはあまりにもつらすぎる。

「おっはよー、めぐめぐ!」

 廻の気分とはコントラストをなすような明るい声。ショートカットをした活発そうな少女が頭に許可もなく触ってくる。海野薫、廻の幼馴染だ。幼いときには一緒に愛を誓い合ったほどの仲だが、いつまでもそのことを引きずって親密に接してくるため、正直うざったい。

「また遅刻? 今度はなにがあったの?」

「……蛙を踏んだ」

「ん? なになに?」

「蛙を踏んで、殺したの。大人の蛙の群れを」

 薫は手を叩いて笑い始めた。

「あー、雨降ると出てくるよね。僕もよく踏むよ、ぐしゃぐしゃぐしゃって、楽しいよね」

「それ、正気で言ってるの?」

「へ? そりゃそうだよ。蛙踏んだくらいで気にすることないよ。それに大人の蛙だろ」

 無邪気なのか邪気にあふれているのか分からないが、はしゃいでいる薫を見ていると妙にむかむかとするものがある。理不尽な感情だと知ってはいるものも、収まりがつかない。このままでは彼女を殴ってしまいそうだ。思わず、椅子を蹴ってその場を離れようとする。

「つれないなぁ、めぐめぐ、僕の許婚だっていうのに」

 後ろから薫が追いかけてくる。

「あんたの許婚になった覚えはないよ」

「えぇー、何度も結婚式ごっこやったじゃん」

「ただのままごとでしょ」

 教室を出て行こうとする廻の肩を、薫がぎゅっと掴んだ。友達とのふざけあいにしては妙に力が入っている。

「ちょい待ちな。こちとらただのままごとで終わらせるつもりはないんだね」

「は? どういうこと?」

 雑草をもぎ取るような乱暴さで、肩にかかった手を払う。このまま無視して去ろうとするが、薫が目の前に出て両手を肩に乗せてくる。何度払っても顔に近づいてくるハエのような驚異的なうっとうしさだ。

「君は僕と結婚することになるんだよ」

「大人同士の結婚は本人の意思と関係なく〈婚約ギルド〉の決定によるでしょ。そんな常識も知らなかったの?」

「ああ、実は僕も蛙以上の脳は持ってるからね。ひょっとしたら、人間の中でもかなり上のほうの脳かもしれないよ。西里にしさとさん、説明しに来てよ」

「はい、西里です」

 眼鏡をかけた真面目そうな女の子がやってきた。たしか、学級委員長の西里芽音めねだ。

「端的に言います、薫さんは賄賂を下さりました。その見返りにお二人の婚約関係を偽造します」

「おいおい、端的過ぎるやろ!」

 ノリの良い薫が西里に突っ込んでから、説明する。

「西里さんの姉は〈婚約ギルド〉のお偉いさんなんだよね。そして、僕は大金持ち。どうだ、このコンボは!」

 廻はため息をついた。薫のいやらしいところはずっと変わっていない。親から受け継いだ大金を担保に人の気持ちなどものともせず札束で頬を殴り続ける。その上、どうやら本人は自分がいいことをしている気になっているようだ。昔は親友であったが、いろいろとえげつないことを自慢げに語られる態度が鼻につき、いまでは距離を置いている。薫は廻のことが大好きであるのは変わりがないようで。いろいろアプローチを積極的に仕掛けてくる。その度に迷惑するのは廻のほうだ。

「どうだ、参ったか! 君は僕の嫁になるのだ!」

 あきれた。大人になったあとのことなんて、考えるだけ無駄ではないか。結婚など誰が相手でもかまわない。結婚相手ではしゃぐなんて、よくそんな幼稚なことができるものだ。蛙以上の脳みそがあるならば、大人になるということが何を意味するか分かるだろうに。

 チャイムが鳴った。二時間目のはじまりだ。

「二時間目は〈非正規〉狩りだってよ。着替えて校門に集合だ」

 薫は何も断らずに廻の手をとり、勝手に引っ張っていく。薫の態度には反感を感じた。まるで自分が周囲に見せびらかすためのキーホルダーかなにかのように扱われている感覚だ。どうやら、薫が相手ではいくら好意を向けられても喜びには寄与しないようだ。

 迷彩服とヘルメットを装着し、校門に集まる。少し遅刻してしまったようで、すでに戦車や装甲車が集まり、上級生が乗り込んでいた。

「仲良しお二人さんおっすー!」

 パァン! 明るい声とともに背中をいきなり叩かれる。こんなことやるのは薫以外には斎賀先輩くらいだ。案の定、振り向くと背の高い斎賀先輩が見下ろしていた。髪も長く、邪魔にならないようにひとつに束ねている。先輩は廻と薫の近所に住んでいたため、幼い頃から三人で遊んだ仲だ。

「せんぱーい、ちわっすー!」

 ノリの良い薫がハイタッチする。

「二人とも遅いなあ、もう戦車は取られちゃったよ」

〈非正規〉狩りにおいて、基本的に使用兵器は先着順だ。花形である戦車は用意のよい先着グループに取られて一番になくなる。残りはダサい装甲トラックやジープに乗って戦車の補助をしなくてはならない。

「いやー、一回くらい戦車に乗ってみたいもんですなあ」

「贅沢いわない。はい、これが薫ちゃんのライフル銃ね。これが廻ちゃんの」

 二人は銃を持って装甲トラックの荷台に上がった。運転手は斎賀先輩だ。戦車を先頭にして隊列を組み校門を出る。

「なあなあ、めぐめぐ、勝負しようぜ。どっちがたくさん狩れるか」

 勝負か。薫とは小学生の頃よくやったなあ。もちろん、いまのように兵器を使ったわけではない。兵器が使えるのは中学生からであり、戦車やライフル銃は中学校が厳重に保管している。小学校での〈非正規〉狩りは非正規幼児がターゲットであるため、火器は必要ない。せいぜい小型の草刈機があれば事足りる。あの頃は無邪気であった。大人になることの悩みなんか一ミリも持つことなく、楽しく幼児の頭をトンカチで殴っていた。輝かしい日々だ。それに比べるといまはなんとくすんだ日々だろう。なにをやっても楽しくない。一秒一秒が苦痛に思えてくる。考えるのもだるいくらいだ。

 ここで薫の誘いに乗れば、幼い日々が戻ってくるのか。そんなわけがない。もはや、狩りは楽しくなかった。学校の命令どおりに一方的に〈非正規〉を殺戮するだけだ。ルーティンワークといってもよい。教師からの反感を生み出さないように形だけは狩りに参加するが、本気になれるものではない。

「せっかくだけど、やらない。気分じゃないから」

「そなのー、じゃあ自己記録狙うぜ!」

 薫はめげない。廻が何度冷たい態度をとっても明るい言葉を返してくれる。客観的に見ればとても良い親友であるが、廻の主観から見れば気に入らなかった。何も考えずに日々を楽しく生きることができる薫の感覚が、廻には分からなかったのだ。決定的に違う感性を持つ存在が常時傍にいれば、はっきりとした理由がなくともなんとなくイラついてしまう。イラつきがフェアではないことが分かっているだけに、ますます増大していく。

 そんなことを悶々と考えているうちに、目的地に着いた。郊外の森だ。何度も〈非正規〉が目撃されているらしい。近隣の中学校や高校からも戦闘車両が集まってきている。

「戦車前進!」

 部隊長の命令に従い、戦車が前に出た。装甲トラックやジープは森を囲むように駐車する。まずは森を掃射して生き残った〈非正規〉が森から逃げ出したところを一斉射撃するのだ。

〈非正規〉が飛び出てくるまでは暇な時間だ。空の彼方でも見てよう。薫は傍でずっと喋っているが、空返事をしておけばよい。薫相手ならば空返事で十分な会話が続く。こういうときには楽な存在だ。

 森からは低い音の砲撃や、断続的な銃撃が聞こえてくる。遠くのほうで煙が上がる以外はホーホケキョという鳥の鳴き声も聞こえてくるのどかな雰囲気だ。一向に狩りがスタートしないため、支給されたおにぎりを食べ始める。薫は暇で足をジタバタさせている。

「ひまひまひまひま~、早く撃ちたいよ~」

 さっきから薫はそれしか言わないため、廻はうんざりする。薫のわめき声が終わるならば戦闘が開始するのも悪くないと思ってしまうほどだ。

「お二人さん、そろそろ出番だよ」

 斎賀先輩が注意してくる。無線では、一群が戦車包囲網を抜けてこちらの方向へと逃亡しているようだ。

「イェッサー! 張り切っていきましょう!」

 薫は威勢よく叫ぶと、残りのおにぎりを食道に放り込み、お茶で無理やり詰め込む。はたから見て苦しそうな食べ方だ。幸い吐き出すことはなく、荷台に伏せて銃を構える。廻のほうはおにぎりを残して銃を構えた。

 森から、薄汚い少女が走り出た。全裸であるが、体中に黒い垢がこびりついているため皮膚が見えないほどだ。森から数歩出ただけで頭が破裂して倒れる。銃撃されたのだ。

「ああ! 僕が狙っていたのに!」

 荷台をバンバンと叩き悔しがる薫だが、すぐに構えなおして再び撃ち始める。的はどんどん増え続けている。成長した妹を背負った姉らしき〈非正規〉が真正面から近づいてくる。薫は三点バーストで腹を割り内臓を粉々にする。自慢げに笑う顔を無視して廻も撃つ。簡単な作業だ。相手は飢えた全裸の〈非正規〉、こっちには自動小銃がある。戦隊に近づきすぎたものには火炎放射器が使われる。害虫を殺虫剤で殺すのとあまり変わらない難易度。後片付けが大変なところが違うだけだ。

 銃撃は十数分ほどで終わった。置き土産として死体の山がこってりと残る。トラックが死体を踏みつつ森のほうへと向かう。死んだ振りをしたものがいないか調べているのだ。トラックの上にいても骨が折れる感触が分かる。かき氷を作っているようなぐしゃぐしゃという音がする。あまり好きな音ではない。イチゴ味のかき氷を見るごとにトラックに踏まれ血を流す死体をイメージしてしまう。このおかげで廻はかき氷が食べられなくなり、夏の楽しみがひとつ減ってしまった。

 森の中でも戦闘は終わり、後片付けに入ったようだ。斎賀先輩が無線での連絡を知らせる。

「〈非正規〉の大人が見つかったって、見に行く?」

 この知らせに色めき立つのは、もちろん薫だ。

「行こう! 行こう! めぐめぐももちろん行くよね」

 行きたいわけがない。逃れられぬ自分の運命を見せられるのだ。不快なだけであろう。薫はそんな思いが存在することを考えもせず、廻の手を引き森へと連れて行く。

〈非正規〉の大人は巨大であった。体長二メートル半を超えている。森の幸を食べてもりもり成長したのだろう。残念ながら、その生涯はここにて幕を下ろすが、心配することはない。身体はあまねく再利用される。肉は学校へと運搬され、加工され、文化祭のバザーで売り出される。売り上げは全額寄付される。大人の肉は酒のつまみに合うと大変好評だ。命の連鎖はどこまでも続いていく。

 生徒たちは大人を囲み、斧で殴ってた。大切な商品となるのだ。戦車で踏み潰すことはできない。

「めぐめぐ、一緒に大人を倒そうよ」

 いつの間にか、廻の手には斧があった。薫は他の生徒と一緒に綺麗な汗をかき、大人を殴りつけている。大人の収穫は健康的な運動にもなる若者に推奨された活動だ。すこやかな肉体と精神を育成する。廻も薫と一緒に斧を持って大人を打ち倒せば、うじうじした性格が治り健全な精神に様変わりするかもしれない。

 斧で切り裂かれた大人の腹から胎児が出てくる。クラスメイトたちは胎児を蹴り、火をつける。登校時に踏んだ蛙の大人のことを思い出し気分が悪くなる。今度こそ正真正銘の吐き気がやってくる。

「薫、ごめん。先に帰ってるね」

 小さな声でつぶやく。薫の耳には入っていないだろうが、その場を小走りで後にする。木陰に寄って一回吐いたら少し楽になった。

 森の外では、下級生が掃除をしていた。〈非正規〉の死体をショベルカーで穴に埋めている。死体を栄養にして森はどんどんと広がっていくだろう。非常に環境に優しい死体処理方法だ。

「斎賀先輩、すいません、車出してもらえますか。めっちゃ気分が悪いんです」

「ありゃりゃりゃ、薫は?」

「彼女なら他の車に乗せてもらえるでしょう」

「まあそうだね」

 廻は学校へ帰る。全身がだるい。こんなときは保健室に行くべきだ。保健室のベッドで全身にかかる負担を軽減すべきだ。

 保健室のベッドは安心できる。外界との隔絶を象徴する白いカーテンは自分を守ってくれるような気がした。時の流れと社会の圧力から。大人を求める二つの巨大な存在から。

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