第七話 死者の皮
窓から差し込む夕日が、郷土史研究会の部室を赤く照らしている。
部室にいるのは深山雪仁だけだ。彼は保健室で眠っている湯原絵里と、どこかへ行った滝沢加奈恵をそこで待っていた。
絵里のために何ができるのか、雪仁はずっと考えていた答えは出ない。
六限の授業中に机に突っ伏して寝ていた絵里は、急にうなされ始め、心配した小田先生が声をかけた。すると彼女は悲鳴を上げて、椅子から転げ落ち、その椅子を手に取って先生を殴ろうとしたのだ。間一髪のところで雪仁が止めたが、その後、絵里は糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちてしまった。
「心労が溜まっていたんでしょう。あんな事件があった後ですからね……」
失神した絵里を保健室に連れて行った雪仁は、中年女性の保険医にそう言われた。保険医の言う事件とは、山田が城崎の母親を刺殺した事件のことだが、雪仁の考えは違う。
二限の休み時間、絵里は携帯で廃工場で起きた火事にについて調べていた。地元で起きた火災、さらに焼け跡から焼死体が発見されたのだから、興味を持っても不思議はない。しかし、先ほど発表された被害者の身元を見て、雪仁はある疑問を持った。
溝口泰造(三二)、岡野礼子(十七)、城崎彩(十六)、これが焼死体の身元だ。どうして行方不明になっていた城崎の死体が炎上した廃工場で発見されたのか、絵里は知っていたのかもしれない。旧校舎の時と同じように、絵里は廃工場で起きたことを夢に見たのではないか。仮にそうだとして、一体なにがあったのだろうか。
城崎が自らの意志で行方を暗ませたことは、加奈恵から聞いている。
雪仁が郷土史研究会の部室にいるのは、加奈恵から絵里のことで相談があると言われたからだ。彼女は昨日の放課後に絵里と旧校舎であったこと、マンションの管理人から聞いた話をすると、用意する物があるから待っていてくれと言って部室を出て行った。
「ごめんね、待たせちゃって」
加奈恵が戻ってきたのは、それから二時間後のことだった。彼女は抱えていた段ボール箱を長机の上に置いた。その中身を見て、雪仁は顔をしかめた。
「化物退治でもするつもりなのか?」
「念のためよ。これがあれば化物が出たって怖くないでしょ」
加奈恵の用心深さを、もう笑い飛ばせなかった。色々と奇妙なことが多すぎたせいか、雪仁も化物の存在を信じ始めていた。
「湯原さん、まだ保健室か。じゃあ、戻ってくるまで、人体模型の話でもしましょうか」
加奈恵は机の上に置いてあった分厚いファイルを開いて、雪仁に見せた。そのページには新聞の切り抜きが何枚か貼ってあった。新聞の日付は全て六月十四日で、平坂高校の女子生徒が教室で同級生の少女に火を点けて殺した事件について書かれている。
「この事件なら、俺も知ってるよ」
「有名な事件だからね。でも、一九四五年にも同じような事件が起きていたことは知らないでしょ」
加奈恵は、見るからに古いノートを机の上で広げた。そのページには、昭和十八年に起きた連続殺人事件について書かれた新聞の切り抜きが三枚貼ってあった。
『昭和十八年六月二十八日、葦原市の東にある道反の森で男性の死体が発見された。死体は皮膚の全てと内臓の一部が欠損しており、葦原警察署は殺人事件として捜査を開始した。遺体の状態から身元の確認はできなかったが、近隣の村から行方不明者は出ていないため、被害者は外部の者である可能性が高いと警察は発表している』
『昭和十八年七月二日、葦原市平坂村で村の猟師である牧野五郎(三八)が田村多恵(八)を射殺する事件が起きた。被害者の田村と道反の森に遊びに行った北沢千尋は、洞窟で牧野が人間を解体するのを見たと語った。牧野は犯行を目撃され、凶行に及んだと思われる。洞窟で発見された三体の遺体は、全て皮を剥がされ体の大部分が欠損しており、先月末の事件も牧野の犯行であると警察は見ている。三体の死体が死体の身元は不明だが、六月三十日に牧野と山に入った木村省吾(三七)と、牧野の妻である牧野泰江(三一)が行方不明になっており、被害者はこの二人ある可能性が高い。現在、警察は地元の猟師と協力して、逃亡した牧野を捜索中である』
『七月八日、平坂村の駐在所に勤める山田三郎巡査(二一)の自宅が全焼する事故が発生した。焼け跡から女性の遺体が発見され、山田の妻である山田陽子(二三)であると警察は見ている。事故が起きる前、山田陽子は周囲に「山狩りから帰ったきたら、夫が別人になってしまったようだ」と語っていたことが分かっている。警察は正気を失った山田陽子が自宅に火をつけた疑いもあるとして捜査を行っている』
たしかに一九四五年にも同じような事件が起きていたらしい。二度あることは三度あるというが、さすがに気味が悪くなってきた。
「似たような事件は、もっと前にも起きているの。記録に残る中で最古のものは平安時代の中頃に現れたもので、土鬼と呼ばれていたそうよ」
加奈恵は和綴じの本を開く。右ページの文章は読めないが、左ページに描かれた僧の皮を着る赤い女の挿絵は、歩く人体模型のイメージそのままだった。
「ある僧が禁術を使って人間を造ったけど、生まれたのは皮も目も舌もない人間擬きだった。これが土鬼よ。その化物は、己を生み出した僧の皮と目と舌を奪い、脳を喰って、僧に成りすましたの。これを白髪の鬼が聖なる炎で退治した。めでたし、めでたしってわけ」
白髪の鬼のことなら、雪仁も知っている。大昔に街を襲った様々な化物を退治した鬼で、葦原市では『光鬼様』と崇められている。街の至る所で祀られている角の生えた地蔵は光鬼を模したもので、校舎裏のお堂の中にも置いてあるらしい。
「興味深い話ではあるけど、そろそろ本題に入ってもらえるかな」
雪仁は歩く人体模型の話を聞きに来たわけではない。加奈恵が事件でも、噂でもなく、絵里のことで相談があるというから、ここにいるのだ。
「そうだね。湯原さんが来る前に、どうするか決めておこう。深山君、湯原さんが旧校舎で斎藤を襲う夢を見たって言ったじゃない。実は似たような噂がネットに載っていたんだ」
加奈恵が寄越した携帯の画面には、『予知夢』という都市伝説の記事が表示されていた。
『十七年前、葦原市を震撼させた連続殺人事件の犯行を予知したA子という女性がいた。彼女は夢の中で犯人と視覚を共有していたという。警察も最初は取り合わなかったが、A子が死体あると訴えた場所で死体が発見されたため、捜査に協力してもらうことになった。A子は夢で見たことを全て話し、新たな遺体が二つ発見された。証拠もいくつか見つかり、犯人逮捕は時間の問題かと思われた頃、A子はまた夢を見る。夢の中で、殺人鬼はO駅で電車を降り、住宅街にあるマンションに入った。エレベーターで四階に上がり、四〇二号室の鍵を針金でこじ開け、寝室へ向かう。そして、ベッドで眠っている女にナイフを振り下ろす。その女の顔は外でもない、A子自身の顔だった』
記事を読み終えた雪仁の背に冷たい汗が伝った。この記事に書かれていることは絵里が置かれた状況と似ているだけではない、不吉な未来すら予見していた。
「犯人がA子を殺したのは偶然だと思う?」
「そうだといいんだが……A子が犯人と視覚を共有したように、犯人の方も眠っている時、A子と視覚を共有していた可能性もあるのかもな」
雪仁の推理に、加奈恵は黙って頷いた。
「この都市伝説だけど、どのくらい信憑性があるんだ?」
「連続殺人事件があったのは本当みたい。犯人は解体屋って呼ばれてて、今もまだ捕まっていないそうよ。でも、A子って女が本当にいたかは分からないんだ」
そんな女がいるわけない、以前なら笑い飛ばせたが今は無理だ。嫌でも保健室のベッドで眠っている絵里が近付いてくる殺人鬼の夢を見ていると想像してしまう。
「これは仮定の話だけど、湯原さんがA子と同じ状況にあるなら、一刻も早く犯人を……相手が人間かどうかも分からないけど、捕まえないと湯原さんが危ないわ」
加奈恵の言う通りだが、どうすればいいのか。A子と同じように、夢の中から情報を集めて犯人を捜す。相手が人間なら不可能ではないが、絵里が夢の中で視覚を共有したのは、人の皮を奪ってその人に成りすます人体模型の化物なのだ。
「湯原さんの様子を見に行こうか。そろそろ起きてる頃だと思うし……」
「ええ、そうね、行きましょう」
結論が出ないまま、二人は部室を出て、保健室に向かった。もう六時近い。何時も騒がしい廊下が静まり返っている。
自分はきっと大馬鹿野郎だ、雪仁はそう思いたかった。常識的に考えれば心配するようなことではない。予知夢なんてないし、歩く人体模型もいない。それなのに、不安が拭えないのは不自然なことが多すぎるからだ。
母親を殺された城崎が、山田の持ってきたキャリーケースを持って廃工場に行き、そこで焼け死んだ理由をどうやって説明するのか。絵里が夢で見た場所で、連続して事件が起きたのは何故なのか。山田はどこへ行ったのか。斉藤と森脇はどこへ消えたのか。常識の範疇で考えれば、答えは出ない。しかし、非現実的な回答ならある。
山田の皮を着た化物は、城崎と城崎の母親を殺し、城崎の皮に着替えて、山田の皮と城崎の死体をキャリーケースにいれて廃工場に運んだ。その後、理由は不明だが二人の人間を殺し、廃工場に火をつけた。
我ながら筋が通った推理だ、化物なんていないという現実を無視すればの話だが。
「湯原さんに、さっきの話はするのか?」
「怖がらせちゃうかもしれないけど、話しておくべきだと思う。その後で対策を考えて、できることを全力でやろう」
加奈恵は化物の存在を信じきっているようだが、自分はどうなのか。分からない。分からないが、やることは一つだ。絵里を守らなければならない。
「あれ、どうしたの?」
保健室に入ると、椅子に座っていた保険医の保田先生が驚いたような顔をする。
「湯原さんの様子を見に来たんですけど、まだ眠ってますか?」
「え、何言ってるの。さっき起きて、迎えに来た友達と出て行ったけど……その子、あなた達も後から来るって言ってたわよ」
そんな話は聞いてない。雪仁と加奈恵は顔を見合わせた。
「……そいつの名前、分かりますか?」
「えっと、何だったかなぁ……」
嫌な予感がする。違ってくれと願いながら、雪仁はその名を口にした。
「岡野礼子じゃないですか?」
「あぁ、そうそう、岡野さん」
現実が崩れ落ち、絶望感が体を包んだ。だが、膝をついて神に祈る時ではないはずだ。雪仁は冷静になるよう努め、絵里の行方を保険医から探ることにした。
「どのくらい前ですか。待ち合わせ場所に来ないんですけど」
「五分くらい前よ。どこに行ったかは分からないな、電話してみて」
「はい、ありがとうございます」
雪仁は保険医に頭を下げ、保健室を出て行った。五分前なら希望はある。雪仁は携帯で絵里に電話をかける。加奈恵も絵里の声を聞こうと、雪仁の携帯に耳を寄せた。
「おかけになった電話は電波の届かない場所か――」
雪仁は携帯を床に叩きつけたくなった。これでは、死んだはずの女と一緒にいることを、絵里に伝えられない。
「旧校舎よ、湯原さんはきっと旧校舎にいるわ」
しかし、加奈恵は絵里のいる場所を口にした。顔は真剣そのものだ。
「どういうことだ?」
「学校の敷地にいるなら圏外にはならない。校舎裏の林だってそう。でも、旧校舎は違う。あそこは何故か電波が届かないんだ。それに思い出して、アイツは湯原さんが自分のことを調べていたことを知っているはずよ」
加奈恵がいてよかったと心から思った。旧校舎では携帯が圏外になることなど、そこに行ったこともない雪仁には知る由もない。
「俺は旧校舎に行くから、滝沢さんは部室に戻って、アレを取ってきてくれ!」
雪仁は廊下の窓を開けて、上履きのまま外に飛び出した
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