第六話 繰り返す悪夢

 昨日の夜、絵里はまた悪夢を見た。

 夢の舞台は、桃里駅近くの廃工場。同化したナニカの手には皮が被さっていたが、それが人間であるはずがない。そのナニカは廃工場に連れ込んだ男を金槌で殴り、吊るし、目を抉って、舌を抜き、皮を剥いで殺したのだ。

 目を逸らすことも、閉じることもできなかった。男が家畜のように解体される光景を見た絵里は、真夜中に悲鳴を上げて目を覚ましたのだった。

 だが、目が覚めた後も悪夢は続いている。

 六限の日本史の授業中だが、絵里は机の下に隠した携帯で、昨日の夜に起きた廃工場炎上事件について書かれたネット記事を読んでいた。 

『六月十四日午前〇時頃、葦原市桃里橋駅近くの工場跡地で火災が発生した。火は消防によって消し止められたが、焼け跡から三人の死体が発見された。警察は三名の身元の確認を急ぐとともに、事件と事故の両面で捜査している』

 焼け跡から発見された死体は三人、悪夢に出てきた死体は二体。数が合わないが、夢で見なかった場所に死体があった可能性もある。

 だから、絵里は授業中にもかかわらず、事件のことを調べているのだ。廃工場で発見された死体の中に、あの男がいないと分かれば悪夢は終わる。だが、もし、あの男が本当に廃工場で殺されていたとしたら――

「何やってるの、湯原さん!」

 怒鳴り声が教室に響く。絵里が慌てて顔を上げると、机の横に数学の小田先生が立っていた。何時もニコニコしている先生なのに、今は鬼の形相で絵里を睨みつけている。

「学校に来るようになったと思ったら、授業中に携帯を見るなんて、何を考えているんですか? どうやら指導が必要なようね、来なさい!」

 そう言って先生は教室を出て行ってしまった。クラスメイトの視線が四方から降り注ぐ。顔を真っ赤にした絵里は、俯いたまま先生を追いかけた。

 後悔と羞恥と戸惑いが、頭の中で渦巻いている。授業中に携帯を見ていたのだから怒られるのは当然だが、小田先生があんな風に声を荒げたのは初めてだった。しかも、まだ授業中なのに、説教をするために教室を出て行くのも変だ。

 さらに先生の不可思議な行動は続く。教室から先生の声が聞こえてくる廊下を歩き、階段を下りて一階に行くと、先生は職員室ではなく昇降口へ向かったのだ。

「あ、あの、一体どこに行くんですか?」

「行けば分かるわよ。ほら、いいから靴を履き替えて」

 そんな風に言われたら、もう質問なんてできるはずがない。絵里は靴を履き替え、先生の後に続いて昇降口を出た。

 校庭では男子生徒がサッカーをやっていた。絵里は一度も体育の授業に出たことはない。病気が治った今も大事を取って休んでいるが、経過に異常がなければ、あんな風に走り回れるはずだ。そのことは嬉しいのだが、今はそんな風に浮かれる余裕はない。

 一体どこに行くつもりなのだろうか。絵里が不安になっていると、先生は信じられない場所のドアの鍵を開けた。体育用具室だ。どうしてそんな場所で説教するのか。

「何やってるの、早く入りなさい!」

 怖くなってきたが、先生には逆らえない。絵里は用具室の中に入る。中にはサッカーボールの入った籠やハードル、走り高跳びで使うバーなどが乱雑に置かれていた。

「あなたは、そこに立っていなさい」

 言われた通りに絵里が壁際に立つと、先生はドアの鍵を掛けた。いよいよ不可解だ。鍵なんてかけなくても、説教中に生徒が逃げ出すはずがない。

「ど、どうしたんですか?」

 振り返った先生の顔を見て、絵里は声を引き攣らせる。さっきまで鬼のような顔をしていたのに、今は全くの無表情だ。それに質問に答えてもくれない。

 先生は絵里に歩み寄り、右腕を振り上げる。その手には金槌が握られていた。

 壁が鈍い音を立てた直後、絵里は床に倒れ込んだ。

 先生が金槌を振り下ろした瞬間、絵里は驚きのあまり足がもつれて倒れてしまったのだ。それが命を救った。金槌に打たれた壁の一部が砕け、周囲に散らばっている。もし頭に当たっていれば、頭蓋骨が陥没していた。

 殺される。絵里は逃げようとしたが、立ち上がる前に先生が伸し掛かってきた。馬乗りになって金槌を振りかぶる先生を押しのけようと、絵里は彼女の顔を右手で押した。

 その顔がずれた。マスクのように顔の皮が動き、一部が皺だらけになっている。

 先生は金槌を捨て、両手で顔の皮を掴んで引っ張る。布が裂けるような音がして、顔が裂けた。その下にあったのは、筋繊維や歯茎が剥き出しの人体模型のような顔――

「湯原さん、ねぇ、湯原さん、大丈夫?」

 机に突っ伏していた絵里が顔を上げると、机の隣に小田先生が立っていた。

 絵里は悲鳴を上げて、椅子から転げ落ちた。

 小田先生の顔が引き攣る。周りの生徒達がざわざわと声を上げる。一体なにが起こったのか。さっきまで体育用具室にいたのに、何時の間にか教室に戻っていた。

「お、落ち着いて、大丈夫だから」

「こ、来ないで、化物!」

 小田先生が、小田先生の皮を被った化物が近付いて来る。絵里は椅子を手に取って立ち上がる。そんな顔したって騙されるもんか。その泣きそうな顔は被り物だ。

「止めるんだ!」

 絵里が椅子を振りかぶった瞬間、背後で男が怒鳴った。振り返ると、そこに立っていた背の高い男子生徒が、絵里の持っていた椅子を奪い取った。

「み、深山君、違うの、先生は先生じゃないの」

「何を言ってるんだ。湯原さんがうなされていたから、先生が声をかけたんだよ」

 雪仁に言われ、絵里は状況を理解した。授業中に眠ってしまい、悪夢を見ていたようだ。

 そう、悪夢を見ていただけ。旧校舎の夢だって、廃工場の夢だって、ただの夢のはずだった。でも、クラスメイトが四人も消えた。廃工場では本当に人が死んでいた。夢の通りになった。夢の通りのことが起きていた。じゃあ、さっきの悪夢はどうなのか。ところで、これは本当に現実なのか。今も夢を見ているだけじゃないのか。

 雪仁の顔を見る。先生の顔を見る。加奈恵の顔を見る。クラスメイトの顔を見る。その全てが陽炎のように揺らいで見える。夢と現実の境が曖昧になり、溶けあっていく。

 これは夢なのか、それとも現実なのか。それすら、もう分からなくなってしまった。

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