第26話 エファが葱をしょっている鴨を探して捕獲する回
ユーディットとチョーさんが地下室から帰った後、エファは
「コリュウ、例の作業を始めるから手伝いなさい」
「了解でござる」
正座を続けていたコリュウがテーブルの椅子に座る。
エファは
学生交流サイトは各学年の生徒会が独自に管理している在校生を対象にした掲示板だ。主に行事の連絡や雑談に使われる。フローナ女子学院にも同様の物がある。
両学院の内部で頻繁に使われているこの掲示板は在校生が対象なのでアクセスには学院が発行するユーザーIDが必要だ。
エファはフローナ女子学院初等部の掲示板のIDを持っていて、書き込みをはじめとして、チャット、新しいトピックやカテゴリの追加を自由に行える。
ガゼルト男子学院の掲示板にもアクセスできるが、ゲスト扱いになるので書き込みとチャットしかできない。
お金だけでなく恋愛にも興味津々の年頃の男女が集まるフローナ女子学院とガゼルト男子学院である。掲示板やチャットでも男女の交流がさぞご盛なのだろうと巷ではよく噂される。
だが、さにあらず。
フローナ女子学院とガゼルト男子学院に集まるは王国を代表する両家の子女達。軽々しい男女交友などもっての他である。
両学院の女子学生も男子学生も紳士、淑女としての嗜みを弁えていて、掲示板で簡単に男女の交流が取れるからといって個人的に交流を取る者はきわめて少ない。せいぜい、夏休みの最後に行われる、星降る舞踏会、のような学院の公式行事の連絡用掲示板で事務的な交流をする程度だ。
ガゼルト男子学院の学生交流掲示板にログインしたエファは書き込みを見ていく。書き込みの多くは舞踏会の準備に関する連絡だった。その中の一つの書き込みにエファは注目する。メガネというハンドルネームの者の書き込みだ。
「このメガネって奴、まだ連絡取ったことないけど、どんな人」
「ボルファーツ バルフェット。温厚で誠実。交友関係も広いでござるが、勉強も財力も中の中という地味な存在でござる」
コリュウはエファの命令でガゼルト男子学院初等部の各学生が掲示板で使っているハンドルネーム、クラスでの評判、学力、財力を調べていた。
間者として敵方の情報を調べ上げる訓練を積んだ忍者のコリュウにとって、この程度の情報収集は朝飯前の仕事だ。
「温厚、誠実、地味。いいじゃない」
エファは
しばらくしてメガネことボルファーツからチャットOKの返信が届く。
エファは挨拶がてら、自分がフローナ女子学院初等部の学生であることを打ち明ける。
チャットでは本名は隠されるが、お互いのユーザーIDとハンドルネームは開示される。エファのユーザーIDの頭にはフローナ女子学院初等部の学生に共通して使われる、FLONA1の文字があるので、エファがフローナ女子学院初等部の学生であることは言わなくても推測できる。ただ、そこは社交辞として文章で伝えておいた。
エファは近く行われる舞踏会に着ていくドレスについてガゼルト男子学院の人の意見を聞きたくてチャットした、という、あらかじめ用意しておいた文章を送る。文章の隅々に、女性からチャットを申し込むという、はしたない行為に対する恥じらいも匂わせている。
この文章を読んだ者は、少し内気なお淑やかな女性を思い浮かべるだろう。エファの本性とは大違いであるが、そこはチャットなので問題ない。
挨拶をすませたエファは様子見として学院での生活について少し雑談する。最初は警戒していた感のあるボルファーツだったが雑談をすることで徐々に打ち解けくる。
温厚で誠実とコリュウが評した通り、ボルファーツは丁寧な文章で返信してくる。
「文章からするとこいつ、いい人、て感じね」
カモを見つけた、とエファはにんまり笑いながら続きの文章を送る。
(二つのドレスのどちらにするか悩んでいるんですけど、意見を頂けませんか)
(僕でよければ。ドレスの画像を送ってくれますか)
(じゃあ、二つのドレスの画像を送りますね。私は一番目が好みです。友達も良い、と言ってくれてます。でも二番目の方が男性に受けるかなと思い、悩んでいます)
エファは文章と一緒に二種類のドレスの画像を送った。ちなみに、一番目のドレスはユーディットが着ていく、と決めたものだ。
(僕は一番目のドレスの清楚な感じが学生らしくていいと思います。二番目は色っぽいドレスですね。こういうのが好きな人もいるとは思いますが、今度の舞踏会は両学院の学生の交流が目的ですから、学生らしいドレスが受けると思います)
(やっぱり一番ですよね! 賛同してもらえて安心しました。一番のドレスに決めようと思います。このドレスでメガネさんと踊れたらとても素敵です。でも……)
(でも……? どうしましたか? 何が、でも、なのでしょうか)
エファはコリュウを見る。
「のってきたかな? そろそろ本題に入る頃合いかな?」
「頃合いと思うでござる。できたら相手が聞き出した、という感じにもって行くでござる」
「難しいこと言うわね。まあ、やってみるけど」
(何でもないです。選んでもらったドレスを着て行けるように頑張ります。でも、もし着ていけなかったら、ごめんなさい)
「選んでもらった、という所、相手の能動性を醸し出した、いい表現でござるな」
でしょ、とエファは得意げに頷く。実際はエファが選ばせたのだから物は言いようだ。
(このドレスでは駄目なのでしょうか。他にいいドレスがある、ということですか?)
(そういうわけじゃありません。このドレスが一番だと思っています。ただ……)
(ただ?)
焦れてきたのかボルファーツの返信のレスポンスが速くなる。いい傾向ね、とエファはほくそ笑む。
(実は、とても恥ずかしいことなのですが、このドレスは少々予算オーバーなんです)
(そんなに、このドレスは高いのですか)
(普段なら買える価格なんです。でも、今は夏祭りでお金を使ってしまって……)
(そういうことでしたか。フローナ女子学院の夏祭りにはお金がかかる、と聞いていましたが、本当なんですね。ところでランドグスさんはどんなお店をだしたんですか)
ランドグス、というのはエファのハンドルネームだ。普段は、金の子豚、なのだが、今回は策略の都合上、高級ヴァイオリンの名である、ランドグス、に変えたのだ。
(日曜日に中庭で演奏しました)
一回だけだが、エファはユーディットの演奏に合わせて歌ったのだから、嘘ではない。
(あのヴァイオリンの演奏でしたか。僕も聞きました。とても上手な演奏でしたね。下世話なことを聞きますが、あの演奏なら十分な演奏料が取れたのではありませんか?)
(お金は取らなかったんです。皆に演奏を聞いて貰えたらそれだけで嬉しいから)
(あの演奏はお金を取るに足るものだと思いましたが、ランドグスさんがそういう考えなら僕がとやかく言うことではないですね。でもそういう考えは素敵だと思います)
「エファ殿、ここで一歩引いてみるでござる」
(メガネさんにそう言ってもらえると嬉しいです。メガネさんとの話が楽しくて、つい話し込んでしまいました。今日は相談に乗ってくれてありがとうございます。お時間取らせてすいませんでした。舞踏会ではメガネさんに選んでもらったドレスを着られるよう、頑張りますね)
一歩引く、ということで、エファは別れの挨拶とも取れる文章を送った。
(立ち入ったことを聞きますが、あのドレスの費用としていくら足りないのでしょうか。多少なら僕が貸すこともできます)
「こいつ馬鹿よ、大馬鹿よ」
エファは手を叩いて大喜びする。
このチャットの目的は相手からお金を借りることなので、ボルファーツからの提案を得たエファは、成功というゴールが記載された地図を手に入れたようなものだ。
「油断大敵でござる。人間、成功した、と思ったときが最も失敗しやすいでござるよ」
「そうね。あんたの言う通りだわ。たまには良いこと言うじゃない」
エファは素直にコリュウの指摘を受け入れ、緩みがちな気持ちを引き締める。
(貸して頂くなんて悪いです。相談に乗ってもらいドレスを選んでくれただけで十分です)
(差し出がましいことは重々承知しています。しかし、僕が選んだドレスの値段が高いのであれば僕にも責任があります。手助けできることがあれば協力させて欲しいです)
「やっぱりこいつ大馬鹿よ。何が、僕が選んだドレス、よ。私が選ばせたんだってのに」
エファは爆笑する。しかし、コリュウに、油断大敵、とくぎを刺され、静かになる。
(メガネさん、ありがとうございます。人からお金を借りるなんてとても恥ずかしいことですけど、メガネさんにあのドレスを着た姿を見てもらいたいので、お言葉に甘えさせていいただきます。予算オーバーの額は二百万フローナになります)
二百万フローナはフローナ、ガゼルト両学院初等部の学生の平均的な一ヶ月の生活費の額だ。大抵の学生は一、二ヶ月分の生活は貯蓄しているので、安くは無いが貸せない額ではない。そんな懐事情を考慮してエファは借りるお金を二百万フローナと設定していた。
(二百万フローナ程度なら、特に問題ありません。今すぐにでも送れます。ただ、僕が持っているのはガゼルトなのでフローナに換金した方がいいですよね)
「よしきた!」
エファは逸る気持ちを抑えて、注意深く文章を作成し、送る。
(ありがとうございます。なんとお礼を言えばいいのか言葉が見つかりません。ご存知と思いますが、フローナ女子学院でもガゼルトを使えるので、ガゼルトのままで構いません)
(それではガゼルトでお送ります。ユーザーIDの口座に振り込みますね)
数十秒後、エファのユーザーIDの口座に二百万ガゼルトが入金された。
「やったー。大成功」
「見事でござる、エファ殿」
(入金を確認しました。本当にありがとうございます。これであのドレスが着れます。一つお願いがあります。今日のことは二人だけの秘密にしてもらえますか。お金を出してもらって素敵なドレスを着ているんなんて友達に知られたくないので……)
(最初から他言するつもりはありません。安心してください)
(お願いついでにもう一つ、舞踏会で私と踊っていただけませんか)
(僕でよければ喜んで。舞踏会ではあのドレスを着たランドグスさんを探しますね)
「これで、ユーディットもモテモテね」
舞踏会で、一番目の画像のドレスを着たユーディットにボルファーツが寄って来る姿を想像しつつ、エファは、別れの挨拶をしてチャットを切断した。
「男を手玉に取るなんてちょろいわね」
エファは一週間前からガゼルト男子学院の学生とコンタクトを取り、ボルファーツとしたやり取りと同じことを繰り返していた。その結果、ガゼルト男子学院初等部の学生四十人中三十人からお金を借りることに成功していた。
カモにした人数もさることながら、特筆すべきは、ここまで成功率が百パーセントということだ。この成功にはコリュウの助言が大きい。忍者として交渉術も学んだコリュウにしてみれば、年端もいかない学生など相手ではないのだ。
「ユーディット殿のイメージや、エファ殿の、可愛らしい女性像を彷彿させる文章が効いているでござるよ」
ユーディットの人畜無害な人のよさそうな容姿と、優しい雰囲気に満ちた演奏は無条件に相手に信頼させる力がある、とコリュウは考え、ユーディットを彷彿させるハンドルネームを使うことをエファに提案した。
多くのガゼルト男子学院の学生達は夏祭りに来ていて、ユーディットの演奏を聞き、ユーディットの姿を見ていた。
この為、ヴァイオリンのブランド名、ランドグス、というハンドルネームをユーディットだと簡単に誤解した。コリュウの計算通りであった。
「私の文章か。まあ、可愛い感じになってたかな。私さ、昔はこんな感じの可愛い子だったんだよ。よくお人形さんみたい、て言われてた。今からは想像もできないでしょ」
「何か心境の変化があったでござるか」
「なんかさ、可愛い、て言われるには男を立てるみたいなのが必要な感じがして、それが嫌だったのよ。誰かを立てるより、自分が立ったほうが楽だし、いいでしょ」
「エファ殿らしいでござる。ところで、今回の目的をそろそろ教えて欲しいでござる」
今回の策略の目的をコリュウはまだ聞かされていなかった。
「そうね、教えてあげるか」
エファはコリュウに、ガゼルト男子学院の学生からお金を借りる目的について話した。
話を聞いたコリュウの眉が飛び上がる。
「そんなことが起きるでござるか?!」
「起きるかどうかなんてわからない。私は神様じゃないんだから。ただ、準備しておいて損は無いでしょ。何も起きなければ借りたお金をそっくり返すだけだし」
ガゼルト男子学院の学生から借りたお金を、エファは一切手を付けず、そっくりそのまま返せる状態で保管していた。お金をだまし取っているわけではないので、コリュウもエファの策に異を唱えることなく、手伝っていた。
「備えあれば憂いなし、と言うでござるから準備は大事でござる。しかし、何も無かったらお金はちゃんと返すでござるよ。ねこばばしたら駄目でござるよ」
「こんな小銭をねこばばするほど落ちぶれちゃないわよ。ただ、何が何でも叔父さまに借りた一千万フローナを返さなくちゃいけないんだから、やれることはやっておくのよ」
エファは、為替や株で利益を出していたが、まだ、足りない。エファの予想では、星降る舞踏会で足りないお金を稼ぐチャンスが来るはずなのだ。準備を惜しんではいられない。
「そうとわかったら、次のカモを探すわよ」
エファは再び、ガゼルト男子学院の学生交流サイトを見て、カモを探した。
二時間程かけて、エファは三匹のカモを獲得した。
少々疲れてきたエファは、うーん、と大きく伸びをする。
「またコンタクトを取っていない残っている御仁はどれもお金にうるさかったり、猜疑心が強かったりと、一筋縄ではいいかない者達でござる。そろそろ潮時でござる」
「そうね。とりあえずこれだけカモにできればいいかな。これは、今日で終わりにしよう。そろそろドレスも決めなくちゃいけないしね」
「エファ殿、実はドレスについて拙者に一つ考えがござる」
「何? 言ってみなさい。良い提案なら採用してあげる」
コリュウが腹案を述べる。コリュウの提案を聞いたエファの顔が明るくなる。
「いいじゃないそれ。決めた。あんたのアイディアでいく。明日、オーダーメイドする」
翌日。エファは学院のダイヤモンド通りにある高級服飾店に行き、ドレスを注文した。オーダーメイドなのでその場で採寸した。出来上がりは一週間後だ。
服飾店からの帰り道、ソフィアとすれ違った。
「こんにちは、エファ。ドレスの注文の帰りかしら」
ソフィアが話しかけてきた。 無視する理由も無かったのでエファは足を止め、応える。
「そうよ。あんたは」
「私もよ。これから注文しにいくのよ」
ふと、エファはソフィアが現在のフローナ高をどう考えているか、知りたくなった。
「あのさ、最近フローナ高でしょ。あんた、どう思う」
「夏祭りや舞踏会があるこの時期は、女子学院の学生が多くのフローナを必要とするから、毎年フローナ高になる傾向があるわ。おかしいことだとは思わないけど。それにフローナ高と言っても、異常に高いわけでもないでしょ。三年前のこの時期は今以上のフローナ高だったわよ」
「そうね。その通りよ。よく調べてるじゃない」
エファは、バイバイと手を振り、ソフィアと別れる。一人になったエファが呟いた。
「よく調べているけど分析ができてないよ、ソフィア」
確かに三年前は今以上のフローナ高だった。しかし、当時はガゼルト高でもあった。それが今はフローナ独歩高で、ガゼルトは舞踏会があるこの時期にしては低値なのだ。つまり、ガゼルト比でみると、今は異常に高いのだ。
この傾向は夏休みに入った時から続いている。エファはこのことをずっと気にしていた。
「さて、私の考えが正しいかどうか、答えを待つとするか」
残暑というにはまだ早い夏の青空をエファは眩しそうに眺めた。
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