第20話 トイレに幽霊、カジノにバニー現れるの回

 夏祭りに来ていたガゼルト男子学院の学生が校舎の入口近くのトイレに入る。トイレには誰もいなかった。男子生徒が用を足そうとしたとき、トイレの照明が消えた。

 男子学生が訝しんでいると首筋を冷たい何かが触れた。ひっ、と短い悲鳴を上げ、男子学生は身震いする。何かの悪戯だろうかと左右を見る。しかし、トイレには誰もいない。今度は、冷たい何かが男子学生の肩を叩いた。反射的に男子学生は振り返った。

「うわわわあああ!」

 男子学生は悲鳴を上げトイレから逃げ出した。彼は確かに見た。暗闇に浮かぶ幽霊を。


 夏祭りに来ていた品のある中年の女性がトイレに入る。彼女は鏡の前で化粧を直し始めた。その時、トイレの照明が消えた。故障かしら、と、中年の女性が天井を見上げた。

「きゃあああああ! 幽霊!」

 中年の女性は悲鳴を上げてトイレから走って逃げ出した。


 他のトイレでも悲鳴があがる。トイレから出てきた人は口々に幽霊が出た、と証言した。


 トイレに幽霊が出る、という噂はすぐに来客者の間に広まった。


 フローナ女子学院の地下倉庫に紅玉竜がいることは秘密だが、幽霊を作る古代の魔機があることは秘密では無く、逆に有名で、来客者達も知っていた。この為、来客者達は幽霊が現れると本気で気持ち悪がり、トイレに行くのに二の足を踏んだ。


 しばらくすると、また別の噂が来客の間に広まった。


 あるトイレだけは幽霊が出ない、という噂だ。来客者はこぞって、幽霊がでないというトイレを利用するようになった。その結果、そのトイレに向かう道に新しい人の流れができた。そのトイレは、エファの出しているカジノの先にあるトイレだった。


「忙しい、死ぬほど忙しいわ」

 エファはカウンターで次々に訪れる客を相手にお金とチップの換金を行っていた。

 野心家の一番の幸福は忙しいということである、という格言を思い出す暇もないくらいの忙しさだが、エファはとても嬉しそうだった。


 幽霊が出ないただ一つのトイレを目指す客の流れができたことにより、そのトイレに近いエファのカジノも客の注目を浴びていた。

 富裕層の間、特に紳士たちの間ではカジノはメジャーな遊びの一つであり、トイレ帰りの紳士が気軽に寄るようになり閑古鳥もどこかにいってしまった。

 コリュウはルーレットとカードのディーラーを同時に務めるという離れ業を見せていた。


 ある程度人が入ると、興味本位で寄ってくる者も現れ、男性客の連れの淑女や子供といった素人もカジノで遊ぶようになった。そこでエファは、素人用のテーブルを用意し、ユーディットにディーラーをさせた。

 ユーディットはルールを覚えたての素人だったが、相手も素人であり、素人感あふれるユーディットが相手をすることで逆に安心感を与えていた。また、子供好きのユーディットが子供を可愛がる為、小さい子が、ひいてはその親も賭けに参加し、和気あいあいとした雰囲気で皆楽しんでいた。


 忙しい合間をぬってコリュウがエファに傍に寄ってくる。

「エファ殿、トイレに幽霊が出るとお客の噂話で聞いたでござる。この幽霊、まさかチョーさんではござらぬか」

「そうよ。どうこの集客。使えるトイレを限定することで人の流れを作る作戦、大成功よ」

 ううむ、とコリュウが唸る。エファの作戦の成功に対する感嘆と心配事を抱えている不安が合わさった唸りだ。


「エファ殿の英才、さすがでござる。しかし、人を驚かせるのはいいこととは言えず、やり過ぎては問題になるでござる。そろそろチョーさんを止めた方がいいと思うでござる」

「そうね。やり過ぎるとソフィアあたりが文句行ってきそうだし。これだけ、客が来るようになれば、あとは何もしなくても自然と客が来るだろうし、チョーを呼び戻すか」

「それがいいでござるよ。短い時間なら拙者がディーラーと換金をやるでござる」

「そう。じゃあ、ちょっとチョーを呼び戻してくる」

 

 エファはトイレを順に見て回り、正面玄関近くのトイレの入口でチョーさんを見つけた。

 チョーさんは光り輝く魔法の縄で体を縛られ床に転がっていた。ヴァルキリーシステムの戦闘衣を着たソフィアがチョーさんを見下している。ソフィアの後ろには制服姿のままの副生徒会長の女の子がいた。


 エファがソフィア達に近づく。エファの接近にソフィアが気づく。

「エファ、トイレの幽霊騒ぎはあなたの仕業ね」

「幽霊騒ぎ? 何のこと」

 エファはとぼける。ソフィア相手に正直に答えるという選択肢はない。

「とぼけないで。くだらない冗談ばっかり言うこの幽霊はあなたのところの店員でしょ。この幽霊があっちこっちのトイレでお客を驚かせてたのよ。おかげで、トイレが使えないって、苦情が沢山きてるんだから」

「チョー あんたトイレでお客を驚かせたの」

 エファは、分かってるわね、とチョーさんに目くばせする。分かってるぜ、とチョーさんは不必要に目をギンギラギンに光らせる。


「俺っちがそんなことするわけないだろ。俺っちはハートフルお出迎え幽霊だぜ。夏祭りに来たお客様達をもてなすことが生き甲斐。驚かすなんて死んでもやらねえぜ」

「こう、言ってるけど」

 エファはわざとらしい程、澄んだ瞳でソフィアを見る。ソフィアをからかっているのだ。


「茶番はやめなさい。あなたがその幽霊に、トイレに来たお客を驚かせるよう命じたんでしょ。そして、あなたの店の近くのトイレだけは幽霊が出ない状態にしてお客の流れを作った。全てあなたの悪知恵だってことはお見通しよ。正直に白状なさい」

「白状て言われても、私、難しいこと、よくわかんなーい」

 エファはお馬鹿で人畜無害なふりをする。本当は無害からは程遠い存在なのだが……

「あくまでも白を切るつもりね。でも無駄よ。この幽霊がトイレでお客を驚かせようとした現場を私は見ているんだから。咄嗟に魔法の縄で生け捕ったからお客に被害はなかったけど、迷惑行為の現行犯逮捕よ。あなたにも責任を取ってもらいますからね、エファ」

「まあ!? お客様をもてなそうとているチョーを生け捕るなんて、ひどい。なんて悪辣で卑劣で鬼の所業なの。お出迎え幽霊のチョーが可哀想」

 エファはポケットからハンカチを取り出し、涙をふく。お得意の嘘泣きだ。

「うわーん。俺っちチョー可哀想」

 チョーさんも大げさに泣き出す。


「嘘泣きはやめなさい。あくまで誤魔化すなら、生徒会権限でお店を営業停止にするわよ」

「営業停止の理由は何かしら、ソフィア」

「迷惑行為防止よ。人の流れを作る為、トイレでお客を驚かす店なんて放置できません」

「ちょっと待ってよ、ソフィア。さっきから聞いてると、まるでチョーがお客を驚かせて、それを私が店の利益の為に指示していたみたいな言い方だけど、証拠はあるの」

 エファはにやりと笑う。嘘泣きは雲の彼方へ消えてしまったようだ。


「証拠なら、その幽霊がお客を驚かせようとしたところを私が目撃したと言ったでしょ」

「目撃したっていうけど、そのお客から苦情はあったの。苦情が無いならあんたが一人で騒いでいるだけじゃない。もしかして、私の店が繁盛してるから、僻んで難癖つけてるんじゃないの」

「何を馬鹿なことを。そのお客から苦情は出ていないけど、それは私が未然に迷惑行為を防いだからよ。他のお客からは幽霊に驚かされた、と沢山の苦情が寄せられています」

 ソフィアが今まで以上に激しい口調で言い返す。


「その幽霊がチョーだという証拠はあるの?」

「証拠も何も、学院内をうろついている幽霊はこの騒がしい者だけでしょ」

「推測で私の店とチョーを弾劾するのはやめてくれる。地下倉庫には幽霊を製造する魔機があるのはあんたも知ってるでしょ。チョー以外の幽霊が学院内に現れたっておかしくないじゃない。とにかく、証拠を出しなさいよ。トイレでお客を驚かせていた幽霊がチョーだっていう証拠を」

 証拠、と言われソフィアの口が止まる。エファが言うような証拠は無いのだ。

「証拠も無いのに、私の店と店員に難癖つけるんなんて、非常に遺憾ね」

 言い合いに勝ったと確信したエファはソフィアに背中を向けて自分の店へ歩いて行く。

「遺憾はイカン」

 くだらないダジャレを言って、チョーさんもエファについていく。


 エファの背中を恨めしそうに睨みながら、呪詛に満ちた言葉をソフィアが独白した。

「必ず証拠を掴んで営業停止に追い込んでやるんだから。覚えてなさい」


「ソフィアには見つかるなって言ったでしょ。本当にドジね」

 廊下を歩きながらエファがチョーを叱る。

「すまねえ、エファ様。俺っちとしたことがうっかりさんだったぜ」

「さっきはどうにか誤魔化したけど、ソフィアのしつこい性格からしてまた、ちょっかい出してくるわね。次はどうやって撃退するかな」

 ソフィアに対抗する策を考えていたエファが悪人顔になる。

「いいこと思いついた。チョー、さっさと店に戻るよ」

 エファは走って店に戻り、ソフィアを撃退する準備を始めた。

 そして一時間が経った頃、ソフィアが副生徒会長の女の子を引き連れ、カジノに訪れた。


「エファ、証拠を持ってきたわ」

 ソフィアの後ろにいる副生徒会長の女の子が多機能携帯魔機の投影装置を使って近くの壁に画像を映す。画像は、琥珀色で丸みを帯びた輪郭のもので、まるで、魂、を想起させるものだった。

「これは、幽霊紋です。人の指紋のようなもので、幽霊によってそれぞれ異なり、幽霊を特定するのに使えます」

「トイレに残っていたこの幽霊紋とあの騒がしい幽霊の幽霊紋を比較させいただくわ」

「幽霊紋なんてものがあったのね。知らなかったわ。まあいいわ、こっちに来てくれる」

 エファは換金カウンターから出てカジノの端の方に歩いて行く。


 ソフィア達がエファについていく。カジノの端にロープを張り、立ち入り禁止にした空間があった。エファはロープをくぐりその空間に入る。何も疑うことなくソフィアもロープをくぐる。その時、エファはヴァルキリーシステムモバイルを起動した。

「ヴァルキリーシステム?!」

 いきなりヴァルキリーシステムの結界が張られ、ソフィアが驚く。

「私に勝ったらチョーに合わせてあげるよ、ソフィア」

 エファが制服を深紅のドレス状の戦闘衣に変換する。

「こっちは幽霊紋という証拠を持って生徒会の権限で調査に来てるのよ。ヴァルキリーシステムの勝敗で調査をやるかやらないかを決める問題じゃないわ」

「負けるのが嫌なのね。プライドだけは高い没落貴族だからしょうがないけど、実力が伴ってないのよね、ソフィアってば」

 ソフィアのこめかみに青筋が浮かぶ。ソフィアの理屈の方が正しくヴァルキリーシステムで戦う必要は全くないが、没落貴族と馬鹿にされて黙っていられるソフィアではない。


「戦う必要なんてないけれど、相手してあげるわ」

 ソフィアが制服を戦闘衣に変換する。

 ひっかかった、とエファはほくそ笑む。

 白銀の鎧をモチーフにしたスカート状の戦闘衣に変換されるはずだったソフィアの戦闘衣は、全く違うものに変換された。長い白い耳のカチューシャ、白いボンボンの尻尾が着いた黒のレオタード、蝶ネクタイ、アミアミのストッキング、で構成された戦闘衣は、校長のミカエルが飛び上がって喜びそうな、バニーさんだった。


「な、何よこれ!?」 

 ソフィアが驚愕する。

「降り注げ流星!」

 エファが魔法を唱える。カジノの売り上げの一部を自分の口座に移したので派手で威力のある魔法を使えるようになっているのだ。

「邪を払う至高なる女神の盾よ、以下省略! 具現せよ、カナンの盾」

 早口にソフィアが呪文を唱える。ソフィアの周囲に複数の光球が現れ、流星に向かって発射される。光球が次々に流星を撃墜する。カナン家御用達の守備魔法、カナンの盾だ。

「ちょっと待ちなさい、エファ。こんな恰好で戦えるわけないでしょ。一時中断よ」

「あら、バニーさんもお似合いよ、ソフィア。そのままでいいんじゃない」

「仕組んだわね、この卑怯者」

「卑怯者だなんて人聞きの悪い。策略家と言いなさい」


 ヴァルキリーシステムには様々な設定がある。ヴァルキリーシステムモバイルの場合、起動した者が管理者となり自由に設定を変更できる。エファは戦闘衣の設定を悪用し、ソフィアの戦闘衣を勝手にバニーさんに変えたのだ。


「ほらほら、少しは反撃したらどうよ」

 露出の多い服装が気になって戦いどころではないソフィアに、エファは容赦なく攻撃を仕掛ける。実に卑怯で卑劣なやり方だ。

 カジノで賭けに興じていた者達がエファとソフィアの戦いに気づく。容姿端麗で超がつく美少女でスタイルも良いソフィアのバニー姿に男客の視線が釘付けになる。

 沢山の視線に晒されていることに気が付いたソフィアはヴァルキリーシステムの結界から逃げ出した。結果から出ることで戦闘衣が強制的に制服に変換される。


「お、覚えてなさい、エファ。この屈辱は千倍にして返すわ」

 顔を真っ赤にして泣きべそをかきながら、ソフィアは走って姿を消した。

「にゃはははは、何が千倍よ。また来ても追い返してやる」

 エファは小太りの体をおおきくそらして高笑いする。

「エファ殿。ご学友にバニーさんの衣装を着せるとは何を考えているでござるか」

 コリュウがエファの傍に来て説教を始める。


「ああ、うるさい、うるさい。あんたも私が卑怯だって言いたいの。でも勝ったんだから文句ないでしょ。勝負は勝敗こそ全てよ。卑怯だろうがなんだろうが勝てば官軍よ」

「卑怯な戦法で勝利しても、恨みが残るだけでござるよ、エファ殿」

「もう、うるさいって言ってんでしょ。お黙りなさい。奴隷のくせに生意気よ」

 コリュウの説教に辟易してきたエファはコリュウに背中を向けて換金カウンターに戻る。

「まずいことにならなければよいでござるが」

 コリュウは不安そうにエファの背中を見つめる。


                   *


 十七時を過ぎ、夏祭りの初日が終わった。


 換金カウンターで本日の売り上げを集計したエファはとても上機嫌だった。初日の売り上げが予想よりもかなり多かったのだ。

「この調子なら半年分の生活費が稼げそうね」

「よかったね、エファちゃん」

「俺っちも頑張った甲斐があったぜ」

 店員のユーディットもチョーさんも、初日が大成功だったので表情が明るい。ただ一人コリュウだけが顔を曇らせていた。


「どうやらかなりの利益をあげたようね」

 カジノの入口から声が響いた。声の主はソフィアだった。

 エファは入り口に立っているソフィアを見る。ソフィアの他に副生徒会長の女の子と、教頭のクラウディアもいた。ソフィアがエファに近づき、そっと耳元で囁いた。

「エファ。仕返しに来たわよ、千倍にしてね」

 教頭たちには背を向けているソフィアはエファだけに向かって凄味のある笑みを見せた。


「エファさん。注意しておいたのに規則を守っていただけなかったとは誠に残念です」

 教頭のクラウディアが冷たい視線でエファを射すくめる。

「規則? お言葉ですけど、教頭先生。私は規則を破るようなことはしていません」

 嘘でもとぼけているわけでも無く、エファに規則を破った覚えはない。

「私の注意は記憶の片隅にも留めてもらえなかった、ということですね」

 クラウディアは重々しく溜息をついた。

「フローナ女子学院の品位を穢す、バニーの着用は許しません、と言ったはずです」

「あっ!」

 そんな注意を受けたこと、エファはすっかり忘れていた。


「事情はソフィアさんから聞きました。ヴァルキリーシステムの戦いにおいて相手の戦闘衣を勝手に変更するのは極めて卑劣な戦法です。反省を促します。そして、お客の歓心を買う為にバニーという扇情的で下劣な戦闘衣を利用したことには罰を与えます」

「ちょっと待ってください。私は別にお客の歓心を買おうとしたわけじゃありません」

 純粋にソフィアに勝ちたかっただけだと、エファが言おうとしたとき、副生徒会長の女の子が口を挟んできた。

「ソフィアさんとエファさんの戦いの後、カジノにいけばバニーさんが見られる、という噂が立ち、多くの男性客がカジノに向かっています。カジノから出てきたお客にカジノに来た理由を質問し、統計処理した結果、集客にバニー効果があることが判明しています」

 このソフィアの腰巾着め、とエファは副会長の女の子を睨む。


「言い訳は無用です、エファさん。バニーによって伝統と名誉ある学院の品位が穢されたのは事実。実に嘆かわしいことです。これ以上品位を穢すことがないよう、あなたのお店の営業停止を命じます。また、本日の売り上げは全額没収します」

「全額没収!?」

 エファは仰天する。営業を停止され、全額没収されたら、貧乏生活を脱出できない。

「没収したお金は慈善団体へ寄付します。よろしいですね」

 エファに厳しい罰を言い渡し、クラウディアはカジノから去る。クラウディアについてカジノを出て行くソフィアが、一回振り返りエファを見た。復讐の色に染まったソフィアの顔には、これで終わりだと思ったら大間違いよ、と書かれていた。

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