窓口魔女は空を飛ぶ

須賀かすが

第1話




 空をぐるりと旋回する。

 眼下には果てしなく広がる荒野と、一匹の竜がいた。灰の古竜。動きは怠慢で、鱗は鈍く光り、上空にいるカルナを威嚇するような迫力。

 気候は悪くないが少々風が強い。

 カルナは飛空術の媒体となる箒を、改めて握った。

「王都がおふれを出していた古竜復活のクエスト、まさかその現場に当たるなんてね……」

 カルナの頭にいくつかの詠唱呪文が浮かぶ。

(魔法石とか杖とか、とにかく媒体がないと魔法出力に支障が出るけど……。でも……)

 カルナの他に、この場には誰もいなかった。魔法使いはおろか、勇者、剣士、召喚士、弓使い、皆どこにもいない。国家が動くA級クエストのはずなのに。

(もしかして、みんなやられた?)

 もう少し高度を落として飛べば、地表に亡骸が転がっている様が見えるかもしれない。それは嫌だ。カルナは前線で戦う経験がなかった。魔道研究者志望なのだから。カルナは今年で十六歳。飛空術こそ使えるものの、まだ魔法使いとして戦うには怯えがあった。

(でも……)

 カルナは思った。

(ここには私しかいない。誰も古竜を倒せないのなら……、私が、やるしかない)

 風は強く吹きつけた。

 ローブの裾はひるがえり、長く編んだ三つ編みは風に暴れる。

 それでもカルナは箒を宙に押さえつけ、安定を保つ。よく馴染んだ魔法媒体だ。できれば他に魔法石とか、杖とかがあれば良いのだが。

(でも、ここまで来たからには、逃げるわけにはいかない)

 ぎろり。

 古竜が、上空にいるカルナの気配に気づいた。

 まずい。

 カルナは魔術詠唱を始める。

 長い呪文だ。正直、唱え切る前にやられる可能性もある。

 古竜の眼が、カルナを捕らえた。

 次の瞬間。

(ウソ!)

 長い尾がカルナを狙って、空を切った。

 カルナは箒を急降下させ、寸でのところで尾を避けた。詠唱はとぎらせないように。よかった。まだ大丈夫。

 しかし、急降下したことで、カルナの目に凄惨な光景が飛び込んで来た。

 地に転がる、無数の亡骸が。

 ──それでも、詠唱を続けられたのは、ひとえにカルナが魔法使いとしての自覚を持っていたからだろう。

(……倒さなきゃ)

 悲しむのは、弔うのは、後からでいい。

 絶望するのも、後からでいい。

 今は。

 この人たちのために。

 この国のために。

(お願い、届いて……!)

 カルナは願い、魔法を発動させる。

「炎魔法発動! 一刀閃火!」

 その時。

 カルナの胸が、燃えるように熱くなった。

 見れば、胸の中央が光っている。

「な、なに……?」

 次の瞬間、体内から光る何かが出現した。

 それは強く煌めく、ひとつの魔法石だった。

「まさか、これ、私が……?」

 体内に魔法石を秘めて産まれる魔法使い。それは天に選ばれし、伝説の魔法使い。

 カルナの覚悟に呼応するように輝く。

 ようやく目覚めたのだ。

 カルナの魔法石が。

 ようやく動き出したのだ。

 カルナの魔法使いとしての力が。

「そんな……」

 カルナの声は震えた。驚きと、そして少しの喜びで。

「わたしが、わたしが伝説の魔法使いだったなんて……!」



 朝日がこぼれる寝室。

 ベッドの上。

 わたしは、すっきりと目覚めた。

「いや、夢かーい!!」

 思わず叫ぶ。

 いやわかってたよ。途中でなんかおかしいと思ったもん。なにが最強の魔法使いだよ。夢見すぎにも程がある。いい歳してイタすぎる。

 現実のわたしは仕事に追われる、どこにでもいるしがない勤め人なのである。あまりに地味な生活で、現実逃避したくなるくらい。

 ま、いい夢見たと思って忘れよう。

 だいぶイタい夢だったけど。

 わたしは寝間着から着替えると、顔を洗い、食卓へ向かった。

 食卓には同居する両親と、温かな朝食が待っていた。

「おはよう」

「どうした、えらく早い目覚めじゃないか」

「ちょっとヘンな夢見ちゃって」

 父の問いに軽く答えて椅子に座る。

 ほんと、ヘンな夢だった。こんな夢を父や母に知られたらと思うと恥ずかしい。

 魔法を使って国を救うだなんて。

 それこそ夢みたいだ。

 だって、わたしは──。

「でもよかったな、母さん。カルナが上級魔法学校に行かなくて」

「そうね、お父さん。カルナが魔法使いとして国の窓口で勤めてくれてよかったわ。家から離れないでいてくれるし、ご近所には自慢できるし」

 そう。

 わたしは。

 国家機関に勤める、魔法使いとしては最低クラスの職業の、『窓口魔女』だ。

 国を救う魔法使いなんて、夢のまた夢の。



「いやー。ほんと可愛くってさ。赤ちゃんってあんな可愛いんだね」

 同僚のリリーはわたしと同じ十六歳。最近産まれた甥っ子にメロメロだ。丸い目をキラキラさせながら、わたしに自慢してくる。

「リリーも面倒見てるんだ」

「そりゃあもう! この時ばかりは我がルダ国に感謝しなきゃね。夕方には絶対帰れて七日に二回休みがある我が職場よ、永久に!」

 リリーは拳を振り上げて喜んだ。まあ確かに、他の魔法職は不定休で深夜労働が当たり前な事が多い。わたしは頷いた。

「ま、悪くはないよね。窓口魔女」

「なにその言い方。さてはカルナ、まだ魔法研究職、諦めてない?」

「ちょっとやめてよリリー。こんなところで言うの」

 ここは国務機関・魔術魔導証発行所の中の、職員控え室だ。幾分古びた机と椅子が置かれ、注意事項とか年間スケジュールとかが壁を埋めている。

 もちろん他の窓口魔女もここで休憩したり待機したりするのだ。今はわたしたちの他に誰もいないけど、正直ハラハラする。

 リリーは悪びれずに言った。

「ごめんごめん。でもいいじゃん。窓口魔女になる魔法使いなんてだいたいそういう身の上じゃん」

「そりゃ、そうだけどさー」

 わたしは髪を触りながら答えた。できるだけ長く伸ばして編んでいた髪は、上級学校を諦めた時に切った。今は町の娘たちと同じような無難な、肩までの長さのストレートヘアにしている。

「ま、カルナはイイトコまでいったから未練があってもしょうがないけどさ。今日も割り切って、窓口がんばろ!」

「割り切らなきゃなんないことが多すぎるよぅ」

 わたしが愚痴ると、リリーはくるんくるんに癖のついた茶色い髪を揺らして笑った。



 魔法先進国、ルダ公国。

 長く他国の支配から逃れ独立していた我が国は、しかし約百年前、戦に敗れ西の帝国の属国となった。

 戦に敗れるまで続けられた国策というのが、魔法研究。

 魔導魔術呪文魔法陣召喚術、その他ありとあらゆる魔法が研究・解明されて、戦に多く用いられた。

 ルダ公国が属国となった今でも、大きく支配されることなく他国から一目置かれているのは、ひとえにこの魔法技術のおかげなのである。

 で。

 こんな高度な魔法技術、銭にしない手はないよね。

 ってことで、我がルダ公国は魔法技術を他国に積極的に売りつけている。

 どうやって売っているかというと。



「いらっしゃいませ。どのような魔法をお求めでしょうか」

「あー。ドウン森林へ金箔蝶の採取に向かうんだけど……」

「かしこまりました。採取のみでよろしいですか?」

「実はついでにレアアイテムがあれば持って帰りたいと思っていて」

「では、こちらの空間魔法と炎魔法、簡易版はいかがでしょうか。昆虫を傷つけずに採取できる空間魔法は必須ですし、森での活動では炎魔法があれば何かと便利です。虫除けとか」

「簡易版で大丈夫?」

「充分だと思いますよ。威力は通常版に劣りますが。通常版は発動に手間もかかりますし。今なら回復魔法をつけるとお得にできます」

「いいよ。オレ、実家が薬草農家なんだ」

「では空間魔法と炎魔法、すべて簡易版でお作りします。冒険許可証の提示をお願いします」

「はい」

「確認しました。お値段は250Gです。証書で出しましょうか? 魔法瓶にしますか?」

「証書で」

「証書の使用は初めてでしょうか」

「一応聞いといていい?」

「では魔法を発動したい場面で証書の第を詠唱して、その後証書を破ってください。証書の全文を丁寧に読んじゃう人もいますが、その必要はないです」

「一回限りなんだ」

「はい」

「……空間魔法、あと二枚ちょうだい」

「ありがとうございます」



 昼休みにお弁当を食べていると、十五分後に昼休みになったリリーがやってきた。

「やあカルナ、元気?」

「元気に見える?」

「なんで今日こんなに混んでんの。もう嫌。カウンターに戻りたくない」

「さばいてもさばいても終わんない」

「何かしらの手当が欲しい」

 座っているだけの楽な仕事と思われるがとんでもない。神経をすり減らす重労働だ。

 わたしたち窓口魔女の仕事。

 それは、国内外から訪れる冒険者たちに、一回限りの魔法を売る仕事だ。

 魔法アイテムや魔法付加武器ではなく、魔法そのものを売るところは、世界中でこのルダ公国「魔術魔導証発行所」しかない。

 おかげさまで連日大繁盛していて、わたしたち魔術魔導証発行所の中の人は、毎日くたくたなのである。

「カルナ、リリー、お疲れ様」

 ぐだぐだしているわたしたちに、透き通った声が降ってきた。

「わたしも一緒にいいかしら」

そこにいたのは、つややかな黒髪をなびかせた、大人の女性。

「主任!」

「お疲れ様です」

 そう、わたしたち窓口魔女を束ねるターニャ主任魔女だった。

 主任は静かに座ると、パンとたまごのランチを広げる。

 部下の現状把握のため、いろいろな窓口魔女とともにランチするというけど、今日はわたしたちのところに決めたらしい。わたしは一応、姿勢を正した。

「主任、今日はどちらへいっていたんですか?」

「そうね、昨日の発行証書にミスがあったから回収と再発行に行っていたわ。やっぱりヨルア高山は肌寒いわね」

 主任は表情ひとつ変えずに言った。

「お、お疲れ様です……」

 わたしはつぶやくように主任に言う。

 午前中の間にこの中央都市からヨルア高山まで往復。正直よく涼しげにランチができるなと思う。

「その発行ミス、わたしたちのどっちかのじゃないですよね……」

「そうだったら朝に言ってるわよ、リリー」

 主任は穏やかに言った。

 顔の作りはあっさりめで、鼻筋が通った美人である主任は、怒るとかなり迫力がある。わたしとリリーは変な緊張感に包まれている。

「カルナ、リリー。ちょっとお願いがあるの」

「は、はい」

「ベテラン窓口魔女のナナがいるでしょ? 今日の窓口責任者を彼女にしていたんだけど、どうしても早退しなきゃならないらしくて」

「え?」

「だから、カルナ、あなたが窓口責任者、リリーはその手伝いをしてほしいの」



 窓口魔女をやっていて一番やりがいを感じる瞬間がある。

 すべての希望を冒険者から聞いて、発行魔法を提案して、冒険許可証を確認して、料金を貰って。

 その後、魔法証書を発行する。

 ここでわたしたちは魔法を使うのだ。

 魔導インクを媒体とし、羊皮紙に呪文を書き付ける。そして使用者の血をもらい、契約魔法をかけて、終了。

 魔法執行の印として文字は輝くし、魔法陣は展開するしで、見た目には割と派手である。

 魔法に縁のない冒険者は、目をキラキラとさせてこの光景を見守るのだ。

 うーん。快感。

 魔法職としては最下層、魔法学校の同級生からしたら鼻で笑うような簡単な魔法でも、こうやって人の役に立てるのは、素直に嬉しい。

 わたしは午後の仕事も、そうやってこなしていた。

 問題は。

 窓口責任者って、何をすればいいんだろう、ということである。

 主任は午後から城内に呼ばれているため、ここにはいない。変わったことがあれば連絡してほしいとのことだ。

 わたしは改めて、周りを見渡した。

 重厚な造りの塔。

 外壁や床はすべて石造り。

 カウンターはすべて、ぬらりと光沢を放つ高級な木で造られている。

 その半分が吹き抜けになっていて、魔術魔導発行所窓口は一階、二階、三階に分かれている。造られた当時は魔法難度や出身国で階を分けようとしていたらしいけど、すぐごたまぜになった。

で。

 今日は一階の三番窓口が新入りの見習いで使っている。二階十番窓口が早退したナナのところで、現在は締め切っている。他は正常。三階の十五番窓口がリリーで十六番窓口がわたしだ。

 正直、こういう風に全体を考える事なんて、今までなかった。

 いつも、目の前のことだけしか考えていなくて……。

 嫌だった。

 研究職を諦めて、ここにいることが。

 思いっきり妥協している自分が。

 今日の夢を思い出す。

 古竜を倒せるほどの力を持った自分。

 イタい夢だ。

 今は、夢を捨てて、現実と向き合わなきゃ。

 ……。

「ねぇ、リリー」

「あ、すみません、少々お待ちください。……どうしたの、カルナ」

「わたし今、窓口責任者でしょ。ちょっと二階の十番に移動する」

「え、なんで?」

「三階にはリリーがいる。一階には新人の先生でベテランが入っている。二階、今日は手薄なの」

「あー、二階の唯一のベテランが早退しちゃったからね。そういうことなら、行ってきて」

「三階はよろしく」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窓口魔女は空を飛ぶ 須賀かすが @kanoban

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る