第36話「二度と会わない」

 ~~~トワコさん~~~



 

 その列車は、普通の駅の普通のホームに停車する。

 だけど誰にも見えないし、聞こえないし、触れない。

 乗りこんだ物語を速やかに取り込み、世界図書館へと連れて行く。


「またこれに乗る日が来ようとはね……」 


 感慨深い気持ちで、わたしは列車を見上げた。

 古めかしいディーゼル機関車。

 行き先を示すプレートには、「世界図書館」と記されている。


「姉ちゃん! 姉ちゃんってば!」


「……あらあなた、見送りに来てくれたの?」


 いつの間にか足元で、血の眼がぴょんぴょん跳ねていた。


「そ……そうだけどそうじゃないよ! ホントに姉ちゃんはこれでいいのかよ⁉」


「なんの話?」


「背の高いメガネの兄ちゃんのことだよ! ホントに何も言わずに行っていいのかよ! 姉ちゃんに口止めされてたから言わなかったけど、ホントにあれでいいのかよ!」


「いいのよ」


「そんな……どうして……!」


 わたしは肩を竦めた。


「もう、やめてよね。これが永劫の別れじゃないのよ? 幸い死蔵は避けられたわけだし。ちょっとの間の謹慎で済んだんだから。そんなに大げさにしないでよ。少しひとり旅してくるってぐらいのものよ」


「……嘘じゃな」


 聞き覚えのある声がした。

 振り向くと、金髪ゴスロリ幼女が不機嫌そうな顔で突っ立っていた。


「マリーさんまで……もう、なんなのよあなたたち。揃いも揃って」


「そのまま逃げるつもりじゃろう? 謹慎が解けても戻って来ぬつもりじゃろう?」


「逃げる? 誰が。誰から」


「……言う必要があるか?」


「……ちぇ。すべてまるっとお見通しってわけなのね」


 わたしはため息をついた。


「今回のことで、つくづく身に染みたのよ。物語って存在の異常性が。創られた存在のくせに、本気で作者を愛して、自分のものにしようとして。しまいには命まで奪おうとする。作者も大変だなって思ったのよ。だから解放してあげようと思ったの。新を。わたしから。それだけ」


 ピシッ。

 乾いた音がした。

 それはマリーさんの投げた書籍カードがホームを打つ音だった。

 墨で塗ったように黒いカード。

 情報部分は白抜きで記されている。


「……なによ。またぞろ、ビブリオバトルでもしようって言うの?」


「見届け人もいることじゃしな。わからず屋にものを聞かせるにはこれくらいがちょうどよかろう」


「……本気で言ってるの? なんでまたそんな……」 


「わらわが勝ったら──」


 マリーさんは日傘に仕込んだ隠し剣を引き抜いた。


「新を待て。ふたりで話し合え。それだけじゃ」


 中段に構えた。


「なんであなたがそこまで……司書だから? もしわたしが新のところへ戻らないことであなたの居場所がなくなると思ってるんだったら、それは大きな勘違いで……」


「そうではない」


「じゃあいったいなんだって……」


「恩がある。あの時真理の家で、新はわらわを止めた。逃がさなかった。じゃからこそわらわは真理と再会できて……そして、今がある。じゃからこそ……今わらわは……」


 恩を返す。

 貴様をここに、押しとどめる。


 短く強く、マリーさんは宣言した。


「そんなこともあったわね……。そうか……新はあの時、そんなことをしてたんだ」


 わたしが真理と対峙する一方で、新はマリーさんと……。


「……っ」


 褒めてやりたいなあって、思った。

 いい子いい子してあげたいなあって、思った。

  

 まっすぐ真面目に育ったあの子に。

 新に、会いたくなった。

 会って飛びついて、抱きしめたくなった。


 ……胸がわずかに、痛んだ。


「……やめてよね。その手には乗らないわ」


「揺らぐのは、心残りがある証拠じゃろう?」


「言ってくれるわ……ホント、あなた……」


 わたしは鞄を捨てると、両手を体の脇に下げた。

 足を肩幅に開いた。

 自然体の構えで、マリーさんに相対した。


「……ちっ」


 足に違和感を感じた。

 まだこの前の傷が癒えていないのだ。

 霧ちゃんに切断された腱が、ちゃんとくっついていないのだ。


 だけどそんなものはどうでもいい。

 わたしは戦う。

 マリーさんを打倒して、列車に乗り込み、風のようにこの街を去る。


 そしてもう二度と、新に会わない。

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