第34話「世羅と真理と」

 ~~~高屋敷真理たかやしきまり~~~




 先生は低体温症を発症し、その場でぶっ倒れた。

 救急車で病院へ運ばれた。

 トワコさんが突き添い、ヒゲさんは私たちを先生のアパートに届けてから病院へと向かった。


 世羅さんは、とにかくひどい状態だった。

 いたるところに打ち身や擦り傷があって、ウインドブレーカーもところどころ破けてた。顔にも髪にも泥や血がこびりついてた。

 暴れるようにしながら、霧ちゃんの名を呼び続けた。


 なんとかお風呂に入れた。

 上がった頃には、世羅さんは感情を失ったように放心してた。

 傷の手当てをしてパジャマを着せ、髪をドライヤーで乾かしてあげた。

 彼女はまったくなんの抵抗もせず、されるがままになっていた。

 座布団に座り温かいお茶を出し一口啜り──人心地ついたところでぶり返しがきた。


「霧ちゃんを……あたしが……っ。あたしが殺したの!」


 私の服の袖を掴み、世羅さんは訴えるようにして言った。


「あたしが創造して……好きなように扱って……あげく殺したの! 大好きだったのに……大嫌いって言ったの!」


「……」


 抱きしめると、世羅さんはむせび泣いた。


 話を要約すると、こういうことだ。

 世羅さんは霧ちゃんを創造して傍に置いていた。 

 先生が好きで、霧ちゃんも好きで。

 ふたつの代償行為が、物語としての霧ちゃんを創ることだった。


 だけど大人になった先生に再会し、トワコさんと対峙する中、どうしようもない矛盾が生じた。

 物語としての霧ちゃんは破綻ブレイクダウンを迎えた。

 先生を殺そうとした。


 止めるには、言うしかなかった。

 破滅の言葉。

 嫌いだって。

 好きなのに、嫌いだって。



「……ねえ、教えて? 世羅さん」


 世羅さんの頭を撫でながら、私は聞いた。


「霧ちゃんは、どんな子だった?」


 秘密の友達。

 永遠の親友。

 あなただけの、太陽みたいな存在。

 私にとってのマリーさんみたいな、あなたにとっての霧ちゃんのこと。 


「あなたの大切な友達のことを、私に聞かせて?」


「……っ」


 一瞬、世羅さんは息を呑んだ。

 肩を震わせ、唇を噛み……ぽつりぽつりと語り出した。

 彼女が創り出した、彼女だけの物語のことを。




 すべてを語り終えると、世羅さんは大きく息をついた。

 私から身を離すと、照れたように身づくろいした。


「悪かった……」


 私から目を逸らしながら謝った。


「あんたに迷惑……かけた」


「……大丈夫」


 私は短く言った。


「私も、元作者だから」


「元……?」


 世羅さんの顔に驚きが広がった。

 

「見えないかな? その辺にいない? 私みたいな金髪でゴスロリで……」


「あれが……あんたの……?」


 世羅さんはきょろきょろと部屋の中を見渡した。


「いない。いや……もう……見えないのかな」


 寂しそうに、つぶやいた。


 ポチポチポチ。

 ちゃぶ台の上に置いた私のスマホが、勝手に文字を表示した。


「これ……勝手に……?」


「ああ、そこにいたんだね。マリーさん」


「うむ」


 マリーさんの返答は短かった。

 でもそれで充分だった。

 世羅さんは私を理解し、マリーさんをも理解した。

 

「そっか……そんな方法もあるんだ……」


 世羅さんは感心したようにそうつぶやき、しばらく黙りこくった。


「うん……」


 私はうなずいた。

 ゆっくりと、噛みしめるように言葉を紡いだ。


「私は……私も……失敗した人間なんだ。愛すべきキャラがいて、そのコが物語になってくれて……。でも、失った……」


 マリーさんを失った時のことを、私は忘れない。忘れられない。

 形を変えて隣にいてくれる今でも。

 後悔の炎が、身を焦がす。


「もう会えないって思ってた。私たちはもう終わりだって……でも……。先生が……会わせてくれた……」


「シン兄ぃが……?」


 私はうなずいた。


「私の家まで連れてきてくれて……。頑なな私の顔をそっちに向けてくれて……。そして、そうして……」


 今がある。


「ねえ、世羅さん……」


 私は世羅さんの手を掴んだ。

 ぎゅっと胸元で、握り締めた。


「霧ちゃんはさ……嬉しかったと思うんだ」


「嬉しい……?」


「そうだよ。6年も会えずにいて、いつもずっと待ち望んでいて……ようやく会えた。話しかけてもらえた。抱きしめてもらえた。それってすごいことじゃない。だってわかる? 6年だよ? 人間のじゃないんだよ? 物語なんていうあやふやな存在の6年なんだ。いつ捨てられるかわからない、いつ飽きられるかわからない。そんな存在の6年なんだ。そんな彼女の……6年越しの願い。それが叶ったんだよ」


「ダメだよ……そんなの……」


 世羅さんは否定した。


「だって、言い訳みたいじゃんか……」


 弱々しく首を振った。 


「6年間待って……6年間待たせて……。その間も、ずっと恨みに身を焦がさせて……あげく最後は大好きなシン兄ぃの首を絞めて……。そんなの……」


「じゃあ、聞くしかないね」


「……え?」


 世羅さんは首を傾げた。


「本人に聞いてみるんだ」


「どうやってよ……」


「探す」


「探すってあんた……」


 見えないアンシーン

 聞こえないアンヒアラブル

 触れないアンタッチャブル

 司書の姿は、普通の方法では覚知できない。


「……それでも、だよ」


 物語あのこたちを生み出した、作者わたしたちの責任。

 

「心残りがあるなら、謝りたいことがあるなら。どうでも、探し出すしかないんだ。ねえ、世羅さん。世羅さんにはさ……」


 私は世羅さんの胸を軽く小突いた。


「……泣いてる暇なんか、ないんだよ?」


 精いっぱい、煽ってやった。


「……っ」


 世羅さんは、電流でも走ったようにびくんと体を震わせた。

 そして──


「あんた……言ってくれるじゃんか」


 わずかに、笑うように、口元を歪めた。


「……ふっふっふ、私はスパルタなんで」


 そうだよ、世羅さん。

 泣いて、わめいて、出し尽くして。

 そうしたら最後は、最後はさ……。


 前を向くしか、ないんだよ──



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