第32話「戦う」

 ~~~トワコさん~~~




「霧のことバカにして……! 笑い物にして……! あんたなんか嫌いだ! あんたなんかもう……お姉ちゃんじゃない!」


 霧ちゃんは猛然と打ちかかってきた。

 地面を擦るようなど迫力のロングアッパー。


 狙いはわたしの顔面──


「あら残念。わたしはけっこう嫌いじゃないわよ? 愚妹と賢姉──」

 

 わずかに身を引いて躱した。

 凄まじい風圧が、頬のすぐ脇を通り過ぎた。


 がら空きのわき腹に鉤突きを打ち込んだが、しかし霧ちゃんはびくともしない。


「……ちぇ、頑丈なやつ」


 呆れるわたしに、霧ちゃんはすぐさま反撃を開始してきた。

 左右のフック、ミドルキック。


 すべて回避した。

 ミドルキックを外側に外した勢いを殺さず、回転しながら裏拳を打ち込んだ。

 脾臓を狙ったが、わずかに外れた。周辺の肉を叩いた。


「いったーい!」


 霧ちゃんはわき腹をおさえ、眉を吊り上げて怒るが、とても効いているようには見えない。


「いったーい! いったーい! いったーい!」


 怒涛の攻勢。

 一発当たれば首ごともっていかれそうな強烈なパンチやキックが、上下左右から飛んでくる。


「……そんな大振り、当たるもんですか」


 打ち込んでくる拳の外側に。

 蹴り込んでくる足の外側に。

 流水の動きで流れるようにいなし続けた。

 いなしながら観察した。


 霧ちゃんの格闘スタイルは総合格闘技そうごう、おそらくはキックボクシングにレスリングや関節技をかけ合わせたものだろう。

 圧倒的な膂力にものを言わせた回し打ちで相手をぐらつかせ、隙を見て組みつく。そのまま極めきる。もしくは殴りきることを是としている。

 

 打撃を繰り出しながらも重心は常に下にある。ちょっとでも隙を見せれば即座にタックルを仕掛けてくることだろう。

 グラウンドでの攻防には自信のあるわたしだが、あの力は脅威だ。下手を打てば強引にもっていかれかねない。

 だから組み付きには細心の注意を払わなければならない。


 わたしの思考を断ち切るように、右のロシアンフックが飛んできた。 


「ち……っ」


 反射で体が動いた。

 潜り込むようにして前に出た。

 左手甲で、内側から弾くように受けた。

 バラ打ち──右の手を開き、甲の側を目元に当てた。

 視界を失った霧ちゃんがたたらを踏んで後退したところへ、回転しての後ろ回し蹴り──

 横っ面を狙ったが、霧ちゃんが滅茶苦茶に振り回した手に当たった。


 追い打ちは──やめた。

 パニックに陥った霧ちゃんが、見当もつけずに両腕を振り回し始めたからだ。

 ハリケーンの内側に飛び込むのはまだ早い。

 速やかに後退し、距離をとった。


「……?」


 目元をぬぐう霧ちゃんの足元が、わずかにふらついている。

 思ったよりも目潰しが効いていたのか……?


 いや──膝だ。


 霧ちゃんはパワーファイターだ。

 激しく動いたせいで、膝に大きな負担がかかっているのだ。

 歩く、走る、殴る、蹴る。

 動きの中で生じる伸び縮みや曲げ捻りが、膝という繊細な部位にダメージを与えているのだ。


「そういうことなら話は早いわね……」


 マリーさんがわたしの膝頭を狙った時とはまた違った理由で、わたしは霧ちゃんの足に狙いを定めた。


 右足を後ろに引き、斜め45度に捻った。

 左足は正面、霧ちゃんに向け踵を浮かせた。

 重心は後ろに深く落とす。受けに秀で、後の先ごのせんをとりやすい構え。

 足の形から猫足立ちと呼ばれる。

 誰が言ったか、最強の構え。

 打撃にも組み技にも対応できる。

 そして何より、足技の出やすい構え。



「もう怒ったんだからー!」


 仕掛けてきたのは霧ちゃんのほうから。

 さんざんやられて懲りたのか、左のジャブからという慎重な入りだ。


 わたしは前腕でジャブを弾いた。2発、3発……。すべてのジャブを捌いた。

 打ち終わりにローキックが飛んできたが、これは後ろへ跳んですかした。


「逃がさないもん!」


 霧ちゃんが追い足を使ってきた。

 2歩、3歩──

 その分だけわたしは退いた。霧ちゃんはさらに歩を進める──そこへカウンターの蹴りを合わせた。


 蹴りの形は足刀。

 軌道は斜め上から。鉈で斬り落とすように。

 もちろん狙いは、前足の膝──

 

「──⁉」


 ミシリ、真横から捉えた。

 霧ちゃんの動きが止まった。

 目が一瞬、驚きに見開かれた。


 ──関節蹴り。

 古式ゆかしい技で、日本においては回し蹴りよりも起源が古い。

 膝関節という脆い部位に前や横から衝撃を与え、戦闘不能に陥らせることを狙いとしている。

 競技者にとって危険すぎるという理由から、現代格闘技では禁じ手ともされている。

 だがそれは、とりもなおさずこの技が有用であるという証でもある。 


 しかし──


 ……浅かったか⁉

 

 カウンターとはいえ、重心が後ろに残りすぎていた。

 決まりが甘かった。 


 まだ霧ちゃんは動けるようだ。

 そしてわたしは、彼女の拳の届く位置にいる。

 

「こ……のおぉおぉお!」


 霧ちゃんの目が赤く輝いた。

 拳をぎゅっと握り締め、後ろへ引いた──。


「……っ!」


 ぞくりと、背筋に寒気が走った。

 心臓が、死神の手に掴まれたようだった。


 引かれた霧ちゃんの拳が、物凄い勢いで飛んでくる。

 曲線を描き、わたしを打ち砕きにやってくる──。


「止……まり……なさい!」


 わたしは足を振り上げた。

 今度は足刀ではない。

 斜め上から体重をかけ──踵で関節を踏み折るように──落とした。


「……ああああああああああっ⁉」


 霧ちゃんの膝がくの字に折れた。

 体重を支えきれず、沈み込むように倒れ込んで──わたしの足にしがみついた。


 ──片足タックル⁉


 ダメージをおしての強行。

 それは抜群のタイミングだった。

 不意をつかれたわたしの軸足に、タックルが深く入った。

 バランスを崩したわたしは地面に倒された。

 すかさず霧ちゃんが上にのしかかってくる。


 ──捕まった……!


 部室での攻防を思い出し、背筋が粟立つ。

 技術はともかく、力では霧ちゃんには勝てない。


 蹴り剥がそうと足を飛ばしたが、霧ちゃんは構わず顔面で受け止めた。


「痛い! 痛い痛い痛い痛い! もう許さないんだからー!」


 逆にそれを狙っていたのか、わたしの蹴り足を掴み脇で挟むように固めると、後ろへ上体をのけぞらせて引き絞った。


「ぐうううう………………っ⁉」


 とどめとばかりに爪先を外側に捻り上げられた。

 ヒールホールドという名称だが、ダメージは膝にくる。

 その危険性から、やはり多くの格闘技団体で禁じ手に指定されている技だ。


「冗談……っ!」


 捻られたのと同じ方向に体を回転し、逆側の足で霧ちゃんの尻を蹴って引き抜いた。

 立ち上がり、一気に距離をとる。


「く……っ!」


 間に合わなかった。捻られた膝に激痛が走った。

 一瞬の早業で腱が切られた。膝から下が動かない。


 ──膝を殺されれば、当て身の威力が激減する。


 だけど絶望はなかった。

 痛みに耐えながら、わたしはゆっくりと息を吐いた。

 半身に構え両腕を下ろした。全身の力を抜き、自然体を意識した。


 ここから先は、投げ技と関節技のみ。


 だからなんだ? 霧ちゃんだって、決して無傷じゃない。

 打ち身切り傷擦り傷。膝へのダメージは当然甚大。

 歩行すら困難な状態のはずだ。


 だけどその目からは光が消えていない。

 鮮紅色の輝きを放ちながら、わたしをにらんでいる。


 ……マリーさんのことを思い出した。

 彼女と戦った時のこと。

 明らかに戦闘不能な状況で、なおも彼女は果敢に挑んできた。


 理由は明白だった。

 彼女は侮辱を看過しなかった。

 かつて愛していた人を否定され、貶められたままにはしておかなかった。


 ──トワコさんは、新堂新を愛している。


 めらりと、炎が燃えた。


 そうだ、わたしは物語だ。

 作者のためならば。

 愛する人のためならば。

 手がダメなら足で、足がダメなら歯で、相手に飛びついて喉笛を食いちぎるまで、決して止まりはしないだろう。


 だからわたしたちは──

 ただ、生命を燃やして──

 ただ、戦う──

 

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