第31話「姉妹たち」

 ~~~トワコさん~~~




 世羅が話しかけると、影の体は徐々に色づき、そのディティールを明確にした。


 白セーラーに臙脂えんじのタイ。足元は茶色のローファーと臙脂のソックス。

 足が長く腰が高いモデル体型で、肌は白くなめらかで、黒髪ロングがつややかで……。


「嘘だろ……?」


 新が震えるような吐息を漏らした。


「……っ」


 わたしも一瞬、言葉を失った。


 誰かに似ている。

 ……いや、はっきり言おう。

 わたしにそっくりだ。

 わたしの黒セーラーを白にして、マフラーを取っただけ。

 それが物語としての霧ちゃんの姿だ。


「なんで……なんでだよ……?」


 新は汚れた水溜りに膝をついた。


「なんで……トワコさんが……?」 


「……知りたい?」


 冷たい目で、世羅が笑った。

 水溜りに、書籍カードを投げた。

 新はそれを、四つん這いで拾いにいった。

 泥まみれになりながら、食い入るように表記を見た。


 所蔵:日本別館

 分類:日本文学

 題名:ヤンデレ少女が離しはしない。

 作者名:世羅舞子

 主人公名:新堂霧

 CN:霧ちゃん

 NO:00303053025


「これが……霧……?」 


「……ねえ、覚えてない? シンぃ。霧ちゃんがいつから髪を伸ばし始めたか。いつからあそこまでシン兄ぃに執着し始めたのか……」


「いつから……?」


「……そうね、鈍感なシン兄ぃにはわからないよね。けっこうね……けっこう昔からなんだよ。けっこう昔から霧ちゃんは日記の存在に気づいてて……だからこいつがシン兄ぃの好みの存在だと気が付いてた。同化して、いつか乗り越えようと思ってた……」


「……」


 その時わたしの脳裏をよぎったのは、真理のことを語った時の新の台詞だ。


 ──とあるキャラに自分を重ねてた。そういう風になりたいと思ってた。共に語らいながら、同化する作業を続けてた──


 真理がマリーさんになるために踏んだ手順。あれと似ている。


 霧ちゃんは、新の日記に描かれていたわたしを真似ていた。

 わたしみたいになれば、新が愛してくれると思ったから。

 もしあの火事が起きず、大過なく育ったならば、彼女はきっとこんな風になっていた。

  

 長い髪、白い肌。頭が良くて、運動神経だって抜群で。世話焼きでやきもち焼き。

 時に度が過ぎるほど新のことが好きで、邪魔者は敵と見なす。


 世羅の手を経て生まれた相似形の物語。

 言うなればそう、霧ちゃんはもうひとりのわたしなのだ。


「霧……? 霧なんだな……?」


 新は立ち上がった。


 表象はヤンデレ少女。 

 梗概は、「離しはしない」。

 つまり霧ちゃんは、ずっと捕まえていようとしたのだ。

 何をかなんて、誰をかなんて、言うまでもないだろう。


「おまえ……ずっと……俺を……?」


 ふらふらと夢遊病者のような足取りで、新は前に進み出た。


「ひさしぶりだねっ、お兄ちゃんっ」


 霧ちゃんは、ぱあっと花の綻ぶような笑顔を浮かべた。

 新に向かって走り寄る。


 まっすぐに、頭を低くして──


「──新! 危ない!」


 新を引っ張り、投げ飛ばすようにして間に入った。 


 ドンッ。

 霧ちゃんは強く踏み込みながらさらに頭を下げ、右のストレート……と思いきや、上から振りかぶるようなロングフックを飛ばしてきた。


 ──ロシアンフック⁉


 ロシアンフックは一般的な横回転のフックとは違う、肩を回して上から打つ縦回転のフックだ。

 モーションの大きな見た目から受ける印象とは異なり、軌道や出元が予測しづらい。なおかつ霧ちゃんという少女の持つイメージともかけ離れた技だった。

 わたしは二重にも三重にも幻惑され、新を突き飛ばした姿勢のままだったことも伴い、対処が遅れた。充分な受けの体勢が作れなかった。 

 頭を庇うだけの雑なガードの上から、スピードと体重の乗ったフックが炸裂した。


「──っつう!」 


 重い一撃だった。膝の踏ん張りがきかず、地面に叩きつけられた。


「く……っ」


 続く顔面への踏みつけを、ごろごろと横へ転がって躱した。

 霧ちゃんはなおも追い足を緩めず、立ち上がりかけていたわたしの顔面に、斧でぶった切るようなローキックを叩きこんできた。


「お……も……っ!」


 両腕でガードしたが、受けきれないことがわかっていたので、今度は勢いに逆らわず自分から後ろへ跳んだ。

 二転、三転、地面を転がり、勢いをつけて立ち上がった。




「もーっ、なーんで邪魔するのー? せっかくの感動の再会だったのにー」


 霧ちゃんはぷんすか怒った。


「お兄ちゃんを寝かせて、お姫様の霧のキスで目覚めさせてあげるつもりだったのにー」


「自分で殴って気絶させておいて、キスで目覚めさせる? どんなマッチポンプよ、それ……」


 わたしのつっこみには構わず、霧ちゃんは新に向けて笑ってみせた。


「ね、お兄ちゃん。今度こそ、霧と一緒に遊ぼうね? 今度こそ、兄妹水入らずだからね? ……あれれー? なんでそんな顔してるのー? 可愛い妹がじゃれてるだけだよー? ね、わかった? だからもっと笑ってよー。もっと喜んでよー」


「き……り……?」


 新の顔から血の気が引く。


「だーかーらー、なんでそんな顔してるのー? お兄ちゃーん。霧が来たんだよー? お兄ちゃんの妹の、可愛い霧が帰って来たんだよー?」


 笑顔のまま、霧ちゃんは語気だけを強める。


「他に言うべき言葉があるでしょー? 他にするべきことがあるでしょー? 久しぶりだね、霧って言ってよ。撫でてハグして、いいこいいこしてよー」 


「ねえあなた、もうそのへんに……」


「なによー!」


 わたしが口を挟むと、霧ちゃんは怒り顔で振り向いた。


「もうお姉ちゃんは充分楽しんだでしょー⁉ 今度は霧の番でしょー⁉ 順番守ってよー!」

 

「……お姉ちゃん? わたしのこと?」


 突拍子もない単語に、わたしは思わず聞き返した。


「んんー?」


 なにか変なことを言ったかなー? といった感じで。霧ちゃんは可愛らしく首をかしげた。


「そうだよー? だってー、お姉ちゃんがいなければ霧は生まれなかったんだもーん。だからお姉ちゃんって呼ぶんだよー」


「………………ふうん? そっか、そうなんだ……」 


 それは不思議な感覚だった。

 誰の腹も痛めてない。

 誰の血も引いてない。

 そのわたしが、お姉ちゃんと呼ばれる。

 血縁関係を強要される。


 ──それが全然いやじゃなかった。

 ──それが最高にむかついた。


 どちらも同じ気持ち。

 同じところから出て来た。

 

「はは……あはは……っ」


 自然と笑みがこぼれた。

 いつの間にか笑ってた。

 わたしは泣きながら笑っていた。


「なにこいつ……?」

「お姉ちゃーん……?」

「トワコさん……?」


 みんながおかしな顔をしてわたしを見ていた。

 世羅も、霧ちゃんも、新ですらも。

 怪訝な顔で、わたしの行く末を窺っていた。


「なんか……おかしいね……」


 わたしは涙をぬぐえない。

 だから空を仰いだ。

 涙がこぼれないように。

 降り落ちる雨に混じるように、誰にもそれと気取られないように。


「おかしいね……新……」 

 

 ひとりごちた。


「本当に……気持ち悪い……」


 涙が止まるのを待って、わたしは霧ちゃんに正対した。


「あなたのことよ? 霧ちゃん」


 そして、わたしのことでもある。


「実の兄を本気で愛して。迷惑がられて」


 生身の人間を本気で愛して。迷惑がられて。 


「物語のくせに。絵と文章の集まりにすぎないくせに」


 まるで自由意思でもあるみたいに笑って。

 飛んで跳ねて。


「本気で好かれてると思った?」


 全部あなたの押し付けなのに。

 

「本気で愛してくれると思った?」


 バカな女。


「新は……っ」


 一瞬、言葉に詰まった。


「優しい人だから受け入れてくれてるだけなのよ。憐れんでくれてるだけなのよ」


 ため息をつくように、言葉を吐き出した。


「あなたを傷つけないようにって」


 わたしを傷つけないようにって。


「ねえ、何を勘違いしてるのよ。ねえ、何を調子に乗ってるのよ」


 わたしは拳を握った。

 まっすぐに霧ちゃんを見た。


「気持ち悪いのよあなた。創り物のくせに。物語のくせに。人間モドキの分際で、何を図に乗ってるのよ。調子こいて、新の隣にいようとしてるのよ」


「姉ちゃん……?」


 血の眼がすぐ足元まで来ていた。

 わたしと霧ちゃんの間に割って入り、ビブリオバトルを行うつもりだったのだろう。

 ルールに基づいた喧嘩、決闘。

 それはもしかしたら、姉妹わたしたちの関係を融和へと導いたかもしれない。


 だけど、そんなのはまやかしだ。 

 ヤンデレ同士、決してわたしたちは相容れない。


「ホントの兄妹になろうと思った? おこがましくも恋人になろうと思った? ちょっと押せば新は言うことを聞きそうだから。草食系男子を頭からむしゃむしゃ食べるつもりでいた? あははははっ」

 

 おかしいね、ホントにバカ。


「出来るわけないじゃない。だって相手は人間なんだもの。きちんとした親がいて、血を引いてて、しがらみの中で生きてる。社会的身分がある。あなたとは違うのよ。ぽっと出の存在が。創り物が。人の形をした何かが。いったい何様のつもりよ」


「……なに言ってるの? お姉ちゃん……」


 霧ちゃんの声が震えた。


「ありのままの真実よ。あなたの中身。ドロドロ気持ち悪い粘性の何か。そのことを指摘してあげたのよ」


「霧のどこが……気持ち悪いって言うのよ……。霧はお兄ちゃんの妹で……舞子ちゃんが創ってくれて……」


「自覚ないの? 本気で? 本気でバカなの? ねえ、鏡を見て見なさいよ。その姿をまじまじと見てみなさいよ。新に言ったのと同じセリフをほざいてみなさいよ。新が……」


 好きだって。

 自分のものだって。

 ずっと一緒に暮らすんだって。


「ねえ、滑稽じゃない? ねえ、笑えるわよね? あなたはいったい、何様のつもりなの?」 


「やめてよ……」


「創り物のくせに」


「やめてよ……」


「偽物のくせに」


「や……め……っ」


 ぶるっと、霧ちゃんの唇が震えた。

 瞬時に双眸が、鮮紅色に染まった。


「やめてよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 拳を握って、霧ちゃんは吼えた。

 眉を引き絞り、呼吸を荒くした。

 戦闘態勢を、整えた。


「……そうよ。それでいい。わたしたちは、戦うべき運命にあるんだもの」

 

 わたしは笑った。

 愚かな妹よ、今すぐわたしが引導を渡してあげる。


 わたしは両足を肩幅に開いた。

 握った拳を眼前で交叉させた。


「……ふうううぅーっ」


 丹田まで入れるようなイメージで、深く深く息を吸った。


 そのままぴたりと止めた。

 止めながら考えた。


 新を探すためとはいえ、わたしはヒゲさんに自らのことを明かした。

 一般人に出自を明かす掟破り。

 世界図書館はわたしを許さないだろう。

 行きつく先は死蔵デッドエンドか、はたまた他の重い刑罰か。

 いずれにしても、わたしはもう長くない。


 だから霧ちゃん。

 愚かな妹よ。

 悪いんだけど、あなたみたいなのを新の傍には置けないの。

 だってそれじゃ、新が幸せになれない。 

 新にはもっと他の、人間の女の子がふさわしい。

 それはわたしでも、あなたでもない……。


「……こっ!」


 鋭く気合を入れ、両拳を腰まで引いた。

 同時に息を吐き切った。

 

 肺の中の濁った空気がなくなった。

 代わりに、新鮮な空気が入り込んできた。

 体の中を、新たな風が駆け巡った。


 叫んだ。 


「──わたしは愛より生じた! 最初はただの文章だった! ノートの片隅に書かれたちょっとした一言だった! だけどそこから始まった! 1冊の絵日記になり、それはすぐさま束を成した! 短編になり、掌編になり、やがて止まない大長編となった! イラストが描かれた! いくつものポーズをとった! 様々な衣装を着た! やがてこの形に定まった! セーラー服と赤いマフラー!」


 物語が物語る。


「描き織り成したのは彼だった! 新堂新! 彼の望む理想の女性像! 美しくあること! 気高くあること! 強くあること! 彼を芯から愛すること! それが設定! わたしのすべて!」


 力漲ちからみなぎらすための、コマンドワード。


「連綿と受け継がれし古伝の秘術をその身に納める! その拳は速く鋭い! 神魔だろうと敵ではない! 巨岩鉄壁だろうと防げない!」


 これが──最後。


「なぜならその拳は──愛で出来ている!」


 

 瞬間。

 溶岩のように熱いものが、胸の奥よりやってきた。

 分厚い鋼鉄の扉を融かし、堅牢な錠を破壊して。

 奔流のように、全身を満たした。

 双眸に、灯り宿った──。



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