第24話「トワコさんの不安の理由」

 ~~~高屋敷真理たかやしきまり~~~




 私とトワコさんの協調関係は、意外なところに変化をもたらした。

 それはクラスメイトとの関係性だ。

 なんでも、いままでは怖い感じがして敬遠していたものが、ふたりが仲良くなったことで話しかけやすくなったのだそうだ。

 そのせいか、私もトワコさんも、前より声をかけられることが多くなった。

 単なる挨拶、遊びの誘い。

 移動教室だって、今ではひとりじゃない。


「真理さーん、トワコさーん、バイバーイ!」

「今日もふたり一緒? 仲いいねー!」

「じゃあまた明日ー!」


「はーい、またねー」


 私は下校していく皆にひらひらと手を振り返した。


「……ふぅん、可愛いしぐさしちゃって。それじゃまるで、普通の女子高生みたいじゃない」


 机に頬をくっつけたトワコさんが、つまらなそうな顔で私を見上げた。


「なによ。手を振り返すぐらいいいじゃない。というかそもそも、私はあなたと違って普通の女子高生ですから」 


「どーこが」


「全体的によ。私はそもそも、生物学上もれっきとした人間ですし。あんたたちとは違いますし」


「レイヤーのくせに……」


「れ……ってあんた、昔の話を持ち出すんじゃないわよ!」


「まあまあふたりとも」


 私のスマホが見えない手で操作され、文字が表示された。


「大声で騒ぐのはよくない」


 操作してるのはもちろんマリーさんだ。 


「ちぇ……だいたいねえ……」


 私は声のトーンを下げた。


「私から言わせれば、あんたが大人げなさすぎるのよ。もう少し愛想振りまいたって罰は当たらないんじゃない?」


「わたしは新のこと以外に興味ないし。友達付き合いも必要ないもの。孤独で結構。あんたもこれ以上私に関わらないでいいのよ?」


「こ……の……コミュ症女はぁ……」


 ぐぎぎと拳を握る私。


「……まあ仕方あるまいよ」


 とマリーさん。


「それこそ物語の生きざま。それでこそトワコさんというものじゃろう。無駄に大衆に迎合する必要はあるまい?」


「そうは言うけど……」


 私は納得しかねた。


「相手は先生なわけでしょ? 現実の、生身の男性なわけよ。だったら物語のほうだって現実に歩み寄るべきなんじゃないの? こいつみたいにバイオレンスでデリカシーの欠片もないやつじゃ、先生のほうが持て余すんじゃないの?」


「──新のほうが……持て余す……?」


 トワコさんの声が緊張した。


「あ……」

「いかん……」


 私とマリーさんは慌てた。

 こんな公衆の面前でヤンデレモードに入られてはかなわない。


「ち、ち、違うのよ? トワコさん。今のはちょっとした言葉の綾で……」

「そ、そ、そうじゃよなー真理? ただの言い間違えじゃよなあー?」

「そうよ。先生に限ってそんなことあるわけないもの」

「間違ってもトワコさんのことを……」


「ああ……だからなのかな……」


 トワコさんは青い顔でつぶやいた。


「最近……新がわたしのこと避けてるの……」


「え……っ」

「ちょ……それ本気で言っとるのか?」


 私とマリーさんは、時間をかけてトワコさんから事のあらましを聞いた。


「はあはあなるほど……つまりこういうことね? 額にキスされて、それ以来先生の様子がおかしいと」


「うん……どこかよそよそしいというか……。一緒にいても距離を置かれるようになったというか……」


 しょんぼりと、トワコさんは肩を落とした。


「わたし……嫌われちゃったのかな……?」


 発言、たたずまい。

 すべてが信じられないほどに弱々しい。


「いやいや、そんなことはないと思うぞ? 考えすぎじゃろ」

「そうよ。先生ってどこか子供っぽいメンタルしてるし、トワコさんのことを過剰に意識しちゃってるだけなんじゃないの?」


「そうなのかしら……。でもわたし、あの時……。新に触られた時ね、ちょっとびくってしちゃったのよ」


「びくって?」


「手を振り払ったとかそういうことか?」


「ううん。ただびくっと震えただけ」


「なによそれ。大げさな。別にたいしたことじゃないじゃない」


「そもそもなんでそんな風に反応したんじゃ? キスなんて、それこそそなたの思い通りの展開じゃろうに」


「そうなんだけどね……そのはずだったんだけど……」


 トワコさんは物憂げに目を伏せた。


「あの時はなにか違ったの。わたし、怖いと思っちゃったのよ……」


 胸に手を当て、ぽつりぽつりと述懐した。


「あの時、わたしの中にはいろんな自分がいたの。嬉しい自分、驚いた自分、新の描いてくれたページの数だけのわたしがいたの。みんながみんな、立ち上がってた。拍手をしてた。拳を突き上げてた。叫ぶように快哉の声を上げてた……」


 声が震えた。


「……壊れちゃうんじゃないかと思ったの。幸せすぎて、愛おしすぎて、おかしくなる。そう思ったの。自分の中の何かの蓋が開くような、袋綴じがびりびりに裂けちゃうような、中からもうひとりのわたしが出てくるみたいな……。そんな時に新に触れられたものだから……もう……どうしようもなくなって……びくって……」


『……』

 私とマリーさんは顔を見合わせた。


「……なんだ、くだらない」

「ただのノロケじゃろうが。死ねばよいのに」


「だ、だって……っ」


 トワコさんは必死の形相だ。


「わたしにとっては大事なことなんだもんっ。新に好かれるかどうかっていうのは……っ」


「そりゃまあ、そうなんでしょうけどね……」

「……めんどくさいのう。いっそ直接聞きに行こうぞ。本人に」


「ほ、本人にって?」






 マリーさんの提案で、私たちは部室棟へ向かった。

 がなるような運動部のかけ声。吹奏楽部の不協和音。はしゃぎ回る生徒たち……放課後の喧騒の中を、3人並んで歩いた。

 赤く熱い夕陽が、山間へゆっくりと沈んでいく。


「ね、ね、大丈夫かしら? いきなり行ったりして、変に思われない?」


 トワコさんは不安げに繰り返す。


「今日は新の顧問初めての日よ? そこへずかずか乗り込んでいって、雰囲気ぶち壊しにしたりしたら、わたしまた……」


「だから言ってるでしょ? 嫌われてないって。全部妄想。あんたの勘違いだって」

「むしろ部員になるくらいの気概をみせんか。いつもの自信満々のトワコさんはどこへ行ったんじゃ」


「だってぇ……」


 トワコさんはすねるように唇を尖らせる。

 足が止まりそうになるのを、ふたりして無理やり急かした。 


「あーもう、めんどくさいわねえ! いちいち立ち止まってないで、きりきり歩きなさいよ!」

「言ってみい言ってみい! なんでも聞いてやるから!」


「あのね……? 新が……喜ぶの。クラスのみんなと喋ったり、一緒に教室移動したり、一緒に遊んだり……。そういう、普通の人間みたいなことをすると喜ぶのよ。いかにも物語な『トワコさん』じゃなくって、人間みたいな『三条永遠子さんじょうとわこ』として振る舞うと、新は喜んでくれるの」 


「いいことじゃない。喜んでくれるなら」

「なんの不満があるのか」


「だって……!」


 トワコさんは声を荒げた。


「それじゃ、わたしである必要がないじゃない……!」


「ああー……」

「なるほどのう……」


 私とマリーさんは、同時に理解した。

 トワコさんの不安の正体。

 それは存在理由なのだ。

 物語は作者の望みによって生じる。

 だけどトワコさんの場合は他の物語とちょっと異なる。

 先生が最も必要とした時ではなく、それから6年後に出会うことになってしまった。

 だから、両者の気持ちに乖離がある。

 落としどころに相違がある。


 その上で、トワコさんはこう考えている。

 先生は、トワコさんを普通の女の子として育てようとしているのではないか。

 それはもはや愛ではなく、ただの父性なのではないか。


「まあでも、そういうことなら……」

「やはり、会うしかなかろうよ」


「え? え? ホントに? ホントにそういう結論でいいの?」


「いいというか、それしかないじゃない」

「いつものバイオレンスなのはご法度じゃぞ? さすがにフォローできんからな」

「いつもわたしが何かしてるみたいに言わないでよ。わたしだって新に近寄る誰かがいなければ……」


「おーうどうしたい姉ちゃんたちー。3人揃ってどっかに殴りこみかーい?」


「……なにこいつ、どこから来たの?」


「……あのね血の眼。わたしはいつも好き好んで騒ぎを起こしてるわけではなくてね? むしろ周りに問題があるのであってね?」


「えーいうるさいうるさい。そろそろ部室棟に到着するぞー」


 血の眼とかいう謎の天秤を加えた私たち一行が、文芸部の前に到着した頃だった。

 その事件が起きたのは。


 ──ドサリ。

 突如トワコさんが棒立ちになり、学生鞄を落とした。


「ちょっとあんた、鞄……」


 注意しようと口を開いて、私も硬直した。

 

 大量の本やゲームに埋め尽くされた古めかしい部室の中、電灯の真下。

 3年の女子が先生に抱き付いていた。

 位置的に、先生の顔は見えない。女子の顔だけが見えた。


 こちらの存在に気がついたその女子はニヤリと悪い笑みを浮かべると、先生の耳元で何事かを囁いた。

 ぎょっとした顔を、先生は女子に向けた。

 自然、ふたりの唇は急接近して──


 

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