第23話「蘇える」
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翌日になっても、ヒゲさんの機嫌は直っていなかった。
「……新堂。おまえ昔、文芸部にいたことあるよな?」
ぶすっとした声で、謎の質問を受けた。
「な……なんですか藪から棒に?」
「いいから。あるんだろ?」
「はあ、まあ……」
「じゃ、今日からおまえが顧問な」
「え」
「産休の須藤先生の代わりだ。もとはオレがやるはずだったんだけど、オレには本読んだり書いたりってのはどうも性に合わねえ。たぶんその指導も出来ねえだろう。だからおまえやれ」
「え、ええ? 俺には俺で仕事があるんですけどっ。しかもたいがいヒゲさんに押し付けられた雑用なんですけどっ」
「どこの世界も新人なんてのはそんなもんだ。仕事があるだけありがたいと思え。むしろ自分でもっと探せるようになってこそ一人前だ」
「なんてブラック臭のする台詞……っ」
「オレが楽するためだ。四の五の言わずにさっさと行け。でないと昨日の屋上での会話を学校掲示板に乗せるぞ? 瞬く間に全校中に知れ渡るぞ? 明日の三条と高屋敷の反応が楽しみだなあおい?」
「サイテー! あんた人としてサイテーだ!」
色々と不満はあったけど、職掌上ヒゲさんの指示に逆らうわけにはいかないのが社会人の悲しいところ。
俺はぶつくさ言いながら部室棟へと向かった。
部室棟は、同じ敷地内にある彩南中学と高校の狭間にある木造2階建ての2棟の建物だ。運動系と文化系に分かれていて、文芸部はもちろん文化系。1階の1番端。
昭和中頃に建てられた建造物だけあって、さすがに風情がある。
もとが堅牢な造りのせいか、いまだに現役で残っているのがすごい。
真鍮のドアノブに文芸部の銘板。
その組み合わせを見た瞬間に、それまでのもやもやとした気分が吹き飛んだ。
「おおー……懐かしいなー……っ」
桜舞う日。
長い梅雨の日。
かんかん照りの日。
木枯らしの日。
雪の日だってもちろん欠かさず。
四季移ろう中、毎日毎日通ったっけ。
人気のない部活でさ。
人数は毎年ぎりぎりで。
でも何度となく、俺たちは廃部の危機を乗り越えんだっけ。
諸先輩方が遺していった小説を読み漁り、自作を創り上げる。
文芸部の部誌として学際の時に1冊200円で販売する。
それだけのことを3年間やった。
何も身にはつかなかったし何者にもなれなかったけど、たぶん人生で一番楽しい3年間だった。
「──よしっ」
頬を張った。
急にやる気が出てきた。
他の部の顧問だったらあれだけど、この部なら話は別だ。
ヒゲさんも案外、そういう意味で俺にやらせようとしたんじゃないだろうか。
口ぶりはああだし横柄な態度だったけど、そこはほら、男のツンデレみたいな感じでさ?
前向きに解釈すると、身も心も軽くなった。
「やるぞっ」
むんと気合を入れてドアノブを握った。
回して引いたが、びくともしない。
「あれ……?」
建てつけが悪いのだろうか?
何度引いてもびくともしない。
「鍵は……かかっていないな」
どちらかというと、内側から引っ張られているような……ん、内側?
ドアに耳を当てると、中から声が聞こえてきた。
「
「弟よ……兄はもうダメかもしれん……いやほんと、やつの力が半端ない件」
「くじけちゃダメだぞ兄者。故人も言っていたではないか。諦めたらそこで試合終了ですよと」
「弟よ……別にその方は亡くなられておらんぞ。……それにやつはかの暴虐魔人、ガチムチヒゲダルマの満島教師だぞ。正直非力な我の力ではこれが限界……」
「何を言うのだ兄者。文芸部の未来は兄者の双肩にかかっているのだぞ? 兄者がここで一敗地にまみれれば、我らの自由はなくなる。部費で小説ではなく漫画買ったりゲーム買ったりできなくなる。むしろ今までの会計を遡って追及されて、使用途改ざんで莫大な賠償をさせられるぞ?」
「う、むうう……」
「わかっているのか兄者。莫大な額だぞ? 兄者の1年2年のお年玉ぐらいでは払いきれぬぞ?」
「弟よ……それはしかし、我だけの仕業では……。おまえにも責任の一端がある以上、ふたりで責を果たすべきでは……」
「『文芸部の責任』だ、兄者。しかも年長者としての責任でもある」
「ぬうう……世知辛い世の中だなあ……ところで弟よ。そろそろ代わってくれ……兄者はもう限界だ」
「ううう……持病の
「……弟よ、それただ格ゲーのやり過ぎで腕だるくなってるだけだろ?」
「ううううう~……! 痛い! 痛い~!」
……そろそろかな。
タイミングを見計らって一気に引っ張った。
会話に気をとられていた兄がノブを握ったまま倒れ、部室の扉が開いた。
「──あ、兄者!」
「弟よ! 逃げろ! すぐに会計簿を隠すのだ! 脱兎のごとく走り去れ!」
「しかし兄者、入り口を押さえられていては……!」
「ぬううう……こ、ここは我に任せろ! おまえは先に行け!」
倒れ込んだ兄が、俺の足にしがみついた。
「あ、兄者! その台詞は……⁉」
「ふっふっふっ……男なら一度は憧れる、言ってみたい台詞ナンバーワンのやつだ。自分でも軽く感動するほどかっこいいから、もっかい言ってやろう。『ここは我に任せろ。おまえは先に行け!』」
「あ、兄者! かっこいい~!」
「まあいいんだけどさ……」
がしぃっ、兄の頭を掴んだ。
小さくてひょろひょろした体型だったので、たやすく引き起こすことが出来た。
「──ひいいいっ⁉」
「あ、兄者ぁ~!」
学ランの襟元には2年の
「双子……か?」
ふたりは驚くほど似ていた。細っこい体に黒々としたマッシュルームカット。縁の太い黒縁メガネ。泣きぼくろの左右が違うくらいで、他にまったく見分けようがない。
「ふふん、驚いたか! 我らはミラーツインの真田兄弟だ!」
「兄者! 頭を掴まれた状態でふんぞり返ってもかっこよくはないぞ⁉」
「ぬおお⁉ たしかに! おのれ、この手を離せ! この……この……あれ?」
「満島教師じゃ……ない……だと?」
新しく顧問に就任するのがヒゲさんじゃないと知ると、双子は露骨に安堵した。
「いやー助かった! 助かったぞ新堂教師!」
「よかったね兄者! この人なら弱そうだし扱いやすそうだね!」
「弟よ。本音がダダ漏れだぞ。せめて掌の上で転がしやすそうとか、口車に乗せやすそうとか、ちょっとおだてりゃ天まで昇りそうとか、言い方を考えるのだ」
「まあいいんだけどさ……」
中央に位置する分厚い
こほんと咳払いし、しかつめらしい顔を作る。
「──で、使用途改ざんってのは?」
ぴしっ、双子が硬直した。
「使い込みってのは実社会でも罪が重いんだよな。損害賠償はさすがに高校生にゃ適用されないかもしれないが、内申書に響いたり、最悪停学や退学になったりするかもしれないな。あーあ、やっちまったな。大学進学はもう期待薄かもな」
「そ……⁉」
兄のほうが声をあげた。
「そこまでひどい事に⁉」
「そりゃあそうだろうさ。他人から委託されたお金を自分勝手な理由で使い込み、あげく記録を改ざんするんだから。学校側としても悪質な行為には対処せざるを得ない。叱り反省を促すのも教育だよ」
「兄者……だから我はあの時やめておけと言ったのに……」
「弟よ⁉」
ブルータスおまえもか、みたいな顔になる兄。
「文芸となんの関係もないフィギュアを買いこむのはさすがにまずいと言ったではないか」
「言ってないだろ⁉ 全っ然言ってないだろ⁉ おまえはむしろ買い込むように促した側ではないか! 限定品を買い占めて転売しろとまで言ったではないか!」
しかも転バイヤーかよ。
「嘘までつくのか兄者……堕ちるとこまで堕ちたのだな。……ふう、悪いことは言わない。これ以上罪を重ねる前に大人しく縛につくのだ」
「弟よ⁉」
直情的で乗せられやすい兄と、腹黒で保身に長けた弟、という力関係らしい。
「言わないよ」
表情を緩めて告げる。
「──ほ、ほんとか⁉ 新堂教師!」
地獄に仏、みたいな顔になる兄。
「男に二言はないよ。今までのことには目を瞑ろう。これからの金の使用途はきちんと見張るし、多少の校内活動には協力してもらうことになるけどな」
地域貢献関連の活動とかな、あれけっこう大変なんだ。
真面目にすべて参加させるから……まあ元はとれるだろ。
「おっ……」
「おおおー! 良かった! 良かったなあ兄者! 我らの罪は晴れたぞ! 大手を振って堂々と表を歩けるぞ⁉」
「ええー……弟よ……それはさすがに調子が良すぎはしないか?」
たしかにな。思い切り売ってたもんな。
しかし面の皮の厚い弟は臆面もなく兄の肩を掴み、言ってのけた。
「何を言っているのだ! この世でふたりきりの兄弟ではないか! 生きる時も死ぬ時も一緒のふたりだろう! 罪を被るも一緒! 無罪放免の喜びも一緒だ!」
安っぽい芝居にしかし、「うぐ……」と感極まる兄。ちょろい。実にちょろい。
「弟よ……そうだな、そうだ。我が悪かった! 許せ!」
「兄者!」
「弟よ!」
がしいっ、抱き合う双子。
「はあ……」
ため息をつきながら部室を見回すと、なかなかカオスな状況になっていた。
中央にでかいテーブル。両サイドの壁には天井まである本棚が据え付けられており、ぎっしりと本が詰まっている。入り口から見て正面の壁には横に長いローテーブルがあり、液晶テレビやデスクトップパソコンの上に組み立て式のスチールラックが据え置かれ、フィギュアやゲーム機、ゲームソフトやアニメのDVDなどが所狭しと並べられている。どこまでが部費で贖った品なのか、想像するだけで頭が痛い。
本棚に詰まっている本の内容も、昔は小説ばかりだったのが、ラノベや漫画に押されて居所をなくし、床に山と積まれた段ボールの中にみっちり詰め込まれている。その中には歴代の部誌もあったりして、なんというか、隔世の感に堪えない。
「若者の活字離れなんて言われて久しいけど、この部まで変わっちまうとはなあ……」
俺のつぶやきを、弟が拾う。
「新堂教師も文芸部の出身なので?」
「うん。6年も前の話になるかな。俺24だから」
兄が勢い込む。
「じゃあ同じ穴の貉だな!」
「いや、俺の時はきちんと小説ばかり買ってたよ?」
「うぐうう……こ、この聖人君子め! ワシントンより立派なやつめ!」
「……それは罵られてるのかな。それとも褒められてるのかな」
何とも言えず頬をかいて──ふと気になって時計を見た。
「そういやもう17時になるけど、他の部員は?」
双子の顔が一気に暗くなる。
「うう……痛いところを……」
「兄者……この人けっこう痛いところをバシバシついて来るよ。温厚な顔しといてかなりSだよ……」
「……まさか、ここにいるのが全部ってわけじゃないだろう?」
部としての構成要件は部員を3人揃えること。ふたりでは要件を満たさない。もうじき予定されている部活の予算会議までに集められなければ廃部だ。
「そ、それが……ほとんどそのようなものでして……」
「部長がいるんですが……その……彼女はほとんど部室に来ないので……」
「3年で、受験勉強がどうたら抜かしおって……」
「それは正当な理由だぞ兄者。だけどあの人の場合は単純に……」
顔を見合わせる双子。
「──この部が嫌いなだけよ」
入り口に誰かがいた。
「まだいたの? 真田兄弟。その様子だと新部員は集まらなかったみたいね。ま、当然だけど。前に言ってたとおり、予算会議前にあたしは辞めるから、これでめでたく廃部が決定ってわけね」
3年生の徽章をつけた女の子だ。名札には
茶色を通り越してほとんど白に近い髪をツインテールに結っている。色白で細身だが、重心が安定しているので立ち姿はしっかりしている。アスリートか、あるいは武道経験者なのかもしれない。
つり目で勝ち気そうな、だけど極めて愛らしい顔立ちをしている。10人いれば8、9人までは振り返るレベルの。
「キミが……部長?」
世羅はじろりと俺を見た。
自ら光を発するような、強い目だ。
まるで責められているような気になって、俺は一瞬たじろいだ。
「そうよ。世羅舞子」
名を告げると、世羅は小さな女の子みたいにニコッと屈託なく笑った。
たたんと軽い足取りで、飛びつくように抱き付いてきた。
「……わわっ⁉」
慌てて受け止めた。
鍛えられ、引き締まった体つきだ。胸も小ぶりで、全体的に柔らかさよりも生硬さを感じるせいか、「女子高生に抱きつかれた⁉」という動揺はさほどでもなかった。
だけど次の言葉が、俺の中の時を止めた。
「ひさしぶりね、シン
甘い毒を流し込むように、世羅舞子は俺の耳元でそう囁いたのだ。
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