姉妹たち。

第22話「キスの記憶」

 ~~~新堂新しんどうあらた~~~



 

 ある日の放課後。

 学校の屋上にヒゲさんといた。

 金網にもたれかかり、缶コーヒーをふたりで啜ってた。

 

「……しっかし、三条と高屋敷があんな風になるとはなあ。オレにはいまでも信じられん」


「……ですねえ」


「あいつらのいがみ合いは、女同士のものにしてはちょっと迫力がありすぎてなあ……。見てて泣き出すやつまでいるくらいだったもんなあ?」


「あはは。そうですねえ」 


 マリーさんの一件があって以来、トワコさんと真理は急速に仲良くなった。

 授業や何かの行事でコンビを組まなければならない時は率先してふたりで組むし、昼食だってふたりで食べている。

 周りのみんなもふたりの態度の軟化につられてか、徐々に話しかけ、打ち解けるようになっていった。


 孤高の存在だった彼女たちが周囲に融和していく。

 年頃の女の子としての光を放つ。

 それは美しく麗しい光景だった。


「おかげでこっちとしてはやりやすくなったってもんだが……なあ、新堂よ。おまえはそうやって呑気に笑ってるけどよ。実は一枚噛んでるんじゃねえのか?」


 じろり……ヒゲさんは疑わし気な目を俺に向けた。


「あのふたりのいがみ合いも、もとを正せばおまえが原因だったわけだしな?」


「はっはっは。いやあなんのことやら……」


 思わず笑いが乾いてしまう。


「学力にしろ運動能力にしろ外見にしろ、もともと高レベルで競い合ってたふたりですからね。何かの拍子に歯車がかみ合って認め合ったんでしょう。若いんだから、そういうこともあるんじゃないですか?」


「先生ー! バイバーイ!」


 声のしたほうを振り返ると、校庭で真理が手を振っていた。

 トワコさんと一緒に下校するところだったのだろうか、ふたりとも鞄を手に持っている。


 俺がひらひらと手を振り返すと、トワコさんが憮然とした顔で真理に裏拳を打ち込んだ。

 ぞっとするような速度の裏拳……だが、真理は反射神経だけでそれを躱した。

 なおも笑顔で俺に手を振り、それをトワコさんが追う。そんなやり取りが延々と繰り返された。

 

 ……なるほど真理は、トワコさんの友達にはぴったりの女の子だ。

 というか普通の女の子にゃ、あの裏拳は躱せねえ……。


 冷や汗を流しながらもひとり納得してうなずいていると、ヒゲさんが白けたような顔をしていた。


「おっまえさあ……言っとくけど、オレたち教師だかんな? 生徒との恋愛はご法度だぞ?」


「いやいや当たり前でしょ。誰がいつ、生徒と恋愛なんかしましたか」


「えー、だっておまえ、軽いハーレムマスターみたいになってんじゃん。うちのクラスどころか全校でもトップクラスの美少女ふたりに愛されちゃって、羨ましいったらありゃしない」


「最後本音! 本音出てますよ!」


「片方だけでも分けてくんない?」


「ダメです! いや分けるのがダメとかでなく人としてダメな発言ですよそれ!」


「ちぇー」


「ちぇーじゃないですよ、もう!」


 俺がきっぱり否定すると、ヒゲさんはふて腐れたように腕組みした。


「そういやおまえ……なんか相談あるとか言ってなかったっけ?」


「え、ええーと……あることはあるんですが、この流れで言っていいものなのかどうなのか……」


「もったいぶらずにとっとと言えよ。金の相談以外は聞いてやるから」


「ううーん……」


 少しためらった。

 でも他に選択肢が無いのも事実だった。

 ぼっちである俺には、この手のことを相談できる友達がいない。

 同窓会で再会した誰かにとも考えたんだけど、相談の内容が内容なだけに憚られたんだ。


「えっとですね……その……ヒゲさんは、昔したキスの味を覚えてるってことありますか……?」


「おまえまさか……あのふたりと……⁉」


「違いますよ! ああもう! だからこの流れで言っていいものなのかどうなのか悩んでたんですよ!」


「……なあ新堂。たとえ学校やめることになっても、オレの知り合いのプロレス団体の下働きぐらいだったら働き口は紹介出来るからな?」


「肩をぽんぽんすんのやめてください! 俺はそういったやましいことはしてません!」


 ごめんなさいしてます。


「んーで、なに? どういった趣旨の質問なんだ? それは」


 ヒゲさんは明らかにだるそうに先を促した。


「遥か昔にしたキスの味と、つい最近したキスの味が似てた、みたいなことありますか? って質問です」


「てことは、最近したわけだ?」


「ええと……ううん……まあ……額に、でしたけど……」


 この前、トワコさんの額にキスをした時のことだ。

 あの時俺は、恥ずかしさやときめきと同時に、何か不思議な感覚にとらわれてもいた。

 その場ですぐには気づけなかったんだけど……。


 いま考えてみると──そう、あれは懐かしさに似てた。


「……デジャブみたいな感じなんですよ。前にもこんなことがあったような、こんなことをしたような。そんな漠然とした感覚なんですけど……。唇へのキスだったらわかりますよ? 口紅や直前に食べたもの、口臭予防の様々なものとかの影響があると思うんです。だから似てるケースだってあると思う。でもあれは額へのものだった。だったらなんなんだろうって。彼女は化粧をしていなかった。体臭が似てた? あるいはシチュエーションが似てた? そこがどうしてもわかんなくて……。そもそもの疑問として、キスの記憶って、みんなは持ってるものなんだろうかなんて考えてドツボにハマっちゃって……」

 

 思い出さなければいけないことなのに、思い出せない。

 そんな不安だけが募っていく。


 高校時代の俺のことを覚えてるヒゲさんなら、思い出すきっかけになりそうなことを言ってくれるんじゃないか、そんな期待もあったんだ。


「……新堂。おまえさあ……」


 ガシッと、ヒゲさんに肩を組まれた。

 それはすぐにヘッドロックに変化した。


「そ・う・だ・ん・す・る! 相手を間違えてるんだよ」


「痛だだだだだ……! なんでなんでなんで⁉」


「わ・か・れ・よ! こちとらここ数年、キスのキの字もねえんだよ!」


 俺は肘を押し上げてヘッドロックを抜こうとしたが……。


「あ……あれ? 抜けない⁉」


「バカが! レスラーの本気のヘッドロックをトーシロが抜けるかよ!」


「なんで本気なんですかあー! って痛だだだだだ! 顎が割れるぅぅぅー!」


「いいじゃねえか! 今日びオスメントくんだって割れてんだから!」


「その微妙にショックなネタいらないですよー!」




 ~~~満島大吾~~~




「ヒゲさんに相談した俺がバカでした! もう二度と聞きませんから!」


「うるせーバーカ! 新人らしく仕事に集中してろ! 大人しく家に帰って明日の授業の予習でもしとけ!」 

 

 新は肩を怒らせながら屋上を去った。


「……ふんっ。バーカ」


 缶コーヒーの残りを啜った後もしばし、オレはそこにとどまっていた。

 ムカついてムカついて、動く気になれないでいた。

 後輩のリア充ぶりに嫉妬したからかだって? バカ言え。

 怒ってるのはたしかだ。だがそんな理由じゃねえ。

 もっともっと腹立たしい、別のもののためだ。


「……ったく。新堂め。何を言い出すかと思えばよう……」


 コーヒー臭のする舌打ちをした。

 まだこめかみが痙攣してる。


「てめえはまだ、あの頃のことを思い出せてないのかよ……」


 高校時代の新堂を思い出した。

 ひょろっとしたなで肩の、青白い顔したメガネ男子。


 てめえの傍らには、いつだってあのコがいたじゃねえか。

 そんなことすら忘れたまま、てめえは……。


 ムカつくほどに晴れた空を仰いだ。


「霧ちゃんが亡くなってから……もう6年にもなるんだぜ? おい……っ」


 虚しい気持ちで、金網を握り締めた。


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