第21話「キスして」

 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




 真理の家を出た時には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。 

 トワコさんとふたり、帰路についた。


 マリーさんは真理の部屋に置いていくことにした。

 明日以降、彼女がどうするつもりなのかはわからない。

 でももし、そのままそこにいたいと願うのならば、それでいいのだと思う。

 俺たちはとやかく言わない。そう決めた。



「まあ現実的に考えてもさ。真理とトワコさんはクラスメイトであるわけだし、真理とマリーさんが毎日一緒に学校に通って来てくれたら、司書としての役割も果たせるだろう? 世界図書館への面目も立つしさ。

 意思疎通についてだってさ。今日びスマホが1台あれば問題ないだろう。真理は普通に喋って、マリーさんはスマホで文字を書く。文章読み上げアプリを利用するって手もあるし、意外と不自由はしないんじゃないかと思うんだ。

 もちろん、生身で触れ合えない虚しさやもどかしさが誤魔化せるわけじゃないけど、それでもさ……。なんちゅうか……。会えないよりは……さ、全然マシだと思うんだ」



 そんなことを話してるうちに、いつの間にか最寄りの駅に着いていた。

 ちょっと寂れた住宅街を、今度は歩き。


「うあー……疲れたー!」


 思い切り伸びをした。 

 

「でも良かったなー……。ねえトワコさん、良かったよね? もう何度も繰り返しになるけどさ、俺は本気で嬉しいんだ。教師として、作者として、真理に何かしてやれたってことがさ」


 全身を達成感が包んでた。

 嬉しくて嬉しくて、もう走り出してしまいそうなくらいに高揚してた。


「ねえ、トワコさん?」 


 話しかけたが、トワコさんは返事をしない。


「あれ? 聞こえなかったかな? おーい、トワコさーん」


 しかしトワコさんは返事をしない。

 わき目も振らず、つかつかと前を歩いていく。


「あ、あれ……?」


 そういや、電車の中でも彼女はほとんど喋ってない。

 俺だけがひとりではしゃいでたような……。


「……ねえトワコさん。もしかして……怒ってる? ます?」


「怒ってるですって……?」


 トワコさんは立ち止まった。ふるりと肩を震わせた。


「怒ってるわよ! ずっとずっとずーっと!」


 ぐりんっ、と勢いよく振り返った。


「家を出てからずっと! 真理の家についてからずっと!」


 トワコさんはずんずんと俺に迫ってきた。


「ちょ……え、うえぇっ?」


 俺は成すすべなく押され続け、ブロック塀に背中をついた。


「真理の家を出てからもずっと! ここまでずっと怒ってたわよ!」


 トワコさんはまっすぐに俺をにらみつけてきた。


「なぜだかわかる⁉ 新が真理とマリーさんの話しかしないからよ! わたしを無視して、他の女の話しかしないからよ!」


「で、でもそれはさ……」


 トワコさんはかぶりを振った。


「わかってるわよ! わがままだって! でも仕方ないじゃない! わたしはそういう風に創られたんだもの! 常に新のことを考えてて! 新が自分のことだけ考えてくれることを望んでて! なのに新が違う女ばかり見てるから! すごく……すごく痛くて!」


「……痛い?」


「設定に反する行動をとると激痛が走るように出来てるのよ! 物語ものがたりは!」


「……マジで?」


 そういえば、あの時トワコさんは痛みに耐えるような顔をしていたっけ……。


「マジよ! 大マジよ! わたしはずっと堪えてたのよ! 新がその手でわたし以外の女を描いた時は気が遠くなりそうになったし……! あげく抱き合ったりした時にはさすがに正直本気でぶっ飛ばそうかと思ったけど……それも耐えて! なんやかや設定に抗い続けたせいで痛くて痛くて……もう! もうもうもう!」

 

 トワコさんはなおも怒りが収まらないというように、ドシドシと地面を蹴った。


「わたし……頑張ったのに! いっぱいいっぱい、頑張ったのに! 電車の中でもずっと、新はそんなことにも気づかずに他のこと話してるし! ふたりが上手くいってよかったねとか! これからもちょくちょく会わせてやろうねとか! スマホって便利だよなとか! 違うでしょ! そうじゃないでしょ! もっとわたしを褒めてよ! 労ってよ!」


「ご、ごめん。えっと……偉いよ、トワコさん。お疲れさまです」


「もう遅いわよ! もうそれぐらいじゃわたしの怒りは納まらないわ!」


「えぇー……」


 ぷんぷんと怒り続けるトワコさんの声のトーンは、けっこう大きい。

 人気のない夜の住宅街に、キンキン響いてる。

 まだ近所の住人が様子を見に出て来るほどではないけど、これ以上はさすがにまずいかもしれない。


「じゃ……じゃあ、どうしたらいいかな? なにかこう……希望はある? 欲しいものとか食べたいものとか行きたいとことか……」


 俺は意識的に声をひそめた。


「……へえ」


 トワコさんの目つきが氷点下の冷気を帯びた。


「これ以上騒がれると面倒だから、物でも与えてとっとと解決しようってつもりね?」


「そ……そんなもつもりは毛頭……」


 あるんだけども。


「キスして」


「………………へ?」


「キスしてって言ったの。聞こえなかった?」


 あくまで冷たい目で、トワコさんは繰り返した。


「わたしはスキンシップが好きなのよ。手を握ったりハグしたり、常にべたべたまとわりついてるぐらいでちょうどいいの。だけど新からはしてくれないじゃない? わたしからするとなんやかや関節技みたいになっちゃうし。だから新からしてほしいの」


「……手ぇつなぐのでも、ハグするのでもダメですかね?」


「ダメ、足りない」


 トワコさんは無慈悲に宣告した。


「この怒りはそんなものじゃ納まらないわ。だからキスして」


 目を閉じ、待ちの体勢に入った。 

 

 えー……一応、言い訳させてもらおうと思う。

 俺は、最も可愛い女性の表情というのは、このキス待ち顔だと思ってる。

 相手への信頼と愛情をたっぷりこめた、一瞬の静寂。

 そしてトワコさんは、俺の女性の理想像そのものだ。

 顔立ちの美しさはもちろん、頭のよさや俺への愛情の深さ、時に強引でやきもち焼きなところまでも、いいなあと思ったりする。

 かてて加えて、この日のトワコさんは頑張ってくれていた。

 真理とマリーさんのために俺が動くことを許してくれて、しかも設定に抗う激痛にも耐えてくれた。

 もちろん激痛のことは知らなかったんだけど、それ以前に俺が、彼女への感謝や労いをおざなりにしていたのは間違いない。

 

 俺は彼女に対して何らかの形で報いなければならないわけで……だからその──

 額へぐらいなら、いいよな?

 そんな風に、思ったんだ。


 

「え……?」


 俺が身を離すと、トワコさんがぱちりと目を開いた。


「今……」


 意外そうな顔で、額に触れた。


ホントに・ ・ ・ ・……したの?」

 

「うんまあ……額にで悪いけどさ……」


 なんとなく照れくさくて頭をかいた。


「ゆ……っ」


 トワコさんがふらりとよろめいた。


「油断したあ……っ」


 顔を真っ赤にしてうずくまった。


「新がするわけないと思ってた……。絶対そんな勇気ないって……。まさかホントにするとは……。ええぇ……? ホントに……?」 


 口元をおさえ、もごもごつぶやいている。


「……だ、大丈夫? トワコさん」


 心配になって肩に触れると、トワコさんは「びくぅっ」と激しく反応した。


「や……ちょ、ごめん……? ホントにしちゃ……ダメだった?」 


「ち、違うの新。そうじゃなくて……わたし、言うほど心構えが出来てなかったというか……。攻めるのは得意だけど、攻められるのは苦手というか……」


「……う、うん?」 


「だから……もう! 新のバカ! エッチ! そんなに見ないでったら! 恥ずかしくなってくるじゃない!」


「ご、ごめん……っ」


 俺は慌ててトワコさんに背を向けた。

 どきどきしながら、彼女が落ち着くのを待ってた。

 

「……ねえ、新?」


 少ししてから、トワコさんが声をかけてきた。

 うずくまったまま、胸元を抑えながら。


「わたしやっぱり全然落ち着かないみたいだから、新だけ先に帰ってて? もっと頭が冷えたらわたしも帰るから」


「え、でも……」


「こっちを見ないでったら!」


「ご、ごめん……っ」


 俺は再びトワコさんに背を向けた。


 しかたないので、ひとりで帰った。

 5月の夜風を頬に受けながら、それがすごく熱くなってるのを今さらながら自覚した。

 

 最も可愛い女性の表情はキス待ち顔。その持論を変えるつもりはないけれど。

 照れ顔ってのも負けず劣らずいいもんだな、なんておバカなことを考えながら歩いてた。

 

 たった一度のキスが持つ意味も知らずに。

 


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