第18話「もっと、もっと」


 ~~~高屋敷真理たかやしきまり~~~




「なんであんたがここに……⁉ しかもなんで窓から入って来るのよ⁉」


 涙でも出てはしないかと慌てて目元を拭いながら、トワコさんに声をかけた。


「不法侵入で警察呼ぶわよ⁉ いったい何考えてんのよ!」


「……はっ」


 トワコさんは私の質問を鼻で笑った。

 窓枠から飛び降り、カーペットの上を私に向かって歩いてきた。

 一直線につかつかと。


「な……え? ちょ……っ」


 その勢いに押されるようにして、私は脇へどけた。



 トワコさんはそのまま直進すると、ドアの内鍵を外した。


「……ホント、笑っちゃうわよね」


 低く低く、つぶやくいた。


「……絶対、窓の鍵はかかってないって。新の言った通りだわ」


 くるりと振り向いた。

 挑戦的な目で私を見た。


「なに人の部屋で勝手してるのよ! 新って先生のこと⁉ なんであんたなんかが呼び捨てに……!」


「いいのよ。新はわたしのものだから」


「はあっ⁉ バカじゃないの⁉」


「新はわたしのもので、わたしは新のもの。昔からの、そういう決まり事なのよ。そういう風に、新が創ったのだから」


 ──先生が……創った……?


「ちょっと……何言ってんのよ……。それじゃまるで……」


 トワコさんの台詞に、私はぐらりとよろけた。

 ──創った。

 その言葉には、いやというほど覚えがあった。


「……あら、鈍いあなたにも、ようやくわかったみたいね」


 トワコさんは悪魔みたいに笑うと、私に迫ってきた。


「ちょ……やめてよ……きゃっ?」


 勢いに押されて、私はベッドの上に倒れ込んだ。

 トワコさんは構わず、私の上にのしかかってきた。

 呼吸すらかかる位置まで顔を近づけてきた。

 2人分の重みが加わって、ベッドのスプリングがギシギシ鳴った。 


「そうよ。わたしは物語。新の創った物語」


「先生が……あんたを……?」


 トワコさんは、たしかに不思議な雰囲気のある生徒だった。

 月の女神みたいな造形美、学力、運動神経。先生への偏執狂的な愛情。

 あまりにも出来過ぎた、物語の登場人物のような女の子だ。

 だからみんな口々に言ってた。

 あんな人、ホントにいるんだねって。

 漫画かアニメの中にしかいないと思ってたよって。


「まさかホントに……? で、でも……だって……それじゃ先生は、自分の創った物語であるあんたを生徒にして、勉強を教えて……?」


「家で一緒に暮らしてるわ。甘美なふたり暮らし」


 トワコさんは勝ち誇ったように微笑んだ。


「そんな……そんなの……」


「あら、不潔だとでも言うつもり? あなただって同じことしてたくせに」


「な……っ?」


「マリー・テントワール・ド・リジャン。人呼んで太陽姫。ゴスロリ幼女と一緒に暮らしてたくせに」


「……っ」


 ぶるりと、唇が震えた。


 知られている。

 私の秘密が、最も知られたくない相手に知られている。

 恥ずかしくて、悔しくて、全身が熱くなった。


「一緒に寝て起きて、食事は部屋でふたりで食べて。楽しかったんでしょ? 幸せだったんでしょ? だから、もういないのにも関わらず、窓には鍵をかけていない。いつでも戻って来れるように」


「……うるさい」


「逆に、マリーさんがいた時はずっと鍵かけてたんですって? マリーさんは不思議そうにしてたけど、わたしにはわかるわ。それって、逃げられないようによね? 降って湧いたような幸運を逃がさないようにしたのよね?」


「……うるさい」


「外出もなるべくさせないようにしてたのよね? 外は変質者がうろついてて危ないとか、直射日光がお肌に悪いとか、そのつど様々な言い訳をしてたみたいだけど、それも全部、同じことよね? 逃がしたくなかったのよあなたは。ケージにペットを入れておくみたいにして」


「うるさい……!」


 ぷちんと、私の中の何かが切れた。


「あんたなんかに何がわかるのよ! どうせ先生の性処理用に創られた物語なんでしょ⁉ エロ妄想の塊が、生意気ほざくんじゃないわよ! 私のマリーさんは違うのよ! 矜持があって、美意識があって! 華麗で美麗で! 品格ってものが備わってるのよ! 全部すべて! 根っこから! あんたなんかとは違うんだから!」


 負けじとトワコさんも言い返してきた。


「どこが悪いのよ! 作者の妄想の具現化! それが物語なんだから! 存在意義なんだから! むしろ率先して性処理してあげるわよ! ドロドロにされて、ぐちゃぐちゃにされて! でもそれが本懐なのよ! それこそが物語ものがたりの望みなのよ!」


「なに誇り高いみたいに言ってんのよ! しょせんは性奴隷でしょうが! 職に貴賤はないなんて言ったって誤魔化せないわよ⁉ それにしても先生には呆れたものね! 涼しい顔して! いかにも草食系って顔しといて! 中身はエロガキそのものじゃない! ああやだ! 汚らしい! ちょっとの間でも、あんな人に魅かれた私がバカだったわ!」


「……新をバカにすると殺すわよ?」


 トワコさんはヒットマンみたいな目で睨みつけてくるが……。


「ふん! そんな目で睨んだって怖くないのよ! 物語は人間には手を出せないんでしょ⁉ 手を出したら即座に死蔵デッドエンド! マリーさんに聞いたんだから!」


「あらそーう⁉ 教えてもらえてよかったわねえ! そのマリーさんをゴミみたいに捨てた、無慈悲な作者さん⁉」


「ぐうううぅ……っ⁉」

「むうううぅ……っ!」


 不毛な罵り合いに疲れ、私たちはしばし休戦することにした。



 ベッドの端と端。

 私たちは離れて座った。

 

「……ちょっと、訂正させなさいよ」


 トワコさんがぽつりとつぶやいた。


「わたし……まだ……なのよ」


「え?」


「だからその……まだ……、そういうことはしてないのよ」


「そういうって……性処理的な?」


 トワコさんは恥ずかしそうにうなずいた。


「いえそれどころか、キスもハグもしてくれないの。手だって握ろうとしてくれない。毎日毎晩スキンシップを仕掛けても、我慢して耐えるだけなの。そういうところがウブで可愛いなとは思うけど……。でもわたしは不満で……。なんで……あなたなんかが……って」


「……私がなによ」


「新が……あなたのこと気にするのよ。自分が傷つけたって。可哀想だって。様子を見に行かなきゃって。わたしはそんなのいらないって言ったのよ? 一週間もすれば出てくるからほっとけばって。どうせなにげない顔で登校してきて、いつもみたいに尊大に振る舞うわよって言ったの。でも新は……俺は先生だからって言うの。あなたを親御さんから預かってて。だから大切にしたいんだって。だから手伝ってくれないかって。わたしに頼むの。やつれた顔して、困った顔して懇願するの」


「……」


「……いいじゃない、生徒なんてほっとけば」


 トワコさんは膝を抱えてぼやき出した。

 もはやそれは、私への言葉ではなくなっていた。


「何十人もいる中のひとりが欠けたぐらい、どうでもいいじゃない。もっとわたしを見てよ。もっとわたしを構ってよ。もっとわたしを好きになってよ。ねえ、新……」


 ……他人の物語というのを、私は初めて見た。

 そしてなんだか、意外だった。

 こんなにも悩むものだったんだ。 

 設定どおりに生きることに。

 作者との関係性に。


 もっと。

 もっと。 


 トワコさんは繰り返す。

 自分のあるべき姿を口にする。

 ずっと先生の傍にいて、愛し愛される未来予想図。

 自分自身を物語る。


 私には、それを止めることが出来なかった。

 かつて失われた、私の相棒。

 マリーさんも……あるいはこんな風に苦しんでいたのだろうか。

 そんなことを思った。




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