第19話「今そこにいるきみのこと」


 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




「……なにこれ、どういう状況?」


 真理の部屋に入るなり、俺はぎょっとして立ちすくんだ。


 トワコさんが膝を抱えてぶつぶつつぶやいていて、真理が慰め顔でぽんぽん肩を叩いてあげている。

 普段のふたりの関係性からは、考えられない状況だ。



「……先生のとこも、色々大変みたいですね」


 真理は俺に気づくと、眉を八の字にして薄く笑った。


「え……ああうん……その口ぶりだと、俺とトワコさんのことは聞いたんだ?」


「はい。その結果、こうなっちゃったわけですけど……」


 真理は照れくさそうにぽりぽりと頬をかいている。


 いまいち経過は想像つかないものの、ふたりの仲が良い方向に向かったのは間違いなさそうだ。

 取っ組み合いでもされたらかなわんと思って急いで来たんだけど、ともあれよかった。 


「えっとまあ……そういうわけでさ。なんというか、俺も作者なわけだ」


「そうみたいですね。ちょっとエロい物語の」


「う……っ」


「ふふ。まあいいんじゃないですかね。リビドーのはけ口は人それぞれだから」


「真理……言っとくけど、それ全然フォローになってないからな?」


「アラソウデシタ?」


「おい棒読みやめろ」


 真理はくすくすと笑った。

 屈託のない、いい顔をしている。 


 ……ああ、この笑顔をこれから崩さなきゃならないのか。

 そう思うと、胸が痛んだ。

 だけどやんなきゃ、だよな……。


「……ちぇ、笑うなら笑ってくれ。でも言っとくぞ? おまえだって同じ穴のむじななんだからな?」


「あら先生。ゴスロリは今じゃ立派な文化ですよ?」


「……ほぉう? ここでビブリオバトルでも始めるか?」


「負けませんよ。と言いたいところだけど……無理かな。勝ち目なさそう……」


 真理の笑顔が少しかげった。


「なにせ私のほうは元作者・ ・ ・ですから」


「元……か。まあそう言うなよ。今日俺がここに来たのは他でもない」


「……?」


「おまえとマリーさんを会わせに来たんだからさ」

 

 ピタリ。


 真理の動きが止まった。

 呼吸まで止めて、完全に硬直した。


「……なっ。なに言ってるんですかっ。先生……っ」


 ゼエハアと息を荒くしながら真理。


「そんな冗談言うのやめてくださいよ。心臓止まるかと思ったじゃないですか。だいたい、いるわけないじゃないですか。マリーさんは……」


「司書になってる」


「えっと……司書ってたしか……」


「世界図書館から派遣された、物語の指導者のことだ。なんの因果か偶然か、マリーさんはトワコさんの司書をやってる。今もここにいるんだけど、その姿は普通の人間には見えず、聞こえず、触れないからさ……」


「見えず、聞こえず、触れない……」


 真理は虚ろな目で繰り返した。


「……やだなあ、先生。そんなの信じろって言うんですか? マリーさんは司書としてここにいる。感じとれって」


「……」


「先生がホントのことを言ってても、嘘を言ってても、私にはわからないんですよ? たしかめようがない。だったら私は疑いますね。先生が私を慰めようとして言ってる優しい嘘なんだって。マリーさんの情報は、先生が私のスケッチブックを見て得たんだって」


「嘘じゃない。スケッチブックも見ていない。それを今、証明するよ」


「そんな……どうやって……」


「なんか描くもの貸してくれ」


 呆然とする真理から、3B鉛筆とスケッチブックを借りた。


「えっと……一番後ろのページからにして下さいね? 他のページは覗き見禁止ですから、絶対」


 念押ししてくる真理にうなずきを返しながら、ガラスのローテーブルの上でスケッチブックを開いた。


「やめろ……意味ない……」


 声を発したのは、俺の隣に座っているマリーさんだ。


「どうしたってこやつには感じ取れん。貴様のひとり相撲以外の何ものでもない」


 正論だ。

 普通に考えれば、今の真理にマリーさんの存在を信じさせることは不可能に近い。

 

 ……普通はな。


 俺は部屋を見渡した。

 真理の部屋の本棚には、同じサイズのスケッチブックがたくさんある。

 それはたぶん俺の絵日記と同じものだ。

 それだけの数の、真理の執念がこもってる。


「……まあ見ててくれよ。こういうところはさ、作者同士、分かり合える部分だと思うんだ。なにせ俺たちは、常に全力で物語に取り組んできた。描いて、綴って。狂人レベルの執念で創り出したんだ。気持ちのこもってない嘘の絵だったら一発で見抜けるよ。そうだよな、真理?」


 戸惑う真理に構わず、俺は3B鉛筆を走らせた。

 今そこにいるマリーさんを描き始めた。

 

「……っ」 


 真理は口元に手を当てた。

 息を呑んで、スケッチブックを覗き込んだ。


「……なあ、わかるか? いるんだよ」


 ゴスロリ姿の女の子。

 金髪碧眼、お姫様みたいなマリーさん。

 

 精密に正確に、細部まで丁寧に、一本一本の線にまで心をこめて描いた。

 ──まるで生きているみたいなマリーさんが、紙の上に現れた。


「嘘……嘘だ……っ」


 真理は激しくかぶりを振った。


「嘘じゃない。おまえがかつて愛した女の子が、具現化するほどの妄想力で描き出した女の子が、今ここにいるんだよ」


「そんな……」


 マリーさんは俺の隣で正座していた。

 まつ毛を伏せ、膝のところで拳を握っている。

 ──決して真理を見ようとしない。

 

 頑なその態度を、真理は悪いほうに受け取った。


「マリーさん……やっぱり私を……」


 真理は声を震わせた。


「恨んでるんだ……」


「違うよ、真理。よく見るんだ」


 俺はページを変えた。

 マリーさんの構図を変えた。


「違いませんよ。私があんなこと言ったから……。私のせいで死蔵デッドエンドしたから……」


「そうじゃない。憎んでなんかいない」


「嘘よ……だってほら……。マリーさんはそんなに……辛そうな顔をして……」


「やめよ……意味ない……」


 マリーさんは唇を噛んだ。

 俺の服の裾を握り、しきりに引っ張った。

 

「ビブリオバトルをしたそうだよ。トワコさんと」


「……トワコさんと?」


「激しい戦いだったそうだよ。自分の物語を語り合って、誇り高くぶつかった。軍配はトワコさんに上がったが、でも彼女は最後まで戦った。普通の者なら諦めるところを諦めなかった。武器を失いながらも、絞め落される瞬間まであらがった。……なあ真理。なんでだと思う? なんでマリーさんはそこまでした?」


「それは……」


 真理は胸元を押さえた。


「私を……まだ……」


 つっかえつっかえ、半信半疑といった風に。


「愛して……くれてるってこと……?」


「愛してなんかいない」


「私……あんなこと言ったのに……?」


「貴様など知らん」


 真理の質問の合間に、マリーさんが答える。

 噛み合うはずのないふたりの会話が、奇跡的に成立した。


 俺はさらにページを変えた。

 新たなマリーさんを描いた。


「……っ」


 真理の唇が、ふるりと震えた。

 

「マリーさん……泣いてるの?」


「……泣いてなどいない」


「私が……私のせいで……っ」


「違う! 関係ない! 貴様など……おい、新! もうやめい! やめいったら!」


 マリーさんはべそをかきながら俺の手元を叩いた。

 スケッチブックは床に落ち、慣性のままにぱらぱらとページがめくれた。


 そして──そのページに行き着いた。


 真理とマリーさんの絵。

 在りし日の光景。

 コスプレをしたふたりが、ベッドの上で昼寝をしている。

 身を寄せ合い、手を握り合い、口元を笑みの形に歪めたまま、仲良く夢を見ている。


『ゴスロリ幼女は亡国の夢を見る』

 タイトルの通りに。

 

 瞬間。

 ぐうっと、真理の喉が鳴った。 

 今まで抑えていた彼女の感情が、奔流のように溢れ出した──




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